石破総理が総理大臣を続投するのではないかと問題視されている。
当ブログは戦後自民党を支えてきた分配構造の崩壊とアベノミクスで氷漬けにしてきた問題の融解が自民党の不調とポピュリズムの台頭の背景にあるのではないかと言う議論を展開してきた。
ところがXでトレンドワード入りしている「石破総理」を見ると保守が全く別の事を気にしている事がわかる。総理大臣がとんでもない戦後80年談話を出すのではないかと騒いでいる人が多い。では彼らにとってh戦後80年談話はなぜここまで重要なのか。
関税交渉についてトランプ政権がが当初考えていた落としどころが見えてきた。ヨーロッパとの間で協議の継続が決まり当面の関税率は15%で落ち着きそうだ。これについては別途議論したい。
中国との間にも最終妥結はなく協議の継続が決まっている。90日の協議期間を繰り返しつつ「アメリカの国益のために戦うトランプ大統領」という図式を維持したいものと考えられる。ここから考えると赤澤経済再生担当大臣は「もっと強く押し返してやる」べきだった。
アメリカ合衆国が自由主義の擁護者の立場を降りてしまったのは致し方ないことだ。一部の高所得者と中間所得者の間に厳しい格差が生じている。住宅価格は高騰しているが人件費も跳ね上がっているために金融やITに携わる一部の人達はそれなりに豊かな暮らしを送ることができる。しかし、そこからおいてゆかれた人達は厳しい生活を強いられている。生活苦からドラッグなどに手を染めるようになると家庭は崩壊し社会上昇の階梯から転落してしまう。合衆国の政治はこの格差問題を解決することができていないため、国内に製造業を戻してやる必要があるのだが、輸入品を求めているのもまたアメリカ人なのだ。
日本はこの新しい現実を認めなければならない。仮に認めることができないならばその矛盾を内包する人がリーダーになり日本人をうまく誤魔化し続ける必要がある。
いわゆる保守と言われる人々はこうした眼の前の変化にはまるで興味がない。「石破総理」のトレンドワードを見ると産経新聞を中心に保守と言われる人たちが、石破総理が閣議決定を経ない「私的な」80周年談話を出してしまうのではないかと心配している。
談話が出るかどうかも明らかにならず反発の内容もよくわからない。ただ、日本が戦争に突入したのは間違っていた、日本は近隣諸国に悪いことをしたと認識をに強い警戒感を持っているのではないかと思う。
いわゆる日本の保守の人々の心理状態は「相対的な序列」の上に成り立っていることがわかる。アメリカ合衆国には頭が上がらないが心理的な一体感を持つことで「強いものの一部である」という自己認識を持つ。ただこれだけでは不十分なので自分たちが「下」に見ているアジア各国に対しては極めて強気の態度に出るのである。
日本は負けたのではない。うまくやり抜いたことでより強いものの一部になったのだ。
多くの日本人は極めて序列意識の強い社会に住んでおり序列の中に自分を位置づけて安心したい。このため憲法の考える「人間は生まれながらに平等で序列などない」という考え方を受け入れることができない。
身分のない社会で自分たちをどう位置づけていいかわからないからだ。
Quoraでは参政党は外国人排斥であると言う考え方に違和感を持つ人が少なくない。ヨーロッパやアメリカなどの外国人排斥と比べると切実さが足りずおままごとのように見えるからである。
欧米の外国人排斥はアレルギー反応に例えられる。異文化を攻撃する免疫細胞が暴走している。そしてアレルギー反応は異物を体外に排出するための生理反応である。一方で日本人の「外国人排斥」は自分たちの頭の中にある「序列」の再構築運動と言って良い。
高度経済成長期に持っていた、日本は西洋に順応した例外的なアジアの国であるという日本人例外主義を再構築しようとしており社会の枠の中に序列を取り戻そうとしている。
アメリカ合衆国がそもそもこうした序列を前提とした国家運営を行っていない。むしろ日本やヨーロッパをライバル視しているうえに、中国やインドも経済的に台頭しつつある。
しかしながらそもそも社会階梯を上昇する機会など最初から与えられていない人達にとっては「上ばかりを見ていても仕方がない、下を見て暮らすべきだ」というメッセージは福音のように響くのかもしれない。
自民党が下野していた当時の憲法草案や参政党の憲法草案にはどこか宗教めいたものを感じる。おそらく統治のための基本文書ではなく保守が持っているお気持ちを表すとあのような物が出てくるのだ。あれはおそらく彼らにとっての福音の書なのだろう。
仮に自民党が日本の経済を再浮揚させることができないのだとすれば、今後は宗教政党としてやるせない日本人に「希望」を与え続けなければならない。さもなければ参政党のような政党が躍進する危険性がある。
