日本国憲法には内閣は連帯して国会に対して責任を負うと書かれている。これが崩壊したのが維新との連立だった。連立とは言っているが維新は内閣に人は送らない。この無責任体制に国民民主党が加わりそうだ。しかし実は公明党と立憲民主党も「国民会議」なるものメンバーになろうとしている。
つまり国会と政党の外に「いつでも畳める翼賛会」を作り分配だけを議論しようとしているのである。勘のいいかたはおわかりだろうが、翼賛会と書いたのには当然理由がある。
時事通信が「予算膨張、「責任」示せず 積極財政に市場が警鐘―歳出改革、効果期待外れ」という記事を書いている。これを読むと「高市政権が責任を取っていない」ようにみえる。しかし別の記事を読むと実は国民民主党が責任を取らない範囲で連立内閣(そもそも維新も責任を取る気がない)に接近している。「国民民主、縮む政権との距離 「ゆ党」手応え、連立は迷いも」にその詳細が書かれている。
では責任を取らないのは、自民党、維新、国民民主党の3党だけなのか。実は国民会議なるものが開かれることになっている。自民党は単独で予算に責任を取るのをやめたが、実は与党を追求するはずの立憲民主党や公明党も「分配議論」にだけは参加したいのだ。
これでは国会無責任体制だ! このままでは大変なことになる!!!
と書きたいところだ。
しかし実はもう大変なことになっている。2010年に比べて日本の通貨価値は4割も下落している。ChatGPTと整理するとなかなか興味深いメカニズムが見えてくる。
- 日本の通貨価値は2022年時点で4割下落していた(円の実力、変動相場制下で最低 下落率は27年ぶり大きさ=日経新聞)
- しかしこの時点では「企業が負担」していたため価格上昇が抑えられてきた
- ところがここにウクライナ危機、干魃によるコムギなどの上昇などが起きた
- ニュースになったことで企業が値上げしやすい素地ができる=私たちが悪いわけじゃない、仕方なかったのだと言えるようになった
- そこに今度は金利上昇によるドルの独歩高が起きた
- そこで物価上昇がドルと結びつけられることになった
つまり今回の物価上昇は「みんなで渡れば怖くないインフレ」ということになる。
しかしこれまで我慢していた時期が長かったために今度はインフレの行き過ぎが起きているようだ。その代表例がコメである。
- コムギ価格が上昇
- コメに切り替える人が増える
- しかし小売は「自分たちだけが価格を上げるとお客が逃げる」と考えてコメの価格を上げなかった
- ところがそこに南海トラフ巨大地震注意情報がでた
- コメが店頭から消えた
- 「みんなで渡れば怖くない」とばかりにコメの価格は短い間に2倍になった
- 消費者は抗議などせず静かにコメを買わなくなった
- 小麦、世界各地で豊作観測 5年ぶり安値圏で国内パン・麺に恩恵も(日経新聞)つまりコメの需要が下がる現象が起きつつある
- 結果現在米問屋は「暴落の危機」に怯えている(コメ不足一転、膨らむ在庫 農家の「足腰」弱く供給リスクなお=日経新聞)
これがみんなで渡れば怖くないインフレの恐ろしさだ。結果的にコメ離れが始まり市場が崩壊する。とはいえ問屋が幸せになれるわけでもない。これが縮小均衡である。
おそらくこうしたことは様々な現場で起きているのだろうが、統計には出てこない。しかしながら確実に「新品じゃなくてもいいや」という動きが広がりつつある。つまり消費者は静かに消費から退室しつつある。これも縮小均衡の動きだ。
政治が何もしないことはあらかじめ前提として織り込まれておりもはやそれで怒る人はいない。与野党も形式的には「対立」を続けている。立憲民主党などは「自分たちはいつでも政権を取る用意がある」と言っているが実際には国民会議に入り財政という責任を取らずに分配議論にだけ参加したがっている可能性が高い。
ここで「国会が責任を取るようにきちんと監視すべきだ」などと書きたいところなのだが、どうもそれも怪しい。高市政権は支持率が高く実は国民こそが「夢の管理」を求めているようなのだ。だからメディアもそれを責めることはない。
結果的に国民が選挙を通じて少数与党状態を作ったことがきっかけになり「誰も責任を取らなくて済む」大政翼賛的な国会が作られつつあるということになる。

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