石破おろしはどんどんと有権者にとっては意味のない不毛な権力闘争に陥っている。何が悪かったのかではなく誰が悪かったのかを問うことになりつつあるようだ。執行部は総理大臣の責任を問わない総括を出し倒閣するなら政府を去れと造反者を恫喝している。一方で売られた喧嘩は買ってやるとばかりに総裁選前倒しに賛成する副大臣と政務官が現れた。
共同通信が『独自』として参議院選挙敗戦総括原案を紹介している。総理大臣の責任を追求せずメディア報道と世論調査の内容をコピペしたような内容になりそうだ。また減税に応じない頑なな姿勢も認めず野党が批判したせいで給付の評判が悪かったということになりそうだ。
そこで「なぜ自民とは反省や総括ができないのか」と書こうと考えた。だが考えているうちにそもそもどのような総括がでるべきなのかを考えたほうが手っ取り早いだろうと考えた。
自民党が選挙に負けた理由は3つある。
第一にこれまで自民党を信じてきた人々が自民党に不信感を持ち始めている。自民党の支持層の中にはもちろん既得権益層もいるが真面目にコツコツと働いて自民党を支援してきた人たちもいる。彼らは自分たちが支えてきた政党のお金の管理が杜撰であると腹を立てているが自民党の総括では彼らの期待に応えることができなかった。
第二に問題を凍結してきたアベノミクスの前提が崩れ日本経済がインフレに突入した。氷が溶けて問題が表に出てきた状態だ。インフレはアベノミクスの出口であり成長を意味するはずだったが賃金上昇が伴わないインフレは単なる物価高と認識され「物価高対策」が求められるようになった。内部問題からアベノミクスを否定できない政府は安易な物価高対策を打ち出し、インフレ=悪であるという図式を自ら作り出し世論は減税論に傾斜した。
第三に現役世代は政府の政策で生活が良くなった経験がないためそもそも政府に期待しなくなった。政府が現役世代から盗もうとしているという認識が広がっているが言語化が進まないため現役世代の不安や不満が政治に伝わることはない。彼らはもはや新聞を読まないため世論集約が行われない。結果的に参政党が躍進した。
第一の問題は与野党対立に矮小化され十分な総括と説明が行われなかった。何が機能不全を起こしていたのかを探る議論は行われず誰が悪かったのかという責任追及型の議論だ。自民党は特定の人に責任を負わせるのではなく問題解決と課題に集中する党内文化を構築すべきだ。
第二の問題と第三の問題は接続している。自民党は時代の変化を受け入れて特に現役世代が希望を持てるような経済政策を再構築しなければならない。現役世代は新聞を読まないのだからSNSなどを通じた情報発信が必要だがそもそも発信すべき情報がなければお話にならない。だがそのためにはアベノミクスのどこに問題があったのかを総括しなければならないだろう。そのうえで言語化されていない不安の払拭に務めるという難しい事業が待っている。
ドイツのシュタインマイヤー大統領は過去に対峙するものは未来を諦めることはないと語った。自民党も過去の政策と意思決定プロセスを徹底的に再検証し課題解決型の政党に生まれ変わるべきだ。
さてここまで書いてみて「そもそも安倍派の問題を解決できていない」ことが敗戦の根幹にあることがわかった。ではなぜ安倍派の問題は解決できないのか。森喜朗氏以降頻繁に総理大臣を出してきた清和会はいつしか肥大化した議員組織を経済的に支えられなくなってゆく。そこで議員たちは自助努力で資金を集める必要ができた。これは自民党内の分配構造に問題があったことを示唆する。そしてそれは地方議員に対する分配問題を含む。
ただ考えてみるとそもそも企業が海外で稼いだカネを日本国内で分配するという構造が崩れているのだからその内部構造である自民党の政治家の分配構造が乱れるのは当然だ。政治活動を維持するためにはお金が必要なのだからこれに代わる政治資金の集め方を考えなければならない。
だが自民党がこれを言い出せばおそらく自己弁護だと言われることになる。さらに野党も安倍派の問題を「自民党の問題」だと捉えたい。結果的に存在を賭けた争いになるため安倍派議員や自民党議員は間違いを認められなくなる。
実は安倍派の政治とカネの問題はまだ続いている。赤旗が萩生田光一氏の事務所問題について扱っておりネットに影響力があるひろゆき氏に切り取られている。
政治とカネの問題はつまるところ分配問題であると書けるのは当ブログが部外者だからである。つまり問題を解決するためには部外者(第三者調査)を行う以外にない。
そのうえで人ではなく課題を批判する文化を定着させない限り日本政治が過去の問題と向き合い未来に向けた解決策を提示する事はできないだろう。平たい言葉で言えば当事者同士が言い争っているばかりではお互い意地になるだけなのである。
