天皇陛下に「あげる」はなぜ不敬なのか

Twitterというのはネタの宝庫だなあと思う。今回見つけたのは「天皇陛下を楽にしてあげたい」というツイートだ。いわゆる保守のブロガーを自任する人が、たぶん何の悪気もなく呟いたものだ。
だが、これをある年代から上の人が見るとどきりとする。と、同時に「なぜどきりとするか」ということを説明しなければ分からないということに気がついた。
もともと「〜あげる」というのは、目上から目下に対して使う言葉だ。イヌに餌をやるというように使うのだが、これを丁寧に言った言葉だ。これが時代を経るに従って「親しみを込めた敬語表現」としても使われるようになった。例えば「おばあちゃんを楽にしてあげたい」というように、身内にも使えるようになったのだ。オリンピックの水泳の選手が「平井コーチにメダルをかけてあげたい」などと言っているのを聞いた。
身内に使う分には許容表現だが、敬語にうるさい人にとっては「間違った」使い方だ。ビジネス敬語について説明したこのページには、あげるの敬語は差し上げるだが、それでもムッとする人はいると書いてある。正しい日本語としては、相手が「欲しいかどうか判断をゆだねるべきだ」というわけだ。
だから、天皇や皇太子に向けて使われると完全に許容外になる。それはなぜだろうか。
これを説明するためには、古い人たちのメンタリティを知る必要がある。太陽はまぶしすぎて直接見られない。同じように一般庶民は偉い人と直接会話ができないし見ることもできないというメンタリティがあった。例えば、陛下・殿下という言葉は階段とか建物の下という意味がある。直接人について言及することができないので。建物を呼んだのだ。例えて言えば「千代田の方」とか「赤坂の方」などと呼んでいるのと同じことだ。
現在の陛下を「天皇」など言うことはあり得ない。天皇は地位の名前であって人の名前ではない。現在の天皇を呼ぶときには「当代」というような意味合いで、今上陛下と言うのが一般的だ。
直接見ることも、話をすることもできないのだから、当然、働きかかけたりすることはできない。真性の保守の立場に立つのであれば恐れ多くて天皇の地位について云々することなどできないはずなのだ。だから、当然一般庶民が働きかけて「楽にしてあげる」ことなどできないはずなのだ。
このように「自分の意思決定が目上の人に影響を与えることができない」というのは敬語の基本になっている。だから本来の日本の敬語には偉い人に働きかける言葉がない。しかし、敬語は徐々に美化語化している。待遇と地位をあらわす表現ではなくなり、言葉を美しく飾るために使われるようになっている。
例えば「差し上げる」は第三者が目下に対して使う間接的な話法だ。「差し上げなさい」とか「献上なさい」と目上から目下に命令する。目下が目上に意思を表明することなどあってはならない。だから、遠慮がちに「いかがですか」とか「よろしければ」などと言うのだ。
多分、20代30代の人が「保守」を名乗ったとしても、それはファッションでしかないのだとは思う。なんとなく体制側に立っていて「カッコイイ俺」くらいの感じなのだろう。でなければ、天皇の地位については恐れ多くて言及なんかできないはずだ。「真の保守」になりたいとしても「恐れて畏まる」ことがどういうことなのかよく分からないのだろう。
いわゆる「保守の政治家」の中にも天皇制についてとやかく言う人がいるが、多分天皇制というものを軽く見ているか、権威を傘に着ているだけに見える。自民党が野党時代の保守系雑誌(WILLなど)には、天皇家のヨメである雅子妃に対してどうどうと注文をつける人たちが大勢いた。多分、皇室への尊敬などないのだろうと思った。が、そういう人たちでも保守を名乗れるくらい寛容な国なのだ。身分制の社会ではそのようなことはあり得ないからだ。
日本人の中から「恐れて畏まる」という気分が実感としてなくなりつつあるということだろう。さらに年代が若くなるともう天皇という地位が何を示しているのかすら曖昧になりつつあるようで「平成が終わったら悲しい」くらいの感想しか持てなくなっているようだ。
こんななかで保守というのは、多分ソ連が崩壊したロシアで共産主義を懐かしむようなものになりつつあるのだろうと思われる。今の若い人がというより、戦後長い時間をかけて徐々に風化してきているようだ。10年後にはもっと形骸化が進むのではないだろうか。

日本語は母音の少ない言語なのか

よく「日本語は母音が少ない」と言われる。果たしてそれは本当なのだろうか。結論から言うと世界の560程度の言語のうち、母音の数が5〜6程度のものは287あるそうだ。つまり日本語の母音の数は平均的ということが言える。日本人が母音の数が少ないと感じるのは、日本人の考える外国語が英語だからだろう。英語には複雑な母音体系がある。






さて、世界でもっとも母音の数が少ない言語はいくつの母音を持っているのだろうか。ロシア南部のコーカサス地方にはコーカサス諸語と呼ばれる言語群がある。3つの語族があり40程度の言語が話されているという。トルコ語ともインドヨーロッパ語とも違う「言語島」が形成されている。

