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禅問答のような「戦争」の定義 ― パキスタンがアフガニスタンに「宣戦布告」

6〜9分

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禅は日本の美しい文化である。非合理で矛盾しているように見える状況の先に、整然とした意味を見いだそうとする思想だ。

しかし、異なる価値観が衝突する国際社会に、そのまま禅的思考を持ち込むべきではない、というのが従来の常識だった。国際社会は、合理性とルールを前提とする「西洋的哲学」によって秩序を保とうとしてきたからである。

だが、国連中心の安全保障体制が崩れつつある現在、その前提そのものが揺らいでいる。私たちはいま、「これまでの西洋的アプローチ」で本当に問題が解決できるのかを、改めて真剣に問い直す局面に立たされているのではないか。

パキスタンの国防相は、アフガニスタンに対して「戦争状態にある」と宣言した。事実上の宣戦布告である。しかし、Reutersは、この発言をかぎ括弧付きで報じた。つまり、あくまで「当人の発言」にとどめ、正式な宣戦布告とは扱わなかったのである。

パキスタンがアフガン主要都市を攻撃、国防相「戦争状態」(REUTERS)

現在の国連体制では、国家による戦争は原則として禁止されている。そのため、これを公式な宣戦布告として扱えば、Reuters自身も報道機関として説明責任を問われかねない。そうした事情を考えれば、今回の報道姿勢を一方的に非難することはできない。

しかし、「戦争状態」が公式に認められないということは、民間人の保護や捕虜の待遇を定めた国際人道法が十分に適用されないことを意味する。これは、本来人命を守るための制度が形骸化していることを示しており、本末転倒である。

では、国際連合安全保障理事会には、パキスタンの姿勢を批判する資格があるのだろうか。

そもそも、ロシアはウクライナに侵攻している。戦闘は長期化しているが、公式には「戦争ではない」とされている。

また、アメリカ合衆国は、イスラエルによるガザ地区への軍事行動を支援してきたが、これも「戦争」とは位置づけられていない。

さらに、アメリカはイランへの攻撃を検討しているとされる。これも「限定的作戦」であり、「戦争ではない」と説明されている。過去にはベネズエラで政権中枢を狙う作戦が行われたが、事実上の政権干渉であっても「戦争」とは呼ばれなかった。

このように見ていくと、国連の安全保障体制は、もはや「形骸化」を超え、破綻寸前の状態にあると言わざるを得ない。

もちろん、「国連は破綻した」と宣言して議論を終わらせてよいはずはない。現在の国連の最大の意義は、「原点の提供」にある。国連の掲げる理念が存在するからこそ、各国の行動がそれから逸脱していることを指摘できる。

仮に「国連体制は無効になった」と認めてしまえば、各国の行為を逸脱として記録し、後に検証する機能そのものが失われてしまうだろう。

冒頭で「禅の思想を国際社会に求めるべきではない」と書いた。

しかし、我々はすでに、「国連の機能が、紛争抑止から理念の提示へと移行しつつある」という現実を、受け入れざるを得ない段階にまで来ていると考えると、それを折り合わせるためには「禅の公案的アプローチ」を導入せざるを得ないのかもしれない。

平和を守るために武器を積み、民主主義を守るために疑い合い、安定のために混乱を拡大する。いまの国際社会は、まるで答えのない公案のようだ。正しさを積み重ねるほど、世界は行き詰まっていく。

私たちは、「何が正しいか」を問い続ける段階をすでに過ぎ、「なぜここまで来てしまったのか」を問うべき地点に立っている。

こうした公案的矛盾を受け入れた先にしか、我々の進むべき途はないのかもしれないのだ。

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