国会の議事運営を巡り稚拙な議論が展開している。政治家がこれを解決するのはおそらく無理なのだろう。話し合いができない議員という笑えない状況が生まれている。
せめて私達がこのような状態に陥らないためにはどうするべきかを学ぶための反面教師にしたい。
まず何が課題になっているのかを抜き出す。「実にさまざまな問題があり一度に解決するのは無理」ということがわかる。さらに誰も問題を整理しない上に感情的に煽る人が出てくる。結果的に議論はまとまらなくなり「誰が悪いんだ」という犯人探しに集約してしまうのだ。
第三者的に見ると「何をやっているんだろう」という気になるが、意外とこのような状況に陥っている組織は多いのではないだろうか。少なくともSNSではこうした議論が蔓延している。
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問題のあらまし
きっかけは高市早苗さんの「ワークライフバランスを捨てる」発言。実際に午前3時に会議を開いたことで御本人の健康を心配する声や周辺の人達が高市早苗さんに巻き込まれることを懸念する声が溢れた。総理に批判が集まることを懸念した人々が「集団的自衛権」を発動し「いや実は立憲民主党が悪い!共産党が悪い!」といい出し騒ぎが拡大している。
高市早苗首相、野党通告遅れで午前3時出勤 国会非効率露呈(Xトレンド)
感情的に議論を煽る人たち
第一に「感情的に議論を煽る人たち」の存在がある。安倍総理大臣時代に多かった政治・経済の問題が理解できない人が高市政権になって再び政治に期待するようになった。それに応えるようにSNS議論に慣れた人たちが議論を煽っている。今回きっかけになったのは国光あやの議員の💢マーク付きの議論だった。玉木雄一郎国民民主党代表も「高市さんはがんばっている」と書いている。国光さんはエビデンスといういかにもネットが好みそうな用語を使っており厄介さが際立つ。この手のエビデンスはチェリー・ピッキングになりがち。
硬直した議員内閣制の問題
最初の問題は硬直した議員内閣制の問題だ。予算策定に関われない野党は妨害工作員になるしかない。また自分たちが政権を取ったときに不利になると考えなくなる。
しかしながら実は野党側にも言い分がある。自民党はおそらく党内で利害調整ができなくなっており審議時間が長くなると矛盾が露呈してしまう。このために日程闘争に頼り勝ちである。結果野党は質問を作成する時間が少なくなりギリギリで質問通告をするケースが増えているそうだ。
つまり「どっちもどっち」なのである。
文化的な特性
失敗を認めない文化
日程闘争の影響のほかに「失敗してはいけない」という文化の影響もあるようだ。これは失敗を認めない文化の裏返しでもある。実際にメディアが失言を騒ぎ立てSNSが拡散するという現状もある。そのため官僚が「一言一句を確認しなければ気がすまない」という状況になり確認に時間がかかるようだ。
文脈依存が高い日本文化の影響
しかしながら問題はこれだけではない。過去の答弁を踏み越えてはいけないという不文律があるそうだ。集団で言動を一致させなければならないという日本文化独特の背景もあるのだろうし、曖昧な解釈でガラス細工のように結論を積み重ねてきた歴史もある。先に述べた失敗を認めない文化の影響もあり過去の発言にがんじがらめにされている。これでは身動きが取れなくなってしまう。
生産性の低さとそれを問題視しない鈍感さ
当初この問題を聞いたときにFAXの問題を取り上げた。答弁書のすり合わせくらいなら印刷せずにグループウェアでやればいいのに……と感じたが、実際に「紙」を持たないと安心できないのだろう。そのために膨大な職員の労力が浪費されている。玉木雄一郎氏は官僚のワークフローについて書いているが「耳付け」と呼ばれるインデックス付け作業をしているそうだ。付箋でもつけているのかと思ったが「ページを折っている」ようだ。こうした膨大な作業をこなしながら「もっと効率化できるのでは?」と考える人が誰もいなかったという点には驚きを感じえない。
高市早苗氏の資質の問題
高市早苗氏の個人的な資質の問題もある。どうやら何から何まで自分でやらなければ気がすまないタイプのようで「権限委譲(delegation)」が進んでいない。結果的に「私が全部見なければならない」ということになっている。玉木雄一郎氏は「党首討論を活用しては?」と言っているが、これはすなわち総理大臣がすべての仕事を抱え込むことになってしまう。
ただし高市早苗総理は以前からこうしたワークスタイルを取っていたようである。総理大臣就任時に細かな注文が入った指示書を渡している。大方針を渡して権限委譲するのではなく、具体的に指示をしてみんなですり合わせするというスタイルなのだろう。
「お気の毒に」とは思うが、眠ったり美容院に行ったりする時間が取れなくなって当たり前だ。
議論の中身を理解したくない・できない人々の参加
問題解決の議論が難しいせいで、世間の注目が集まったときに一気に「ガイアツ」を利用して問題解決を図りたい人が増えている。しかし誰も論点はまとめない。さらに問題の中身を理解したくない人が騒ぎ出し、問題が理解できない人が追従する。この議員は「立憲共産党が最悪」と言っている。いうまでもないがそんな政党はない。
ただ、こうした「誰それさんのせいだ」は身内を団結させるために極めて効果的なツールでもある。浮動票に頼るようになった政治家たちは敵の存在を必要としている。
ではどのように問題を解決すべきか?
