TICAD騒ぎで一部の日本人が日本政府は自分たちから奪い外国にばかり与えると考えていることがわかった。今度はインドに対して10億円の民間投資を約束している。民間投資は投資額をふくらませるためのトリックに過ぎないが、新聞を読まない人たちはこれを理解しないだろう。対アフリカ投資と同じように対インド投資にも反感を持つ人も多いのではないか。
このエントリーでは「日本は将来のために国際投資をしているのだ」という合理的な説明が一部の(そして可視化されつつある)日本人に響かない理由を説明する。
ただ、起点が仮説なので納得しないという人も多いかもしれない。
日本人は家庭で「外に出たら騒いではいけない」と教わる。自分の欲求を満たすために意思表示するのは良くないこととされこのマインドセットが学校教育にも引き継がれる。教室で大人しくしない子は悪い子だ。
結果的に自分の欲求を口にせず察してもらうまで待つというマインドセットが生まれる。
外国に出た日本人はこのマインドセットが必ずしも一般的でないと知る。
欧米では自己主張が当たり前。アメリカ合衆国などではむしろ自己主張ができないと叱られることがある。中国やインドのように競争が激しい社会では自己主張をしなければそもそも生存競争に勝ち抜くことができない。だが外国経験のない日本人は気が付かない。いつまでも察してもらえないことに苛立ちつづける。
日本の経済が徐々に縮小する中で中間層は徐々に不満を募らせるが「自分たちのため」には行動することができないというのがこの仮説の核である。
実際にこのマインドセットで生活者の不満を背景にしたれいわ新選組は叩かれた理由が説明できる。自己主張するとそれを抑え込む人が出てくる。ところが参政党はここをうまくすり抜けた。
- 自分のわがままで行動しているわけではない。日本という大きなものを守るために我々は戦っているのだ。
個人の欲望に大義を与えたのが成功の秘訣だった。
ただしこの大義を成り立たせるためには「日本政府は我々から盗み外国に与えようとする」という前提が必要。あくまでも心理学的な手続きなのでこれを合理的に説得することは不可能だ。
安倍総理はこのあたりを上手に意識し活用していた。そのため「あなた達はそのままでいい、悪いのはすべて民主党政権だった」と主張したのだ。重要なのは骨太の国家観・国家像ではなく(弱者だと思われたくない)弱者の自己正当化のニーズに応えた点だった。
ではこのメッセージは今も有効なのだろうか。
現役世代は安倍総理亡き後で自分たちはシルバー民主主義を支えるために我慢させられていると気がついてしまった。安倍総理の戦略意図は実は現役世代が単に支えててしてしか見られていないという点を気が付かせないようにすることだったのだからこのメッセージに戻ってもおそらく現役世代は納得しないだろう。
あくまでも国家観など実はどうでもいいということになる。
立憲民主党もまた彼らから見れば「弱者にかこつけて自分たちに我慢を押し付ける政党」に過ぎない。
つまり既存政党は今の体制を守るためにいつまでも自分たちに「待て」を命じ続ける主人に似ている。
各種世論調査から石破総理を支える人たちが高齢者に偏っていることがわかってきている。
特に自民党は深刻な状況にある。敗戦分析の議論が次第に「何が悪かったのか」ではなく「誰が悪かったのか」になりつつある。敗戦総括まとめられなくなっているようだ。こうした状況で「察してほしい」現役世代の不満を汲み取ることなどできるわけはない。
一方で屈折した有権者の不満はポピュリズムの波に乗って躍進したい政党にとっては巨大なチャンスとなる。欲求不満が心理学的に抑圧されていると考えるとポピュリズム政党の支持者たちが自己洞察をするはずはない。
こうした人達を先導するのは簡単だ。なにかより大きなものを掲げて潜在的な欲求不満に火をつけた上で誰かに「かかれ」と号令すればいい。
