デイリー新潮に高市内閣の支持率「70%超え」の一方で国民民主は「ほぼ半減」…ブレずに判断してきたのに“玉木ショック”が起きたのはナゼかという記事を見つけた。国民民主党の人気が凋落した問題が「玉木ショック」として語られている。この現象はなにかに似ていると感じた。それは今まで好きだった人を突然嫌いになる蛙化現象である。
蛙化現象の原典は2004年に発表されたがSNSの台頭で一般化した。政治家はSNSの魔法によってカエルから王子様に変身できるが、一度魔法を使うと引退するまで魔法を維持する必要がある。実に大変な職業になりつつあるようだ。
玉木雄一郎代表は不倫問題で躓いたもののその後の参議院選挙で改革者としてのイメージを植え付けることに成功した。玉木雄一郎氏の不倫はそれほど問題にならなかった。玉木雄一郎氏は倫理的に清らかな政治家として期待されたわけではなかったのだ。
新潮はこれを2つに分解しているようだ。
- 高市早苗氏にアプローチされたのに断ったことに落胆している人
- 野党と組んで総理大臣になれるかもしれなかったのにならなかったことに落胆している人
だ。
新潮は記事の後半国民民主「玉木代表」に「首相になれるチャンスをみすみす逃す政治家は初めて見た」の声も…識者が「公約を実現する一番の近道は首相になること」と指摘する理由で「自民党と組むよりも立憲民主党などと組んで総理大臣を目指すのが政策実現の近道である」とする伊藤惇夫氏の主張を紹介している。
この問題は玉木雄一郎氏の戦略の間違いに焦点が当たることが多い。つまり同選択すれば政策を実現できたのかという問題意識がある。
しかし、この問題は実は全く別の側面から捉えることもできる。それが蛙化現象だ。蛙化現象はとても好きだった人のことが一瞬で嫌いになる現象を指している。
王子様だと思っていた人が実はカエルだったというところから来ているのだろう。原典はグリム童話で2004年に跡見学園女子大学教授の藤澤伸介氏が論文化したものが広まっていったのだという説がイミダスで紹介されている。
この蛙化のメカニズムは心理学的な解明が進んでいない。またなぜ現在の若者が突然「蛙化症候群」に陥ったのかもわかっていない。もしかすると名前がなかっただけで昔からこうした現象が存在したのかもしれない。
ただ、2004年には「そんなものかな」と思われていたかもしれない論文にたいして2019年には「ああわかるわかる」と考える人が増えていた。この間に起きた変化といえばやはりSNSの台頭だろう。
SNSが登場するまでのファッション広告には美しいプロポーションの美女や完璧な筋肉質の体を持った男性などの広告が溢れていた。消費者は自分が完璧な容姿を得られるとは思っていないが好んで彼らが着ているファションブランドを選択していたのである。
しかし、SNSの登場で「自分の生活圏にいる人」も評価の対象になった。結果的に理想の人物像は多様化が進むと同時に拡散も進行した。かつてのような神の偶像は求められなくなったが、普通の生活を送っている人の理想像が上がっていった。これが「インフルエンサー」と呼ばれる人たちである。
この時点で恋愛対象に対する過度の期待が生まれ、それが解けることによって急にその人が嫌いになる「蛙化」が一般的なものになっていったのかもしれない。
玉木雄一郎氏による期待値の変化をSNSの魔法が溶けてもとのカエルに戻ってしまったと考えると、国民民主党が人気を回復するのは難しいのかもしれないと感じる。
つまり裏返すと「一度魔法がかかったカエル(政治家)は死ぬ(引退する)まで魔法を維持しなければならない」ということになる。つまり本来の自分ではなく「作られた自分」を維持する必要があるということだ。
政治家はSNS戦略を通じて「実態以上に美しく、強く、優秀な自己像」を作り上げることができる。多くの政治家がそれに取り組んでいる以上それに乗らないわけには行かない。しかしながら冷静に考えてみればそれは大衆の要望によって作られた虚像であって「政治家はその役割を押し付けられている」とも考えられる。つまり政治家個人にとっては重すぎる荷物でもあるのだ。
このように考えるとSNS人気というのは極めて不確かな存在であり、SNS時代を生き抜く政治家というのも実に大変な職業だなあと感じる。
