いよいよ参議院議員選挙投票日となった。連休の中日(なかび)に投票なんか行っていられるかと言う人もいるだろうが、中には色々情報を収集してみたがさっぱりわからないと悩んでいる人もいるだろう。本来ならば意識高く「しっかり情報を収集して選挙に向き合うべきだ」と書くべきなのだろうが、当然そんなことは書かない。また「どのように情報収集すればピッタリの政党が選べますよ」というHow Toにもしない。
あるワイドショーで政策を選ぶと最もぴったりな政党を探してくれる便利なサイトがありますよと紹介していた。ボートマッチングなどと言われる。
実際にやってみた。投票ナビというサイトで簡易版と詳細版がある。簡易版をやったところ「国民民主党と共産党がおすすめだ」と出た。これでは話にならないので詳細版もやってみた。すべての政策を選びそのうえで「何を重要視するか」も選ばなければならない。「全部の政策に意見なんかないよな」と毒づいていたのだが最後に「最も重要視するものを選べ」といわれた。重み付けも自分でしなさいといいわけだ。このあたりはAIにやらせるべきなんじゃないの?などと思ったが文句を言っても仕方がないのでそのまま何もチェックせずに確定させた。
結果は都市型リベラル。レーダーチャートが出ていたのだがピッタリ該当する政党はないようだ。つまり自分の今の考えにぴったりな政党などそもそも存在しないのだ。
なぜそうなるのか。現在の小選挙区・比例並立の仕組みは二大政党制が前提だ。つまり政党があらかじめ政策コンペを通じて候補者を一本化することになっているのである。アメリカ合衆国はそうやって候補者を選んでいる。
しかし日本の選挙はそうなっていない。仲間内の細かな人間関係で代表者が決まっていく仕組みだ。もはやこれが機能していない。
もともと親米政党だった自民党では「保守分裂」騒ぎが起きている。
地方の利益代表者は既得権益を守りたい。しかしそれでは無党派層に支持が広げられないので中央が派手な政策を打ち(これはたいていバラマキになる)地方を支えてほしいと考えている。そもそもイデオロギーを持たなかった地方は中央を政策面で支えようという意欲はない。
親米政党のカウンターとして発展してきた野党陣営に至っては小集団のリーダーたちが覇権争いを繰り広げて降りまとまるものもまとまらない状況。
こちらは東側陣営が崩壊したことで一度壊滅している。ここに巨額の資産(鳩山家からかなりの資産が入っているなどと言われた)が入り再編成されたのが民主党だ。
しかし、旧民主党系の政治家たちの分布を見ると、自民党に入った人・立憲民主党で小競り合いをしている人・国民民主党・維新と手を組んだ人などがいる。組織内ヘゲモニー(覇権)が優先され政策は後から付いてくると言う仕組み。
そもそも選挙は単なる覇権争いの道具なので「ある考え(イデオロギー)」のもとで政策を集約してゆこうという考え方がない。
ただし真面目な人ほど「大人になったのだから政治に対してきちんとした政策を持たなければ」と思い詰めてしまう。そして色々と政治について情報を集めるのだがいつまで経っても「よくわからない」という認識しか生まれない。
そんな中「選挙にはゆくべきだ」という圧力はかかる。
読売新聞が「言われたから行く」、女子高生の選挙への本音…投票にイマイチ気乗りしない理由という記事を出している。
周りから「みんなに合わせていい子でいなさい」といわれてきた従順な学生さんが「学校で選挙に行けと言われたからゆくのだがイマイチよくわからない」と正直に述べている。政策は調べていないしその候補者が当選したのかも見ていないそうだ。
ただこういう人もボートマッチングをすると「政治に興味を持ちました」と答える。そうすることが「正しいことだ」という誘導があるからだろう。そして自分でも有意義な検索活動だったと思い込んでゆく。