政治に興味を持つ人達の多くはこの手の議論に運動会のような高揚感を感じているのだろうから無理に議論を止めようとは思わない。多額の税金をかけて好きなだけ騒げばいいだろう。だが、実際に問題を解决したい人はどのように議論にアプローチすべきなのだろうか。
前回AIツールClaudeでまとめた内容をおさらいしよう。今回ブログパーツは2つに分けている。1つは「問題解決指向」についてまとめたものだが、もう1つは議論が複雑化するとみんなが納得する答えはないという点に着目している。
評価ではなく問題に着目する
最も重要なのが今回のような「誰のせいだ」という議論を避け、何の問題を解决したいかに焦点を当てるべきだ。そもそも、ネットで大騒ぎしなければ国会運営の不効率さを改善できないという現状は「国会議員が話し合いができなくなっている」ことを示しており大変深刻な状態にあると言えるだろう。
心理的圧力を取り除く
それでも話し合いに参加したくない人は何らかの不安を抱えている。できるだけこうした不安は取り除かれるべきである。ただし後述するように全員の不安を完全に取り除くことは難しいという点にも留意すべきだ。
対話を構造化する
問題が起きるたびにいちいち話し合いのフレームを作るのは不効率だ。できるだけ問題を解決する装置を制度化・構造化して置かなければならない。不断の努力が必要だ。
完璧な合意を求めない
しかしながら、アイデンティティ化した問題を解決するのはなかなか骨が折れる作業である。もはや完璧な合意は難しいと思ったほうがいい。完璧な合意は求めずそこそこの合意を目指すべきだ。
問題を解決可能な単位に小分けし解决したい意思を持った人に働きかける
さらに極論を述べて議論を混乱させる人ではなく問題を解决したい人や今の現状にうんざりしている人の賛同を得るべきだ。また問題はできるだけ小分けにしてその都度解决していったほうが効率的である。
実際には敵を作って身内を団結させたり極端な発言で周りの注目を集め続ける政治家が増えている。ここはこうした風潮にうんざりした現実的な人々の賛同を得るべきだろう。
問題解決型思考 vs 評価型思考:全員参加型の課題解決フレームワーク
全員参加が不可能な場合の現実的問題解決フレームワーク
まず国会議員に必要なのは「話し合いの技術」を学ぶことのようだ。彼ら彼女らはこれらを中学生時代に勉強しておくべきだった。

“「高市さんが寝られないのは立憲共産党のせい」に見る稚拙な国会議論の現状” への2件のフィードバック
この記事を読み、ぼんやりと思ったことがあります。政治の世界や政治こそ、AIを活用したほうがいいのではないかということです。単純な雑務の効率化だけではなく、目的を達成するためのフローを視覚化することで皆の共通認識を作ることもできますし、なによりも”先生”と呼ばれる人たちに対して”忌憚のない”意見を人間よりも言える点が利点だと思います。
ただし、AIを使うにしても明確な意思と目的意識が必要なので、結局のところは「話し合いの技術」を学ぶ必要性があることには変りないでしょう。それと、AIツールに精通した技術者も必要そうです。
この数日意図的に問題解決型の文章を増やしたんですが、閲覧数が劇的に下がりました。この理由もChatGPTで整理してみたんですがどうも課題解決型の文章は脳に負荷がかかる割に必要な報酬(スッキリする感覚など)が得られないということのようです。考えてみると問題は解决して初めてスッキリした報酬が得られるわけで、それが得られないと心理的負荷だけが残る。これが日本社会全体にそのまま当てはまるかはわからないですが、仮にそもそも問題解決の動機がないのであれば、話し合いの技術を学びたいという人は増えないだろうなあと思いました。