知事選挙は「よほどのことがない限り」現職が落選することはない。しかし、高市総理や吉村大阪府知事が支援したにもかかわらず、馳浩氏は再選できなかった。当選したのは、2022年の知事選で馳浩氏に敗れた元金沢市長の山野之義氏だった。この選挙で「日本が小選挙区制を採用し続ける限り無意味な出力が続くだろう」ということが分かる。
本来、小選挙区制は政策やイデオロギーの対立を二つの陣営に集約することで機能する制度である。アメリカやイギリスでは政党の理念や政策の違いが明確であり、有権者はその対立の中から一つを選ぶ。しかし日本では政党間の政策差よりも地元の利益共同体や人物人気が選挙結果を左右する。そのため日本型小選挙区制のもとでは、政策選択ではなく「どの利益共同体が勝つか」という争いになりやすい。
この興味深い事例が石川県知事選挙だった。高市総理がイラン対応より選挙対応を優先したことが批判されている。確かに演説はひどいものだったようだが、おそらくその議論にはあまり意味がない。そもそも高市総理の影響力は限定的だったからだ。
高市総理は「既存政治とは違って見える政治家」として登場し、無党派層の疑似的な改革志向をある程度満足させてしまった。つまり有権者はすでに心理的な変化を経験した後であり、地方選挙で新たな変化を求める必要性を感じていない。結果として選挙は再び地元の利益共同体の力学に引き戻され、高市総理の支持がそのまま地方選挙の結果に転化することはなかったのである。
そもそもなぜ馳浩氏が当選したのかと考え、2022年当時の記事を探したが、「保守三つ巴の選挙」を制し、「知名度を活かして」当選した、という以上の情報は見つからなかった。次点(山野氏)との票差はわずか7982票だったという。つまり保守分裂がなければ、馳浩氏は勝てなかった可能性がある。ただし投票率は61.82%で、2018年の前回選(39.07%)を22.75ポイント上回った。
前回の選挙がなぜ分裂したのかは分かっている。前任の谷本氏が後継を指名しなかったためだ。谷本氏はもともと非自民の枠組みで立候補した元自治省官僚だが、後に自民党を取り込んだ。結果として7回の選挙に勝利している。つまり谷本氏は元自治官僚としての才覚を活かし地元の利害関係を調整していたのである。知事はリーダーではなく地元の利害調整者として機能していたということになる。
2022年の選挙では谷本氏の引退を好機と見て、独自候補を押し通そうとする森喜朗氏、金沢市を中心とする山野氏、農村部に支援される山田修路氏(元農林水産審議官)が互いに譲らなかった。朝日新聞によると「バカ!」と怒号が飛び交っていたという。谷本氏個人に依存してきた利益共同体調整機能が崩壊したのである。
今回の保守分裂選挙では、馳浩氏の能登半島地震への対応や森喜朗氏の影響力低下などもあり、結果として自民党が支援した候補の得票は伸びなかった。ただし票差はわずか6110票だった。
よく日本では保守化が進んでいるといわれるが、実際に明確な「保守」というイデオロギーが存在するわけではない。地元の利益共同体と、「改革」を熱望しつつも自ら変わろうとはしない有権者が存在するだけである。
「これまでの既存政治家とは違って見える」高市総理が誕生したことで、「疑似改革意欲」はある程度満たされてしまった。そのため、高市氏に人気があるうちに、地元の利益共同体は足場を固めようとするだろう。すでに中央では二階派がリブートし、安倍派幹部たちも新たな活動を始めているようだ。
共同通信の調査によると高市総理の支持率は依然として高いようだが「タカ派的」と呼ばれる政策そのものが強く支持されているわけではない。イラン戦争への不安も強い。つまり有権者は「高市さんはなんとなく前の指導者と違う」という漠然とした期待から高市総理を支持しているにすぎない。
しかし、この構図そのものが日本政治の特徴でもある。地元の利益共同体が候補者を支え、無党派層は「既存政治とは違って見える人物」に期待を託す。そして小選挙区制では、そのどちらかがわずかな差で勝つだけだ。
つまり選挙の結果は変わるが、政治の構造はほとんど変わらない。今回の石川県知事選挙は、その無意味さを改めて示したに過ぎない。有権者が意識を選挙制度に合わせて変えるか、あるいは選挙制度そのものが変わらなければ、日本の選挙はこれからも無意味な出力を繰り返すだけに終わるだろう。

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