普段は日本語で記事を書いているのだが、CNNの「高市旋風に賭けた早期解散総選挙、保守派の指導層は勝利を手にするか」に違和感があったので英語圏の人々向けに短い記事を書いてみようと思う。このCNNの記事を読んだ人は「日本は高市総理に突き動かされてどこかに行ってしまうのではないか」と感じるかもしれない。しかし実際はそうではない。むしろ、日本人は「何もしない、何も考えない理由」を求めていると見るべきだ。つまり思考停止するための材料を探しているのだ。これをコンビニのおにぎりで説明してみたい。
CNNの記事を読むと物語に熱狂する大衆が高市総理を支持していると読み取れる。おそらく高市総理の遊説先を取材し、トランプ大統領が直前に高市総理をエンドースしたこともあり、「トランプ・MAGA」の文脈を知らず知らずの内に当てはめているのではないか。
しかし、日本の日常を見る限り、そんな熱狂は起きていない。選挙期間が短かったこともありそもそも選挙期間中に候補者を見かけたことはなかった。一度スーパーマーケットの店先で演説準備をしている候補者をみかけたくらいだ。そもそも日本人が「誰を支持するか」を他人に語ることは滅多にない。
確かに最初は「夢の管理」の高市総理が逃げ切るのだという分析をしていたが、途中でそれだけでは説明ができないと気づいた。どうやら人々は「明るい」「正解」を求めているようだ。
「明るい」は説明が容易だ。失われた30年の間、」政治報道は「これでは日本はダメになる」と連呼していた。しかし少子高齢化問題は解決しなかった。人々はオリンピックや大谷翔平のような熱狂できる何かを求めている。
しかし「正解(=the right answers)」は説明が難しい。正解とは過去の蓄積によって作られた「これで間違いがない」という経験則の束を指す。
アメリカ人は何が正しいかを決めるのは自分たち一人ひとりだと考える。つまり正解は「ハンドメイド」である。一方で日本人が考える正解はコンビニのおにぎりのようなものだ。すでに清潔な包み紙に入っており、なぜこのおにぎりが素晴らしいのかという説明が簡潔に入っている。
有権者は「なんとなく考え抜かれたように見える」何かを探しているが、自分たちでそれを検証することはない。
高市総理の戦略は「簡潔な正解の保証」だった。一方で、経済メディアは苛立ちをつのらせている。日経新聞は社説で「消費税減税はポピュリズムである」と強い調子で政治批判を展開した。またみずほ銀行のレポートも高市発言を受けて「前時代的である」と苛立ちを隠さなかった。
みずほ銀行のレポートは「高市氏の提示する成長物語の根拠はすでに失われている」と強い苛立ちを示した。しかし高市総理はNHKの日曜討論を欠席し「コンビニおにぎり」の内容については語らなかった。意図的だったのか偶発的だったのかは別にして結果的に「検品作業」は行われなかったのである。
対若者戦略に詳しい自民党の鈴木貴子氏はこれを「危機管理」と呼んだ。そしてその戦略はあたりSNSでの浸透率は高市総理が群を抜いていたと時事通信は書いている。
今回の高市旋風で、岸田・石破総理に人気がなかったのは「これからの日本には正解はない、それは自らが考えなければならない」と示したせいなのだろうと気がついた。つまりコンビニが「もうこれまでのようなおにぎりは作りませんから、自分たちで材料を揃えてください」と言ってしまったのだ。
あくまでも個人的な感覚に過ぎないが、今後日本社会は「もう政治には期待できない」という理由で淡々と海外に資産を逃がす人たちと、「何もしない」ことを選択し物語の中に逃げ込む人たちに二極化してゆくのではないかと感じる。
今後の関心は「物語に熱狂する日本人が高市総理に煽られてこの先どこに向かうのか」ではない。アメリカのようなことはおそらく日本では起こらないだろう。問題は、日本人がいつか「実はおにぎりの中にはゴミが混じっていた」と気がついて怒り出すか、それともそのままゴミの混じったおにぎりに慣れてしまうのかなのではないかと思う。

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