先日来「参政党は極右なのか」について考えている。形式上は極右だが日本独特の現象なのではないかと考えている。このため、Qouraで参政党について書く時には「お気持ち極右」と表現している。日本人に思想(イデオロギー)はなく情緒に流されやすいという趣旨である。
ただ、参政党支持者と左派リベラルはどちらもこの説明が気に入らないようだ。
BBCが「【解説】参院選で極右政党が台頭、「日本人ファースト」で議席拡大」という記事を出している。冷静に参政党問題について解説しており読み応えがある。
BBCは長年日本では極右政党は台頭しないだろうとされてきたとしたうえで参政党は極右であると言っている。これは党首の発言を踏まえたもの。MAGA、リフォームUK、AfDなどを参考にしたと言っている。この参政党が支持されたのだから日本でも極右政党が台頭したということになる。
ただしBBCは日本の無党派層は気まぐれでありこのまま参政党を支持することになるかどうかはわからないと言っている。なるほどと感じた。
欧米で宗教を明確に答える人が多い。宗教を信じていない人も「自分は無神論者である」と明確に主張する。宗教はその人らしさを決めるアイデンティティの一部に組み込まれている。
しかし日本人はクリスマスイブにはクリスマスケーキを買い、クリスマスが終わると門松を立てる。さらに初詣で神社に出かけるのだが仏教寺院に出かけているのに「自分は神社を参拝した」と言い張る人がいる。日本人に信仰心がないわけではないがアイデンティティと信仰心は全く別のものという人が多く、宗教を区別しない。
おそらく支持政党も同じような感覚なのではないかと思う。つまり今回参政党を支持したからと言って次の選挙でも参政党を支持するとは限らない。そもそも今回参政党を支援した人たちはおそらく前の選挙では安倍派自民党を支援し国民民主党に票を入れていたはずだ。
同じようなことは穏健な自民党支持者にも言える。前回の衆議院選挙では「お灸をすえる」ために今回は立憲民主党に入れましたと言う人が大勢いた。
逆に参政党はこうしたカジュアルな人たちを気分で動員したからこそ成功したと言えるのかもしれない。代表の憲法に対する発言を聞いているとどこかあっけらかんとしており屈託がない。
この屈託のなさがよく現れているのが参政党の憲法草案づくりだ。スポーツ紙でこれを記事にしたところはないようだが憲法取りまとめの責任者だった安達悠司参議院議員が「羽鳥慎一モーニングショー」に出演し憲法草案づくりについて語っている。人当たりが良さそうで悪い人には見えない。
新型コロナで行動が制限されたことで「日本が国際組織の押さえつけられてワクチンを強制し行動制限をかけることになったのはケシカラン」ということになった。その流れで憲法草案でも「日本は独自で政策決定すべきである」という空気が生まれたようだ。これが国家が主権を持つという記述の意味なのだそうだ。
ところが所詮は空気で作られているため、国家権力が国民の権利を脅かすとどうなるかと言う議論は行われなかった。天皇陛下は極めていい人そうに見えるのでとてもそんなことはしないだろうということになり「君民一体」というなんか格好がいい言葉に傾いてゆく。
すべてが「お気持ち」で作られており理論がない。憲法学者は「所詮民間の憲法草案に過ぎない」と軽視していたが参議院選挙で参政党が躍進したことで焦りをつのらせ「戦前の民本主義路線」であり主権の概念が曖昧であると草案を批判した。
しかし安達議員は「自分たちの気持ちが重要であり理論から作ったものではない」と反論している。うちらが一生懸命に考えた憲法を専門家はバカにするんですねということになる。
ここに「無知な有権者は政治に参加するな」と言わんばかりの玉川徹氏(こちらはこちらで反発されているようだが)が参戦するとさらに議論は噛み合わなくなる。
この一連の説明は東京新聞に書かれた代表の発言と合致している。そんなに国民主権が大切なら別に書き加えればいいじゃないかと説明しており、そもそも候補者に憲法草案を読めとはいっていないので矛盾した表現があっても不思議ではないですねと言っている。
BBCやBloombergは日本人が情緒に極めて流されやすいとわかっているため形式上は極右だが欧米の極右とは性質が異なると書いている。
では極右ではないから参政党ムーブメントは危険ではないのかと言う話になる。必ずしもそうは思わない。戦前の日本も議会政治の膠着から勢いがあった軍部が支持された。最後は気合だとばかりに大陸に進出し国際連盟からも勢いで脱退した。当時の新聞は次第に国民のお気持ちに流されてゆき大陸への軍部進出を盛んに支援するようになる。当時は首相直属の“総力戦研究所”でも「日本は戦争に負けるだろう」というシミュレーションがあったようだがお気持ちに流されてゆき都合が悪い結論は無視された。気合が足りないから負けるのだ。昭和天皇もシミュレーションを受け入れず「開戦論」を唱える勢力に流されていった。
この敗戦シミュレーションを研究したのが猪瀬直樹氏。NHKでドラマ化もされているようだ。戦後80年の終戦記念日に放送されるそうである。
日本人は難しい問題に直面すると考えることが面倒になりお気持ちで一つの結論に突っ走ることになる。日本ではすでにそのような人たちが12.6%も生まれており今後も拡大する可能性がある。戦前の場合には天皇もこれを受け入れて流される側に回ってしまっている。
難局に対峙すると分析を諦め、誰かが魔法のように気合で問題を解決することを期待する傾向がある日本人。国難を目の前にするとやすやすと国民主権を譲り渡してしまう可能性は高い。
日本版自由からの逃走こそが今回浮上した最も大きな今ここにある危機なのだ。

Comments
“【お気持ち極右】BBCが考える参政党は極右なのか?問題” への2件のフィードバック
参政党支持の根源は極右思想というより「ストレス反応」だと考えています。
経済的な不安や孤立感などのストレスに対して、防衛機制の心理的反応を起こしているのだと思います。
「防衛機制」は不安やストレスを軽減しようとする心理的メカニズムで、いくつも種類がありますが、政治的には以下の3種類が特に関係がありそうです。
・投影:自分の問題や不満を他者(外国人、特定集団)のせいにする
・同一化:強い存在(国家、指導者)と一体化して安心感を得る
・退行:複雑な現実を単純な善悪に還元して理解しやすくする
これらの心理的作用によって「敵味方を単純化したストーリー」への欲求が強くなったのでしょう。
参政党はそのような支持者に受けるストーリーをいろいろ試した結果として、極右っぽい内容がヒットしたのだろうなと推察しています。
都合が良いストーリーを求めるだけなので「日本の無党派層は気まぐれ」に見え、都合が良いストーリーを提示するだけなので参政党が「お気持ち極右」に見える状況なのだと思います。
本来はきちんと原因分析と解決策立案をして解決していくべきですが、現状では明確なビジョンを持って問題解決できそうな政党もありませんから、最も「ストレスを解消できそうな」政党が選ばれ続けるのではないでしょうか。
ChatGPTに「エーリヒ・フロムの「自由からの逃走」は当時の民衆のストレスについてなにか触れていますか?」と入力するとだいたいご指摘のような回答が得られます。コメントありがとうございました。一度読んで見られるといいかもしれないですね。