先日来フジテレビを引き合いに組織の終末について考えている。
鶴保議員の発言を聞いて「自民党も終わったな」と感じた。価値を創出できなくなった組織は内向き化し外の価値観と合わなくなる。そして、最終的に外部の価値観と衝突するというのが大まかな構造だ。
鶴保庸介議員の発言はまさにこの雛形で説明ができる。しかし当事者には自覚がないのでヘラヘラしている。
鶴保庸介氏はもともと小沢一郎氏の秘書だったそうだが二階俊博氏の庇護を受けて今の地位を掴んだとされている。小沢一郎氏は今回の件で鶴保議員を批判している。
発言の内容は能登の地震が自分たちの推進する政策(二地域居住)の追い風になったというもの。普段は総務省官僚は反対するが地震が「実績」になり今回は進んで協力があったとの認識を示している。
鶴保議員の発言から政府の推進する政策を推し進めることが議員たちの成果になっているということがわかる。本来、政策とは国民生活を豊かにするためにあるものだが鶴保議員の発言からはその視点はすっぽりと抜け落ちているとわかるだろう。
今回の発言について鶴保議員を批判しようとは思わない。我々が薄っすらと感じている「今の自民党はなんかおかしいね」という感覚を見事に可視化してくれているからである。
むしろありがとうと言いたい。
成果を出すことができなくなった組織では内部統制が乱れ組織内論理で出世が決まることになる。フジテレビの場合はそれが外部から数字を持ったタレントを連れてくるかだったが、自民党の場合は上層部が決めた方針をどれだけ早く実現するかになっている。おそらくその先には支持者たちへの利益誘導へと接続している。
フジテレビの社員たちは視聴者の顔が見えなくなり、一人ひとりのスタッフが価値を創造すると言う基本理念を忘れてゆく。同じように自民党議員は被災者を見ても「この人たちのために自分たちは選ばれて国会議員として活かされているのだ」と思えなくなってしまったのだろう。
しかしマスコミに責め立てられたたためとりあえず準備した言葉を述べたが、その顔には薄ら笑いが浮かんでいた。実際に映像を見たが極めて不快で異様だった。だが考え方を変えると我々が持っている違和感をみごとに可視化してくれたと鶴保議員に感謝すべきなのかもしれない。
フジテレビ問題においては港浩一社長(当時)の薄ら笑いが感覚的に「あ、この人たちはすでに我々と同じところにはいないのだな」と示すサインとなりスポンサー離れのきっかけになった。港氏は検証番組でも「あれは冗談なんですけどねえ」と釈明している。
今回読んだ産経新聞の記事は「選挙に影響が出る」とする元自民党議員の声を拾っている。いっけん「ああそうだな」と思うかもしれないが、選挙は国民のために働くための単なる手段であり目的ではない。マスコミも含めそのあたりが全く見えなくなっているんだろう。おそらく自民党は国民の感覚と衝突を起こし始めておりもはや手の施しようがない情況なのかもしれない。
普段の政治と選挙活動は地続きだ。普段の政治活動では利益誘導に邁進しているのに選挙のときだけ「国民ファースト」を偽装することなど出来ない。
石破総理は今回の件で「議員たちの間に国民に寄り添わない空気がある」と指摘し内部統制の強化を打ち出すべきだったが、そもそも鶴保議員の発言について言及したとする記事を見つけられなかった。今からでも遅くないので声明など出してはいかがだろうか。
