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我々は一体何を見せられているのか 自民党の茶番劇は10月4日まで続く

8〜13分

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思ったよりもひどいなと感じた。石破総理の退陣表明で前倒し総裁選が始まった。執行部はできるだけ総裁選を長引かせて「リセット感」を演出したいようだ。さらに国会審議にできるだけ時間をかけたくないようである。

ワイドショーでは一日中「自民党の将来を憂いた小泉進次郎農水大臣がかつて自分が引導を渡した菅元総理大臣を頼って石破総理に辞任するように説得した」とするストーリーが語られていた。

このストーリーを展開してるのは個人的に小泉進次郎氏にシンパシーを感じている田崎史郎氏。小泉待望論を演出しようとしているのだろう。

この田崎氏が興味深い話をしている。現在自民党の党員の延長時期が来ているためフルスペックの総裁選をやらざるを得ないのだという。

確かに何となくああそうなのかなとは思うのだが政治的空白を埋めるならせめて早めの選挙告示を行うべきだろう。

だが実際に語られている告示日は9月22日である。つまり「誰が総裁選に出るか出ないか」というメディアジャックが行われることを自民党は期待している。

これまでも党利党略を優先し国益を無視してきたが、そもそもここまで厳しい目を向けられても「こんなことをしている場合ではないのではないですか?」と冷静に判断できる人がいなくなっているということがわかる。

今回の総裁選挙は高市・小泉の対立と言われている。高市早苗氏が保守・財政拡張論者で小泉進次郎氏がリベラル・財政引き締め論者という構造。

このため埋没を恐れるほかの候補者たちは早くも名乗りを上げている。一番乗りは茂木敏充氏だったが、この他にも小林鷹之氏、高市早苗氏、林芳正氏が立候補に意欲を見せている。林芳正氏は本来ならば官房長官として総理大臣の暴走を止めることが期待されていたが、沈黙を貫いていた。そもそも総理大臣になるために周囲の軋轢を押し切って参議院から衆議院に鞍替えした過去がある。

一方で本命とされる小泉進次郎農林水産大臣はまだ名乗りを上げていない。

補正予算審議が始まると財源問題を巡って野党から突き上げを食らうことは間違いがないので国会会期は最低限に抑えたい。臨時国会の召集は10月以降になる見通しである。

これまで自民党は党利党略のためにわざと野党提案を無視していたと思っていたのだが、どうやらこれは違っていたようだ。むしろ有権者の方を見る余裕がなくなっているのだろう。

ではそれに対する野党はどうか。どうやらこちらも揺れているようだ。立憲民主党は幹事長人事を検討しているが内容を見ると実にくだらない人間関係がゴタゴタの原因のようである。

野田佳彦代表はおそらく党内の人間関係をまとめるのが苦手なのだろう。参議院選挙では蓮舫氏に肩入れ。結果的に組織内候補に票が回らなくなり反発されることになった。さらに小川淳也氏の幹事長起用がサンクチュアリから反発されたようだ。

サンクチュアリはもともと社会党から民主党に合流した人たちの集まり。長く赤松グループと言われていた。小川淳也氏は総理大臣になりたいという野望があり代表戦への出馬を決めたが仲間の賛同を得ることができなかった。結果的にサンクチュアリを脱退している。野田氏はこの小川氏を幹事長に就任させてしまいサンクチュアリから恨まれたようだ。今回の反発を受けてサンクチュアリから幹事長を起用することを検討しているという。ただし時事通信は枝野幸男氏が「サンクチュアリに近い」と書かれており明確な派閥のようなものはないようである。

野田氏では選挙に勝てない、もっとSNSを使って対外発信をしなければならない。立憲民主党の内部からはそんな声が聞こえてくる。ところが実際にはあいつが要職につくのは面白くないというような思惑で役員人事が決まってゆく。

維新も悲惨なことになっている。3人が離党を表明した。表向きの理由は維新が改革政党ではなく保守政党になったのが気に入らないからということになっている。しかし自分はどちらかといえば保守でありと言っている。前原前共同代表が辞任を決めたため結果的に大阪回帰が進んだが、どうやらこれが気に入らなかったらしい。吉村代表は一週間ほど時間を置くとしており離反した人たちも反対を押し切ってまで外に出るつもりはないようだ。何らかの条件闘争である可能性もある。

自民党、立憲民主党、維新のそれぞれの事情を見てきたが、ここから「政党が国民のほうを向いて大きな国家像を提示している」とするエビデンスを見出すことは難しい。にもかかわらず、これから1ヶ月近く「自民党は解党的出直しを図り、新しいリーダーのもとでワンチームを目指します!」という空々しいメッセージを聞かされ続けることになる。我々は一体何を見せられているのかという気持ちになる。