暗い夜の海を行く

このブログの人気のあるエントリーに「中年の危機」がある。Googleで上位に上がっていることもあるのだろうが、エセンシャル・ユング―ユングが語るユング心理学をアフィリエイト経由で買って行く人もいる。今回は、この「中年の危機」について考えたい。
「中年の危機」という言葉にはネガティブな含みがある。そもそも「中年」はもう若くないということだし、スーツを着て定年までの日々を数えるサラリーマンといったイメージがある。理想の40代といえば、いつも若々しく、シゴトはできるのだが、失敗も怖れないというイメージだ。一般的には、中年を迎えずにいつまでも若々しくいることができる人が成功した人だと考えられている。
近年自殺が増えている。Chikirinの日記「自殺に見る男女格差」によると近年増えた自殺のほとんどは男性のものなのだそうだ。そして自殺原因のほとんどは「経済・勤務」の問題である。健康問題も自殺の大きな原因なのだが、病気をしてしまうと経済的にも行き詰まるのだから、日本は男性がお金の問題で周囲に助けを求めずに死んでしまう社会だといえるだろう。
一般的に、勤務先や仕事はその人のよりどころ(つまりアイデンティティ)になっていて、周囲に助けを求めることは女々しいことだと考えられている。リストラされる、あるいは経営していた会社を失うということは、拠り所を失ってしまうということだ。
ここで、これが果たして挫折なのかという疑問が湧く。規範は変わって行くものだし、変えて行くこともできる。
たとえば、大昔には殺人は「悪」ではなかった。殺さなければ殺されてしまう可能性があったからだ。また、奴隷制も悪ではない時代があった。女性に参政権がないのも当たり前のことだった。社会に合わなくなったということは、その人が失敗してしまったということにはならない。しかし黒人系の南アフリカ人がパスを持たないと逮捕されてしまう時代には、パスを燃やす事は「社会への反逆者」になることを意味した。20年以上も刑務所に入れられても文句が言えないほどの重罪だったのだ。
エッセンシャル・ユングによると、ユングは社会的な目標は人格の縮小という犠牲を払うことのみによって達成されるといっている。ユングは「その人らしくあること」と「社会に適合してゆくこと」はお互いに相容れないと考えている。社会的な目標(たとえば、会社の社長として尊敬されたい)がその人を一生満足させる目標足り得るかどうかは分からない。
当時の臨床経験からユングが大切だと考えたのが40歳くらいの年齢だ。日本ではちょうど厄年にあたる。うまく成熟が進むと、このあたりの年齢で違和感を感じ始める。そしてその違和感を無視したまま50歳を迎えると、さまざまな支障を来す事がある。エッセンシャルユングには、それまで熱心に教会活動を行っていた人が、ある日「自分のやっている事は、本当に下らないどうでもいいようなことだった」と考え、無気力に落ちいるという例がでてくる。それまで彼を支えていた正義が音を立てて崩れてしまうのだ。
この経験を「失敗」と捉えるのか、それとも「成長」と捉えるかで見えてくる風景はだいぶん違ってくる。22歳くらいで働き始めるとして、20年も働いてくれば社会がどいうい仕組みで動いているのかということが分かるようになる。若い時がピークで、あとは衰えて行くのだと考えると、残りの人生では勝ち得たものをできるだけ失わないように生きて行こうと考えることになるだろう。若いときに得たような好条件はもう二度と現れないからだ。
一方、人間はその後も成長してゆくのだと考えると、社会の仕組みが自分に合わなくなるということもあり得ないことではない。前者では人間を消耗品として扱っている。若くて消耗が少ないことがよいことだ。一方後者では経験は蓄積である。この違いがつもると「新しい経験」に対する態度の差となって現れる。前者は新しい経験に対して抑圧的で、後者は変化を促進する。
リストラで職を失ったり、病気で退職を余儀なくされた人が、家や病院に取り残される。するとアイデンティティを喪失し「自分が何者か」が分からなくなる。これは大変なストレスだ。経済的な見通しが経たなくなり、人によっては家族も失う。
一方、留まる人たちも「明日は我が身」として脱落した人を意識する。ある種、彼らとは鏡の関係にある。この人たちも「成功の中に引きこもらざるを得なくなる」わけである。こうした人たちは不得意なことはやらないだろうし、変わることは難しい。
加えて成功者には別の試練もある。「私はうまく立ち回ったから、成功することができた」と考えると、何が正しい事なのか分からなくなってしまう。組織によっては正常な判断力を失い自壊してしまったりする。ある種の傲慢さだが、他人を追い落とすから悪なのではなく、自らを滅ぼしてしまうから悪なのだといえる。
中年の危機は、成長から来る産まれ直しだ。人間はまず0歳で「産まれる」。そのあと、親、学校、社会の価値観を刷り込まれつつ20歳くらいで独立し、社会に産まれる。40歳の誕生はだれも「産んではくれない」という意味でそれまでとは異なっている。一人で価値観を選び、自分で自分自身を産むという体験をしなければならない。このことが孤独を生む。しかし、この産まれ直しの経験をすることで、社会規範と自分が合わなくなったときに、どう変化して行けばいいかということを経験できる。これ故、中年の危機は「夜の航海」に例えられる。
(2012.11.26:リライト)

