9,100人と考えAIとも議論する、変化する国際情勢とあいも変わらずの日本の行方


「失われた30年」は嘘だった―「活かされていない超優等生国家」の真実

13〜20分

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最近、「政治の粗探しばかりをしていてもなあ……」と感じることがある。そこでBloombergとReutersで、「何かポジティブなニュースはないか」と探してみた。

Bloombergで「投資家を黙らせた高市氏、日本の実験に世界が注目」という記事を見つけた。高市総理が選挙に勝ったことで、今、世界の投資家が日本に注目しているという内容である。そこに意外なフレーズが出てくる。日本は世界有数の「経済複雑性が高い国」なのだという。

今回はこの記事に取り組んでみようと思う。

つまり、高度経済成長期に作られたポテンシャルがそのまま残っているということになり、「失われた30年」という主張が嘘だったことがわかる。

経済複雑性が高い国には、日本、ドイツ、スイス、韓国、オーストリア、チェコ、スウェーデン、フィンランド、シンガポールなどがある。多様で高度な製造業があり、部品・素材・装置を自前で調達できる。また、技術人材を支える高い教育水準も魅力だ。

一方でアメリカ合衆国は、レーガン大統領時代に停滞する経済を金融・ハイテクで立て直した過去があり、その過程で製造業の空洞化が進んだ。さらに中国の台頭によって製造業の中国依存が進み、相対的にGAFAと呼ばれる企業の存在感が増した。

現在、アメリカのAI産業は「崩壊」の瀬戸際にある。これについては別の投稿で紹介するが、短く言えば、「将来に過剰な期待をしたものの、それが満たされなかったハイテク人材の暴走」が、AI産業を破壊する可能性が出てきている。

ただ、日本はこの「産業複雑性」という高いポテンシャルを活かしきれていない。

では、高市総理は投資家のメッセージを的確に読み取り、日本を復活させることができるだろうか。今のところ具体的な計画は見えず、「それはよくわからない」というのが正直なところだが、失敗する可能性は高いのではないかと思う。根拠は二つある。

第一に、これまでの経済産業省主導の国家プロジェクトには失敗例も多い。国家プロジェクトは失敗させるわけにはいかない。するとどうしても、「過去に成功したものをリブートしよう」という発想に傾きがちになる。

しかし、失敗した企業や産業には、それぞれ「それなりの理由」がある。過去の成功事例に強く依存した結果、成果を挙げられないままフェイドアウトするという失敗を、これまで繰り返してきた。

第二に、そもそも計画を立てている人たちが本当にワクワクしているなら、それを早く披瀝したくて仕方がないはずだ。しかし実際には、高市総理は具体的な政策をほとんど示していない。おそらく、何もないか、自信がないのだろう。

さらに野党政治家たちも、憲法や消費税などのテクニカルな論点に逃げ込んでいる。これも自信のなさの裏返しなのかもしれなない。

もちろん、経済政策が満足ものであればよいのだが、仮に失望に終わった場合には、どのような反応が起きるか。おそらく海外の投資家たちは、「期待はしてみたが、ダメだった」と受け止めるだろう。つまり、現在の過剰な期待は、いずれ巻き戻される可能性が高い。

このとき、日本人は「高市総理よ、まずは構造改革だ!」と背中を押すだろうか。おそらくそうはならない。「やっぱりダメだった」「所詮は失われた30年の延長なのだ」と考え、諦めてしまうのではないか。

こうして考えていくと、日本社会が日本の強みを分析的に理解していないために、機会を逃していることに気づかされる。つまり日本は、あと一歩のところで成功のチャンスを逃している「実に惜しい国」なのだ。

では、日本は本当にポテンシャルを活かしきれないのか。

理由の一つ目は、すでに述べたような集団自己催眠である。日本は失われた30年を過ごした凋落国家である、という意識が、国民だけでなく、高市総理を含む政治家にも深く浸透している。

理由の二つ目は、外国人の説明のわかりにくさだ。今回の記事では、日本が成功できない理由を「過剰な競争」に求めている。

例えば、毎年1300種類もの新しい清涼飲料水が発売されているという事例が挙げられている。しかし、これを「過剰な競争」と言われても、「え? 何のこと?」と思う人は多いだろう。

普通に考えれば、過当競争とは「食うか食われるかのデッドヒート」であり、横並びの馴れ合いを見て「ああ、これは過当競争だな」と考える人はいない。同じように、地方銀行が100社ある状態を「異常だ」と感じる人も少ないはずだ。

つまリ外側の目線を取り入れて「自分自身で再解釈」する努力が必要になる。

日本がポテンシャルを活かせない大きな理由の三つ目は、「失敗が許されない制度と文化」である。

日本の政策や産業支援は、多くの場合、経済産業省を中心に「失敗しないこと」を最優先して設計されてきた。その結果、挑戦的で不確実性の高い分野には、十分な資源が投下されにくくなっている。

新しい産業や技術は、本来、試行錯誤と失敗の積み重ねによって育つ。しかし日本では、一度失敗すると「責任問題」「税金の無駄遣い」という批判にさらされ、関係者はキャリア上の大きなリスクを負うことになる。

そのため、官僚も企業も、無意識のうちに「成功がほぼ保証されている案件」しか選ばなくなる。結果として、日本には高度な技術や人材がありながら、世界を変えるような大胆な挑戦が生まれにくい構造が固定化してしまっている。

つまり、日本は能力不足なのではなく、「失敗できない仕組み」によって自らブレーキをかけているのである。

高市総理は「働いて、働いて、働いて、働いて、働いて」と繰り返している。しかし、国民がこれに巻き込まれる必要はない。単に高市総理にムチを打って、「なぜもっと早く進めないのだ!」とプレッシャーをかければよい。

高市総理が倒れたとしたら、それは彼女自身が望んだ結果だ。そして、どこにムチを入れるべきかも、すでにわかっている。日本は産業競争力がない国ではない。ただ、産業構造には大いに改善の余地がある。

高市総理が時間を持て余すと、おそらく「強い国づくりだ」とか「憲法改正だ」などと、よそ見をし始めるに決まっている。そんな暇があるなら、日本のポテンシャルを解放するために、政治資源を100%集中すべきだと圧力をかける必要がある。

そのためには、まず日本人自身が「日本社会が持っているポテンシャル」を強く自覚しなければならない。いつまでも変わらない政治に苛立つよりも、まず我々が率先して変わったほうが、よほど手っ取り早い。

まず我々が始めるべきなのは、「失われた30年」という呪縛から自らを解放し、冷静な視点を取り戻すことなのだろう。

確かに、Bloombergの一つの記事だけを読んで日本全体を評価するのは、非常に乱暴である。しかしながら、この記事を起点にするだけでも、我々の社会がいかに自信を失っているかがよくわかる。

自らを振り返れば、その理由は明らかだ。私たちは政治・経済記事を読むとき、無意識のうちに「ダメな部分」ばかりを探している。

もちろん、「日本はすごい」という議論も数多く存在する。しかし、それもまた自信のなさの裏返しである。だからこそ、「ここを改良しなければポテンシャルは発揮できない」という冷静な視座を持てなくなってしまう。

確かに日本は、少子高齢化に伴う市場縮小という深刻な問題を抱えている。経済複雑性というポテンシャルを活かせば、すべての問題が解決するわけではない。

むしろ、これから直面する課題を乗り越えるためには、今持っている資産を冷静に棚卸しし、それを問題解決のために活用していく姿勢こそが不可欠なのである。

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