世界一豊かなアメリカ合衆国で「最終戦争待望論」が出てくるのは、人々が資本主義・民主主義という救済論を信じることができなくなっているからだろう。ところがこれが、同じく最終戦争神話を持つイランと結合した。今回の戦争が長引きそうな理由はこのあたりにある。白黒はっきりさせたい二元論が正面衝突しており、単なる経済・軍事戦争の枠組みを越えてしまったのである。
ところが、文化人類学を知らないとこの説明はいかにも「陰謀論」のように見える。
それは現在の政治報道・地政学報道が、文化人類学的な説明を織り込むことができていないからである。特に西側世界は、非合理性を克服して成立した社会だと理解されている。だから、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』やフレイザーの『金枝篇』のように、非合理性は再発見されるべき存在だった。
しかしながら、現在の世界情勢は次第に「非合理性」に飲み込まれつつある。資本主義社会は「非民主的な国」を排除するが、その一方で、繁栄から取り残され不満を溜め込む人たちや、脱落寸前の人たちを内包してきた。
現在の混乱は、ある意味でルネ・ジラールが観察したヨーロッパ社会の緊張にも似ている。ジラールは、人々の欲望が互いに模倣されることで社会に競争と対立が生まれ、その緊張が共同体の暴力へと発展すると考えた。
「今は戦後ではなく、新しい戦前だ」という人がいる。ここにある誤解は、おそらく「戦争」の定義だろう。人々は戦争を戦場で展開される軍事衝突として理解する。しかし実際には、絶え間ない経済競争や飽くなき成長欲求のなかで社会の緊張が蓄積していると考えることもできる。
不満を溜め込んだ人々はSNSを通じて再び連帯し、「内なる神話を再発見」する。そして混乱をもたらすトランプ大統領こそが救済者だと信じている。一方でトランプ大統領には文化人類学的な視点はない。彼は自分を極めて合理的な救済者だと信じており、自分がどのように位置づけられているのかを理解できていない。
一方で、イランにも「合理層」は存在する。その代表がペゼシュキアン大統領である。彼は聖職者ではなく、ペルシャ人ですらない。現在、プーチン大統領と対話を積み重ね、「和平」に向けた道を模索している。しかしトランプ大統領は「ペゼシュキアンが謝罪したからイランは降伏した」と一方的に主張し、ペゼシュキアン大統領の立場を弱体化させている。
西側自由主義の破壊者であるはずのプーチン大統領がなぜか「合理主義」の代表になっているというねじれは「誰が正しくて誰が間違っているか」では説明がつかない。
次世代を担うリーダーたちは、自分が担当する組織を守り成長させるために、正しい知識を持ったうえで日々の意思決定を行う必要がある。しかし同時に、「人間が持つ非合理性」についての理解も積み重ねなければならない。そのために次世代型リーダーには、高い見識と幅広い教養が求められている。
特に「新しい戦前」が叫ばれる今、基礎教養が照らす領域は広がっている。それだけ我々の住む世界には暗闇が多いということだ。
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