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ネタニヤフ首相が恩赦を要求

10〜15分

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ネタニヤフ首相が大統領に恩赦を要求した。ただし罪は認めていないそうだ。こうしたニュースを見るとこれが良いことなのか悪いことなのかと考えてしまう。悪いことをした人の罪が「正しく」裁かれず特別扱いされるのは「悪いこと」のような気がするが、主観的な「それってあなたの感想ですよね?」以上の分析にならない。この主観に反してイスラエル経済は強い回復傾向を見せており「だったら別に多少のごまかしはいいんじゃないか?」と言う気もする。

ネタニヤフ首相は自分のことを考えれば裁判で無罪を証明したいが、今は戦争状態でありそれどころではないと言っている。つまり国のことを考えれば「裁判などやっている場合ではない」というのだ。

しかし実際には罪を逃れるためにハマスの攻撃を利用した可能性が極めて高い。その前には司法改革を画策し裁判所の権限を弱めようとしていたことからも狙いは明白だ。

イスラエルの裁判所は、大統領に対して、公共の利益に叶うならば、裁判所の判決前に、恩赦を下す権利があるとの判決を出している。憲法がないイスラエルでは裁判所の判断は特に重大な意味を持つ。

ではそもそもネタニヤフ首相は何をやったのだろう。最も大きなものは通信社への優遇措置の約束だったそうだ。イスラエルの通信会社はもともと国営だったが民営化されている。つまり電電公社がNTTになったようなベゼクという会社がある。ネタニヤフ氏が通信大臣だった当時に「競争を促すような規制は撤廃する」と約束した。規制撤廃はベゼクに巨額の利益(記事によって試算はまちまちだが)をもたらしたとされる。

ベゼクは通信社ではあるが報道機関としての役割も持っている。ネタニヤフ氏は自分に好意的な記事を「Walla」に掲載してもらう取り決めを交わした。選挙で劣勢になると「自分を批判する記事を消せ」とか「ライバルを攻撃する記事を書け」などと要求するようになった。

ではこれはイスラエルにとって悪いことなのだろうか。イスラエル経済はネタニヤフ首相の時代にもハイテクが牽引する成長を遂げていた。だから「政治や司法がいい加減でも別に構わないのではないか?」と言う気がする。

もともとイスラエルは世界から集まってきた人々の集合体に過ぎない。「ユダヤ人」という共通点はあるのだが、それ以外でまとまることができていない。このため国家理念である憲法が作れず、大きな政党もない。国全体が1つの比例選挙区になっており政治家たちが離合集散を繰り返している。

つまり政治の世界は永遠のゼロサム状態にある。だからこそ巨大通信社を取り込んで政敵を貶めるというようなことも行われてしまうのである。

そもそも政治に信頼がないのだから、ネタニヤフ首相がその信頼性を破壊したとしても大した問題にはならないのかもしれない。

イスラエル、第3四半期GDPは前期比12.4%増(REUTERS)で示されるようにイスラエル経済は戦争で一時減速したが、現在は回復基調だ。政治家の権力闘争が激化すると、国民経済に大きな影響が出かねない状況が生まれていることは確かだが、かといって経済が深刻なダメージを追ったというわけではない。

イスラエルの幸運は世界中に広がるユダヤネットワークの豊富な資金力と国内の軍需産業の民間転移という事情によって作られた。しかしながら国内の「ゼロサムゲーム」の激化はその幸運を打ち消そうとしている。

更に状況を難しくしているのは見せかけの経済回復だ。現在は戦争で抑制されていた内需が回復しつつありイスラエルは回復基調に乗っているようにみえるのだが、単に問題の先送りに過ぎない可能性もある。

つまり、今回大統領が司法と話し合った結果恩赦を決めてしまうと、それはフリーライダー容認の強いシグナルとなり縮小均衡のリスクを高めてしまう可能性があるということだ。

なおここまでの記事を組み立てるためにGEMINIを使った。これをChatGPTに検証させたところ「フリーライダーとレントシーキングは違うのだ」と言う主張だった。

以下、ChatGPTの出力。用語について修正はあったが大筋は変わらなかった。ゲーム理論のフレームを使っているので2つのAIの共通言語になっているのかもしれない。

イスラエルでは多党化と連立不安定による政治の断片化が、政党や政策主体が十分なコストを負わずに利益配分に参与する「フリーライダー的行動」(GEMINIが指摘する意味での、政治的責任の無限希薄化現象)を生みやすい構造をつくってきた。一方で、軍需産業を起点とする高度技術セクターの外部効果や、司法の独立性によるガバナンス補完が、この政治的非効率を相殺するバランスとして機能してきた。

しかし、このフリーライダー構造が長期化すると、利益獲得の手段は「責任回避」から「規制や権限への直接的働きかけ」に移行し、レントシーキング(独占的な政治・規制優遇を求める行動)へと変質しやすい。ベゼク事件に見られるような大企業による政治的影響力の行使は、まさに後者に属する。

司法改革をめぐる政治的対立は、この両者の境界を曖昧にし、司法という抑制装置を弱体化させることで、フリーライダー構造からレントシーキング構造への移行を加速させる契機となりうる。もし大統領による恩赦が現実化すれば、それは特定の政治家の意志というよりも、制度的スパイラルの結果として、「責任回避(フリーライド)→規制捕獲(レントシーキング)」という段階的悪循環が既に進行していることを示すシグナルであり、イスラエル経済が非効率な縮小均衡に向かいつつある兆候と解釈すべきである。