Xのタイムラインで左派のインテリたちが騒いでいた。「教団めぐる母の尋問「必要ない」 安倍氏銃撃、公判前に検察が反対」という記事に関心があるらしい。ただ暑い日だったので「なぜこの問題に気乗りしないのか」を考えるのも面倒だと感じた。
まず「まだ裁判が始まっていなかったのか」と思った。そもそもなぜこれほど引き伸ばされているのかがわからない。更に誰が引き伸ばしているのかもよくわからない。普通の殺人事件は社会の懲罰感情を満たし統治を正当化するという役割がある。しかしこの事件は統治の正当化に役立たない。むしろ安倍政権を支えていたなにか後ろ暗いものの存在が浮かび上がる。すると裁判が遅れる。裁判所と検察(厳密には行政の一部)が何を守ろうとしているのかはよくわからないがとにかく彼らは何かを守ろうとしている。
このあやふやな態度は結果的に自民党の中にあった派閥構造に深刻なダメージを与えた。
安倍氏暗殺事件は結果的に統一教会という「なんとなくおどろおどろしい印象を持った組織」と清和会の関係を漠然と結び付けた。ダースベーダーに出てくるシスの暗黒卿のような細田会長が説明を拒み続けたこともあり安倍派清和会の政治とカネの問題に接続し次第に悪化してゆく。
いわゆる既得権と言われる人たち(与党・検察・司法)がさらなる動揺を避けるために事態が沈静化するのを待っているのだろうなあという気はする。意欲も能力もない「彼ら」は説明も総括もできない。だから隠し続けるしかない。そもそも「彼ら」にはリーダーがいない。
ただ繰り返しになるが彼らが一体何を守ろうとしているのかがよくわからない。結果的に統治構造は破壊されており参政党のようなポピュリズムに蚕食されている。
しかしながらこれを明確に証明できない左派インテリの間にも苛立ちが募っているようだ。
江川紹子氏は自分で「陰謀論」と言ってしまっている。要するに証明できない問題を証明しようとして自縄自縛に陥ってしまっているのだ。
裁判でのそうした真相解明を、検察側が拒むのは異様です。このような対応が続けば、「検察と教団はつながっている」などといった新たな陰謀論さえ飛び出しかねません。
教団めぐる母の尋問「必要ない」 安倍氏銃撃、公判前に検察が反対(朝日新聞・ヤフーニュース掲載)
もうここは一旦断定してしまったほうがいい。ここから「本当にそうなのか?」と自己洞察ができる。
厳密には検察は体制維持を求める既得権の一部。安倍氏暗殺事件の余波で安倍派と自民党に取り返しがつかないダメージが生じたことを背景にして体制変化を恐れているのではないか。つまり直接検察と統一教会がつながっているわけではない。
江川氏も知らず知らずのうちに「自己主張できない日本病」に罹患しているといえるだろう。
朝日新聞が証明したがっているようにおそらく検察は安倍氏暗殺事件から統一教会要素を消そうとしている。それは統一教会要素が既得権の崩壊につながるからだ。ただ日本の議論はここで終わってしまいがち。既得権と検察がけしからん!で終わってしまう。
結果的にどんなに引き伸ばしても問題を総括しない限り「清和会安倍派が統一教会と関係を持っているのではないか」「安倍派の人々は政治とカネも問題を総括しきれていないのではないか」という疑念は消えない。萩生田光一氏には新しい事務所問題が浮上している。
つまり過去と向き合わないことで未来を諦めざるを得ないという点こそが問題だ。
この問題についてはなんとなく「統一教会と関係があったからあんな不幸な事件が起きたのだ」というふんわりとしたコンセンサスができている。とはいえ国民の興味は主に自分たちの生活の行く末であり一部の人達を除いては「厳密な事実」解明がそれほど重要だとは思われていない。
ただ、安倍後には更に状況が悪化している。
不満を言語化できない人たちが安易な外国人排斥に走る。強いものに反抗することもできないため弱いものいじめが加熱するのだ。政府もやる気のない現役世代には期待せず「インドから人を連れてくればいいのではないか」と考えておりこれも現役世代に反発されるだろう。陰湿ないじめと言いようのない停滞が日本全体を覆っている。
取材を通じた証明はもちろんジャーナリズムにとっては重要なのだろうがいつまでも証明できない問題にかかりきりになっていても悪化の一途をたどるばかりだろう。これがこの問題にあまり興味が持てない理由なのだろうと個人的には結論づけることにした。
