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自民党が衆議院で「強行」姿勢をあからさまに

7〜11分

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年内採決にこだわる高市総理大臣の要請を受け、自民党が土曜日の審議を提案している。このままだと「強行採決」になるというのが時事通信の見立てなのだろう。強行し姿勢が明らかになったと評価している。

そもそも「強行採決」という言葉も、一種のマスコミ用語である。そもそも自民党は衆議院選挙で大勝しており、野党にも明確な反対の軸がない。つまり、何に対して何を強行するのかがよくわからない。

それでもこの「強行」という言葉を使ってしまうところに現在のメディアの思考停止ぶりが伺える。

与党は、予算委員会の理事会で一般質疑を土曜日に行ってはどうかと提案した。野党が審議時間が足りないというなら、形式的に時間を整えればよいという考えだ。さらに日曜日に地方公聴会を開き、「形式」を整えたうえで年度内成立を目指す構えである。時事通信としてはこのままでは強行採決が行われ民主主義が危機に瀕すると言いたいのだろうと感じた。

野党は、長年のルールを崩すことが「民主主義の破壊につながる」と主張する。しかし、そもそも高市総理の公約は野党の公約を吸収して作られているため、反対の軸がない。仮に今回の強硬採決で問題が生じなければ、「審議をしなくても民主主義の破壊にはつながらない」という認識が広まりかねない。そうなれば、そもそも2か月もかけて予算審議を行うことはタイパが良くない、という結論に傾く可能性もある。

なぜこのような事態になったのか。当ブログでは、改めて言語化してみたい。

そもそも、有権者が熟議を求めていない。有権者が求めているのは、負担増の先送りと「社会の明るい雰囲気づくり」である。細かな議論の過程には興味がなく、自分たちと属性が近い人物が「すべて善きように」取り計らってくれることを期待している。高市総理はこの期待に応えており、その結果、国民人気が高い。

高市総理の政治姿勢は、「とにかくその時々の強いリーダーに全力でついていくこと」にある。さらに、国民に対して負担を求めない。ここでいう負担には、経済的負担だけでなく心理的負担も含まれる。つまり、国民に対して、一人ひとりが自らの幸せを追求すべきだとは求めないのである。

一方で、野党も自らの手で政策を立案しない。そもそも「何が政策なのか」という概念すら希薄である。政策とは、ある仮説を立て、その仮定に基づいて資料を集め、統合する作業である。野党は、自らシンクタンクを作り、仮説を提示するという役割を長年放棄してきた。

結果として、形骸化した社会システムは更新されない。一人ひとりが努力しても、社会全体が効率化されることはない。令和の日本社会は、このシステムの停滞に適応してしまった。つまり、「自分一人が努力しても何も変わらない」と全体理解も調整も諦めてしまったのである。

この諦めの構図は、「時間をかけて努力するのはバカバカしい」という社会的了解を生んでいる。だからこそ、「2か月も時間をかけて議論するのはバカバカしい」という感覚が共有されても何ら不思議ではない。

「考えても仕方がない」という姿勢は、国民の間に深く根ざしている。現在、日本の安全保障環境は、土台である国連中心主義と日米同盟の信頼基盤の破壊という二つの困難に直面している。しかし、日本社会がそれを深刻に受け止めているようには見えない。

高市総理は問題解決について問われ、「私がトランプ大統領と率直に話し合う」と答えた。つまり、精神論で乗り切るしかないと考えているのである。

このように社会全体に「考えても仕方ない」という無力感が蔓延すると当然メディアも無力症候群に感染してしまう。過去の手続きを守ることが民主主義だとは思えない。むしろ民主主義を破壊しているのは「時間をかけて話し合っても無駄である」という諦めにも似た有権者の空気感だろう。すでにそれは広がっているのだから、日本の民主主義は大きく蝕まれていることになる。

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