甘えと日本人

アメリカ人がうんざりする日本人の特性といえば「日本人特殊論」だ。この二つの国には共通点がある。どちらもシングルカルチャーだと言う点だ。アメリカ人は自分たちが世界から集って来た多様な民族により構成された多文化社会だと信じているのだが、英語が暗黙の共通言語になっていて、かなり強烈な個人主義を「アメリカらしさ」だとして信奉している。一方、日本人も日本語が暗黙の共通言語になっていて、日本教といってもよいような独特な社会慣習のセットを持っている。

アメリカ人が嫌いな日本人のヒトコトに「我々の文化は独特だから…」というユニーク・ジャパンという概念がある。アメリカ人は「我々の文化は世界各国の移民からよりすぐられたものだ」と信じているので、日本人は独特であなたたちには理解できないのだということを認められないわけだ。しかし日本語でしか表現できない概念もある。やはり雰囲気は伝えにくいのだ。何でも話して説明しなければならないというのはかなりしんどい。気分を察してほしいと思う。しかしアメリカ人には伝わらないことが多い。それでは伝わらないのは一体何なのだろうか。

土居健郎は英語で論文を書いていて「甘え」というコトバにぴったりくる日本語がないことに気がついた。英和辞書を見ると「子どもっぽく振る舞う」とか「依存する」と書いてあるのだが、英語ではかなりネガティブな含みのあるコトバだ。日本では必ずしもネガティブな意味では使われない。それどころか、上司が部下に対して「もうすこし甘えてくれてもいいのだよ」と言ったりする。さて、この甘えるというのはどういうことなのだろうか。

土居や斉藤が指摘するように、甘えているときに、子どもが「僕はいま甘えているのだな」ということはない。甘えは無意識に行なわれる行為だ。甘えている状態とは、気兼ねなく相手に受け入れられていると考えられることだと思われる。これに対する大人のコトバは必ずしも明確に定義されていないのだが、「気を配る」だろう。気とは何かということを考えてみると、「注意や意識を向けている」「非言語を読み取ってほ何が求められているか拝察する」という事だ。これは昨日見たアクティブリスニングに似ている。アクティブリスニングと違う点は言語が介在するかどうかだろう。斉藤孝は身体性にこだわる学者なので、この総合の関係が持っている「非言語性」に注目する。甘えが存在する関係では「話さなくても分かる」のである。

いったんこうした関係が成立すると、その内に「甘える人」と「甘えられる人」の被我がなくなる。気分の「気」は様々な意味に使われる。気を配るとは「注意を向ける」ということだから、気は自意識を表現していると言ってよい。しかし雰囲気や空気といった気はその場に漂う意識のことであり、それは必ずしも私の気とは限らない。このコトバを無理なく受け入れられるのは私たちが自分の意識と相手の意識、さらにはそこにいる人たち全体の意識を区別していないからだろう。

ともかく、許容されることが種になって、相手を許容するようになる。こうして話さなくても分かる文化ができ上がる。しかしこうした文化ができ上がるためには、時間をかけて子どもを甘えさせてやる必要がある。悪い事をしても叱らないで配慮する、危ないものがあったらよけてやるといった具合だ。この間子どもはこれを意識しない。しかし、この後「アダルトチルドレン」で取り上げようと思うのだが、甘えにも健全な甘えと不健全な甘えがある。また、家庭の中では甘えられているのに、外では甘えられないということになると、重大な問題が起こる。それが「引きこもり」だ。

