学習できない組織自民党が泥沼の権力闘争を繰り広げている。このままでは自民党の地金が長期間マスコミにさらされ続けることになり既得権益が守れない。森山幹事長は党派争いを辞めて消費税を守るようにと言っているが誰も聞く耳を持たない。
そんな中で石破総理が病院を受診した。足が痛いそうで痛み止めを処方してもらった。今や石破総理だけが自民党を救うことができる。体調不良でもなんでもいいから適当に理由をつけて身を引けばいいのだ。
総理大臣と言ってもいろいろな人がいる。
理由を言わずに「あなた達と違うんです」と逆ギレした人や持病の悪化を理由に総理大臣を退いた人がいる。持病が理由だった人はいい薬ができたことを理由に総理大臣に復帰している。一方で体調不良を押して選挙運動で全国を飛び回った末に亡くなった総理大臣もいた。
自民党内では派閥単位の勢力争いが続いているがそもそもなぜ勢力争いは泥沼化するのか。
それは問題の原因を人に見出そうとするからだ。森山幹事長が主導する敗戦総括は「政治とカネの問題が悪い」「鶴保議員の発言が悪い」「いや総理大臣のせいだ」という犯人探しになっている。不思議なことに日本の政治評論家から全体のトーンについての疑問が出てこない。日本では総括=犯人探しが常識だと思われている。
問題解決型の組織は常に明確な目標を持ちその目標がどのように進捗しているのかを計測している。仮に進捗に問題があれば原因を調べて改善する。その過程で「何が良くなかったのか」が洗い出される。この振り返りの成果が学びである。
つまり問題解決型の組織は学習する組織でもあるということだ。
問題解決型の組織には自分たちが状況を作り出してきたという自信がある。だから余裕がある。失敗は成功に続く学習の過程と捉えられるため「失敗は誰のせいである」というような指の差し合いには発展しない。
日本ではDOGEで評判が悪いイーロン・マスク氏だが組織自体は学習指向である。マスク氏が政治運動に夢中だったときには停滞も見られたロケット開発だが、数多の失敗を繰り返しついに発射実験に成功した。
失敗は諦めた時に失敗になるが諦めさえしなければ成功までの過程ということになるだろう。
ではなぜ自民党は課題解決型の学習組織になれないのか。理由は2つある。
日本の成功はアメリカ合衆国の対共産党戦略に基づいている。つまり成功の基礎を作ったのは日本ではない。池田勇人総理大臣は成果を集めて国による集中投資を通じて高度経済成長の達成に成功しているが、アメリカが主導した戦略は何度もルール変更を余儀なくされ1985年のプラザ合意で最終的に終了している。自民党はこれに代わる国家像を提示できず失われた30年を作り出している。
確かに自民党はアメリカが作り出した状況の分配装置としての機能を果たしてきたという意味では有益な政党だった。しかしこの分配構造が崩れたことで富の奪い合いが起きることになった。権力を維持し続けるためには数を集める必要がある。しかし集まった数を養うだけの分配は得られない。このため清和会では「自分の食い扶持は自分で集めるように」ということになり結果的にこれが政治とカネの問題を引き起こした。
今後この競争はさらに激化するはずだ。自民党だけでは政権が維持できないのでどこかの政党を選んで分配する必要が出てくる。
一方で有権者たちも分配の恩恵を得られなくなった。分配構造からはじき出された人たちを「無党派層」と言っている。分配が得られない上に新聞も読まなくなった人たちは「自分たちは大切にしてもらえていないのではないか」と不満をつのらせてきた。
ところが日本人は幼い頃から「自分の要求を主張することはみっともないことだ」としつけられている。このため自分たちの欲求を言語化できない。そこで「日本政府や自治体は自分たちよりも外国人を優遇している」と考えるようになった。「日本を守る」という大義を見つけたことで不満を表明しやすくなる。元の動機が隠蔽されているのだかから「移民政策など取らない」と言ったところで無駄というものだ。
加えて日本政府は実際には移民政策を推進している。シルバー民主主義を支えるためには誰かが犠牲になって働かなければならない。現役世代が犠牲にならないのであれば外国から従順でやる気がある人達を連れてこなければならない。実は事実上の移民政策が始まったのは安倍政権下だった。ただし政府は一貫して移民という言葉を避け「人材交流」と言い続けている。そもそも言語化が苦手な人々はこのからくりに気が付かずナイジェリアを悪魔化したり木更津市役所に電凸をして憂さを晴らしている。そしてこれを先導する政党が勢力を伸ばす可能性がある。
国が若いインドネシアでも同じような分配問題が起きている。プラボウォ大統領は諸政党を協力させるために政治家に高待遇を約束し国民にもバラマキを約束した。ところが政権獲得後この約束が果たせず国民へのバラマキだけをやめて政治家の高待遇だけを維持した。これが国民の怒りを買い結果的に政治家への高待遇が取り消されている。
隠しきれない欲求を言い出せないという日本病にかかっているのは国民だけではない。国会議員たちは本音では自分たちだけで利権を独り占めにしたい。しかし石破総理を引きずり下ろすのはご行儀が悪いことだと考えてもいる。こうした罪悪感を払拭するためには石破総理が身を引くしかないということになる。
しかし誰が新しいリーダーになっても自民党が本質的に抱える賞味切れ問題が解決することはない。ますます原資が先細る中で誰に分配するのかという議論が繰り返されることになるだろう。
日本の政治が行き詰る根幹には組織の学習不全という問題がある。しかし学習できる組織に生まれ変わるためには「自分たちで成果を作り出してきた」という自信と実績が必要。そもそも分配政党だった自民党と日本の政界にはこれが決定的に欠けているのである。
