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【遅すぎた】鶴保庸介参議院予算委員長が辞任

9〜14分

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鶴保庸介参議院予算委員長が辞任を決めた。石破総理は確認する限り声明を出しておらず辞任も遅すぎた。ここまではなんとなく多くの人が指摘をしているが、もう少し考えを進めると有権者が「政治は自分たちのことを考えてくれているのだろうか」と迷い始めていることの現れなのではないかと感じた。

これが行き着いた果てが「日本人ファースト」だ。いかにも日本人らしいと言いたくなるが先進国では多く見られる現象だ。

鶴保庸介参議院予算委員長が辞表を提出した。参院幹事長が遺憾の意を表明しているが石破総理は(調べた限りでは)対応しておらず「ああまた逃げたのか」という印象。

この問題には2つのレイヤーがある。まず日本人にとって地震や台風などの災害対応は優先順位が極めて高い。被災者を傷つける行為や発言はそれだけで政治的タブーになってしまう。野党党首たちのコメントはほぼ「被災者を傷つけるような議員は許せない」という点に触れている。

ただし地震が極めて明確なタブーであったためそこから先に議論が進まなかった点は残念だ。

今回、政治家が政策至上主義(この場合は二拠点居住)に陥り大きな目的意識(国民生活全体の向上)に思いが至らなくなっている点にはさほど注目が集まらなかった。

要は永田町ファーストになっており有権者ファーストではないということだ。

フジテレビ問題との相似でわかるように、成果を生み出せなくなった組織が近視眼化するのは極めて自然だ。石破総理が参議院選挙で勝ちたいならばこの問題にきちんと対応すべきだったが(調べた限りでは)なんの声明も出していない。眼の前の選挙で負ければ退陣という空気が作られる中でそれどころではなくなっているとわかる。

では野党は有権者ファーストなのか。確かに選挙の前にはどの政党も「あなたのための政策」を訴える。ところが選挙が終わると自分たちのポジションのための闘争に戻ってしまい「結局は議席ファーストだったんだな」という印象しか残らない。

結果的に浮上したのが日本ファーストを標榜する参政党だ。

不心得な外国人という敵を設定してはじめて有権者たちは「自分が優遇される政党を見つけた」と実感することができた。比較にこだわる極めて日本人的な特性だと思うのだが実際にはヨーロッパの一部やアメリカ合衆国でも排外主義的な運動は広がっている。誰もが政治は自分たちを阻害しているのではないかといううっすらとした疑いを持っているが「明確な他者」を置かないとそれが見えてこないのだ。

なぜ東京都で蓮舫氏が勝てなかったのかを分析したときに「キラキラ女子の内向きサークル」と「緑のものを持って集まる」という小池百合子東京都知事のスタイルを比較した。簡単な「お題」を与えて連帯感を可視化すると言うスタイルだ。連帯感を作ることは極めて需要だがそのためにはそれなりの演出が必要になる。

参政党は「組織づくりが極めて上手」という評価が広がっている。まずは極端な主張を持った人たちが集まって出来た政党だそうだが、党員が入れ替わると主張も変わってしまうそうだ。つまり参政党は核になるイデオロギーや目的意識を持たないか隠している。

これまでの新興政党の歴史を見ていると、当初は「党員ファースト」だった政党もある程度の地位を得たところで気持ちを緩めてしまい「政党ファースト」に変質してしまう事が多い。

維新は納税者ファースト政党だったが万博で利益誘導型の政党だということが露見してしまい、国民民主党もネットどぶ板に成功するとセレブ候補優遇政党になり有権者から見放された。

参政党の行く末にも注目が集まる。

TBSの報道特集は高まる外国人問題への関心を懸念しており再び特集を打っていた。しかしながら「外国人差別はいけません」と主張するばかりで背景にある有権者の孤立と願望についてさほど関心はなさそうだ。

東洋経済が「「参政党なんか支持する人は頭が悪い」と批判する人もいるが…非常に短絡的な考えだ! 「参政党人気」の深層にある深刻な孤独の“正体”」という記事を出している。

この記事は

  • 政治家は自分たちのことを気にかけていないという調査結果が7割に昇った
  • 加速する孤立の時代における「コミュニティの誘惑」

の2つを躍進の理由としてあげている。

コミュニティに参加させて布教の手段にするというのはいかにも宗教的だが日本ではマルクス経を布教する共産党と法華経を核にする創価学会という「二大宗教政党」が成功している。どちらも外来の宗教を導入して日本流にアレンジしている。参政党の核となる考え方も実は海外由来のものが多い。メラネシアには「カーゴ・カルト」という宗教形態があるそうだが、海外から流れ着いたイデオロギーが宗教化する例は多い。極めて島国的な政党の作り方と言えるだろう。

この参政党の成功事例を踏まえるとTBSの報道特集の何がいけなかったのかがわかる。外国人排斥運動に抗議する人々が危機感を誰とも共有できず孤立して見えてしまう。おそらく政治に主体的に参加しない人はイデオロギーの中身ではなくコミュニティを見ているのだ。

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