西側社会は1989年にベルリンの壁の崩壊を経験した。そして今、私たちはそれに匹敵するような「崩壊」を経験している。では一体何が崩壊しているのか。
かつて我々は「最後はアメリカ合衆国が何とかしてくれる」社会に住んでいた。しかし、アメリカ合衆国は世界の警察官であることをやめ、ロシアのウクライナ侵攻も防げなかった。我々はこれを「世界秩序の崩壊」と考えてきたが、今我々が経験しているのは、アメリカ合衆国大統領の「個人的な誤り」を合衆国が収拾できていないという問題である。
アメリカ合衆国憲法は権力の暴走を想定しており、「機関的な押し戻し」ができる国であると考えられてきた。ところが現在のアメリカ合衆国は、その機関的押し戻しができていない。では、世界一強力な軍隊がイランを軍事的に圧倒しているかといえば、「ホルムズ海峡は危ないから護衛はできない」としている。もちろん、イランの革命勢力を根絶やしにするようなこともできていない。
国が問題解決の手段ではなくなりつつあり、結果的に「トランプ大統領の個人的な属性」に注目し、問題を解決するには「まず泣き叫んでいるトランプ大統領をあやして落ち着かせてから、イランと交渉しなければならない」という状況になりつつある。
仮に戦争が長引けばガソリン価格の高騰だけでなくコムギや飼料用トウモロコシなどの価格にも影響が出るだろう。
しかし、現在のメディアはこうした「心理的分析」を扱えない。AIもこの種の問題への対応は苦手である。書かれた合理的な分析がないため、こうした仮説を提示しても否定的な見解しか返ってこないが、それは「まだそうした分析が存在しない」という意味にすぎない。
既存のメディアが沈黙したことで、サブスタックやSNSなどでは一方的で極端な言動が飛び交っており、事態収拾は望めそうにない。結果的に、ある程度開かれた形で「間違える覚悟」を持って仮説を置き、検討するメディアの登場が求められているということになる。
つまり我々は、コンクリートの壁ではなく、我々の政治的ビューを支えてきた有形無形の機関の崩壊に直面していると言えるのかもしれない。おそらく我々はこの崩壊に対応すべき何かは見つけるだろうが、まだ今はそのツールを手にしていない。

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