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斎藤幸平氏と志位和夫氏が対談

8〜12分

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共産主義研究者なのか伝道師なのかはわからないが斎藤幸平氏が志位和夫氏と対談している。ReHacQは「齋藤幸平vs日本共産党のドン」としているが司会者の名前くらいは誤字をなくしたほうがいいのではないかと思った。

内容は取り立てて面白いものではなかった。喩えて言えばCOBOLおじさんが「COBOLはいいぞ!」と言っているような感じがするのだが、プログラミングをやっている人以外には伝わらない例示なのかもしれない。

この取止めもないプレゼンテーションは同じマルクスについて語っているがなんとなく議論が噛み合っていないなあとニヤニヤして見ると面白く見られる。少なくともこれを見て共産主義者になろうとは思えなかった。

斎藤幸平氏はマルクス研究者・共産主義研究者だが日本共産党の党員ではないそうだ。一方で日本共産党は綱領の中で「マルクス」という言葉は使用せず「科学的社会主義」という言葉を使っているのだという。

志位和夫氏は我々が持っている共産主義の専制主義的で貧しいイメージを払拭しようとして「共産主義は自由で楽しく豊かになれる」と主張したい。しかしながら感情でなく思考に訴えかける「左脳」依存が強いため訴えに成功していない。女性の田村委員長に変わってからことさら好戦的な印象が強まっているがおそらく彼らは気がついていないだろう。

結果的にモテない男子二人が「どうやったらモテるようになるかなあ」と「理論的に」話し合っているような動画に仕上がっている。

一体この動画の何が最も響かないのか?と考えたのだが、イデオロギーをプログラム言語に例えるとわかりやすいと感じた。

プログラム言語は当然なにかのアプリケーションを作るために用いられる道具だが、一つの言語から別の言語に移るのが難しい場合がある。「構造化からオブジェクティブ志向」「オブジェクティブ志向から関数型プログラミング」のようにプログラミングパラダイムが変わると考え方そのものを変えなければならないからである。だから古い言語に固執したほうがラクな場合がある。

マルクス主義はかなり昔に作られたプログラム言語でそれなりによくできている。しかし今おじさんが「COBOLはいいぞう」などと言われても若者はCOBOLを勉強しない。他にもたくさんいい言語があり、設計思想に「ネイティブで」親しんでいるからである。

2人は「今の言語で作られたアプリケーションにはさまざまな悪いところがある」と問題を列挙する。確かにそれはそうなのだがそれは言語を使う人の問題であって言語の問題ではない。例えば今の資本主義に代わる新しいアーキテクチャは出てくるかもしれないが(だから志位和夫さんが言うように「資本主義が最終形態とは言えない」)かといってCOBOLをメインストリームにすべきだという結論にはならない。

ただこの例えは「イデオロギーというのは所詮問題解決のための手段である」という前提に基づいている。つまり設計思想だ。

現在の政治はイデオロギーやポジションのアイデンティティ化につながっておりこれが感情的な分断を引き起こしている。政治運動に熱心な当事者たちに政治的イデオロギーは所詮プログラミング言語のような手段であると言ってみても響かないのかもしれない。また有権者もイデオロギーではなくアイデンティティに興味を持つ。ヒトには群れを作って相手を攻撃する社会的本能がある。

なお、GEMINIによると現在では1つのプログラミング言語が「複数のパラダイムを内包する」マルチパラダイム化(Multi-paradigmization)が起きているそうだ。同じように我々が資本主義と呼んでいた社会形態もそれなりに複雑化が進んでいると言え、現在の資本主義はおそらく数世代前の資本主義とは別物に進化している。

だが、そもそもマルチパラダイム化に対応するのも意外と難しい。COLOBで構造化プログラミングを学んだ人はマルチパラダイム環境でも構造的にプログラムを組みたくなるかもしれない。このため別の設計思想で作られたプログラムが読めないという弊害が起きる。

同じように構造化されたイデオロギーに親しんだ人もマルチパラダイムに従ってそのばその場に適した「モード」を採用するという考え方にはなかなか対応できないだろう。

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