アリの群れを上から見ながらなにか残酷な遊びを思いついたと言う人は少なくないかもしれない。アメリカ合衆国とイスラエルもそんな遊びをやっている。ガザ地区の南側に必要最低限の食料を起き人の流を作り出しているのである。ガザ地区の人間をヒトとは思っていないのだろう。極めて残忍だ。しかし制御に失敗してしまい食料に集まってくる人たちに発砲をしたようだ。
先日、国連で泣きながら窮状を訴えたマンスール大使の映像をご紹介した。
しかしこうした映像を紹介すると「パレスチナに肩入れしている」として反発してくる人がいる。
その理由をあれこれ考えた。構造ではなくヒト(キャラ)に着目する傾向があり、なおかつ序列意識が極めて高い人が鋭敏に反応してしまうのではないかだろうか。
- 日本人は構造に着目せず「白黒はっきりさせたキャラ」を分けようとする傾向があり「パレスチナに一方的に肩入れしており公平ではない」という危機感が生まれる。
- こうした「白黒はっきりさせた対応」は人道主義者の側にもある。戦争の構造問題を無視したうえで「戦争のような絶対悪がなくなれば社会問題はすべて解決する」と物事を単純化して考えてしまう。こうした一方的な価値の押し付けに対する反発もある。
- 人道支援で人にやさしくすると「自分がもらえるはずのものがもらえなくなる」と考える人がいる。
- また支援された人の地位が社会的に上がることによって、自分が社会の最底辺に置かれるのではないかと言う危機意識を感じる。
今回の食料支援はイスラエルとアメリカ合衆国が作ったGHFという団体が行っている。ハマスは福祉団体としてパレスチナに浸透したので自分たちも同じような組織を作ってハマスの居場所をなくそうとしているのだろう。
しかしながらその発想は極めて残忍だ。わずかながらの食料を供給し北部から南部に人を動かそうとしている。「アリの群れを上から眺めている」と表現したのはこのためだ。食料を武器化している。
しかしその誘導は失敗しつつあるのかもしれない。多くの人が群がると危険を感じ発砲した。死者数はメディアによって異なっているが、AFPは22名、CNNは26人、ABCニュースは31名が殺されたとしている。
イスラエルは発砲を否定しているが抑えられなくなると「暴徒に紛れてイスラエルが攻撃された」という「エビデンス」をどこから探してくる傾向がある。嘘に嘘を重ねて誤魔化してしまうのだ。
こうした残忍な行為は決して許されるべきではないだろう。自分の社会的な待遇に固執する人たちはこうした現実が見えていない。
ただし、人道的な価値観が高まればすべての社会問題や国際紛争が解決するだろうと考えるのもどうやら間違っているようだ。
イスラエルはガザ地区北部に軍事的空白地帯を作りたいようである。西岸地区には入植地も増やす計画なので「あわよくばユダヤ人の土地を増やしたい」という気持ちもあるのだろう。
だが、これはロシアがウクライナ侵攻を通じてEU・NATOとの間に空白地帯を作ろとしているのに似ている。トランプ大統領のあやふやな外交戦略はロシアの暴挙を既成事実化するために役に立つことはあっても問題解決は一向に進んでいない。
とにかく戦争がなくなればいいのだと考える人道主義者たちはそもそも国際情勢が大きく変わりつつあることを認識しておらず(おそらく興味もないだろう)こうした国際情勢の大きな変化に極めて無頓着である。
しかしながらこれは人道主義者たちを攻撃する「自称リアリスト」にも通じていいる。彼らは中国の脅威を盛んに喧伝するが、その解決策についての認識は極めて曖昧で「アメリカ合衆国との結びつきを強めていれば問題は解決する」と言っている。
つまり、どちらの側も目の前にある変化を認めず自説にこだわっているという点では似たものどうしといえるだろう。
中にはすでにアメリカ合衆国は崩壊過程にあり「ロシアに対する敗北を受け入れている」と考えるエマニュエル・トッドのような人もいる。
実際にはロシアとアメリカが力によるげん場変更を容認しつつあり、ここに国連安保理常任理事国の中国が加わったとしてもなんら不思議はない。
結果的に議論は単なる自己満足のための道具に過ぎず目の前の問題解決には全く役に立っていないのである。

Comments
“武器化されるガザの食糧援助 ついには発砲による死者まで” への2件のフィードバック
相手を人だと思ってない…それは間違いないでしょうね。もう既にご覧に
なってるでしょうけどこのニュース報道だけでもそれがよく表れています。
https://www.youtube.com/watch?v=XeiWIYKc0-k
インタビューを受けてる人はユダヤ系カナダ人だそうですが、わざわざ
ここまで来るって事は祖国の右派勢力の人達並みに信心深いんだろうと推測
されます。それぐらい信仰レベルで選民思想が浸透してるからそれが正しい
事だと信じて疑う事すら無いんだろうとしか。
あと議論してる人たちに関してですが、自説に固執してしまうのは今まで
の成功体験があるのとそれによって変化そのものに対応できなくなっている
のが大きいのではないかと。本当なら「どうすれば良いのか分からない」と
しか答えられない状態なのにそれを認めたら今までの自分が全て崩壊してし
まうとでも思いこんで不安で頭がいっぱいで自己防衛に走ってしまうのかも
しれません。
政治議論に入るときに「自分は間違える可能性がある」と示しておくのは非常に重要だと思います。一種のずるさでもあると思うのですが、Quoraのスペースでは誤字の指摘を受け入れて「ああまたやらかした!」くらいにしておくと軌道修正も楽になります。「そうか、そういう考え方もあるんですよねー」と言って検討してみるとか。
その意味では最初からコミュニティを作って異論をうけいれることも重要だと思います。