甘えは非言語に依存している。話さなくても分かってくれるのは、相手が常に自分に注意を払って非言語的なシグナルを読み取ってくれているからであり、相手と自分の文化が共通していて「だいたいの場合類推が当たる」からだ。つまり、忙しすぎて相手が自分に注意を払ってくれなくなったり、共通性がなくなりお互いが類推できなくなると甘えの関係は崩壊してしまうのだ。
一つには共働きが増えて、子どもが十分に甘えられる環境がなくなってきていることが問題になっている。また終身雇用が崩壊して親の側の見通しが立たなくなると、相手に十分に注意を払うことが難しくなる。そして十分に甘えられなくなった子どもは20年も立つと親の側に立つようになる。すると甘えのない状態が再生産される。どう甘えていいか分からないのだから、どう甘えさせてよいのかが分からないのだ。

次に挙げられるのは、情報が過剰に流れてくることに関連している。青少年期には盛んに情報を吸収して、その後の精神的な姿勢を決める。

喫茶店や居酒屋の会話は形骸化した甘えの発露の場だ。全員に共通しているのは「聞き手にはなりたくない」という気分だろう。誰も聞いてくれないから勝手にしゃべっている。しかしその場では何を言っても許される。無制限に受け入れられているという点では甘えの場なのだし、それが至る所で観測されるのは我々が「甘え」を求めているからだ。日本でTwitterが否定的に捉えられるのは、誰も本当には聞いていないからだ。形骸化された甘えの場がオンラインに拡張されているからだということになる。

このように「甘えさせてくれる人」が貴重なリソースになると「甘え」の奪い合いが起こる。一人ではやって行けないわけだから、自意識を慰めるためのさまざまな手段を準備する必要がでてくるわけだ。こうした一連の行為がすべて「非言語」で行なわれる。相手にも説明できないということだが、自分にも説明できないということになる。だから、こういう状態では、我々がどうしてこうなったのかということがよく分からない。

この状態が不快なのだと考えるようになったとき、解決策は2つある。一つは社会を「甘え」がふんだんにあった時代に戻す事。本来は父親が家にいて子どもの面倒を見てもよいわけだが、たいていは母親が家にいる。また、定年(これは子どもを育ててからしばらく余裕のある十分な甘えの時間を提供する)までの見通しが明確に立っている。地域が一体になって子どもを見守る。家族は他人(近所のおじいさんやおばあさん)の干渉を受け入れるという社会だ。そしてもう一つは言語が介在しない甘えの関係を乗り越えて、言語的に分かり合う社会を作る事だろう。そのためには「私」と「あなた」が明確に分離された社会を作ることになる。普通の日本人の感覚では、これはとても「水臭い」関係だ。

甘えとは相互依存関係を構築するということだ。子ども時代と違って部下は上司に意識的に甘える。それは同時に相手の影響力を受け入れるということになる。しかしそれはやがて双方向的な依存関係に発展する。上司は時々部下を居酒屋に誘い「無礼講」と言って部下に愚痴をこぼして甘えたりする。ここで部下が甘えないと、上司も部下に甘えることができない。見方によっては部下は「甘えてやっている」のだ。
ここまで書いて来て、こうした相互依存的な関係は30代より下の日本人の間にはなくなって来ているのではないかと思った。少なくとも派遣社員と正社員というように会社に対する態度が異なる人間関係では成立しにくい。この関係はどこか疑似家族的で、両者が日本的な「甘え」を体得していることを前提にしているのだろう。

さて、ここまでは「相手と自分の問題」を分離する個人主義的な解決方法と、相互依存的な環境を作って非言語的に折り合いを付けて行こうというアプローチを見た。相互依存的な関係は、機能しているときには非常に心易い関係なのだが、ともすると不健康なものに転移しやすい。悪い相互依存「共依存」について見て行く。何が共依存を作るのだろうか。

