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ウクライナからモスクワへの攻撃が加速 戦争和平のお作法

6〜8分

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トランプ大統領の和平交渉を起点としてロシアとウクライナの間の戦争状態がますます激しいものになりつある。和平を重視するといいながらグーで相手を殴り続けるという姿勢には違和感を感じるが、ふと「すでに我々は数年前とは違った現実にいる」と気付かされる。つまり平時は憎しみ合っていても表向きは平静を装うが「鏡の国」では和平を求めていても殴り合うしかないのである。そしてその裏打ちになるのが国民の犠牲なのだ。

CNNが「モスクワで爆発、警官2人死亡 2日前に軍将官の暗殺とみられる事件」という記事を出している。数日前にも軍の幹部がモスクワ市の南部で殺害される事件が起きていた。

ABCはロシア側がウクライナからのドローン攻撃を受けたとウクライナを批判したと報道している。タイトルだけを見るとゼレンスキー大統領が「自分たちは和平交渉を邪魔するつもりはない」といいながら相手をグーで殴り続けているという印象を持つ。つまりやっていることがでたらめだ。しかし実はロシア側からの攻撃も加速している。スラブ式コミュニケーションではなく戦争和平のお作法なのだと気付かされる。

おそらく和平交渉は実現しないだろう。

ゼレンスキー大統領は大統領選挙をやってもいいし、アメリカが提案するフリーゾーンについて考える準備はあると言っている。しかしその前提は「ウクライナ全域の選挙」である。この選挙を実現するためにはまず戦闘を停止しなければならない。

つまり和平交渉の前提が和平が実現しなければ成立しないという状況に陥っている。

ここから気がつくことは2つある。

まず、戦争和平のお作法は我々が平時に持っている対話のお作法と全く違っている。そして我々は何らの「宣戦布告」を聞くことなく「いつの間にか」この状態に突入しており、日常生活の中でこれについて語っている。

平時のお作法は憎しみ合っていても表向きは冷静を装い相手を尊敬していると褒め合う。一方で戦時にはこれが逆転し和平を求めていても殴り合いを続けるしかない。

さらに戦時には「自分たちの身を守るためには自分たちが犠牲を支払う必要がある」と気付かされる。アメリカ合衆国はウクライナの新しい提案を即時却下していない。これはアメリカが「自分の負担を覚悟している限りにおいては協力のための対話くらいは続けてやっても良い」と考えていることを意味する。ゼレンスキー大統領が自分たちに都合がいい構想を出してもそれが「ウクライナ人の血」によって支えられている限り「有効」ということになる。

しかしながら日本人は「これまでのような平和にフリーライドするためには、アメリカの意向に逆らわないようにしつつ関係を維持するのが最も賢いのだ」と考え続けている。しかしこれは平時のお作法である。アメリカ合衆国はもうそこには居ない。

リアルな戦争報道を見ている人たちは否応なく、今でも日本国民がうっすらと持っている期待が成り立たなくなってしまったことに気がついてしまった。とは言え周りの人たちと話を合わせることはできない。

いったん「新しい現実」に気がついてしまうとこれまでのような安寧に戻ることはできない。現状分析に忠実であればあるほど早く気がついてしまうのだ。

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