9,100人と考えAIとも議論する、変化する国際情勢とあいも変わらずの日本の行方


ペルソナ・ノン・グラータ勧告 暴言外交官は日本から出てゆけ!

9〜14分

イイネと思ったら、Xでこの投稿をシェアしてください

台湾有事を巡る高市総理の発言が波紋を広げている。今後数週間の議論の行方が高市政権の人気に大きな影響を与えるだろう。一連の議論を通じて台湾有事の実態のなさが浮き彫りになった。例えて言えば煙のような議論なので初期言論がその後の結果を大きく変えることになる。日本社会は防衛に対して主体的な意識を持たないため戦略的に競争すると中国に勝てないがこれまではなんとかなっていた。見方によっては実に幸運な状態が80年も続いているのである。

高市総理は国会答弁で台湾有事は存立危機事態になり得ると発言した。これまでも集団的自衛権の行使は湾岸から台湾海峡にかけてのシーレーン防衛の一部を肩代わりするものと見られていたが、アメリカの曖昧戦略に追随する形で日本の総理大臣もは具体的な言及を避けてきた。

高市総理は自身の立場を支持者たちに一貫して見せる必要から一線を踏み越えてみせた。結果的に日本の防衛議論には主体性がないため先の見通しが一切立てられないことがわかった。

この議論はあくまでも国内的なものと考えると一線を踏み越えた成否は今後高市政権に期待している新保守層がどのように判断するのかにかかっている。しかし高市政権に対する蛙化は進行しないのではないかと感じる。

そもそも新保守層は何を求めて議論に参加しているのだろうか。それは自分は強い存在であると他人に誇示することだ。そのために彼らは「負けない議論」を注意深く選ぶ傾向にある。つまりアイデンティティに関わる議論であり相手に対する過度な期待よりも自分の見せ方に関心がゆくぶんだけ蛙化が起こりにくいのである。

さすがに新保守層も日本の強さがアメリカの権威に支えられていることはわかっている。トランプ大統領は同盟の維持という長期ゲームには全く興味がなくディールという短期ゲームにこだわっている。大統領は日本を中国と同じように「アメリカの富にフリー・ライドする存在」とみなしているようだ。

司会者が薛氏の投稿に関する経緯を説明し「われわれの友人とは言えない。そうではないですか?」と質問。トランプ氏は「多くの同盟国も友人とは言えない。中国以上に貿易でわれわれから利益を得てきた」と返答した。

トランプ大統領、対中批判を回避 駐大阪総領事の投稿巡り(共同通信)

新保守層のゲームの目的は自分を大きく見せることなので防衛の実効性にはさほど興味がない。このためトランプ発言は頭の片隅には入っているだろうが黙殺されることだろう。

政府は中国の機嫌を取る必要があるため、中国にご説明に上がるという下手の対応を見せた。このときに中国が程よく緊張を緩和してくれれば日本国内にいる中国ビジネスに期待する既得権益層と新保守層の対立構造は健在化しないと考えたのかもしれない。

日経新聞は「台湾巡る日中SNS合戦に危うさ、意外な高市・習会談の緊張が導火線」という記事を書いてる。彼らの読者は中国ビジネスを展開する企業だ。高市政権が中国を過度に刺激し彼らのビジネスが脅かされることを警戒しているのだろう。

しかしながら、中国共産党は抗日戦線勝ち抜き中国を解放したという物語を維持する必要がある。特に国内経済が冷え込んでいる今弱気な態度を見せるわけにはゆかない。結果的に「レッドラインを踏み越えた」と反発している。

実はこれもメンツと実情にズレがある。中国政府は日本のビジネスには期待をしており短期滞在者のビザなし渡航は2026年まで延長された。

自民党は駐大阪総領事のペルソナ・ノン・グラータ(国外追放)を含めた措置を勧告しており、維新も強い態度で望むように求めている。しかしこれは参政党などに流れた新保守層を自分たちに戻したいという下心なのだろう。

高市総理は台湾有事発言のあとで安全運転に切り替えた。少数与党であり国会運営に波風を立てたくないという気持ちがありそうだ。

首相は先の衆院予算委で、台湾有事は日本が集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」になり得ると答弁するなど、波紋を広げる場面があった。参院で独自色を抑えていることについて、自民関係者は「譲れるところは譲らないと政権は維持できない」と説明した。

首相「過去発言」で安全運転 教育勅語・慰安婦、立民が追及―参院予算委(時事通信)

これら一連の議論を見ていると、日本の外交・防衛は「アメリカ次第」であるが政権も新保守層もその現実を見たくないようだ。代わりに日本は台頭なパートナーととしてアメリカと協力していると見せたがっている。また中国に対する態度にも主体性がない。対応を中国に一任してしまっている。

いずれにせよ岸田政権や石破政権と違って高市政権は安倍政権を継承したいと思いたがっている新保守層は

  • 高市総理も所詮は総理大臣になると態度を変えてしまうと落胆するのではなく
  • 高市総理にはなにか深いお考えがあって戦略的に行動なさっているのだと合理化を図る

のではないかと考えられる。高市総理に失望すると彼らのアイデンティティが崩壊しかねない。

どちらにせよ日本には主体的な考えを持たず結果をいいように解釈しているだけなので、議論は煙のように流されてゆくことになるだろう。こんなことで大丈夫なのかとは思うのだが、日本はこれで80年ふらふらと流されてきたという実績がある。考えてみると実に幸運な国なのである。