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ウィリアム・ジェームズ – 死にたくなったら読む本

ウィリアム・ジェイムズ入門―賢く生きる哲学という入門書を読んだ。この本を読むまで「ウィリアム・ジェイムズ」という哲学者を知らなかった。そのあと、ウイリアム・ジェイムズ本人が書いた本も読んでみたのだが、それほどピンとこなかった。にも関わらず、あえてご紹介しようと思う。
とりあえず、まだ死にたい程でもないなあという方は天才はいかにうつをてなづけたかがお薦めだ。うつは外面と内面を統合する機会であるという主張だ。ストーはこれを創造のモチベーションのひとつだと考えている。
さて、ウィリアム・ジェイムズに話を戻す。彼のポイントは簡単だ。考えるのをやめて、実感に任せるということだ。ポイントは簡単なのだが、これを実現するのはなかなか難しい。
ウィリアム・ジェームズは1842年生まれ。家族の期待に応えるべく医学を学び、めでたくM.D.の学位を取得して医者になった。彼はその過程で「魂の病」にかかる。どうやら医者になりたかったわけではなかったわけだ。さまざまな身体症状が出た後、神経衰弱になり、鬱を経て、最後に自殺を図った。この経験のあと、医者になるのをやめてハーバードで心理学を教えながら、最終的に哲学者として知られるようになった。
ウィリアム・ジェームズ入門は、ウィリアム・ジェイムズは「復活」をテーマにしているのだという。これは、伝統的なライフスタイルが壊れた後の文化的な混乱の最中で、人々が陥っている、無気力、消極性、自己破壊的なシステムを克服することを目指すと説明される。これが今回、この本をご紹介する理由だ。私たちの社会も今同じような状況に置かれていると考えるからだ。
もちろん、哲学者にお説教されたからといって「消極性」や「自己破壊」が克服できるわけではない。最近よく聞く「日本を成長させるために、みんなが起業家にならなければならない」とか「就職して社会的に望ましいステータスを得る事ができないのは、個人が怠けているからで、これは自己責任だ」という、奇妙な集団主義的個人主義が蔓延している。こうした近視眼に陥った人たちに、欠けているものが、ウィリアム・ジェイムズを読むことで見えてくるように思える。
ウィリアム・ジェームズがよりどころにしているのは実感だ。人生の意義のようなものを観念で証明しようとすると、内的な破綻を来たすと断言する。つまり考えても無駄だったということだ。しかし、そんな中で彼は「それでもわきあがってくる実感」を感じたのだという。
考え抜いて、何もかも期待が消え去ってしまった。それでも、人間はわき上がった実感の喜びを経験することがある。そこで、はじめてその存在が当たり前のものではないということを知ったわけだ。考えてみても無駄で、考えるのをやめた時に何かが見つかった。それはそこにあるのだから「それを信じることを決めよう」というところに自由意志の入り込む余地があると考えているようだ。
仏陀のストーリーの中にも同じような記述がある。あらゆる修行をこなしたものの心理は見えてこない。そこで差し出された粥のおいしさに目覚め、そこから修行を再開することで悟りに至ったのだった。
悩むほど考え抜くことが「ムダ」だったのか、という疑問も湧く。考え抜いたからこそ実感が大切という洞察を得たのかもしれないし、そもそも考えすぎない方がラクに生きられるよということなのかもしれない。悩みの中に答えはないのだが、その体験そのものはムダにはならないかもしれない。
さて、日本語版のwikipediaでウィリアム・ジェームズについての記述を見ると、日本の哲学者や夏目漱石などの文学者に影響を与えたという点に主眼が置かれている。また言葉が力強いので「起業」「モチベーション」「人生の成功」と結びつけた名言として語られることも多いようだ。つまり積極性を得るための言葉として利用されているわけだ。
しかし、ネズミ車のような環境で日々のノルマに疲れ果てているサラリーマン、自己実現ができないと悩んでいる女性総合職のような人たちが、ウィリアム・ジェイムズがどうしてこのような考えに至ったのかという経緯を抜きにして、結果だけ聞かされると「とりあえずがんばれ」のようなメッセージになってしまうのではないかと思う。これは、もうエネルギーが切れかけて睡眠もとらなくてはならないのに、カフェインの力だけで走らせるようなものだろう。生きる実感は頭で理解できるようなものではないのである。加えて、積極性は強制できるようなものではないだろう。
つまるところ、積極性や生の喜びというものは「努力をしなければ手に入らない」というものでもないというのがこの考え方のポイントだと思う。時には、逆に全てを手放したり、自分の内面を探ることによって得られる場合もあるということだ。
全てを自分でコントロールしようとするネズミ車から抜けてはじめて「自分が喜びを実感できるのは何か」ということを考えることができる。しかし、経済が縮んでゆく中でこうした決意をするのは大変な勇気がいる。今まで「誰に受け入れられるのか」ということだけを考えて生きてきたわけだから(コンカツ、シュウカツの活は「受け入れられるように動く」ということだろう)生まれてはじめて考える「自分が何をしたいか」かもしれないのだ。
ウィリアム・ジェイムズの本そのものはあまり面白くなかった。いったん脱却してしまうと、当たり前に思えてくるからだと思う。ウィリアム・ジェイムズのやり方は、同じような内的な葛藤を味わい、実感を心理学に昇華したユングに似ているように思える。この時代の実感だったのかもしれない。ニーチェは1844年の生まれだが、この人は考えすぎた末に悲劇的な死を迎えている。ユングはそれを体系化してユング派心理学の基礎を作るのに成功した。一方、ジェイムズは体系化を望みながら実現しなかったのだそうだ。
ユングとジェイムズに共通するのは「スピリチュアリズムへの傾倒」だ。ジェイムズの場合「全てを投げ出しても、生きる喜びは実感できる」ということを「神の恵み」と同一視している。日本人は幼少期に宗教体験を持っている人が少ない。だから、この種の体験に忌避反応を持つか、逆に埋没することがある。こうした事情も我々がなかなか「考えすぎる」ことから抜け出せない理由になっているのかもしれない。

