国光あやの外交副大臣が「野党がぎりぎりになって質問通告を出してくる」という指摘を事実誤認であるとして撤回・投稿を削除した。この発言を引用して野党を面白おかしく攻め立てた人も多かったようだが所詮は感情によって偽装された合理的分析であり、単なる勇み足だった。背景にあるのは少数与党自民党の極めて脆弱な立場である。一方で課題も残った。日本はとにかく生産性が低い人に優しすぎる。高市総理のワークスタイルには問題が極めて多いようだ。このまま根性に頼る組織運営を続けても日本の生産性は上がらず賃金上昇も見込めないであろう。
高市早苗総理大臣の午前3時の勉強会の波紋が広がっている。
野党(特に立憲民主党と共産党)のせいで高市総理が寝られないのは可哀想だと言う論調があった。そのきっかけになったのが国光あやの外交副大臣の投稿だったで現在は投稿は削除されているようだ。
おそらく支持者に問題の解析能力がなく「人物としての高市氏」を擁護したいという気持ちが強いのだろう。集団防衛であり自己防衛の一種だ。
ではなぜこの発言は撤回されたのか。
この発言をきっかけに質問通告や審議日程の見直しを求める声があった。自民党はこれまでもできるだけ国会審議を行いたくないという気持ちがある。このためできるだけ審議を短くしようとしてきた。現在は少数与党状態なので議会運営で野党の要求が通りやすいという特殊な事情がある。野党はこの機会を捉えて「じっくりと国会審議をやって見出しを増やし支持率を下げたい」と考えている。また予算を通すためには幅広い野党の合意を得る必要もあるという事情がある。
今回の問題は長らく日本が抱えてきた低い生産性問題の改善のきっかけになる可能性があったが、与野党の駆け引きの中に議論が埋没してしまうことになった。重ね重ね残念である。
TBSのワイドショーで「すべての答弁を高市総理自身が修正する」のが高市総理のワークスタイルであると紹介されていた。文脈としては高市総理は熱心に自分の言葉で語ろうとしており骨身を惜しんで活動する立派な総理大臣だということになっていた。
しかしながらこのワークスタイルには重大な欠点がある。すべての意思決定に高市総理が関与することになるため膨大な待ち時間が発生する。
高市総理がボトルネックになっていると表現できる。
一般企業に例えるならば事業会社をいくつも抱える会社の決済がすべて1名の会長に集約しているような状態だ。経営学ではとても不効率な組織運営であるとみなされ適切な分社化と権限委譲(デリゲーション)が求められる。
日本では地方自治体に決裁権限がないことが問題になるが、今回は官僚レベルに細かい指示書が回っており、総理大臣がすべてを抱え込みボトルネック化しているのは明らかである。更に総理大臣は閣僚報酬をカットするとしている。つまり必要な労働力の対価受取を拒んでいる。このカット分がスタッフに渡るならまだ理解できるのだが維新は日本版DOGEを作って「ムダ」の削減を推し進めたい考えである。結果的に効率が悪い組織で長時間対価なしに働くことが正しいのだという歪んだメッセージが生み出されている。
しかし、日本社会はこうした不効率を「会社にすべてを捧げる立派な経営者だ」と高く評価してしまう傾向がある。
1980年代後半から1990年代後半のバブル時代に将来の幹部候補生をMBA留学させるのが流行っていた。ところが幹部候補たちは帰国後マネージメントに絶望することになる。アメリカから最新の軽々科学を学んで帰ってきても日本では非効率な根性万能主義がまかり通っているからである。
結局今回の議論は議会運営上の損得勘定からこのまま議論としては終息するのだろうが、日本の非効率な組織運営の土壌がバブル崩壊期から全く変わっていないということが明らかになった。
このままでは日本の生産性は向上せずしたがって賃金上昇も見込めないだろう。
