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今回の衆議院選挙の行方を左右するお子様有権者とは

8〜13分

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高市総理が冒頭解散総選挙を選択し、事実上の衆議院選挙が始まった。このエントリーでは総選挙を左右するお子様化する有権者についてて分析する。今回の総選挙はイデオロギーではなくこのお子様化した有権者の投票行動に大きく左右されることになるだろう。

高市総理を支える保守と呼ばれる人々を見ていると一定の心理的特徴があることがわかる。

  1. 人間関係を力関係(支配・被支配)で見ている
  2. しかし、意思決定を相手に丸投げしている
  3. 説明しなくても自分の欲求が通ることを期待する
  4. 相手の事情には無関心

発達心理学では「脱中心化が進まず他者依存からも脱却できていない」状況と説明をすることができる。こうした有権者の存在はこれまで明らかにならなかったがAIを操作できずに苛立つ人、操作の代わりに支配を選ぶ人、などによって可視化されつつあり、普通の有権者の間にも広く浸潤していることが分かる。支配というと男性的な特徴のように思えるが「育てること=支配すること」と考える人もそれなりに存在する。

日本経済は「脱中心化が進んでいな個人を手厚い組織で支え、官僚などのエスタブリッシュメントが親代わりに面倒を見る」ことで高度経済成長を実現した。しかしながら「地縁・血縁・終身雇用の崩壊」で「剥き出しの自己が社会に直接さらされる」ことになった。官僚組織は「打倒すべき大人」ということになるが、有権者が大人の代わりに責任を取るという意識は育たなかった。近年の自民党ではむしろ主権者意識を持つように訴える岸田文雄や石破茂のような政治家は「リベラル」として排除される傾向がある。

結果的にこの「大人に対する対抗意識」をうまく票に変換できれば衆議院選挙で勝利することができる。現在これを最もうまく成し遂げているのが参政党だ。組み立てが見事としかいいようがない。

自民党と高市早苗を分解したうえで「自民党に投票すれば先祖返りを起こす=つまり大人が再び目を覚ます」と言っている。参政党は衆議院選挙に35名の新人を擁立する一方で確実に当選が見込める比例で元自民党の豊田真由子氏を擁立する。

参政党(現有2)の神谷宗幣代表は「減税と積極財政、外国人問題、本気の少子化対策を強く訴えたい」と述べた。自民との距離感については「高市政権とは政策は4割くらいかぶっているが、自民が単独過半数を取ると先祖返りしてしまう」と主張。「高市政権があるべき方向にしっかり進むように外からチェックしていきたい」と述べた。勝敗ラインは「比例を中心に30議席を最低の目標に頑張っていきたい」とした。

衆院解散、各党幹部が意気込み語る 事実上の選挙戦スタート(REUTERS)

参政党は「減税と積極財政を両立させる」と主張している。政策一つひとつが与えるその場その場の「快」が優先されており、その先の統合は意識されていない。自分本位の快を統合したうえで結果的に責任を果たすという機能は青年期になるまで発達しない。つまりこの政策の裏には「自分たちは欲求だけを並べればいいのであって統合は誰が他の人の仕事である」という含みがある。

しかしながら参政党はまだ「欲求を羅列する事ができる能力は持っている」と肯定的に評価することもできる。

つまり高市総理を支援する人々の中には

  • そもそも今の政治は間違っているがどうしていいかわからない。だからここは一つ「国論を二分化するような変化を起こしてくれそうな高市総理」に賭けてみよう
  • 他の政治家の言っていることはなんだかよくわからないが、高市総理の笑顔とわかりやすい発言には好感が持てる

と考える人もいる。いわば社会のロシアンルーレット願望だ。

そもそも政策ではなく政治が統合的に判断できない人も増えているということがわかる。彼らはコスパ・タイパでがんじがらめに縛られており「統合的な国家像」を発達させる時間を奪われてきた人々とも言えるだろう。

ただし彼らは「そもそも高市早苗総理と自民党の関係」を理解できていない可能性がある。つまり高市総理に投票ができないのであれば「高市総理に最も近い属性」の人々(=責任を突きつけてこない政治家)を個別に選ぶかもしれない。

今回の選挙では「これまでのロジックやイデオロギーに基づいた政治分析や投票行動分析」が全く成り立たなくなる可能性が高いと言えるだろう。結果的に生まれるのは「統合責任を取るつもりがない」政党と「統合責任が取りたくても取れない党派構造」が入り混じる混沌とした政治なのかもしれない。

しかしここで「有権者の選択に合理性がない」と嘆き「日本はどこに向かうのだろうか」と不安に思うべきではない。また特定政党の支持者を批判しても問題は解决しない。これは我々の社会が個人の「成長・発達」を置き去りにした結果生まれた帰結に過ぎず、なんら不思議な点はないのである。蒔かれた種は刈り取られなければならない。

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