ボウタイと日本が忘れてしまったもの

グロービスの堀さんが、日本は「ものづくり神話」を捨てて「経営力」を磨けと主張している。いっけんまともな意見に見えるが、僕はこれには反対だ。「ものづくり神話」を闇雲に否定しても、経営力は磨けないだろうと思う。そもそも、ものづくりのどのあたりが神話だったのか、日本の経営者や現場の人たちは言語化して説明できるだろうか?
さて、15年程まえにアメリカでボウタイを買った。しかし、それを使うことはついになかった。理由は簡単でボウタイの結び方が分からないからだ。今年になって、ありものを組み合わせて着るというテーマのブログをはじめたので、ボウタイの結び方を練習することにした。いろいろサイトを調べてみた。ダイヤグラムを見ても、ビデオを見ても最後の部分がよく分からない。ビデオを観察すると、うらでこちょこちょっと何かをしているようなのである。結局、ダンヒルのサイトで見つけた「ボウタイは誰にでも結べます。靴ひもと同じやり方だからです」というのがヒントになって謎は氷解した。ボウタイは単なる蝶結びなのだ。ふとももに巻いてやったらすんなりとできた。どうやら右手の中指がフックになっているらしい。しかし首に巻いてもできない。鏡を凝視すること5分。で、疲れ果ててテレビをみながらやったら、すんなりとできてしまった。「あれ、どうやったの?」僕は未だにボウタイの結び方を説明することができない。でも、ボウタイは結べる。体が先に覚えてしまっていたのだ。
これについて後日考えてみた。つまり、できるけどどうやってできるかが分からないということが世の中には存在するのだということだ。一応出来ているのだから問題ないじゃないかと思った。本当に問題がないのか。これを考えるヒントは「ナレッジマネジメント」の中にある。
知識経営のすすめ―ナレッジマネジメントとその時代 (ちくま新書)でなくてもいいのだが、野中郁次郎さんの話を読むと、暗黙知という概念が出てくる。これは言葉にあらわせない知識全般をさす。これが学問の一領域として認知されたのは、日本の製造業がその頃アメリカを脅かしていたからだ。「どうにかして日本に学びたい」とアメリカ人は必死でその神秘を探ろうとした。それが暗黙知だった。日本人は逆に暗黙知を形式化する必要があるとも指摘された。
説明ができなくても困ることはない。これが問題になるのは、それを学ばせる必要が出て来たときだ。師匠に当たる人は説明できないので「馬鹿野郎、技術は盗んで覚えるもんだ」という。弟子も一生そのシゴトをやってゆくしかないわけだから、下仕事をしながら必死で師匠を盗もうとするわけである。15年経ったある日、師匠は弟子にそのシゴトをやらせてみる。するとだいたいのことは分かっているので、あとは簡単な手ほどきだけで知識の伝達が終わるのである。これが暗黙知の教え方なのだ。
これができなくなるのはどのような時だろうか。考えてみるまでもない。ここ20年くらいで日本に起こったことを想起してみればいい。

  • 熟練労働者が派遣労働者に切り替わる。盗もうとしている間に、労働者が入れ替わってしまう。盗ませる側もいつのまにか引退する。
  • IT化が進み、見ても盗めなくなる。(笑い話みたいだが、これは結構大きいと思いますよ)
  • 技術の入れ替わりが激しくなり、一生をかけて一つのシゴトをするということができなくなる。

