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高市早苗総理が赤沢亮正大臣に「私に恥をかかせるなと言ったよね」と言ったことの何が問題なのか

7〜11分

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高市総理が赤沢亮正経済産業大臣に対し、「私に恥をかかせるなと言ったよね」と笑いながら高圧的な姿勢を示したことが問題視されている。では、なぜこれが問題なのか。

第一の問題は、「国益確保」の保証の薄弱さである。日本の対米投資において「日本が損をしない」という保証は、「日本が損をするディールを結べば私が恥をかくから」という個人的な論理に依存している。これを国会での説明に代えているのである。つまり、それ以上の制度的・論理的な保証が存在しないことを意味している。

しかし、これはさほど重要な問題ではない。その担保が極めて脆弱であることが問題だ。

第二の問題は「嫉妬」である。日本の男性中心社会に限らないが、社会的地位によって自己評価を行う傾向が強い社会ほど、「誰がボスなのかをはっきりさせよう」とする態度を嫌う傾向がある。赤沢大臣は、国会という公的空間で「公開マウンティング」を受けた形になった。

第三の問題は、個人的な人間関係である。「公の場で公開マウンティング」された場合でも、私的な場面でフォローアップが行われるのが通例だ。特に男性中心の日本社会では、この「私的フォローアップ」の重要性は高い。そのために、「腹を割って話す」場として、酒席を伴う飲食の機会が用いられることが多い。

しかし、高市総理はそもそも「飯会が嫌いな女」である。本人は「んー、恥ずかしいですが昭和の中小企業のおやじ、社長みたいなところがまだ私にはあるのでしょう。でも私は皆さまご承知の通り飯会苦手な女です。何らかの気持ちはお示ししたいなという中でギリギリの判断でした」と述べている。

その結果として、一律3万円のカタログギフトを配布する対応が取られた。しかし、「私的フォローアップの肝」は特別待遇にある。これは日本の男性社会特有の文化と思われがちだが、アメリカ合衆国でも同様の関係構築は行われている。表で強いリーダーシップを発揮する経営者が、親しい部下を招いてホームパーティーを開くことは珍しくない。

英語の敬語表現は日本語ほど緻密ではないため、職場では私的な「親密さの度合い」によって序列が形成されることも珍しくない。その結果、表面的にはフラットで親密に見えながら、内実としては明確な上下関係を伴う序列社会が、アメリカ合衆国では成立している。

この暗黙のコードに気づけるかどうかは、日本人駐在員や移住者にとって極めて重要である。誰とどの程度親しく扱われているか、どの場に招かれるか、どの距離で接されているかを読み取れる人と、そうでない人とでは、社会的評価やキャリア形成に大きな差が生まれる。

現在、高市総理に逆らう人物がほとんどいないのは、「国民的人気が高い」と認識されているからである。その結果、周囲が何も言わなくなり、高市総理自身も「党内の人間関係の構築など簡単なことだ」と錯覚する。そして、「恨みの累積ポイント」だけが静かに蓄積されていく。

「少なくとも岸田政権時代から仲が悪かった茂木敏充氏」と、「解散総選挙で相談されなかった麻生太郎氏」が会食し、「高市総理を支えることを決めた」と共同通信が報じた。しかし、おそらく多くの人はその通りだとは考えていないだろう。

先日お伝えしたReutersの報道によれば、問題が山積する日本において、一人のリーダーがすべてを解決することはできないが、大きな失敗を経験しなければ彼女は気づかないかもしれない、と囁かれているという。おそらく、彼女が躓いたときに助けてくれる人は、それほど多くないだろう。

「高市旋風」で当選を果たした衆院議員の一部で広がる楽観論の陰で、党関係者は「高市氏は何でも自分の決定じゃないと気が済まないようだが、課題山積の日本でそれはよほどの天才でも難しい」と指摘。別の党関係者も高市氏の今後を案じた。「一度失敗しないとわからないのかもしれない」

マクロスコープ:自信深める高市氏、市場も歯止め役とならず 党との溝に懸念も(REUTERS)

好事魔多しとは、よく言ったものである。

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