前回は小作農の代表である共産党の小池晃さんが自由農的働き方である裁量労働制を理解できないということについて考えた。背景にあるのは現在の日本の仕組みについて概念化ができないという問題だった。概念化ができないと、自分たちの位置を客観的に見ることができない。そこで、議論が単なる内輪揉めの「俺が正しい・お前が間違っている」に収斂してゆくという分析になった。これを見ている有権者も「共産党のいうことはすべて間違っている」とか「安倍自民党は気に入らない」という議論に夢中になり、そこから脱却することができない。
このブログではこれまで村落性について考えてきているので、日本の社会が客観的なモデルを作れないのは、これまで環境を相対的に見てこなかったからだと考えてきた。では、そんな日本が長い間崩壊しなかったのはどうしてかというのが今回のテーマである。そこで、道州制を導入すれば良いという提案をするのだが、なぜ概念モデルが作れないと道州制を採用すべきなのだろうか。
アメリカはネイティブの人たちを除いてはもともと所与のコミュニティがなかった。外からきた移民たちが新しいコミュニティを作った社会なので、社会を移植する過程で理念化が必要とされた。そこで採用されたのがフランス型の「共和国」という当時としては革新的な理論だった。このようにアメリカは古くから自分たちのコミュニティについて客観的なモデルを作ることに慣れた社会だったと言える。
しかしながら、そのようなアメリカでも社会変革はかならずしも容易には進んでこなかった。現在でも、なかなか銃規制ができない。自分たちを客観的に見るのはそれほど難しいことなのである。
アメリカ人は、戦前に日本の社会を客観的に分析した。そして、共産化を防ぐためには農民を自営化して組織した方が統治しやすいと考えた。もともとモデル化に慣れていたという事情はあったにせよ、これが容易にできたのは彼らが外から日本を見ていたからだろう。
加えて、アメリカには日本の安定が自国の安定につながるはずだという期待もあった。当時は共産主義の脅威が迫ってきており、東アジアにも自由主義経済の国を確保しておく必要があった。大日本帝國がハワイからアメリカを攻撃する可能性は潰すことができたが、同じようにして共産圏の国が太平洋から自国を攻めてこないようにする必要があったのだ。
GHQの改革が機能したのは、アメリカが外から客観視ができてなおかつ自分たちに関わりがあるということがわかっていたからだろう。もちろん日本人が勤勉で真面目だったからこそこのモデルに沿って繁栄できたという事情もあったのだろうが、客観的な視点と適度の関与が日本の繁栄を作ったと言って良い。
現在、与野党はNHKのテレビを意識してプロレスごっこを繰り広げている。彼らは裁定者の視線を気にしているのだが、カメラの向こうには裁定者はいない。国民は政治に興味がなく、自民党の政治を肯定的に見ているわけではない。単に「仕方ないから放置している」だけである。一方、野党の方は最初から支持されておらずプロレスのやりがいがない。このため、誰が肯定してくれるわけでもないのに、延々とプロレスを続ける必要が出てくるのである。
この裁定をうまく利用したテレビ番組も多い。外国人に日本は素晴らしいと言わせて喜ぶ番組があある。ニューヨークタイムズが日本の製造業が崩れつつあると言ってはじめて「ほら日本はダメなのだ」という人たちもいる。裁定者がいないと不安なので人工的に裁定者を作っているのだ。
これを現在に当てはめるとかなり突拍子もないアイディアが出てくる。日本が今膠着しているのは状況を客体化してくれる主体がないからだろう。であればそれを作れば良いのだ。
本来ならば憲法を作って裁定者として司法が機能するはずだが、日本人は書かれたものを信頼しない。さらにルールそのものを骨抜きにしようとする。憲法には人間的な温かみがなく、解釈次第でどうとでもなると考えているのだろう。もちろん「書かれたものを遵守すべきだ」と主張したいところなのだが、これも日本の社会では「国会できちんと議論すべきだ」というのと同程度に単なるきれいごとに過ぎない。
ここから、GHQのような組織を作れば日本は相互のプレイヤー同士の話し合いができる状態になるのではないかという仮説が生まれる。日本という巨大な村落の外側に適度にコミットしながら客観視してくれる組織を作れば良いということになる。もちろんアメリカに再占領してもらうという手もあるだろうが、連邦政府を作って仲裁だけをお願いするというやり方にした方が良さそうだ。
つまり各地域が拠出して作った連邦政府が最終的な仲裁だけを行うようにすればプロレスにやりがいが生まれるのだ。中央政府には権限や財源がなく全ては地方政府が決める。そして、連邦政府はGHQとして機能するということになる。
このアイディアには別のメリットもある。日本人は集団で競い合うのが大好きだ。だから例えば関西が中京エリアがお互いに張り合うことで競争が生まれる。これは成長の原動力になり得るだろう。
さて、どれほどネトウヨの人がこの結論のセクションにたどり着いたかはわからない。だが、彼らの反応は大体予想がつく。それは「日本は伝統的に一民族一国家であり、連邦制は日本にはなじまない」というものだ。しかし、このアイディアを思いついた時に最初に気がついたのは実はこの点だった。
徳川体制が260年以上も続いたのは、実は徳川幕府が「当事者」ではなかったからである。当事者は藩であり、徳川幕府は藩を戦争で疲弊させずかといって連合もさせないで競い合うような調整装置になっていた。つまり、徳川幕府は「GHQ」として機能していたのだ。
日本は藩の連邦体制だったとも言える。民主的な連邦体制と違っていたのは、藩が話し合って江戸幕府を作ったのではないということだけである。そして徳川幕府が潰れたのは外国との交渉で仲裁者ではなく当事者になってしまったからだった。日本はプロセスを重要視しない結果責任の国なので、結果的に失敗すると「全てがだめ」ということになり潰れてしまうのだ。
こうした議論を進めて行くと、与野党がプレイヤーとして罵り合うのはどうしてなのかという疑問の裏側に日本はなぜ中央に空白をおくとうまく行くのかという疑問があることがわかる。つまり当事者にならない中心をおくことで、お互いに協力せずに集団での競い合いに熱中するという特性が有効に機能しだすのだ。河合隼雄が「日本の中空論」を唱えたのは1980年代であり、アイディア自体は決して新しいものではないのだが、今でもこの洞察は生きている。
競い合いがあまりにも苛烈なので、中心に実体のあるものを置いてしまうと潰れてしまうのかもしれない。しかし、その中空にあるものは決して無ではないというのも話のポイントだ。
このことから、実は連邦制という制度は日本にかなり向いた制度なのではないかと思うが、ポイントは連邦そのものにあるわけではなく、その中心にあって何もしない仲裁装置の存在なのだと言えるだろう。