トヨタの場合には、もう一つ問題があったようだ。それは急な成長にともなって現地の会社にこうした暗黙の前提が伝わらなかった、もしくは最初から理解されていなかったのではないかということだ。日本人にとって当たり前のことが、外国でも当たり前とはいえない。日本人が暗黙知として理解していたものを、形式化して覚え込んでいただけなのかもしれない。こうしたことは、これから先、各地のビジネススクールで研究されるようになるだろう。新しいケーススタディの誕生である。
さて、日本人はマクドナルドやディズニーランド型のマニュアル運営をとても嫌う。職人シゴトが一生ものなのに対して、マニュアルを見ればできるアルバイトシゴトは「腰掛け」だからだ。確かにマニュアル化すると細かいニュアンスが失われる。最初のボウタイの例に戻ると、素材や襟の形にあわせて微妙な結び目を作る技はマニュアルには載せられない。日本には誰にでもできるようにすることを蔑視する土壌がある。もともと終身雇用で長く勤めている人がエライのは、それだけ暗黙知をたくさん蓄積しているか、シゴト上のネットワークをたくさん持っているからである。
しかし、経営者がこうした職人芸に頼るようになると何が起こるだろうか。1990年代、バブル景気のころ「工場のヒト」が優れた製品をつくるのは当たり前のことで、そんなことはスキルだとさえ見なされなかった。「本社のヒト」は、だからこそリストラのようなことができたわけだ。コアの人材さえ残しておけばスキルは残るだろうと思ったのかもしれないし、もともと何が起こるかということを考える余裕すらなかったのかもしれない。
グロービス堀義人さんのブログにもどる。経営学には「製造業=擦り合わせ」という暗黙の了解があるようで、まずこれが物事の理解をややこしくしていると思う。しかし、一方で製造業の現場が、モノ作り=品質だと考えているのが問題であることも確かだ。またボウタイの例に戻るが、暗黙知に基づいた経営での強みは「ごちゃごちゃいわなくても、一定の品質を持ったものが、すらすら作れる」つまりスピードだからである。からなずしも高品質がウリではないのだ。
堀さんは経営力を「経営力」とは、何か。それは、必要な改革を行い、「戦略」を描き、「実行」する力だと考えるとわかりやすいと定義している。しかしここには一つ大きな問題がある。それは現時点が問題だというためには、私たちの強みがかつて何であって、何が変わったのかという分析が欠かせないのだ。
もし、日本の会社が内向きになっているのであれば、もうそれを徹底的に活かしてみてはと思う。自分たちのことを知っていれば、何か起こったときにうろたえることはない。「本社のヒト」はもう「工場のヒト」が何をしているのか分からなくなっているのではないかと思う。だから、これ以上動かすことはできないのだろう。これが自信のなさにつながる。自信のなさが自己否定につながるわけだ。かつてはバカにしていた「韓国企業」に追い抜かれるのを見ると、もう内心は穏やかではいられない。
変革管理において、関係各者が自信を持つのはとても大切なことだ。競合を横目に「どうしてウチはあそこみたいにできないのかね」という社長は尊敬されない。「お前やってみろよ」と言われるだけである。
もし毎日靴ひもを結べていたのに、それがある日突然結べなくなったらどう思うだろうか、ということを想像してみればいい。かなりの自信喪失につながるはずだ。よく分からないままにマジックテープの靴に変えても「かつてはオシャレなひも靴だった」と嘆くことになるだろう。歩いていても楽しくない。
難しい言葉を使うと、今あるリソースを分析するところからはじめよということになる。多分、結構正しく認識されていないのではないかと思う。出来ているのに認識されていないということがあるはずがないと思うかもしれないが、実はそういうことは頻繁に起こりうるのだ。