その中にアブハズ語という言語がある。グルジアの北西部に突き出した形で存在するがグルジア人とは別の民族だ。複雑な子音体系があるが、母音として意識されるのは2つだけなのだそうだ。広い母音と狭い母音だそうである。ただし、半母音のような形(つまり子音+母音として)他の母音も表れる。しかし、文字として母音認定されるのは2つだけだ。

韓国語には陽母音と陰母音の区別がある。こちらは文法上の役割を持っている。動詞の語幹に陽母音があれば続く語尾も陽母音になる。トルコ語には母音調和という現象がある。このように母音を2グループ(広い、狭い・前、後)に分けるということは世界各地で行われている。アブハズ語もいろいろな母音を調音できるのだが文字として意識されるのは2種類だけなのかもしれない。

母音が少ない言語の多くは3つである。琉球語には「あいう」の3つの音しかない。子音の数も日本語と同じ程度のはずなので、母音がないと音が足りないということはないようだ。代わりにグロッタルストップを使った母音とそうでない母音の対立のある方言があり、かならずしも日本人に発音が優しい言語というわけでもなさそうである。母音の複雑な言語はアフリカやヨーロッパに多く、人類が各地に進出する過程で母音の単純化が起った。オーストラリアやアメリカ大陸には母音の単純な言語がいくつもある。

面白いことにアフリカにもマダガスカルに母音が単純な言語があり、人類が遠くにゆくほど母音が単純化するというセオリーに外れているように見える。ところがマダガスカル語(マラガシー)は台湾あたりに起源を持つ太平洋系の言語である。つまり、いったんアフリカを離れた人類が長い歴史を経てまたアフリカ近海に戻ってきたのだ。

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ホフステード類型と民主主義

ホフステードの文化ディメンジョンをRでクラスター分析した。関数はkmeansを使い、クラスターを12に分類した。ホフステードは現在6要素を持っているのだが、今回は「長期的視点」と「耽溺」を除いた。どの要素を取るかによって結果は違ってくるだろう。
今回は「民主主義・権威主義社会」を分類しているので、まず権威と個人主義を軸にして2つに分けた。個人主義的な社会を民主主義社会とし、権力格差が大きく集団主義が大きい社会を権威主義社会と定義する。
権威主義社会はリスク回避傾向をもとに2つに分かれた。リスクを嫌う傾向がある社会とリスクを取る社会だ。インドとアフリカはリスク回避傾向が低い一方でアラブ社会やラテン社会(スペインおよびその影響を受けた中南米諸国)はリスク回避傾向が高い。ラテン社会でもコロンビアとメキシコは権力格差が非常に大きい権力社会だということが言える。
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一方で民主主義社会は競争的か共助的かで2つに分類できた。もう一つの指標はリスク回避傾向が高いかどうかだ。この二軸で4象限が作れる。フランス(およびベルギー)とフィンランドを1つにまとめることができる。違いは個人主義の度合いだ。指標を見ると、フランスは一般的に考えられているような「個人の自由」のある社会ではないのだ。
日本はイタリア、ドイツ、ハンガリーと同じグループに入るのだが、このチームは偏差が大きい。ある意味「その他」チームと言える。日本は集団主義だと言われることが多いのだが、中庸な国だ。それよりもリスク回避傾向が大きく、競争が激しい点に特徴がある。
民主主義という点で見ると「個人のがんばりを反映する」か「助け合いをよしとするか」という指標があり、新しい挑戦をよしとするか、それとも危険を回避したがるかという点があることになる。
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それじゃあ日本にはどんな民主主義が向いているのか

