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悪代官野村元農水大臣が小泉進次郎大臣をますますスターにする

9〜13分

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日曜日も引き続き、国家の温情による「小泉・生活応援米」の配給が行われ、国民の長い列ができたそうだ。日本人には水戸黄門シンドロームがあり小泉進次郎大臣は「助さん格さん」のような扱いになっている。野村元農水大臣が地元で講演を行い大臣の政策を批判したが、却って悪代官扱いされてしまった。

日曜日にはイオンで国産備蓄米の配給が行われた。税抜き価格1980円という衝撃プライスで大勢の買い物客が列を作ったそうである。

Quoraでやっていたひとり市場調査には協力者が現れた。これまで品薄感が演出されていたスーパーマーケットにブランド米が並ぶようになったそうだ。ただ「もっと下がるのでは」と期待する消費者は値下がりを待っているのではないかというのがこの方の感想。インフレ下では値上がりを予想する人がコメを買い進め、デフレ下で値下がりを予想すると買い控えが続くという状況があると考えるならば、コメの値段の値下がりも期待できるのかもしれない。消費者は理屈でなく空気で動いているからだ。

ただしTBSの調査によるとまだ様子見の人が多いようだ。TBSは買いたい人と買いたくない人が拮抗していると書いているのだが、単に様子見の人がどちらかと言えば買いたい・余り買いたくないで別れた可能性もある。つまり市場全体を動かすような影響力は出ていないと考えるべきだろう。

  • 是非買いたい:17%
  • どちらかといえば買いたい:31%
  • あまり買いたくない:26%
  • 全く買いたくない:22%

また近くの別のスーパーに足を伸ばしてみたところコメが欠品しているところを見つけた。価格重視のスーパーで商品ごとに「XX%割引」と書いてある。デフレ(停滞経済)下ではこうしたスーパーが人気を集めるがインフレになると品物によっては買い負けを起こしてしまうのだ。

現在はこの混合状態にあると考えられる。このスーパーにはコメは置かれていないが日曜日には車のお客さんが大勢押しよせており大混雑だった。

「エサ米」と本質をついてしまった玉木雄一郎氏は引き続きSNSで攻撃されているが更に別の悪役が登場した。それが野村元農水大臣だ。処理水を汚染水と言ったために更迭された経歴があり「自分たちに相談することもなく勝手に決めるとは何事だ」と怒ったという。

野村元大臣はその他にも「私もコメを買ったことがない。妻が買うから。」などと主張したそうだ。

小泉進次郎大臣はすぐさま「それではスピードを持った対応ができない」と反論し、却ってスピード感のある大臣だと株を上げることになった。

随意契約による備蓄米の売り渡しを就任早々に決めた小泉氏に対し、野村哲郎元農相は自民党の農林部会に諮らず発表したとして、5月31日の鹿児島県での会合で苦言を呈した。小泉氏は「一つ一つを党に諮らなければいけないといったら、スピード感を持って大胆な判断はできない」と反論した。

小泉農相、備蓄米の再放出に意欲 党手続き巡る野村氏の苦言に反論(共同通信)

これまでの農林水産行政の弊害はかなりいろいろなところに現れている。国内にも効率化された「筋肉質」な流通とそうでないところがある事がわかった。JA全農は効率化が進んでいないことが大手小売によって暴かれつつある。またインフレが進めば小売と供給者の力関係が逆転し更にインフレが加速するのかもしれない。

また農水省の倉庫契約も杜撰なものだった。これまで備蓄米は「いざというときの備え」だと思われていた。ところが今回備蓄米の放出が始まると倉庫が倒産の危機に陥っている。米蔵が空になると倉庫収入がなくなり、廃業を検討するところも出始めているという。備蓄米が放出を前提としておらず単に在庫調整の装置としてのみ機能していたことがわかる。

しかしながら、日本人がこうした構造問題に興味を持つことはないだろう。

日本人は権力と一体であることを好む。このため社会問題が起きると「誰か悪代官が介在している」と考える傾向があるのだ。今回のケースでは水戸黄門(天下の副将軍)のエージェントであるイケメンの助さん格さんがあらわれさっそうと世直しをしてくれるだろうという単純化された構造が作られつつあり、メディアも印象工作に加担している。

問題を解決するためには悪代官を助さん格さんが退治すれば良く庶民はそれ以上の難しい構造問題を理解する必要はない。テレビ政治の視聴者は単なる消費者で良い。主権者であってはいけないのである。

いずれにせよ成長産業が見いだせない中、日本の家計はもはや日本の農政を支えることができない。生産者も消費者も政府が何らかの救済策を講じてくれることを期待している。この、メディアも加担した「水戸黄門シンドローム」は危機感を通じた国家の非効率な構造改革を阻害するだろう。

しかし、それでも国民は社会の全体最適化には興味を持たない。そんなことは誰かが解決すべき問題であって国民一人ひとりの問題ではないと考えているのかもしれない。これまでもそうだったし、今もそれが変わる兆しは見られない。

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