十牛図 – 書く事と語る事

いつものようにはてなを巡回していたら「実生活が充実しはじめたら、ブログを書かなくなった」という記事があった。裏返しに、ブログはリアルな生活が充実していない人のハキダメのようになっているのだという主張があるのかもしれない。一方、小栗旬はテレビの対談番組で「演出家に俳優はすこし不幸な方がよい」と言われたのだという。恋愛したら演技できなくなりそうで…と続くので、ちょっと面白くない発言だ。ちなみに演出家は蜷川幸雄だそうだ。
この二人の発言は、社会的な評価に違いがある(ブログはそれほど評価されていないが、一方は人気俳優である)一方、一つの共通点がある。「満たされていないこと」が表現には必要だと主張している所である。
さて、ここからが問題だ。表現は、一体何の為に発せられて、どこへ向かうのだろうか。
ここに自由訳 十牛図という本がある。もともとは禅の題材一つだそうだ。このお話の一番最初のところで、登場人物は突然「牛がいない」ことに気がつくのである。牛を探しに行くのだが、なかなか牛はみつからない。
何かが足りないことに気がついたとき、人はいろいろな手段を使ってそれを探そうとする。その一つが何かを書き綴ることだったり、俳優として表現することだったり、シゴトに邁進することだったり、とその手段はさまざまだ。しかし、探索の出発点は「何かが不足している」ということに気がつくところなのだ。
さて、結局この人は牛を捕まえて帰ってくるのだが、お話の途中で消えてしまう。まず牛がいなくなり、次の図で人も消えてしまうのである。その後場面は一転する。十番目の絵は、市中にでかけていって人と語るところで終わっている。ここでは語り手側の人は「みなりに構わない」姿になっている。もうそういったことはどうでもよいというわけだ。最初の探索の段階から一つ上がったところでの探索と表現がある。つまり「書く、話す」ということにはいくつかの違った状態があるということだ。いわゆる悟った状態だが、そこに至るには長い道のりがかかりそうだ。
さて、この図の面白いところは、探索が個人で始まり、社会で終わっているところだ。最後の2名の図が「社会」を表現しているものかというのは考察の余地がありそうだが、とりあえず「入鄽垂手」といって、市中に入って手を差し伸べることになっている。
禅を離れ西洋に目を向けるとユングにも集合的無意識や共時性という概念がある。個人を突き詰めてゆくとその根底には人類共通の無意識があるのだというコンセプトだ。さらに何かを求めれば、それが外側から与えられるだろうということだ。「希望」(つまり足りない事が満たされる)という信念体系だ。
この考え方がなかなか受け入れがたい。それは、我々が普段生きている世界は「等価交換」の世界だからだ。一生懸命シゴトをしたからお金が貰える。相手に与えたから好きになってもらえる。勉強したからよい学校に入れる、お金を払ったからバッグが買えるという具合だ。これを強化する事が成長や繁栄に結びつくことになっているわけだ。その欲求は個人が個人であって、他の人たちとはつながっていないのだ、という前提がある。一方、怠けたらすべてを失うのではないかという恐れもある。個人がすべてを失えば、もう生きてゆけないのだから、人から奪って持ってくるか、死ぬしかない。
十牛図の世界も、ユングの集合的無意識もこの考え方からは逸脱している。自分がなんらかのつながりによって他の個人とつながっている、影響を与えることができると考えているからだ。この前提を受け入れると、個人的な探索活動には社会的な意味があるということになる。共時性に至っては、望みさえすれば(ただし本当に望んでいるものであれば)何でも手に入るということになり、さらに受け入れがたく感じる。
スピリチュアリストや宗教家であれば、思索自体には無条件の意味がある。しかし、経済家、政治家、企業人といった人たちがこれについて考察してみることには価値があると思う。
通常の「等価交換」の経済は破綻寸前だ。現金は常に足りず、ひとびとががんばった結果として格差が広がる。こういった社会は持続不可能だが、抜け出す道筋がみつからない。一方、見返りを与えずに人に与えるという行為にはなんらかの便益があるのだろうかという疑問も生まれる。
成長のために不可欠な創造活動の源流に当たる部分がこうした個人の探索に依っている。故にコンスタントな成長を確保するためには、個人の思索になんらかのインセンティブを確保する必要がある。しかし、根本的なイノベーションはそのまま経済的な成果に結びつく事はないし、どれが経済的に価値のある創造物なのかということは、発明や発見がなされた時点では計測ができない。
受け入れるか受け入れないかは個人の裁量の範囲だと思うが、個人の小さな活動が社会になんらかの違いをもたらす可能性について考えてみる価値は十分にあるように思われる。

ヨブのいない世界に戻れるか?

ヨブ- 奴隷の力という本を読んだ。著者はアントニオ・ネグリという左翼運動だ。逮捕されて、国会議員に当選、その後特権を取り消され、フランスに亡命したという人(後イタリアに帰って服役)が考えるヨブ論なので、よくわからないところが多い。特にマルクスはよくわからない。ネグリは「数値にして計る」世界を起点にしてヨブと折り合いをつけようとしている。だが、多くの人にとってヨブがこれほど問題になるのはどうしてか。
このヨブという人、神を信じていたにも関わらず、悪魔からそそのかされた神様にこてんぱんにされる。完璧な絶望の中で人がどういう境地に陥るかというお話である。
日本の自然神道にはヨブはありえない。神様はもともと赤ん坊のように不合理な存在だし、何か悪い事があれば「神罰が下った」と考えるからである。悪い事があってもなくても厄年にはお参りする。ある信仰を守るためなら神道の形をとっても仏教の形をとってもどうでもいいと考えてしまう。ロゴスがなくても形式さえ整えば信仰は保持できるのである。
ヨブのような存在が生まれるのは、聖書の神様が「論理」だからである。論理は光のようなもので、光がさす所には影も生まれる。だから「神の論理に従ったのに」「とことん不幸だ」という人の存在が問題になるのだ。しかもタチの悪い事に神はヨブを殺さない。神の恩寵がないのに、そこに存在するわけだ。
ネグリはヨブ的な存在に二つの解決策を用意する。「連続的にこの論理の中にいるか」「非連続にそこから逸脱するか」である。この逸脱こそが、創造性の恐ろしい側面である。神の範疇にない唯一の存在なので、彼の理解者は一人もいない。これは聖書を読んでみると良くわかる。