というわけで、日本の国柄とか民主主義とかを考えている。これまでいろいろ好き勝手に書いてきて、国の文化を他国と比べたら日本にふさわしい民主主義の形が見つかるのではないかと思った。そこでホフステードの最新版データをダウンロードしてきて、Rでクラスター解析してみた。クラスターの数は7つ。といっても難しいことは何もない。kmeansという関数をくぐらせるだけである。これが妥当な方式かどうかは分からないのだが、余興としては面白そうだ。
7つのグループを作ったのだが、スロバキアが単独でグループを形成したために6グループになった。指標は左から、1.権力格差が大きいか、2.個人主義かどうか、3.競争が激しいか、4.リスクを避けたがるかということになっている。
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第一のグループは権力格差が低い個人主義国だ。特徴は共助の精神が旺盛で居心地の良さを求めるという点。左派・リベラルの人が憧れる国が並んでいる。オランダもワークシェアリングと同一労働・同一賃金などで有名だ。北欧の人たちが「とりあえず思いついたことを試してみよう」と考えるのに比較して、オランダ人はやや慎重らしい。
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次の国々は個人主義ともいえないし権力格差もそこそこという国だった。割と慎重な人たちが多い。そして「居心地の良さを求めるかどうか」という点に関しては差が大きい。福祉にお金をかけそうな国が上位になるように並べた。こういう国は多党制民主主義があっているのではないかと思う。
日本はこのグループに入る。日本で民主主義がそこそこ根付いたのは偶然ではないということになる。日本は島国だが「大陸民主主義型」とした。イギリスが含まれていないからだ。このグループにはフランスが含まれるが、フランスは二大政党制だそうだ。なお12分類すると、このグループは解体し、日本はドイツやイタリアと同一の一群を形成する。フランスベルギーなどと独立したグループを形成した。
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次の国々は権力格差が大きく集団主義の国。リスク回避傾向にはばらつきがある。競争的かどうかという点では中位だ。アフリカ、中国、インド、ASEANのいくつかの国が含まれる。ホフステードはアフリカを東西にざっくり分けているので、サブサハラの国はすべてこの中に入った。どうラベリングしていいか分からなかったので「開発途上国」としたのだが、Developingの綴りを間違えた。インドは世界最大の民主主義国として知られている。
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意外とここに入る国が多かった。アラブ圏、ロシア、中南米の国、トルコが入る。この中で「まともな民主主義」国はウルグアイしかない。中南米はうまくやっていると思う。現在テロが蔓延している地域なのだが、意外なことに韓国、タイ、ポルトガルが含まれている。「民主主義が失敗して軍隊が介入しました」というのが時々ニュースになるが、すべてここに含まれているのだ。調べてみるとポルトガルも軍政を経験しているそうだ。
基本的にこういう国では民主主義は無理なんだろうなあと思う。特徴は権力格差が大きく集団性が高いところだ。リスクも避けたい傾向があるらしい。
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なぜか日本人が憧れてやまない国々。明治政府はドイツ型の憲法を導入したし、現在の政府はアメリカ製の憲法を押し付けられた。個人主義が強く上から押さえつけられるのを嫌がる傾向がある。北欧型との違いは、競争するのか共助で行くのかという点だろう。こういう国では個人が自己主張するのでコンペティションが成り立つのだろう。スイスが入っているのはおかしいと思う人がいるだろうが、ホフステードはスイスを2つにわけている。これは平均値を取ったもの。
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最後はどっち付かずの国々。ウラル民族のフィンランドとイランなどが入る。個人主義の度合いが低いことでここにまとまったようだ。イランを除いて権力格差が大きくない。
最後に色分けした。現在の世界は、中ロ(時々イスラム)・欧米が対立している構造を持っているのだが、この色分けでいうと、薄いブルーと緑・茶色、青、赤国家の対立ということが言えるだろう。
overview
ちなみに、クラスターを12に分離するとグルーピングが変わった。

  • バングラディシュと南米の一部(大コロンビア地域)
  • ドイツ・イタリア・日本(日独伊三国同盟)+ハンガリー
  • 北欧
  • 中国・インド・マレーシア・フィリピン
  • アフリカ・香港・インドネシア・ジャマイカ・シンガポール・ベトナム
  • アングロサクソン諸国
  • アラブ・アルゼンチン・ブラジル・イラン・スペイン・トルコ
  • ブルガリア・南米の一部(太平洋岸)・韓国・スロベニア・台湾・タイ
  • フランス・ベルギー・ポーランド
  • スロバキア
  • ギリシャ・ポルトガル・ルーマニア・セルビア・スリナム・ウルグアイ

日本人はなぜ合理的に考えられないのか、中東ではなぜ民主主義がなりたたないのか

よく「日本人は合理的に物事を考えられない」と言われる。それはなぜなのだろうか。






例えば、アメリカ人は次のように行動する。

  1. ゴールを決める。
  2. ゴールを立てる道筋(仮説)を立てる。
  3. ゴールを達成するためにはどのようなコストがかかり、どのような効果が得られるかを決める。
  4. ある点で行動を検証し、説明がつかないことが出てくれば仮説に戻る。

ところが日本人はそうは考えない。仮説に都合の悪いところが出てくると、解釈を変えてしまうのだ。では、なぜ解釈を変えるのか。それは、日本人がアメリカ人とは異なる点に基礎を置いているからだと考えられる。

  1. 所属する団体を決める。
  2. 所属する団体での立ち位置を決める。
  3. 所属する団体の立場が正しくなるような論理を選び、解釈する。
  4. 状況がおかしくなると、論理を変えるか、解釈を変える。

その意味では日本人は別の要素に基礎を置いているのであって、デタラメに動いているのではないことが分かる。よくアメリカ人は「日本人は意思決定が遅い」と嘆く(実際に英語ではそういう記事がいくらでもある)のだが、これは日本人が「新しい要素によって、所属集団と自分の立ち位置」が変動するのを恐れるからだ。そこで「自分が知っていて」かつ「成功することが分かっている」論理を採用したがる。新しい仮説の導入は日本人にとってリスクが高いのである。一方で、論理は所属を正当化する結論が大切なのであって、その成立過程というものにはそれほど関心が払われない。

日本人は「流れ着いたもの」を使うことには長けているが、合意しながら根本原理を作ることは苦手だといえる。例えば、日本人が憲法を一から作れないのはそこに原因がある。そもそも作れないし、解釈の余地がないものにたいして「リスク」を感じるのだ。そのため、重要になればなるほど判断を避ける傾向にある。

