維新・藤田共同代表の問題で奇妙な状況が生まれている。国会運営をゲームとして捉えたときにそれぞれが別のルールで動いていることが原因だ。特に野党が政治とカネの問題を単なる与党懲罰の道具として利用していることが重要である。
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共産主義者なのに新聞経営者になってしまった志位和夫氏
この問題を取り上げたのはしんぶん赤旗日曜版である。しんぶん赤旗は共産党員の減少に伴って売上が落ちている。この売上を回復するためには商品価値をあげて露出も増やす必要がある。そこで志位和夫氏は資本論に関する著作を商材としてSNSへの露出を増やし「赤旗日曜版こそが議会制民主主義を支えている」と宣伝している。
資本主義者こそ、新聞経営者(つまり資本家)としての志位和夫氏の真摯な姿勢に見習うべきなのかもしれない。
「政治とカネ」の問題を単なる懲罰の道具としてしか捉えていない野党
立憲民主党と国民民主党はそれぞれこの問題について深入りしないことにしている。維新は短期ゲーム指向で長期的な自民党との関係を明らかにしていない。長期的関係を構築するためには選挙区協力が必要だが吉村代表は「大阪では選挙区調整は必要でない」との立場。
つまり立憲民主党も国民民主党も維新が戻ってきたときに備えて敵対関係を結びたくないということになる。
短い時事通信の記事にはこう書かれている。
野党は当面、状況を見極める構えだ。立憲民主党の野田佳彦代表は31日の記者会見で「マネーロンダリングを疑われるケースではないか」としつつ、「よく注視していきたい」と述べるにとどめた。国民民主党の榛葉賀津也幹事長も会見で、「藤田氏がしっかりと説明すればいい」と語った。
藤田氏「公金還流」、野党が注視 身内猛批判、政府・与党に火種(時事通信)
維新は閣僚を出しておらず、「政権追及には直結しにくい」(立民幹部)との声がある。
藤田氏「公金還流」、野党が注視 身内猛批判、政府・与党に火種(時事通信)
議院内閣制のもとでは野党は予算編成に参加できないため「与党に対して無責任に懲罰的になる」傾向がある。つまり政治とカネの問題は今や「単なる懲罰のための道具」になっているということがわかる。野党が代替提案を出さないため与党案を認めるか認めないかだけの国会となり発想力が損なわれる。
存在意義の低下を恐れる維新の創業者
一方で創業者の橋下徹氏はこの問題が当初維新が持っていた「改革政党」というブランドイメージを損ねることがわかっているようだ。また、結論が出ないことで「終わりのないテレビドラマ」のような中途半端さが残ればじわじわと支持率が低下するということを理解しているのだろう。
SNSで藤田批判を繰り返し「自分は身内ではない」と時事通信の記事にも反発している。
この橋下徹氏はおそらく支持者の反発がないことを恐れている。改革指向のある人々は維新に期待していないので静かに離反するだろう。バランスが取れなくなると結果的に自民党に抱き込まれて消滅してしまうため「身内(御本人は否定しているが)」がバランスを取るしかない。
なぜ国益の最大化ゲームではなく「存在ゲーム」になるのか?
これまで藤田共同代表を巡る問題についての各プレイヤーの動きを見てきたが、改めて並べてみると不思議なことがわかる。
国会は国益を最大化するための装置であるべきだが、各プレイヤーは自分たちの価値を最大化するためのゲームをプレイしている。特に維新は改革政党としてのイメージを保持しながら大阪への利益誘導を行わなければならないという難しさを抱える。
国会の動きがバラバラに見えるのはおそらく「国益の最大化」ゲームが成立していなからなのだろうが、今一度冷静に考えてみると「なぜそれぞれの政党が存在価値の最大化」を必死になってプレイしなければならないのかがよくわからない。
かろうじてそこに意味を見出そうとすると「政治家が何をやろうが自分たちの暮らしには関係がない」と考える人が増えているのかもしれない。いわゆる政治不信から政治無視にフェイズが変わりつつあるということだ。
