このエントリーでは「今後のイラン情勢」を見るうえで最低限必要なイランに対する知識をまとめる。
分析は、これまで・今・これからの三本立てになっている。このエントリーはこれまでを扱う。
イランの国土面積は日本の約4.4倍、人口は9,000万人強である。主な民族構成は、ペルシャ系が約6割、トゥルク系(アゼルバイジャン人)が2割弱、クルド系が約1割、その他となっている。
このため、イランは多民族国家とされることが多いが、そもそも「ペルシャ系住民」の内部構成も非常に複雑である。これは中国の漢人やアメリカで英語を話す人達(彼らを英語民族とは呼ばない)を補助線とすると理解が容易になる。
ペルシャ地域では古くから帝国が形成され、官僚システムが発展してきた。この帝国圏内でペルシャ語や社会制度を受け入れた人々が「ペルシャ人」と呼ばれるようになった。その結果、外見や文化的背景には大きな幅が存在する。たとえばロサンゼルスには大規模なペルシャ系コミュニティが存在するが、内部では肌の色などをめぐる複雑な感情も見られる。
この構造は、英語と民主主義を受け入れた人々を「アメリカ人」と呼ぶ状況にある程度似ている。アメリカでは英語を話さない「ヒスパニックのアメリカ人」も増えている。このため英語系アメリカ人を規定しようとする動きも見られるが成功はしていない。一部福音派などが宗教に傾倒するのはおそらくそのためだろう。
こうした多様な背景から、海外に統一的な「イラン亡命政府」が形成されにくい状況が続いている。帝国的官僚制度が発達した一方で、民主的統制システムは十分に成熟しなかった。そのため、国内から代替政府が自然発生的に形成される可能性は高くない。また国外に逃れたイラン系・ペルシャ系の人々が「イランにいる同胞と苦労をともにしていない」という反発もある。亡命イラン人はアメリカ合衆国で比較的自由で裕福な暮らしを享受している。
アメリカ合衆国は、長年にわたりイランを敵視してきた。そのため、トランプ大統領が内政の行き詰まりから目を転じる際、イランは攻撃対象として選びやすい存在であった。
イランの油田はもともとイギリス資本によって開発されたが、1950年代にモハンマド・モサデク首相と国民戦線が国有化を宣言した。これを阻止しようと動いたのがアメリカ合衆国である。アメリカは「シャー(日本語では皇帝と訳される)」を擁立し、クーデターを決行した。
この結果、権力を回復したのがモハンマド・レザー・シャー・パフラヴィである(日本では「パーレビ国王」とも呼ばれる)。シャーは露骨な親米政策を推進し、その過程で伝統を重んじるイスラム勢力との間に深い溝が生まれた。イランは元々帝国文化なので宗教勢力ではなく世俗勢力であるシャー(皇帝)の伝統がある。
シャー・パフラヴィは、イスラム的価値観よりもアーリア人の栄光を重視する「イラン・ナショナリズム」によって国家統合を図ろうとした。しかしこれはそもそも「南部にいる肌の色の濃いペルシャ人」や北部のトゥルク系アゼルバイジャン人からの離反を招きやすい構造があった。
さらに、原油価格の安定化に伴い経済成長が鈍化すると、次第に政権基盤は不安定化していった。
経済不調をきっかけに影響力の低下を恐れたイスラム勢力は、革命運動を本格化させる。この際、イスラム革命に協力したのがバザール商人層であった。西洋型の資本主義を導入したい帝室はバザール商人を「守旧勢力」と見なし克服すべき問題として扱ったのだ。
やがて、イスラム勢力はアメリカ資本を排除し、アメリカ大使館を444日間占拠する事件を引き起こした。この出来事は、現在に至るまでアメリカ合衆国にとって大きな外交的トラウマとなっている。
ハメネイ体制とアメリカ合衆国の関係が悪くなり、急激なリアル安が起きたことで、バザール商人たちはハメネイ体制に公然と抗議の意思を示すようになっていった。これが結果的にイスラエルとアメリカ合衆国に介入のきっかけを与えることとなった。
現在のイランは、革命以来宗教権威であるハメネイ師が革命勢力を直接統率する体制が続いてきた。これは極めて属人的な統治形態である。この構造が崩壊すれば、各地の勢力が独自に行動を開始する可能性が高い。
実際にイランは集団指導体制に入ったが、今後ハメネイ師をトップにしていた属人的な統治が回復するとは考えにくいのが実情だ。なおどんな勢力がどの程度武器を持っているかなどは全く明らかになっていない。
- Iran forms interim leadership council as President Pezeshkian resurfaces(ABC News)
- アングル:ハメネイ師後継、現実派ラリジャニ氏が有力か 臨時指導部設置(REUTERS)
- 深手を負うも、なお攻撃を続けるイラン どの程度の戦力を保持しているのか疑問浮上(CNN)

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