日本人は根本にある仮説を無視する傾向にある。このため、こうした一連の概念をあまり峻別しない。事実(ファクト)と理論・仮説(セオリー)

  • 情報(インフォメーション)とデータ
  • 危険性(リスク)とコスト

にも関わらず関係性に関する概念は発達していて、言語化しなくても正しく判断することができる。

これが分かるのは、他者と比較しているからである。もちろん、一人ひとりの日本人が「仮説ベース」の思考ができないわけではない。海外で勉強するような機会があれば、すんなりと受け入れることができる。ただ、集団になってしまうと、非論理的な意思決定に傾くことが多い。

日本人は非論理的だが、それでも民主主義を許容できないほどでもない。ところが民主主義が許容できない文化圏がある。それが中東地域である。このように書くと「中東を差別しているのではないか」という批判がありそうだ。民主主義が優れた制度だという仮定に立った批判だろう。

例えばサウジアラビアは権力格差が強い。日本人はアラブ圏ほど権力格差が大きくないので上から押さえつけられると反発してしまうのだが、サウジアラビアの人は「好きにやっていいよ」などと言われると不安に思うだろう。つまり、目上の人たちが明確に支持を与えてくれないと不安になってしまうということを意味する。一方で集団性が強く、人々は自分がどの部族のどの階層に属しているかということを明確に意識して暮らしている。さらにリスクを避ける傾向にある。

同じ傾向はイラクにもある。個人の意見をすりあわせて、仮説を立ててとりあえず前に進むということが日本人以上に難しいだろうことが予想される。同じイスラム圏でもトルコやイランのような非アラブ圏はここまでは極端ではない。

それではアラブ圏は未開なのかという議論が生まれるわけだが、アラブ圏は未開というわけではない。単に意思決定の方法が民主主義国家とは大きく異なっているということは言える。そこに無理矢理民主主義をインストールしようとして起ったのが、イラクの混乱だと考えられる。

アメリカは日本を占領するときにかなり研究を行ったようだ。そのため日本の国情を考慮し天皇制を廃止した完全な共和制国家にはしなかった。集団主義が根付いていることを知っていたのだろうと考えられる。

しかしながら、1990年代の日本人はあまり自分たちのことを理解していなかったのではないかと考えられる。小選挙区制は、仮説をもとにして勝ち負けを決めるという制度だ。そもそも文字で書いた約束事に解釈の余地がなくなるのを嫌うのだから、仮説そのものが曖昧になるのは当たり前の話だ。さらに、負けた人たちは意思決定に関われなくなるので、党派対立そのものが目的化してしまうのだろう。

