世の中には天才と呼ばれる人がいる。高市早苗総理もご本人が意図しないところで才能が開花したようだ。ちょっとした拍子にぽんと飛び出した「そんなこと」発言が波紋を呼んでいる。野党は総理の失言を生まないように気を配っていたが天才の前には何の意味もなかった。さらに時季にも恵まれた。折り悪く政治資金関連の資料が公開されるタイミングだったのである。
野田佳彦代表は明らかに失言を生まないように配慮をしていた。総理大臣経験者としてはそれでも対中国状勢をこれ以上悪くしたくないという気持ちはあったのかもしれない。結果的に高市総理の失点を引き出すことができず代表質問は失敗したとみなされているようだ。
見ていた人はわかると思う。高市総理は時間のない中で、野田代表が定数削減という「改革」に後ろ向きであると強調したかったのだろう。質疑の終わりに「そんなことより定数削減を……」と発言した。このときは「ああ時間がなかったんだろうなあ」としか思わなかった。
この発言に反発したのが公明党の斉藤鉄夫代表だ。「企業団体献金ってそんなことなんだろうか?」と疑問視している。見出しだけ見た人は「高市総理は政治とカネの問題を軽視している」と捉えるだろう。
運の悪いことにこの時期に政治資金収支報告書が公開される。
まず、石破総理の「政党助成金は選挙に使わない」発言が嘘だったとわかっている。「嘘」と断定すると名誉毀損になりかねないが、法律は政治家の嘘がバレないように注意深く作られている。
24年10月1日に就任した石破茂首相(当時)は9日に衆院を解散した。報告書によると、自民は解散2日前の7日に3000万円、翌8日に1億円の政活費を森山氏に支払っていた。7日は石破氏が衆院本会議の代表質問で「政活費の将来的な廃止も念頭に取り組む」と表明した日だった。
解散直前、自民が政活費1億円超 森山氏に支出、改革公約と裏腹―24年の政治資金収支報告書(時事通信)
石破氏はその後の選挙戦で、政活費について「選挙に使うことはない」と明言。選挙後には「選挙運動のための支出は行っていない」と説明している。森山氏が何に使ったかは分かっていない。
また小泉防衛大臣と高市早苗総理の政党支部に上限を超える企業からの寄付があった。高市総理に寄付をした企業の資本金は1億円以下だそうだが、小泉防衛大臣の会社に寄付をした企業の資本金は1000万円以下。規模から考えると「過剰な支出」であり何らかの見返りを求めていたと疑われても仕方ない。ただそれぞれ「訂正」だけで済んでしまう仕組みになっている。
日本人はあまりロジックを考えず「結果的に作られたルール」をそのまま受け入れてしまう傾向があると感じる。このためこれらの企業献金がどのように悪いことなのかがよくわからないままで批判する人がいる。お金=汚いという思い込みがあるためだ。
例えば毎日新聞は「総裁選の前に巨額の宣伝費が使われていた!」とやっている。確かに8000万円(高市総理)と2000万円(小泉防衛大臣)の支出は巨額と言えば巨額だが、アメリカの大統領選挙ではもっと巨額のお金が動いているのだから民主主義を正常に機能させるための必要経費と捉えることもできるだろう。
まず石破政権が(証明できないながらも)嘘をついていた、あるいは石破総理がどんなにキレイゴトを言おうがお金の力なしには選挙に勝てる見込みがなかった、と言う前提があり、高市総理が企業献金問題を「そんな事」と評価したという事実が積み重なると、結果的に「自民党は政治とカネの問題を全く反省していない」ということになってしまう。
本来ならば「目的意識をはっきりさせたうえで政治とカネの問題を抜本的に解決すべきだ」でキレイにまとめたいところなのだが、これまでの様々な議論を見る限り日本社会は、オブジェクティブ(目的)を整理したうえでモデルを使って議論を共通化することが極めて苦手なようである。それぞれが思い込みで「議論」を続けているのが実情だ。
こうなると政治言論が問題解決に役に立つことはないわけだから、魂のレベルを低くして、周りが配慮しているにも関わらず失言を繰り返しているある意味天才的な高市総理には今後とも我々を大いに笑わせてほしいものだと結ぶしかなくなる。
チーム未来は自分たちの政治資金の使い道を透明化している。このシステムの説明として党首の安野貴博氏は「そもそも資金の使い方をわかりやすく公開する仕組みを作れないから公開が進まない」のではないかと言っている。
議論のモデル化・共通言語化が進まない要因の一つとして「単にやり方がわからない」という問題があるのかもしれない。
