9,100人と考えAIとも議論する、変化する国際情勢とあいも変わらずの日本の行方


私たちは本当にこれで良かったのか MAGAが立ち止まって考え始める

9〜14分

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ロブ・ライナー事件をきっかけにMAGAが揺れている。本当にこれで良かったのかと考え始めている可能性がある。静かにではあるがトランプ大統領を支えてきた熱狂が変質するきっかけになるのかもしれない。ChatGPTによる議事録はこちら。

有名監督ロブ・ライナー氏は表向きの「陽気さ」や「意識の高さ」とは裏腹に薬物中毒に苦しむ息子との関係に苦慮してきた。現在息子は取り調べを受けている。セレブな暮らしを楽しみパーティーも頻繁だったが自分たち家族が抱える苦悩について相談できる「向こう三軒両隣」はなかった可能性が高い。

表向きの意識の高さの裏には家族や個人の矛盾が隠れているかもしれないということだ。ロブ・ライナー氏は進歩的発言で知られていたが家庭の問題を解決できていなかった可能性が高い。「社会を救うよりまず家族ではないか」と言う気がする。

成功の価値が高いアメリカ合衆国には弱みを打ち明けられない人たちがたくさんいる。このため「家族の問題」を抱えるアメリカ人は多いのではないか。

その一部が頼ったのがMAGAムーブメントだった。個人と集団の間にあるクッションが日本よりも薄いため一種宗教的な救済ムーブメントがテレビ伝道やメガチャーチを舞台に代替的に機能したのがMAGAだったと考えることができる。

トランプ大統領はロブ・ライナー氏の表の顔に着目し民主党攻撃に利用できると考えた。しかしMAGAの支援者たちはそう捉えなかった。特にチャーリー・カーク事件において「自分たちは敵を憎むよりも内面的に善き人間でなければならない」という自己省察の過程が始まっていたと言える。

今回の「反発」は反トランプ運動には結びついていない。しかしトランプ大統領の価値観が自分たちを代表していないという気付きはおそらく少なくない変化を与えるだろう。それはおそらく不可逆な変化だ。

実は日本も同じような経験をしている。仏教(日蓮正宗)に支えられた創価学会は薄っすらと「本当に自分たちは善い側にいるのだろうか?」という違和感を抱えていた。これが一気に弾けたのが総裁選における自民党の選択だった。高市早苗氏は明らかに池田大作が提唱してきた「人間第一の平和主義」に反する選択だった。自民党は公明党の支援はすでに得られたものであり追加費用を支払わなくても利用し続けることができると考えたのだろう。

もちろんこれが公明党の「反自民党」運動に発展することはないだろうが、彼らはおそらく高市系の自民党を支援しない。支援しないというより自分たちの善さに反する人物を表立って支援することなどできないのだ。

日本と同じようにアメリカでも「揺れ」は段階的に形成されている。

まずチャーリー・カーク事件で違和感が薄っすらと意識され、エプスタインファイル問題で「実はトランプ大統領も汚れたエスタブリッシュメントの側にいるのではないか」という疑念が拡大した。マージョリー・テイラー・グリーン議員はここでトランプ大統領から離反したが本能的に正しい選択だったのかもしれない。そして今回の一件でこれが「確信」に変わりつつある。ChatGPTはこれを「バリデーション)(再確認)」と言っている。

MAGAもトランプ狂信者ではなく「善くありたいが意識高い系から「お前らは何もわかっていない」と見下されてきた人々」である可能性が出てきた。

これを押し留めるようなシグナルも出ている。

トランプ大統領を抑える事ができる人物として知られるスーザン・ワイルズ首席補佐官が「米大統領は「酒依存症の性格」 米誌、側近インタビュー」と語ったという。いっけん悪口のようだが「トランプ大統領はやりすぎるところがあるが制御可能だ」と訴えている可能性が高い。つまり「大目に見てやってください」というわけだ。

しかしながら、ワイルズ氏もトランプ大統領と心中するつもりはないだろう。ロナルド・レーガン大統領やジョージ・H・W・ブッシュ大統領を支援する、どちらかと言えば伝統的共和党の価値観を持った人なので「自分のキャリアに害がある」と考えれば静かに離反するはずだ。

いずれにせよ今回の自己省察が静かに進めば激戦州でMAGAがトランプ大統領を支援することはなくなるだろう。

共和党を支援してきた人たちは「2024年時点でトランプ大統領に投票したのは間違いではなかった」と考えているが「トランプ大統領には物価高を抑制する権限はない」ことは折り込み始めている。一度公言したことを撤回することはできない。だからといってこれ以上支援していいかはわからない。そんな状況である。

仮に今回のMAGA自己省察仮説が正しければ「外に敵を作って有権者の気持ちを逸らす」ような政策は徐々に受け入れられなくなってゆくはずである。

これは一種の諦念・悟りとも言えるし、成長のための学習機会だった=MAGAは成熟過程に入ったことを示す「幼年期の終わり」なのかもしれない。人はいつまでも同じところには立ち止まっていられないのだ。

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