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そりゃないよ鳥越さん……

鳥越俊太郎さんの「都政には興味がなかった」発言が周囲を戸惑わせている。演説では「それなりに勉強しますよ」と言っているらしい。これは「今は政策を提示しないが後でお知らせするから白紙委任してくれ」と言っているのと同じだ。だが、支持者たちはそれでも平気らしい。安倍首相が同じことを主張したら、ツイッター上で大騒ぎになるだろう。
ここから分かるのは、日本人は、契約や約束といったものをあまり信じないということだ。左派と右派という表面上の違いはあるものの、本質的には同じ人たちなのである。
そもそも、鳥越さんが出馬できたのは本人にこれといった政策がなかったからだろう。民進党都連は当初長島昭久氏擁立を画策して失敗した。共産党との連携に不安があったからだ。一方で宇都宮健児氏擁立も見送られた。こちらは社会主義的政策を嫌う民進党右派から避けられた。「野党連携」どころか民進党内でも意見をすりあわせることができない。残りの選択肢は「知名度があってこれといった政策も意欲もない人」ということになる。両者の主張を適当に混ぜ合わせて「政策」として提示できるからだ。その意味では原稿を読んでくれる鳥越候補はうってつけの人材なのだろう。
民主主義や選挙を「有権者と政治家の間の契約だ」とするとこの状況は全く説明ができない。つまり、異なった原理が働いていることになる。キリスト教やイスラム教は神との契約なのだが、日本の伝統では特に契約を結ぶ必要はないと考えられるのだ。好きなときに祟ったり、祟られたり、頼ったりするのが神様なのであって、特に契約を交わす必要はない。ある意味、日本のほうがおおらかである。
ツイッターで流れてきた文章などを読んでいると、選挙や政治活動に「契約」という概念が希薄だということは多くの知識人を悩ませてきたようだ。
どうやら個人主義ではない「集団主義」に基づいた行動原理があり、論理を嫌うという点までは到達しているようで、その後には様々な説があるらしい。ある人は「空気」を持ち出し、別の人は「ケガレ」という概念を使っている。
面白いことに知識人たちはこれを後進性の現れだと考えているらしい。西洋的な個人主義に基づいた論理的な解決策こそ先進的で正しく、日本人のように契約の概念を受け入れられない人たちは後進的で遅れているというマインドセットに陥りがちだ。「どうして、日本人はこうなのか」という問いの裏には「なぜ、日本人は西洋人のようになれないのか」という煩悶と焦りがあるようだ。
こうした劣等感の裏返しが、例えば「左翼は知識人のものだったのに、丸山以降劣化した」という言質に結びつく。自分たちは論理的な解決策が提示できるぞという前提があるのかもしれないが、選挙や議会運営を見る限り、そのような論理的な政治は見たことがない。論理はむしろ「みんな」を納得させるためにお題目として利用される。論理が破綻していてもあまり気にしないのだ。
民主主義というものはそれなりに学術的なバックグラウンドがあり、制度化も進んでいる。民主主義は非常に明示的に作られた体系だ。一方、集団主義的な意思決定には暗黙知的な部分が多く当事者の日本人でもどのように意思決定が行われるかということが分からない。しかし、それが後進的ということもない。集団の意思決定はかなり複雑なプロセスだ。
確かに後進的ということはないのだが、集団主義的な意思決定には明確な欠点がある。鳥越さんは「みんな」の言うことを聞くと言っている。だが、その「みんな」の中には自民党の人たちは入らないだろう。一方、自民党も熟議でやって行くと言っているのだが、共産党の人たちが何か言っても横を向いている。共産党は「みんな」には入っていないのだ。
集団主義的な問題解決はメンバーシップに疑念が生じると崩壊する危険が高いのだ。「不当に扱われた」と感じた人は猛烈な抵抗を見せる。「俺に話が通っていない」という人が抵抗勢力に変わるというのはよくある話だ。永田町まで行かなくても、職場や町内会にいくらでも存在する。自治会などは10年くらい同じことを言っている人たちがいる。だから組織を円滑に運営するためには、勝ち負けを作ってはいけないのである。
そう考えると、日本には二大政党制は似つかわしくなかった。二大政党制は二つの政策を見比べてどちらか「優れたほうを選ぶ」という選抜方式である。コンペに負けたからといって人格が否定されるというものではないのだが、日本人はこれに耐えられなかったのだろう。
自民党が非民主的な憲法草案を出し、報道機関に圧力を加える原因は、2009年の選挙で民進党に負けたからだ。「議論をして負ける」ことに自民党は耐えられなかった。
逆に現在「負けた側」である野党勢力は首都東京に集まり、都政の政策ではなく安倍首相批判で盛り上がっている。敵の存在は運動を盛り上げるが、東京都が抱えている問題は放置されたままである。
そのもとをたぐって行くと、日本人の意思決定プロセスを「後進的」と決めつけて、無理矢理アングロサクソン流の制度を導入してしまった1994年の小選挙区制度改革に行き着く。だが、制度を変えたからといって国民のマインドセットは変わらないのだ。

おせちと国体原理主義

小田嶋隆さんというエッセイストが「おせちには興味がない」と呟いていた。もともと上流階級のものだったのを「下々が真似している」にすぎないというのだ。
これを聞いて「でっち上げられた正解」を学ぶ事こそが、社会を健全に保つために重要なのではないかと思った。特に近年台頭する「国体原理主義」から身を守るためには、実践こそが重要だ。
確かに小田嶋さんのいう事は当たっている。「古来からの日本の伝統」とされているおせち料理だが、実際に今の形が成立したのは最近のことだ。いわゆる「おせち料理」を重箱に詰めて売ったのは戦後のデパートだと考えられている。おせち料理の源流には「食積(くいつみ)や蓬莱飾り」「行楽弁当」「ゴマメ(田作り)・黒豆・カズノコ」の3点セット(関西ではゴマメの代わりにたたきごぼうが入る)など複数の要素がある。
デパートが模倣している重箱は庶民階層が食べていた江戸時代あたりの行楽弁当などではないかと思われる。だから「上流階級のものを庶民が真似た」というのは、いささか単純すぎる分析かもしれない。また「庶民」といっても最初から庶民だった家ばかりではない。特に注目すべきなのが地方から都市に流れてきた階層だ。
都市に流入してきた人たちは、その街で新しい基盤を再構築する必要があった。特に重要だったのが、祭祀を再構築する(菩提寺を持つ)ことと、四季折々の行事を「正しく」行うことである。故に、旧来からの住人たちよりも意識的にその土地の風習を模倣したかもしれない。
ところが、戦後世代はこの正解を継承できなかった可能性がある。戦中戦後の混乱期に育った嫁が伝統を受け継げなかったからだ。作るべきおせち料理がないということは、その嫁が「良い家で育っていない」というスティグマになりかねない。そこで嫁世代は改めて「正しいおせち料理」を勉強する。
教材になるのはNHKの「今日の料理」などのテレビ番組だろう。テレビ番組で出てくる料理人には良識があり、古来からの風習などを紹介しているはずだ。ただし、その出自が伝統的な正月料理ではない可能性はある。もともとは町人相手の行楽料理などが前身になっている可能性は否定できない。また、地味な料理ばかり紹介していても「正月らしいめでたさ」が感じられないという理由で「派手な料理」が入っている可能性もあるだろう。
現在ではこれにインターネットが加わる。手作りのおせち料理をFacebookなどに写り込ませることで「良い嫁」アピールをする女性たちがいる。また、姑世代が作る手作りのおせち料理に密かな脅威を感じている人もいるのではないかと思う。決して言葉にはならないが「正解を巡る静かな戦争」が繰り広げられているのだ。
確かに、おせち料理は「デパートの商業主義」や「テレビのショー文化」が影響してできた「捏造された」伝統である可能性が高い。とはいえ、単なるデタラメとも言い切れない。その時々に「正解」を模索した人たち一人一人の積み重ねでもあるからだ。
おせち料理が日本の伝統であると主張する人は、一度家族の歴史を聞いてみると良いと思う。その歴史はしっかりした実体があるようで、どこか健忘症にかかったように曖昧だ。誰も知っている正解は祖先から受け継がれたものではないかもしれない。
ここ何年か、日本人に主権があるのはおかしい。主権を持っているのは日本の歴史そのものであると主張する国体原理主義者が跋扈している。彼らが主張する「美しい伝統」は明治維新後や戦後にでっち上げられたものであることが多いが、それをネットで検索することは難しい。表立って語られないからだ。
そこで、正月に家族が集った時に「我が家のおせちの歴史」をリサーチしてみるのもよいかもしれない。日本の歴史というものは、決して自明のものではなく、その時々の人たちが模索してきた「正解」の積み重ねであることが分かるのではないかと思う。
こうした一つ一つの出来事を掘り起こして共有することこそが「日本には国体という神様があり、一人一人の国民はその僕(しもべ)に過ぎない」という狂った考え方から私達を守ってくれるのではないかと思う。

