共同通信によると高市政権の滑り出しは好調だったようだ。このところ「新しい資本主義」や「楽しい資本主義」といったよくわからないスローガンではなく、明確で力強い国家像を示した点が高評価されたのだろう。
高市政権には重要な歴史的意義があると感じる。アベノミクスを完成させ「やはりアベノミクスは失敗だった」という事実を明らかにしなければならない。そのためには初期の高い支持率が極めて重要である。
共同通信が「高市内閣支持率64%」と書いている。岸田総理は「新しい資本主義」で国民を困惑させたが、それに比べれば「強い日本を諦めない」というスローガンは好ましく感じられたのだろう。
日本人は強くて大きいものが好きだ。
経済政策は需要喚起型のものになりそうだ。国が重点政策を決めて集中投資を行う。そのためには財源が必要となり財政拡張的となる。
この積極財政を支えるために大蔵省主計官を担当した片山さつき氏が財務大臣に就任した。主計官は各官庁の予算を厳しく査定する政府側の責任者である。高市総理から片山財務大臣に対する指示は「経済再生と財政健全化の両立」だった。
またこれとは別に高市政権は「税と社会保障の一体改革」のために国民会議を設立するとしている。
経済政策は需要喚起型のものが多い。労働制約を改善するための処方箋もあることはあるのだがあまり強い内容とは言えない。財政拡大に対する期待は株高と円安をもたらしている。政府主導で強い需要を喚起し円安が進めば経済対策によって物価高が刺激されるという悪循環が作られるだろう。
この間、野党の経済対策についても研究してきた。蓮舫氏のXの投稿が典型的だが継続的に「物価高対策」を求めている。これは物価の安定ではなく財政的な支援に対する期待なのだと考えると、おそらく立憲民主党はは高市政権の政策がインフレを喚起するであろうということを理解しておらず、議論の基礎となる知識もないようにおもえる。
REUTERSの取材によると牧原出氏は次のように分析している。高市総理の個人の思いつきと思い込みによって左右される危うい政権運営でありその時々の野党との「短期的なディール」 によって思いつきの方向性が左右される。
ただ、基本的には難しいかじ取りになるだろう。維新など党外の要素はもちろんだが、そもそも高市氏のリーダーシップが今のところ見えない。なんでも1人で決めている感もあり、周辺に優秀なスタッフがいるのかどうかも疑問だ。高市氏個人は秀才ではあるのだろうが、政治家としての幅が非常に狭い印象もある。
インタビュー:高市新政権、「なんちゃって連立」で変わる政策決定プロセス=東大・牧原教授(REUTERS)
前の投稿で触れた「日本の再成長のために必要な処方箋」は次のようにまとめた。日本は収奪国家化を防ぎ、思い切った構造改革による再成長を目指すべきである。さらに国家は選択的な投資をするのではなく、イノベーションサイクルの「卵と死期」の面倒を見るべきだ。
- 国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源 (ハヤカワ文庫 NF 464) 文庫 – 2016/5/24
- 国家はなぜ衰退するのか(下):権力・繁栄・貧困の起源 (ハヤカワ文庫 NF 465) 文庫 – 2016/5/24
もともとの維新の大前研一氏の着想は「地域同士の競い合いを通じて経済成長コンペを行う」というものだった。このためには地域に権限を委譲する道州制が必要であると訴えたのである。しかしながら維新は「大阪に対する利権誘導政党」に変質した。日本に地方分権と地域間競争という新しい価値観は根付かなかった。
高市政権は国家が集中的に投資を管理すれば国家は再び成長するであろうという思い込みに支えられるばかりか、外国人排斥色が強く女性を旧来型の「イエ」に閉じ込めたいという願望も持つ。労働者は管理されるべき存在で国や企業の方針に従って大人しく生産活動やエッセンシャルワークをこなしていればいい。
つまり、イノベーションセオリー的に見れば自民党と維新の国家政策は国家の自殺に向けた効率的な処方箋である。
ではこれは悪いことなのか?ということになる。
岸田政権と石破政権は安倍路線を密かに修正しようとしてきたが国民は「まだまだ安倍路線は有効なのではないか」と信じるようになった。これを払拭するためには一度気が済むまで安倍路線を継承してみるのが良いのではないか。
日本の経済復興はすべてが焼き尽くされた「第二次世界大戦の焼け跡」から始まっている。つまり灰燼を目の当たりにしてはじめて納得感が得られるのである。歴史の教訓ではなく現状を目の当たりにして初めて気がつく人が多いということになる。
