日本人は戦略を立てたり議論をしたりするのは苦手だが、他人の足を引っ張るためには芸術的な才能を発揮する。新しい政治スターを求めるマスコミは田崎史郎氏などを起用し新しいスターを誕生させようとしている。
慌てた野党はこぞって小泉進次郎農水大臣の足を引っ張り始めた。玉木雄一郎国民民主党代表の「1年経ったら動物のエサ」発言が猛反発を受けている。
玉木雄一郎氏の発言が反発されているのは「人間が食べるコメを餌呼ばわりするとは何事か」と考える人が多いからだろう。こうした脊髄反射的な反発はSNS化した近年の政治議論では珍しくない。
さらに2015年の発言も蒸し返されている。
気が済むまでやってほしい。
ただし、今回の玉木雄一郎氏の発言に反発している人はおそらく古米・古古米を知らない人たちだろう。
改めて経緯をおさらいしよう。
かつてコメは全量国家買い上げだった。しかし昭和40年代に生産技術が進歩し次第にコメは余剰になってゆく。全量買上げしたコメの価格は政策的に決められており「高く買い取って安く売る」逆ザヤが発生。さらに古米・古古米となるに従って品質が落ちてゆき国庫に負担が生じるようになった。
昭和43年4月13日の参議院予算員会で「損出はどうするのか?」という質問が出ている。ただ、これを防衛するために「私は古々米で育った」「古米さえ贅沢だった」「ましてや新米など一年に一度」という発言も見つかった。古古米と言う言葉はこの頃から本格的に使われるようになったが、存在自体は広く知られていたということだ。
もともと新米は「一年に一度食べられるか」という贅沢品だった時代があるとわかる。そのスタンダードに照らし合わせれば現在の日本の食糧事情は毎日がお祭りなのだ。
ところがコメが余剰になると価値が逆転し古米・古古米はおいしくないということになってしまった。そこで登場したのが減反政策だ。もともとは専売公社が買い付ける統制品である葉たばこの議論で使われていた言葉だったが米価統制と結びつけて語られるケースが増えていった。
この事情を踏まえると小泉大臣の“備蓄米放出”に、街の米店から“怒りの声”という記事がよく理解できる
小泉大臣は農林水産省の受動攻撃を受けているがおそらく本人は気がついていない。周りに「接待チーム」が作られ備蓄米の流通プロジェクトに全力をあげているのだろう。その背景でブランド米の価格防衛が図られている。
小泉大臣はまずコメの価値は次第に下がる=減価償却すると吹き込まれた。そして古いコメだったら安く売れますよといわれる。
「おおそうかそうか」と感心する小泉大臣。
ところが古古米(2022年産)は流通大手が買う。選挙に間に合わせるためにすぐに届ける必要があるからだ。このため、中小スーパーや米屋はこの取引からは排除された。そこで2021年産を更に安く1800円程度で売れるようにして流そうというわけだ。
かつての「古米はまずい」という印象を持つ街の米屋はこれをどう考えるか。
- 俺達には安いコメを押し付けて、ブランド米が買えない貧乏人相手に商売していろというのか
と感じるのだ。
農林水産省の官僚たちは嬉々として小泉進次郎農水大臣に
- ブランド米が高いとほざく貧乏人には価値が落ちて後一年で動物飼料になるコメでもあてがっておけばいいのだ
と言わせていることになるが、1981年生の大臣はそれに気が付かない。そしてその議論を見ている「毎日がお祭り」世代もそれに気が付かない。
ただし「古米がまずい」というのは、そもそも「やっと新米が食べられるようになった」という戦後の日本人独特の感性かもしれない。つまり実際に古古米・古古古米を食べても「言うほど不味くない」と感じる人は出てくるだろう。
中国ではチャーハンが多く食べられる。流通が発達していない中で、新鮮さが落ちたコメを美味しくいただくための工夫だろう。大量に炊いたコメを保存する技術がなかったために発達したとされており、そもそもコメがない地域では発展しなかったそうだ。
韓国も貧しい時代が長かったため今でも混ぜご飯(大根飯、とうもろこし飯、雑穀飯などなど)が「家庭の味」として大切に伝承されている。またキムチやトウガラシを多く使うのもおそらくは味を濃くしてコメを美味しく食べるための工夫かもしれない。
個人的には平成の米騒動で「外米」が入ってきたときに嬉しかった記憶がある。わざわざインドに本場の長粒種を食べに行ったこともある。粘り気が少ないためカレーに合うのだ。
伝統的な日本食が薄味で旨味依存なのはおそらくコメそのものが「お祭りレベル」で美味しいからであり毎回のご飯で炊きたてのコメを食べる手間をかけることが出来たからである。
専業主婦が減り忙しい人が増えるとそもそも休みの日に米を炊いておいて保存して食べることになる。古米・古古米・非ブランド米でいいやと言う人が増えれば、伝統的な旨味に支えられた日本食の変質も考えられる。
さらに一部では転売の危険性も懸念されるようになった。転売を防ぐために通販などで対応すると言うところも出ているが、おそらく自分たちでブランド米に偽装した袋で売り出す人たちは出てくるのではないか。
つまり農水省は「ブランド米を守っているつもりで」
- 高すぎて買えないコメかまずいコメと言う印象がつき、結果的にコメ離れが進む
- 転売米がまじりこみブランド米の価値が毀損される
- 安いコメでいいやと考える人が増えてブランド米が売れなくなる
という3択で自分たちの首を締めている可能性がある。
なお備蓄米の放出で4億円の差損がでるそうだがそもそも備蓄米は最終的に飼料用として安く払い下げられるコメでありこれまでもこの程度のコストは掛かっていたということだ。
国家安全保障と言う観点から仕方がないことだと弁護することはできるが、今回の措置でそもそも緊急時には流通させられないということが露見している。つまり実質的な生産量調整だと(少なくとも農水省は)考えていたのだろう。
流通の目詰まりの原因はこれまでJA全農がコメ流通を支配していたために流通イノベーションが進まなかったからだと指摘する声も出始めた。
これまでの政府は(自民党だけでなく民主党時代も)自分たちでは政策立案ができないのに下僕のように官僚たちを使い倒してきた。結果的に積極的に国を良くしたいと言う意欲は失われ「どうすれば変化を志向する生意気な政治家の足を引っ張ることができるか」に特化した官僚を生み出している。
ただ、政治家も現場で叩き上げた経験が積めないために彼らの意図には気が付かない。結果的に貧乏人は古古古米を安い価格で食べていればいいのですと嬉しそうに喧伝する「改革志向」大臣が生まれてしまった。
令和無惨と言うほかない。