蜩ノ記と無私の精神

テレビで『蜩ノ記』を見た。岡田准一の演技(というより所作というのか)が良かった。腰を落とした歩き方が「ああ、昔のひとはああいう歩き方をしていたんだろうなあ」という印象を与える。
この映画は役所広司(の演じる武士)の無私の精神を鑑賞する映画なのだろう。ただ、役所広司がなぜ切腹しなければならないのかなどという面倒な事を考えはじめると楽しめなくなる。そして、無私の精神がなぜこれほどまでにありがたがられるのかということに違和感を抱くと全く楽しめなくなる。
筋がほとんど分からなかったので、ウィキペディアを見ながら鑑賞するはめになった。多分、本を読んだ人が見る映画だから筋を詳しく説明しなかったのではないかと思う。日本は謙譲が美徳ということになっているので、主人公たちにべらべらと背景を説明させられなかったのかもしれない。本来なら岡田准一がワトソンのように語り手の役割を果たすべきなのだろうが、雰囲気はぶちこわしになっただろう。
ウィキペディア情報によると、あらましは次の通りだ。役所広司の指導で井草が地域の名産になった。しかし、後任者と藩の重役たちの悪政によって、井草は博多の商人が独占するようになり、農民は二重課税されるようになってしまった。当然、農民は困窮する。さらに郡奉行が「不作で米が取れなくなったら、博多の商人に田んぼを売れ」と無理難題を吹きかけ、恨みを買って殺されてしまうのだ。
役所広司が死ななければならないのは、この武士の体制と体面を守るためだ。体制を守りつつ歴史の中に「真実」を記述することにによって体面も守ろうとしたのである。だが、それを両立するためには10年間歴史書を書いてから死ななければならなかった。
確かに、武士の立場に立脚すると、これは美徳ということになるのかもしれない。しかし、生産と成長という観点から見ると見え方は異なる。この体制下では、せっかく振興した産業を潰しかねず、生産者も疲弊させてしまう。さらに、生産性を向上させようとした指導者は死ななければならなかった。残ったのは歴史書だけである。
「民が豊かになる」ことを正当化するためには、生産性が上がること(つまり、成長だ)が正義にならなければならない。生産性が上がることが正義になるためには、移動と競争があることが前提になる。生産性の低い土地から高い土地に移動ができれば、競争力の低い土地からは人がいなくなってしまい、統治失敗だ。だが、当然のことながら江戸時代の農民は移動ができない。生産性を上げても武士と商人に搾取されてしまうのだから、農民の間に生産性を上げるインセンティブは働かない。そもそも田畑の所有権すら失いかねない状況なのだ。武士にも生産性を上げるインセンティブはない。自分たちの社会さえ維持できれば、生産者がどうなっても構わないからである。
そもそも武士は生産者が何をやっているのかさっぱり分かっていない。ただ、利益が素通りするのは困ると考えているだけである。だから、儲けの総額よりも、自分のところにいくら入るかが重要になってしまうのだ。
生産性という点から見ると、武士は「寄宿階層」だ。生産にも寄与していないし、流通を通じて生産された財の価値を高める事もない。単に農民の労働力を搾取しているだけである。彼らの関心事は家の体面だが、これも実利というよりは、血筋の善し悪しと権力争いに過ぎない。
故にこのストーリーをまとめると次のようになる。生産に寄与しない寄宿階層の中間管理職が社内抗争に巻き込まれて社史に真実を残すのと引き換えに自殺に追い込まれてしまう話である。
この話を突き詰めて行くと、武士とは何なのかという話になる。自ら食べるものを生産できない武士が「自分の欲求」を見たそうと思えば相手から搾取するしかないが、生産者である庶民階層から見ると矛盾が生じる。自分たちが「搾取されるだけの階層だ」ということが明らかになってしまうからだ。
そこで「武士は理想的には無私の存在であるべきなのだ」という前提を置くことでこの矛盾を解消しなければならなくなる。言葉で「私は無私ですよ」といっても信頼できないので、死んで見せなければならない。すると「ああ、あの人は自分の命を惜しまずに、みんなのために尽くしたのだ」ということになるのだ。
結局のところ役所広司は隠蔽するために死んでいったことになる。こういう話をありがたがる人が多いのは、日本人の多くが搾取されることを受け入れており、無私というほとんどあり得ない前提を置かなければ平常心を維持できないからなのではないかと思う。武士の立場に立つと、問題解決能力を失った(あるいは始めからない)組織を存続させるためには、死ななければならなかったということだ。そういう犠牲を払った人も多いのだろう。