高度経済期に育った人たちにはなんとなく「保守」「革新リベラル」という枠組みで政治を理解していた。これは戦後日本を支配したアメリカ合衆国に迎合するか、それに反発するかと言う路線対立だった。これに「自由主義リベラル=新自由主義的な競争原理を重要視する」が加わりだいたいの政治的枠組みが構成されている。この中から候補者を選びあとは無視していると言う人も多いのではないか。
ところが令和になり政治に関心を持った人たちは政党が集約機構を失ったあとの政治しか知らないため「そもそも候補者や政党が多すぎるよね」という感想を持つようだ。
もう一つ「宗教道徳意識のなさ」があるように思える。
個人的なエピソードで恐縮だが小中学校が日本にあるカナダ系カトリックだった。このため個人主義的なキリスト教の考え方が基礎にある。ところが高校は普通の公立高校だった。ここで「日本社会では宗教的価値観を前面に出してはいけない」と学んだ。さらにカトリック教育から離れたことで「是々非々で価値観を捉え直す」事ができる自由度も得た。
大学に入学した当時は新興宗教ブームだった。地方から東京に出てきたり一人暮らしを始めることで新興宗教にのめり込んでゆく人たちが大勢いた時代だ。宗教に耐性がない人たちが狙い撃ちになっていた。やがてオウム真理教事件が起こり「宗教=カルト」という考え方が浸透してゆく。宗教はそもそも触れてはいけない危険なものに変質してしまった。
キリスト系的な道徳概念は西側の自由主義・人権主義の基礎になっている。このため宗教的な道徳体系に触れてこなかった人には日本国憲法の「天賦人権」は理解できないだろう。とはいえ日本人に憲法を作らせるととんでもない物が出てくることが多い。キリスト教の代わりに神道や仏教を理解していると言う人もまた少ない。宗教も政治も「偏ったもの」であり個人が迂闊に近寄るのは危険だと言う気持ちがあるからだろう。
憲法というのは現代芸術に似ている。現代芸術はデタラメをやっているように見えて底流に何らかの思想がある。この思想がないところで現代芸術風のものを作ってもデタラメにしかならないのだが、一般人には単なるデタラメと現代芸術の区別はつかない。
つまり「みんなが入れているところ」になんとなく合わせておくのが最も無難ということになる。これは高度経済成長期にはなんとなく成立していた投票態度だが、現在は政党が意見集約できなくなっており「いっぱいありすぎて何がなんだかよくわからない」と考える人が増えるのは当然。特に罪悪感を抱く必要はないのだと思う。
政治教育をしっかり行うべきだと言う考え方もあるが、読売新聞は「そもそも学校はきちんと政治教育を行っている」と書いている。つまりそもそも西側の民主主義社会にあった「自分の生き方を自分で選びたい」という気持ちがないのだから、そもそも政治教育が成り立たないのだ。
投票に行く人は気楽な気持ちで投票先を選ぶのが良いだろう。わからないものはやはりわからないと考えるのが正しい態度なのだと思う。
さらに選挙で言いにくい争点は選挙中はごまかされ選挙後に「突然浮上した」と報道されるはずだ。あるいは選挙期間中に前提になっていた枠組みそのものが崩壊するかもしれない。政治情報を集めている人は「あああれね」と感じるだろう。
その意味では選挙中のキャンペーンには余り意味がない。参政党が「日本人ファーストは選挙期間中だけ」と発言し話題になっているが、おそらくそう考えていたのは参政党だけではないということがわかることになるだろう。

“【今日は投票日】参議院選挙でピッタリの政党がない人へ” への2件のフィードバック
私自身も投票は毎回行きますが、確信をもって投票しているわけではないですし、学校のテストとは違うのだから「なんとなく」でもいいという気楽なスタンスで行っています。そういう気楽なスタンスでいいのに投票に行かない人を見ると、「正解」のような明確なものがない選択をすることが意外と負担なのかもしれませんね。
ま、そう考えるとテレビが「日本の未来はあなたにかかっている!」とか「事実上の政権選択選挙だ!」とかいうのは良くないかもしれないですね。どっちみちちょびっとずつしか変わらないことが多いですし。