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維新が勝手に参政党を勧誘

9〜13分

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日本の政治が現状維持に傾く理由を調べていると「表面的な政策理解」と「責任の所在の曖昧さ」に原因があると気がつく。議員定数削減の問題でもこれが起きている。

ただし当ブログはアメリカの政治問題と日本の政治問題を並行して扱っているので「本当にこれで良いんだろうか?」という気持ちを強く持ってしまう。

維新は連立政権に参加していることになっているが閣僚を出していないので、国会に対して連帯して責任を負わない。その維新が勝手に参政党に接近している。

維新は「身を切る改革」の一環として議員定数削減にこだわっている。しかしながら「身を切る改革」がなぜ必要なのかを十分に説明していない。日本の政治改革議論は長い時間をかけて徐々に蓄積してきたものなので、なぜ政治にカネがかかることが良くないことなのかなどが全く議論されていない。とにかく結果的に「政治にはお金がかかりすぎており」「働かない議員が多すぎる」と漠然と信じられている。漠然と信じられているため議論も漠然としたものになり結果的に徒労感だけが残る。

維新は「とにかくやると言ったんだからこれをやるんだ」という状況に陥っている。つまり「いい出した以上はやらなかったら負け」だ。改めて言語化するとバカみたいだが、これが現在の国会議論と維新を支える支持者のレベルである。

負けないためには負けない環境を作ればいい。衆議院では自民党+維新+維新脱退組が過半数を獲得しているが参議院では数が足りない。そこで参政党に維新が協力を呼びかけた。時事通信によるとどうやら維新が勝手に動いたらしい。

維新・参政会談に自民の姿はなかった。維新幹部は「説得先を手分けした」と説明するが、3党合意案や法案提出先送りは自民側に事前に伝わっていなかった、とみる向きもある。高市政権と距離を置く自民の閣僚経験者は、3党協力について「まるで日独伊三国同盟だ」とけん制した。

参政党、ねじれ国会で動向焦点 維新が接近、自民は警戒感(時事通信)

自民党の中でも維新の議員定数削減への理解は広がっていない。

野党は「まず企業団体献金問題を先に議論しろ」「追い越し禁止だ」と息巻いている。どうせ時間切れだろうという説を振りまいているのは例によって田崎史郎さんだ。どうも自民党の内部でも維新の提案に賛同する人は少ないが「高市さんの問題」ということになっているためみんな下を向いて黙っているらしい。そして不満を田崎史郎さんにコッソリと伝えてテレビで言ってもらっているのである。

また「まず本会議での採決に行くかどうかですね」と、タイムリミットも指摘した。先に各党から企業団体献金に関する3法案が提出されていることから、田崎氏は「委員のルールとしては、先に出た方を先に審議する」と解説。「自民党はのまざるを得ないので、まず企業団体献金の問題をやってくると思う」と自身の見立てを語った。「まず企業団体献金に関する3つの法案、自民党と維新、公明党と国民、3つの法案を審議するのを先にやる」とし、これらについて「公聴会を開いて聞くとか、参考人招致をやるという話になると、結構時間がかかると思う」とも語った。

田崎史郎氏 議員定数削減の法案成立可能性は?実数で予測「まず本会議での採決に行くかどうか」(スポーツニッポン)

維新が参政党の信任を得れば議員定数削減を強行採決することは可能かもしれないが、おそらく補正予算審議に大きな影響が出るだろう。これに抵抗しようとすると高市政権は維新と参政党の提案を丸呑みする必要が出てくる。しかしながら、維新も参政党も内閣に入っていない。つまり説明責任を追うのは高市総理と自民党から出ている大臣たちだけ。つまり維新も参政党も「フリーライダー(責任を取らない人たち)」としてのメリットを最大限に享受している。

そもそもどうしてこうなったのか。それは小泉進次郎氏ではなく高市早苗氏が総裁になったことで菅義偉氏が後ろで手を回していた維新との連立交渉が頓挫し、その後の不用意な動きに反発した公明党が連立政権を離反したからである。

つまりこの無責任体制の起点はすべて高市総理にある。

N国の齊藤健一郎氏を「彼は無所属である」として会派に入れたときにも、誰が勧誘したのかは明らかにならなかった。その後立花孝志氏の逮捕で齊藤健一郎氏は会派を離脱したがこのときも誰も何も説明しなかった。とにかく誰も責任を取らないという姿勢がこの内閣では一貫している。

高市政権の支持率は依然高く、今回の議員定数削減についてはおよそ6割が賛成しているという調査結果がある。

だが、物価高対策に不満を感じる人が49%いる一方でだからといって国債を積み増して借金が増えるのも心配だという人が65%いる。つまり有権者は政治の主体者として国会議論を見ているわけではなさそうだ。

結局のみんな責任を取りたくないから下を向いて黙っているだけということになる。議論だけが錯綜し「結局何もしないのが一番だ」ということになってしまうのである。

誰も責任を取らないのなら議員定数削減どころか「国会なんか要らないんじゃないの?」と感じてしまう。

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