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思考停止 高市総理の突然の解散宣言が示した「失われた30年」の無惨な爪痕

11〜16分

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南関東でも雪が積もった。政治ブログを書いていなければおそらく選挙に行かないことを決めていたと思う。おそらく東北や日本海側ではもっと厳しい積雪になっているのではないか。今回は選挙キャンペーンの総括として高市総理の突然の解散制限が浮き彫りにした日本の問題について考えようと思う。それが思考停止である。失われた30年の結果日本人は自分で考えることができなくなっているのではないか。そう痛感させられた。

今回の総選挙の論点は3つあった。

  1. いよいよ無視できなくなった少子高齢化を受け入れるか・戦うか
  2. デフレと表現されることが多かった経済停滞からコストプッシュ型に移行した社会とどう向き合うか
  3. 日本の安全保障の基盤であるアメリカ合衆国の変質をどう読み解き、どう対応するか

結論だけを書くと各政党とも答えを出さなかった。各政党ともに2年間限定の消費税減税のテクニカルな議論に逃げ込んだ。さらに高市総理は経済成長を起こすと力強く訴えたがその内容は語られないままだった。公明党のように「海外の投資で財源を賄おう」と訴えた政党もあった。

この状況をどう例えればいいのか。思いついたのが「コンビニのおにぎり」だ。きれいな包装紙に包まれて「北海道産昆布使用」など買うべき理由が簡潔に示されている。高市総理は徹底して「安全・安心の自民党ブランド」を訴えたが、NHKの日曜討論などで検品作業に応じることはなかった。

しかしながらこの戦略は有権者に響いたようだ。目の前に問題が山積していることはわかっている。しかし同解決していいか分からない。だから慣れ親しんだ物語に依存する道を選んだ。

では、自民党のおにぎりに何が入っているのかがわからないなら、対向するブランドの商品を買えばいいのか。

公明党と立憲民主党が打ち出したのが「普通じるし=中道」である。例えて言えば無印良品のようなものだ。しかし無印良品は「ブランドばかりが横行する時代」のアンチテーゼとして生まれた。元々は合理性(今で言うSGDs)が意識されていたようだが、海外展開の中で「無駄を省いた禅的な美」が逆輸入される形で今の「ブランドとしての無印」が確立されている。無印でありながら品質は保証されていて、価格もリーズナブル。デザインはシンプルで日常生活に馴染む。ところが中道改革連合の「普通」にはブランドメッセージがない。有権者が当惑するのも当たり前だ。

今回の選挙は「準備させない」ことがコンセプトだった。このため与野党とも地金が出てしまった格好だ。

しかしながら、今回の選挙を観察していて気がついたことがある。実はこの「思考停止」は有権者の要請に基づいている。

今回の総選挙について高市総理を批判する記事を出すと必ず「リベラルはどうなんだ」というコメントがついた。ところがこれらのコメントには共通する特徴がある。ではなぜ高市総理の打ち出す政策が優れているのかという対論がない。だから「批判をする人は単に高市総理が気に入らないから政策にケチを付けているのだ」と批判するのである。

安倍総理時代には必ず「コピペして使える主張」がバンドルされていた。支持者たちはこの中から好きなものを選んで対応するだけで良かった。ところが今回はそもそも経済成長パッケージが準備されていないため「コピペして使える主張」も準備できなかったのだろう。仮に準備できたとしても唐鎌大輔氏が示すように淡々と「このプログラムは当初は効果があったかもしれないが、今は弊害の方が大きくなっています」と指摘されるだけに終わった可能性が高い。

安倍総理時代の「おにぎり」も実はある程度のマーケティングキャンペーン的な仕組みが備わっていたことが分かると同時に、それを引き継いだはずの高市総理にはもはやそれが準備できないということが分かる。

政治は「慣れ親しんだ物語」に依存し目の前にある変化への対応を拒否している。しかし物語への依存は実は有権者のニーズによって作られている。しかし有権者もある程度時代が変化しつつあることはわかっていて不安を感じている。

一方で経済学・金融の専門家は厳密には政権批判はしていない。政策をコンピュータ・プログラムに喩えるならば「これを動かし続けると最終的にこんな演算結果が出ますよ」と言っている。しかし根拠がないと言われても困るので「こんなログが大量に出ていますよ」と示しているだけなのだ。

彼らの分析を見る限り、高市政権がこのままプログラムを走らせ続けると円安が定着し人々はコストプッシュ型のインフレに苦しみ続けることになる。しかしログが示せるのは「アベノミクス」がある程度実績があるプログラムだからだ。日米同盟の変質はオバマ政権時代から存在したがトランプ政権になって顕在化した比較的新しい問題なので、現在の日米同盟依存がどんな結果を生むのかは誰にも分からない。さらに少子高齢化問題に至ってはほぼ未処理。

冒頭の3つのテーマについて改めて考えると次のようになる。

  1. 少子高齢化についてはほとんど未処理でほんの少しパッチが当たっている程度。
  2. 日本がコストプッシュ型のインフレ化でどうなるのかはかなり明らかになっている。つまりそれはじわじわ進む経済的地位の低下と貧困化だ。しかし、政治はそれに対して場当たり的なプランを提示するばかりで根本解決からは逃げている。根本解決にはトリアージ(誰を活かして誰を殺すかを決める作業)が必要になるが、そのコストを政治的に受け入れられないからだ。
  3. 日米同盟強化については具体案があるが、日米同盟が崩れた時のプランBについてはほぼ何も検討されていない。不確実性が高まる中で資産を一つのバスケットに入れて「今まで通りに預けておく」という危うさがある。

今回の一連の選挙に対する有権者の対応を見ていて「考えることを拒否している」わけではなく、そもそも「考える」ということがどういうことなのか自体がわからなくなっているんだろうなあと感じた。つまり厳密に言えば(経済・金融などの一部分野を除いて)現状を認識し、仮説を立てて、行動したうえで、検証し、修正するという一連のプロセスが失われている。思考停止に陥った失われた30年の恐ろしさがよく分かる。

その言葉が高市総理の検討を加速という言葉によって示されている。

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