9,100人と考えAIとも議論する、変化する国際情勢とあいも変わらずの日本の行方

おそらく新潮社の記事を読んだからだと思うのだが、「見ていてヒヤヒヤするなあ」と感じた。茂木敏充外務大臣が「平和評議会(ボード・オブ・ピース)への参加判断を示さなかった」と、時事通信社が伝えている。

時事通信は、「ドナルド・トランプ大統領に強く言われれば断れないし、かといって国際連合に挑戦していると受け取られたくない」という、日本政府の煮え切らなさについて書いている。

さらに時事通信は、「評議会がガザ和平に限定した組織であれば参加してもよかったが、目的が曖昧なため判断を迷っている」としている。しかし、トランプ大統領が何を言ってくるかわからないため、「警戒感を示している」という。

この記事から浮かび上がる日本社会と日本政府の問題点は、「日本が国際社会でどのような地位を占めたいのか」を明確にせず、周囲からどう見られるかばかりを気にしている点にあると言える。つまり、主体性を欠いた国家としての「日本」が問題だということになる。

だが、時事通信はあくまでも「トランプ大統領の動きが読めないのが問題だ」と問題をトランプ大統領に属させている。

しかしながら、事前に新潮報道などで「高市総理と茂木外務大臣は緊密に連携する間柄ではない」と知っていたため、それ以上の問題を感じた。茂木外務大臣は、おそらくトランプ大統領と距離を置きたがっている。一方で高市政権は、トランプ大統領との距離の近さを売りにしている。

高市総理は、極めて日本的な政治家だ。そもそも主体性に乏しく、安倍晋三元総理やトランプ大統領にしがみつくことが、政治家としてのバリューになっている。しかし、これを「主体性がない」とは言わず、「ブレずについて行く」と表現する。つまり、「主体性がないが、それを弱さと見られたくない」人に対して、好ましい印象を与えてしまうのだ。

阿川佐和子が、受動的に「聞く」ことを「聞く力」と言い換えたのが2012年だが、その後「〜力(ちから)」という本が次々と出版されたことを覚えている人も多いだろう。日本人は「受動性」を強く言い換えるのが好きだ。

一方で、高市総理は独断的な政治手法でも知られている。物事を立体的に捉え、複数の観点を調整するのが苦手である。この弱点を補うために、強いリーダーに追従する道を選んだのかもしれない。

一方、茂木敏充氏は、交渉を通じて自分が代表する人々の利益を守りたいという、能動的な意識を持っている。同時に調整型でもあり、「相反する利益をすり合わせたい」という姿勢も強い。自身の能力が高いことから、誰かに追従することを良しとせず、有権者へのアピールもあまり得意ではない。

つまり、高市総理と茂木外務大臣は、ある意味で「水と油」の政治家同士だ。ここでトランプ大統領が首脳会談などで、外務省の頭越しに何かを迫ってきた場合、何が起きるのかを考えると、場合によってはかなりの混乱が生じるのではないか、という気がする。

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで

イイネと思ったら、Xでこの投稿をシェアしてください


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です