9,100人と考えAIとも議論する、変化する国際情勢とあいも変わらずの日本の行方

国会では「熟議」の重要性が繰り返し語られている。だが、その言葉とは裏腹に、政治の現場からは、新しい発想や政策の構想力が失われつつあるように見える。今回はこれをイデオロギーではなく我々の生活に密着した「タレ」に例えて説明する。

高市早苗政権の強引さが批判され、旧立憲民主党の弱さが指摘される。だが、問題は個々の政党の優劣にとどまらない。いま問われているのは、日本の政治が「考える力」そのものを失っていないか、という点である。

一般教書演説に対する代表質問が行われた。内容は、これまでと大きく変わらないものだった。むしろ目立ったのは、旧・立憲民主党、現・中道改革連合の「迫力不足」である。

野党の情けなさと捉えることもできるが、見方を変えれば「伸びしろが大きい」とも言える。ただし、そのためには新代表である小川淳也氏が、思い切った党内改革に踏み込まなければならない。OSにたとえれば、「設計思想」からアップデートする必要がある。

高市早苗総理の性格からして、「問題はすべて否定」「すべてうまくいっている」と強弁することは、ある程度予想されていた。その意味で、代表質問への答弁は想定内だったと言ってよい。

一方で、小川新代表の質問姿勢や、その後の国会対応には、大きな疑問も残る。

高市総理は「本予算への一本化」を進め、「年度内成立」に固執している。これに対し、小川代表は「補正予算を編成しなければ十分な審議ができない」と主張する。つまり、「熟議が必要だ」と言っているわけである。

しかし、これまでの経緯を振り返ると、仮に審議の時間が確保されても、中道改革連合が「建設的な対案」を提示できるとは限らない。過去にも、SNSで話題になった案件を拾い上げ、政権の揚げ足を取ることを「熟議」と称してきた経緯がある。

そのため、「熟議はどこにあるのか」と訴えても、有権者が素直に納得するとは言いがたい。

自民党は、政権政党として、とにかく何かを前に進めようとする姿勢を見せている。一方、近年の立憲民主党は、それを阻止することに力点を置いてきた印象が強い。

結果として、「自民党は前に進む政党」「立憲民主党は遅らせる政党」というイメージが形成されている。

実はここに、世代による「リベラル観」の変化がある。昭和世代が想定していたリベラル像は、すでに現在の有権者とはずれている。

毎日新聞の調査で、小川氏に「期待する」と答えた人は14%にとどまった。「期待しない」は41%、「どちらとも言えない」は44%だった。つまり、多くの人が「中道改革連合が何を目指しているのか分からない」と感じているのである。小川代表も強がっているばかりでは前に進めない。

世界が自由主義陣営と共産主義陣営に分かれていた東西構造が崩壊したのは1989年だった。現代の有権者の多くは、イデオロギー対立の時代を体験していない。

そのため政治は、「何かをやろうとする人」と「それを妨害する人」という、日常感覚の延長で理解されがちになる。

立憲民主党が「批判政党」にとどまっているのは、政策立案能力を十分に育ててこなかったからだ。結果として、熟議が成立しない。ここまでは比較的明白である。

では、「自ら政策を作れない」のは立憲民主党だけの問題なのか。実は、自民党もまた、自前で新しい政策を生み出しているとは言いがたい。

多くは過去の政策の焼き直しや付け足しに過ぎず、いわば「鰻屋のタレ」に近い。毎日継ぎ足され、「秘伝」と称されてきたが、何が入っているのか分からなくなっている。

本来なら見直しが必要なはずだが、「問題はない」「すべてうまくいっている」と言い張っている。ここにも熟議文化の欠如がある。

高市総理の場合、この傾向は特に顕著だ。過去の言動から推測すると、「独断専行型で調整が苦手なタイプ」と言えるだろう。

調整型では目立ちにくいため、その時々の強いリーダーに接近することで存在感を維持してきた。かつては安倍晋三元総理に寄り添い、現在はドナルド・トランプ大統領に接近している。

自分で「タレ」を作れない以上、誰かから借りてくるしかない、という構造である。

こうして見ると、日本政治の問題は、単なる「熟議不足」ではない。そもそも、議論すべき中身、すなわち「タレ」そのものが存在しないことにある。

逆に言えば、「新しいタレ」を作ることができれば、政党は大きく成長する余地を持っている。

自民党は、どうしても過去の政策に縛られる。老舗鰻屋のように、味がぼやけた秘伝のタレを守り続けるしかない。

一方で、現在ほとんど何も持っていない中道改革連合のほうが、「新しいタレ開発」という点では、むしろ有利な立場にあるとも言える。

それにもかかわらず、日本政治は、東西対立に代わる新しい軸を、これまで作れずにきた。そこには、さまざまな構造的要因があるのだろう。

しかし現実には、小川代表は強い期待を集めているとは言い難い。「旧来のやり方」を踏襲するだけなら、自然消滅は避けられない。

これは、創価学会支持層の高齢化が進む公明党にも、同様に当てはまる。

結局のところ、小川新代表に残された選択肢は、「自分たちで新しいタレを作る」ことしかない。あとは、やるか、やらないか。それだけの問題である。

新しい「タレ」を作れないまま、継ぎ足しと批判だけを続けてきた結果が、今の政治である。これは特定の政党の失敗ではなく、日本政治全体の劣化の問題だ。
このままでは、日本社会は「失われた30年」という重苦しい自意識と、未来に対する行き詰まり感を抱え続けることになる。いま求められているのは、政治そのものの自己改革である。

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