日本人は伝統的に夫婦同姓だったのか

名前についてはいろいろな議論がある。妻が夫の姓を名乗るべきかという問題を熱心に議論する人もいるし、ネットで本名を使うとプライバシーが暴かれるのではないかと怖れる人たちもいる。これに対して、自称「愛国主義者」達は、日本人は嫁いだら夫の名前を名乗るのが当たり前なのだと「日本の伝統」を持ち出す。
少し調べてみれば分かる事だが、日本人の貴族・武士階級はそもそも複数の氏名を持っていた。例えば徳川家康は、都合によって源家康や藤原家康を使い分けていたそうだ。苗字(屋号)、姓(出自)、氏(位)はもともと違う概念であり、家康のフルネームは「徳川次郎三郎源朝臣家康」だったという。今のような氏名という概念はなかった。
さらに、漢詩や俳句などをたしなむ時には、別の名前を「号」として持っていた。本名を使うのは大げさだと考えられていたのだろう。今で言うところのラジオネームやハンドルネームだ。本名を避けるのは、名前によってその人を霊的に支配できるという畏れがあったからだということになっている。特に目上の人の名前を呼んだり、字を使うことは避けなければならなかった。今でも天皇の名前を呼んだりすることは失礼だとされており、生きている間は今上(きんじょう)と呼称され、亡くなると昭和のように元号名で呼ばれる。年配者の中には「仁」という字を庶民が使ってはいけないという人がいる。
庶民の氏名に至ってはさらに複雑だったようだ。苗字を持っている家はあったようだが、江戸時代には公式に名乗ることは禁止された。お寺の過去帳にのみ記録された家もあっただろうし、そのうちに自分の家の苗字を忘れてしまったという家もあったかもしれない。
女性の氏名も複雑だ。名前を使うと支配される怖れがある。そこで表立って本名を名乗ることはなかった。だから、清少納言や紫式部のように有名な文芸作品を残した人物であっても名前が残っていないという人がいる。
豊臣秀吉の正室は「おね」とか「ねね」が本名だと考えられているのだが、本当のところはよく分からないらしい。朝廷で位が与えられたときには、豊臣吉子と記載されていたそうだが、秀吉の一字を貰った名前だったようだ。このように場面によって名前が使い分けられた。北条政子の姓も実家のもので、政の字は父親から取られたものだという。朝廷から位を授けられる前の名前は不明なのだそうだ。そもそも、側室は夫の姓を名乗らないのだから、女性は「姓を持たない」と言っても過言ではない。
それでも「妻は夫の名前を名乗るべきだ」とがんばる人がいるかもしれない。Wikipediaには明治9年(1876年)に「妻は実家の姓を名乗るべきだ」という通達が出されたという記載がある。これが改められたのは明治31年(1898年)なのだそうだ。一方で、妻が夫の姓を名乗らないのは武士の特徴であって、庶民は夫婦同性だったと主張する人もいる。武家は男子の血族が家を構成すると考えていたのだが、庶民の家は夫婦共産だったからだという説明が当てられるようである。つまり、家と財産が密接に結びついていたのだ。
日本人はもともと本名を名乗らず、それぞれ都合により氏名を使い分けていたということになる。また、夫婦を同性にするか別姓にするかについての決まりは定かではないということになる。
よく「日本のインターネットは匿名文化だ」と言われることがあるが、これは意外と日本人の伝統的な価値観に沿っているのかもしれない。実名が「晒される」ことを怖れている人たちは「霊的に支配されること」に怯えているのだろう。で、あれば「通名」を名乗る事が、日本の伝統的な姿なのではないかと思えてくる。これからはハンドルネームとは呼ばずに「号」とでも言えばいいのではないだろうか。
これを展開して考えると、夫婦の姓は「同性と別姓のどちらも許容する」というのが「伝統的な姿だ」と考えることができるだろう。
「夫婦で新しい財産を創出するのだ」と考えるならば、伝統的な家の名前の他に登録名として夫婦両姓を併記すべきだという考え方もあるだろう。例えば鈴木さんと田中さんが結婚したら、鈴木・田中さんになるという具合だ。
そもそも、マイナンバーができたのだから、戸籍名にことさらこだわる必要は(少なくとも事務的には)なくなった。で、あれば「本名はマイナンバー」として、社会生活ではそれぞれ好きな名前を名乗ればよいのではないかという気もする。マイナンバーを知られると霊的に支配されると考える人も出てくるかもしれない。
狂った提案のように聞こえるかもしれないが、そもそも現在の「混乱」は明治政府が国民管理の都合上、複数合った名前のうち一つしか使ってはいけませんよ、と言ったところから発生している。比較的に新しい問題なのだ。それでも「家の統一感がなくなる」と危惧するのであれば「世帯番号+個人番号」ということにすれば問題は解決するだろう。

