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小泉進次郎農林水産大臣は次の総理にふさわしいのか?

10〜16分

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小泉農林水産大臣がマスメディアの注目を集めており「コメの価格是正に成功すれば総理大臣にふさわしいのではないか」という声も聞かれはじめた。

と書くと一定数苦々しい思いをする人がいるようだ。

このエントリーでは小泉進次郎農林水産大臣が次の総理大臣にふさわしいのかを考えつつ「議論の構造問題」について考える。

Quoraでのコメントは大きくいくつかの流派に別れた。

まず農協のような既得権打破を渇望している人がいて小泉氏の活躍に期待を寄せている。一方でスタンドプレイに走りがちな小泉氏を苦々しく思っている人もいるようである。この人たちは小泉進次郎氏が次の総理大臣にふさわしいと書けばおそらく苦々しさを感じるだろう。さらに「誰かが魔法のように問題を解決してくれることを期待しているのであろう」というフレーズに反応しポピュリズムを批判する人もいた。こちらは政治議論のあり方そのものを俯瞰的に見ている。

一方で生産者を満足させつつ消費者の期待に応えることは財政的に不可能ではないかと考える人はいない。つまり「形」に期待する人は多くない。

日本人が議論において「人」に着目し「構造」に着目しないことがわかる。今回主語を日本人にしているため「では世界の人は違うのか?」と考える人もいるかもしれない。この問題は別のところで考えたい。

そもそも構造とはなにかという問題が出てくる。このエントリで言う「構造」はプログラミングに似ている。何かを投入するとなにかの答えが出てくるという装置を構造と呼ぶ。政治構造はプログラミングとは違う。プログラミングはある意図を持って意識的につくられるが政治的構造は必ずしもそうではない。様々な意図の集積が結果的に創発的に作用することがある。Wikipediaの定義によれば、双発とは部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れることだそうだ。

では実際の議論はどうなっているのか。小泉農水大臣は生産者との会合で次のように言っている。

小泉氏は、生産方針の転換でコメが余った場合でも、海外に輸出したり、需要を開拓したりすることで対応するとした。また「異常な価格高騰が続くことは、コメ離れを起こして農家のためにもならない」として、政府方針に理解を求めた。

コメ生産縮小の転換に意欲示す 小泉農相「農政を抜本改革」(共同通信)

第一に「海外に輸出して稼ぐ」モデルには確約がない。そもそも国内家電産業はすでに崩壊し稼ぎ頭である自動車産業の未来にも暗雲が立ち込めているが「日本は海外で稼いで国内に分配する国」であるという前提が頭から抜けないのであろう。

次に安いコメを作って需要を増やしても農家に奴隷労働(実際には年金の足しと生きがい作りのようだが)を強いるだけである。これも実は何の解決策にもなっていない。少なくともビジネスとして米作りをやろうとする人は入ってこないだろう。

では農家に対する議論はどうなっているのか。BBCが田淵さんと笠原さんにそれぞれ意見を聞いている。

田淵さんは農家の数は減るべきだと考えている。儲けにならない米作が主流である限り自分たちの米作も儲かる構造にならないと考えているのであろう。つまり田淵さんはビジネスとしての米作がやりたい。一方の笠原さんは米作は地域コミュニティの中核であり利益を度外視してコミュニティを守るべきだと言っている。そのためには税金を投入してコメの価格を守るべきだという意見だ。こちらは生きがい維持派だ。BBCはイギリスのメディアらしく「構造的な対立」点を見出している。そしてどちらにも批判的ではない。

では実際に政治は田淵さんと笠原さんのどちらの意見を聞くだろうか。日本のコメの未来を考えるのであれば「大規模化と集約」で生産性を向上させる道を選ぶであろう。一方で票田を期待するのであれば多数の票が期待できる道を選ぶはずだ。

前者は国の未来を考えた厳しい決断であり後者は既得権の維持を狙ったポピュリズムと位置づけられる。政治が概ね国民を満足させているのであれば厳しい決断は可能だ。

農協は伝統的に自民党の票田だった。民主党系の政党はこの切り崩しに熱心だ。特に今回の議論をリードしているのは国民民主党の玉木雄一郎氏だ。農協を介在させない戸別直接補償を推進している。一方で国民民主党に議論をリードさせたくない石破総理は「自民党こそが米農家補償に前向きである」との考えを示している。

つまり今の時点では「笠原さん」が勝ちそうだ。

この議論の行き着くさきは「小泉農林水産大臣が無党派層向けの補助」を行い、「石破総理が米作農家の補助を行う」という政策になる。つまり国民は税金出やすいコメを買わされることになる。そしてその政策を正当化するために「きっと日本のコメは海外でも売れるはずだ(しらんけど)」という確約のないあやふやな約束が用いられることになるだろう。

アメリカ合衆国では中流層の反乱が起きておりグローバリズムの巻き戻しが進行している。この構造変化を捉えるならば日本はこれまでの産業構造を大きく転換する必要がある。しかしながら日本の議論は主に人(個人や集団)の在り方に吸着され構造的な議論にはあまり関心を持たない。だから問題解決にはならない。

さらに「とにかく大変なのだから大きくて強いものに助けてほしい」という気持ちが働いており、消費者も生産者も国の介入に期待している。一方で自分たちこそがその国の支え手になっているという認識はない。

このエントリーの主題は「小泉進次郎氏は次の総理大臣にふさわしいか」というものだった。しかしながら結論は「別にどっちでもいい」というものになる。確かに小泉進次郎氏はこれまで全く動いてこなかった状況を変化させることに成功するのかもしれない。しかしながらこれは国民がこぞって国の救済を求めつつも支えてとしての意欲を失ってゆく過程を加速させるだけに過ぎない。そしてその構造は持続可能ではない。

これまで無意識に進んでいる議論が意識化されない限り歯車の動きは特定の方向にしか進まないということになりそうだ。

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Comments

“小泉進次郎農林水産大臣は次の総理にふさわしいのか?” への2件のフィードバック

  1. 細長の野望のアバター
    細長の野望

    やはり、これからの稲作は大規模化と自動化をすることで生産性を上げることが必要なのではないかと思います。「海外に輸出して稼ぐ」モデルには確約がないのは、確かにそうかもしれませんが、国内だけでこのビジネスを維持するのも先細ってしまうのではないかという恐れがあるので、考えなくてはいけないのでしょう(もちろん急務は大規模化による効率化です)。
    新しい稲作をしたいと考えている人はいるようで、陸稲で従来の水田よりも効率よく米を生産できると考えている人もいるようです。
    大規模化が難しい背景には、水田を作るまでの苦労(特に棚田はそれが顕著)があり、それを手放すのは先祖に顔むけできない気持ちがあるのかなと尾も増した。

    1. 日本の農家って戦後の農地改革で小作から自営農に転じた人も多いですから土地所有信仰はあるのかもしれないですね。これが神崎方基地問題にもつながってる。稲作は出来ないがかといって土地は手放せない……