高市総理がNHKの日曜討論から逃亡した。にも関わらず高市総理の人気は高く朝日新聞の情勢調査では自民党が300議席に達する可能性があるという。背景にあるのが有権者の2つの特徴だ。有権者は政策より人柄を見ておりなおかつ安心できる正解を求めている。
高市総理がNHKの日曜討論を欠席した。表向きの理由は持病の悪化だそうだが、中京地方の選挙キャンペーンには参加している。失言が多いため周囲が「討論見送り」を進言したのかもしれないと感じる。
しかしこの作戦は成功だろう。討論をすればどうしても不都合な現実と向き合わざるを得なくなるばかりか、さらなる失言につながりかねない。また高市総理の勇ましいコミットメントの数々は結果的に選択肢を減らす「橋を燃やす」発言になっている。
にも関わらず朝日新聞の情勢調査では自民党は300議席に迫る勢いなのだそうだ。
第一の追い風が中道改革連合の失速だ。野田佳彦氏は「渡りに船」とばかりに創価学会の支援に飛びついた。党内にいる社会党や市民運動などの流れをくむ左派を抑え込みたかったのだろう。しかし創価学会用語である「中道」というスローガンが立憲民主党の支援者に届かなかった。
中道改革連合の表紙は野田佳彦氏と斉藤鉄夫氏である。どちらもぱっとしないおじさんだ。Xでは安住淳氏の傲慢な態度も炎上している。一方の自民党は高市早苗、小泉進次郎、小林鷹之というさわやかな顔を揃えた。また維新の吉村洋文、藤田武史両氏もなかなかの男前。結局、有権者は見た目の爽やかさに大きな影響を受けている。
第二の追い風がYouTubeなどのアルゴリズムの変化だ。参政党の神谷宗幣代表が「SNSでの浸透が今ひとつである」と言っている。YouTubeの規約改定の結果、切り抜き動画職人たちが収入を失っている。つまりこれまでアルゴリズムに乗せられて「みんなが参政党を支持している」と考えていた人たちが参政党に魅力を感じなくなった可能性がある。共同通信によるとSNSでもっとも多く扱われているのが高市早苗氏と自民党なのだそうだ。露出が増えれば増えるほど「みんなが自民党を扱っているのだから自民党が正解だ」と思う人が増えてゆくだろう。
第三の追い風が余裕の無さと不確実性だ。有権者は生活に余裕をなくしており意思決定力が摩耗しているものと考えられる。にも関わらず昨今の自民党は有権者に自律的な行動と自省を迫り、豊かさから楽しさなどと価値変換を迫っていた。これまでの正解にすがり安心していたい有権者には苦痛だったことだろう。
まず有権者は「見た目」で政治家の人柄を選んでいる。さらに自分の内心よりも「みんなが考える正解に自分も乗っている」と感じたいという気持ちがある。一方で「政治は政策を語らなければならない」という正解もあるために、後付けで政策が語られる。
「日本人は正解が好きで政策には興味がない」というとなんとなく嫌な気分になる人も多いだろう。アメリカ人は主語を自分にして正義を語る事が多いが、実は正義と正解が置き換わっているだけだ。実は日本とアメリカの状況はよく似ている。
ここから日本人は経験的に成功した過去事例を集めて「正解」を作り、その正解を語ることで自分を「正しく」見せようとしているということが分かる。そしてそれが自己規制として内面化されているのが特徴だ。
実は高市早苗総理の人気の理由は彼女の「夢のある」語り口にある。過去を基準にして日米同盟・アベノミクス重視の姿勢を打ち出している。これまでの彼女の失言の要因は正解と現状のズレに起因すると考えることができる。
例えば「円安で外為特会がホクホク」という発言も、過去、製造業が強く円安に一定のメリットがあった時代の認識を引きずっている。しかしながら現在の経済環境の円安はコストプッシュ型の物価高をもたらす弊害も大きい。
批判の高まりに高市総理は「円安容認はメディアの誤解だ」とSNSで釈明した。
海外の投資家は「高市総理がどの程度のコストを払って円安を是正するのか」に注目している。つまり何を言うかはさほど重要ではなく「何をするか(あるいはしないか)」が重要なのである。
高市総理が「正解」を語れば語るほど、近年の物価高やコスパタイパ志向で余裕をなくし判断力が摩耗した有権者には甘美に響く。これが朝日新聞が言うところの300議席に迫る勢いにつながっている。
しかしこれはやはり単なる物語に過ぎない。同じように物語で大統領選に勝利した第一期のトランプ大統領を見れば、今後高市政権がどうなるかがある程度分かるかもしれない。トランプ大統領の物語は次第に陳腐化していったが、それでもアメリカの有権者たちは「自分たちの政策は正しかった」と判断に固執した。しかしその物語はトランプ大統領のコロナ対応の失敗によって覆されてしまう。
経済の専門家の多くは、高市総理の金融政策が金融市場の支持を得る可能性は低いと見ている。おそらく円安は定着し物価高も終わらないだろうが有権者はおそらく信じたいものを信じ続けるはずである。これが破綻するのは目の前に解決すべき何かが起きたときである。それは例えばコロナ禍のように「日本の国政が対応できない」突発事項である。
トランプ大統領には任期があるためコロナ対応を途中で投げ出すことはなかったが、日本では安倍総理が8月には「体力が万全でない中、大切な政治判断を誤るわけにいかない」として辞任を表明したという事例がある。それまで「いい薬ができたから症状が改善された」と説明していたが「2020年6月の検診で再発の兆候が見られたためコロナ禍のような大きな問題には対処できない」と主張。突然すべてを菅義偉官房長官に押し付けた。
しかし菅義偉総理には「私(安倍氏)には菅義偉がいるが、菅義偉には菅義偉がいない」という言葉通り周囲からのサポートが得られずわずか1年で退任している。
つまり今回の「持病の悪化」による日曜討論の欠席は、すでに将来をある程度予期させるものである可能性がある。
本来であれば、物語が破綻したときにこそ、有権者は現実に目を向けるはずである。しかし実際には、日本でもアメリカでも、そうはなっていない。
主語を明確にするアメリカでは、問題はすべて「敵」のせいにされ、社会は罵り合いに陥った。一方、不確実性にさらされた日本では、人々はより強く「正解」――すなわち過去の成功事例の集積――にしがみつこうとする。
社会全体が問題を解決できない以上、残された選択肢は多くない。構造に気づいた一人ひとりが、自らを守る行動を選び取る勇気を持つこと。それこそが、現実的な意味での民主主義との向き合い方なのかもしれない。

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