おせち料理の歴史的変化

ファッションにおける権威と民主主義について考えているうちに、 このプロセスが巡りしたらどうなるのだろうかということが知りたくなった。ファッションを見ていてもよい事例が浮かばないので、考えついたのが「おせち料理」である。
お正月は日本の伝統を感じさせてくれる数少ない機会だ。その伝統がどこから来ているかは分からないが、なんとなく朝廷料理から来ているような印象がある。つまり朝廷料理を基本とした「本物のおせち料理」というものがあるはずで、そこから逸脱した「偽物」もありそうだ。
冷泉家のお正月料理について記した本には次のような記述がある。それによると、ごまめ、カズノコ、タタキゴボウ、黒豆、くわいなどがお膳に載っている。また、塩鯛が1人に1匹付く。さらに、四重の重箱があるが、煮しめ以外には決まり事がない。つまり、おせち料理にとってお重はあまり重要ではないらしい。
聞き書・ふるさとの家庭料理〈20〉日本の正月料理この正月料理を考察している。全国調査によると、うどん・スシ・小皿料理などで、年始客をもてなす地方も多いらしい。重箱(これをお重詰めという)を使うのは名古屋と近畿圏が中心だ。「祝い箸」といって正月の間だけ箸を新しくするのは、京都と大阪でしか観測されない。さらに箸袋に名前を書くのは大阪だけだ。
この本の考察によると、正月料理には、年末の年取り膳、飾りの組重、正月のお膳、雑煮がある。このうち、関東で「おせち」と呼ばれていたのは、組重ではなく正月のお膳だ。今、私達が「おせち料理」と呼んでいる三段や四段のお重のことを、関西では昭和三十年代頃まではお重詰めと言っていたのだそうだ。
現在でも天皇家には正月に来客があり「お膳」が振る舞われる。しかし、その内容は質素なようである。そもそも普段の食事から質素なようで皇室の食卓によると、食べている魚も大衆魚だ。
今見られる豪華なおせち料理は「宮廷の儀式料理がルーツになっている」と主張する人たちも多い。これは、実際に口にする料理(お膳)と神様にお供えする飾り物(食積/重詰め)が混同されているからである。関西では三が日は鯛を食べずに重箱に詰めておく「睨み鯛」という習慣が残っている。この重詰めが、江戸や大坂の料理屋で洗練されて江戸時代には原型になるようなものが完成したとされる。つまり、現在のおせち料理の直系の先祖は料理屋の料理なのである。「皇室が権威だ」と考えるのであれば、豪華な料理は神様にお供えし、自分たちが食べるものは質素なものにしなければならない
では、今のような重箱詰めの「おせち料理」が完成したのはいつなのだろうか。関西でお重詰めが「おせち」と呼ばれるようになった昭和30年代から40年代頃なのだろうか。昭和50年に発行された土井勝の四季の献立 – おもてなしから毎日の献立まで (1977年)に出てくるおせち料理は、重箱料理ではなく大皿料理だ。土井勝はNHKの「今日の料理」に初期から関わっており、NHKが重箱詰めの料理を「おせち料理」として広めたという説も成り立ちそうにない。
となると、残るのはデパートだ。戦後核家族化が進み、テレビで「伝統料理」を学ぶようになり、徐々に本来あった正月料理が忘れられて行く。そして残ったのが、江戸時代の料理屋が枠組みを作り、デパートが継承した「おせち料理」だったというわけである。
100x100今でもおせち料理の本を読むと「おせち料理には決まりはない」と書いてあるものが多い。伝統を重視した場合「おせち」とすら言わず、「正月料理」と書いてある。にもかかわらず、再構成された伝統を見ている私達は、なんとなく正解のようなものを持っていて「中華風のおせち」とかお膳に盛られた「新作おせち」のようなものを見て眉をしかめたりするのである。