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小泉進次郎氏推しの田崎史郎氏はなぜ日本政治のためにならないのか

8〜12分

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田崎史郎氏の暴走が止まらない。さまざまなメディアに出演して自民党の総裁選について面白おかしく語っている。日本の政治言論には有害だなと感じた。

田崎史郎氏の金曜日と土曜日の発言は主に2つ。1つは麻生太郎氏が小泉進次郎氏を評価したというもの。もう1つは石破茂総理が高市早苗氏と小林鷹之氏を呼び捨てにしたというものだ。結果的に小泉進次郎氏が総裁選で有利な候補者であると言う世論誘導になっている。

結果的に日本政治は政策ではなくムラの人間関係によって決まるのだと視聴者たちに吹き込み続けている。

AFPは日本メディアのお気に入り小泉進次郎氏、自民総裁選出馬へ 報道と書いている。

周囲からの期待が高かった小泉進次郎農林水産大臣は石破政権の明智光秀という評価を避けるために「説得はしていない、単に寄り添っただけ」と発言してみせた。さらに地元の人々の賛同がもっとも重要だとし農林水産大臣としての公務のある平日の出馬宣言は避けていた。結果的に13日の土曜日に地元の横須賀市で支持者たちに「総裁選挙への出馬を決めました」と伝えている。

田崎史郎氏は右派色が強すぎる高市早苗氏では求心力は維持できないだろうと主張している。一方で小泉進次郎氏は「野党とのパイプも培ってきた」としたうえで「自民党を一つにすべきだ」と訴える。

こうして高齢化したテレビ・新聞世論は「国難と言える状況で小泉さんのような人でなければ自民党は一つになれないのではないか」という気持ちを高めてゆくことだろう。そして知らず知らずのうちに「自民党が一つになれば国難は解消する」と考えるようになる。

そもそも日本の問題は「自民党や世の中が1つになれていないこと」なのだろうか。

アメリカ合衆国のSNS事情についてご紹介するなかで、ネット言論は次第に既存の政治の文脈を離れつつあるとご紹介した。独特の攻撃性を帯びた言動が飛び交っており政治言論を「内戦」状態に向かわせている。

日本の場合はこのような外向きの攻撃は行われていない。むしろ無力感から「政治も社会も機能不全に陥ってしまえばいいのに」という独特なネガティブさが生まれている。しかしネット言論が従来の政治コンテクストから外れつつあるという構造そのものには変わりがない。

すでに独特のネガティブさを持っている政治言論が田崎史郎氏に代表される日本の政局報道を見ても「おじいさんたちがうちわの人間関係について話し合っている」ようにしか見えない。つまり自分たちの生活には何ら関係はないとの認識を深めるだけである。

しかしいくらおじいさんたちが政局報道を牛耳っているから現役世代は白けてしまい政治に参加しないなどと言ってみてもあまり意味はないのかもしれない。

さて、日銀の植田総裁がジャクソンホールで興味深い演説を行っている。日本はコストプッシュ型のインフレに苦しめられるだろうと言っている。労働制約問題が解決していないからである。

植田総裁は労働制約問題を解決するために女性の社会進出を容易にし外国人移民の導入を訴えている。

ところがこの2つの問題はいわゆる「保守」と言われる人たちが死に物狂いで反対する2大問題だ。そもそも自分たちが就職氷河期に安定した仕事を得ることができなかったという経験を持つ人が多いが、そのときに政府や政治家は何もしてくれなかった。

にも関わらず労働制約問題が出たから女性や外国人を先に優遇するとは何事かというわけだ。

結果的に当事者たちが再出発について奮起することはないのだから日本の労働成約問題は解決せず国力増強に繋がらない。むしろ彼らは他人の足を引っ張りコストプッシュ型のインフレを更に加速させることになる。

田崎史郎氏がというより田崎史郎発言に群がるマスメディアがといったほうが良いのかもしれないが、彼らはこうした忘れ去られて人々の苦痛をまるで無視したままで、永田町の人間関係が整理さえされれば問題は解決すると信じたがっている。

政治報道が田崎史郎氏にこだわるのは、彼らがあらかじめ問題を特定したうえで質問をぶつけるという課題抽出能力を持たないからなのだろう。

日本の政治報道は内製主義なので課題抽出能力がない。政治と経済などのダブルメジャーの人がなかなかトップに立ちにくい雰囲気がある。

このところ混乱が続く読売新聞問題で社長の力量を疑問視する声が出ている。社会部と政治部の間で権力闘争があるというのである。生え抜き・純粋培養が重んじられる雰囲気があり、外からの知見を持った人たちが入ってくることができない。