私たちを転倒させる悲劇を基盤として、人間の創造的力を照らし出すのは、後者のシステム(注:非連続的なもの指す)である。私がヨブと呼んでいるのは、創造性、こうした理性の希望と危険である。

キリスト教には論理がある。新約聖書には「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」という文章がある。言葉によらないものは一つもないのである。
ヨブは希望を持っていた。しかしそれは奪い去られ、人や神と言葉による対話を重ねるものの、ついには沈黙を余儀なくされ「私にはわからない」と告白する。しかし同時に、今まで耳で聞いたしかない神を見ることになるのだ。すると嘘のように災いは去る。論理を越えたところで、最後に神は鎮まった。ここに矛盾はないのか。このように、ヨブ記はいくつかのロジックが積み重なり、全体としてどこかを崩すか、そこを越えてみないと解けないようなパズルを構成している。
さて、ヨブの苦悩を取り去るために、日本の神道のような世界に戻る(何か悪い事があったら、それは罰だと考える)ことができるだろうか。そもそもヨブとヨブの友人たちが「神の論理」を見なければ、ヨブの苦しみはなかったはずである。しかし、残念ながら一度知ってしまったものを「忘れる」ことはできない。
ヨブ記が教えてくれるのは、「それを知っていて」「そこから逸脱してしまった人たち」だけが、それを乗り越えることができるということだろう。聖書はそんなことは言っていないが、ヨブに触れることで神は以前のものとは違うものに変質してしまったといえる。それがヨブの創造性の本当に破壊的なところだ。ヨブを持たない世界にはこの破壊力はない。

なぜ私だけが苦しむのか

すべてをなくすというのは苦しい体験だ。最初は何が起こったかわからず、次に自分を責める。そしてこの苦難には意味があるはずだと考える。しかし物事は全く伸展しないし、ましてや元には戻らない。
そのうち友達(この時点では「かつては友達だった人」になっているのだが、まだ気がつかない)がやってきていろいろなことをいう。何かの報いだという人もいるし、自己責任だという人もいる。ある人は当惑して立ち去り、ある人はしっかりしろと叱りつける。誓ってもいいが、こうした言葉は全く何の役にも立たない。そして却って孤独だと言う事がわかるわけである。友達はかつて彼らが友達だったという理由で人を苦しめることになる。なぜ災厄は善良な人にも悪い人にも起こるのか。それは何かの罰なのか。それとも神様が与えた試練なのか。
宗教心のある人にとってはこれは厄介な問題だ。ましてや宗教を職業にしている – 例えばユダヤ教のラビ – ならその苦悩はなおさらのことである。クシュナーは、2子を授かったのだが、1人はプロジェリアという病気で10歳かそこらで亡くなる運命を背負っていた。アーロンは14歳で亡くなるのだが「この子どもの命には何か意味があったのか」「この子が死んでしまうのは神様が与えた罰なのか」などと考える。そして子どもが亡くなった後、神様は決して全能ではなく、すべての災厄が神から来るものではないという結論に達するのだ。クシュナーの解釈によれば、神は自然法則や人間の道徳的自由を越えて物事を支配するということはあり得ないのだという。
クシュナーもヨブ記を考察している。最終的には、ユングと違い神を受容する内容になっている。神様がすべてを支配し、人間が何も知り得ない世界(例えば動物がそうだ。彼らは死を知らないので、死について悩む事はない)と考え合わせ、悩みや苦しみがあっても自由があり得る人間の世界を受容しようとするのである。
苦しみは去らないのだが、ある日こんなことに気がつく。時間が来ればおなかがすくし、おいしいものはおいしい。時々本を読んで感動したり、泣いたりもする。つまり苦しみがそこにあるにも関わらず、人生には別のなにかがある。確かになくしてしまったものは戻ってこないし、意味があって失ったのではないかもしれない。だけど、そこにはまた別のものがある。例えば、キリスト教ではこうしたことを「恵み」と言ったりする。
クシュナーは、苦しみは「神様が与えた罰」と捉えてそこにとどまるのではなく「こうなった今、私はどうすればいいのだろうか」と考えるべきだと結論づける。
この結論に至るまでの過程にはいろいろな反論が可能だ。例えばユングは「神が最初にサタンと賭けをして…」といっている。やはり神が仕掛けた苦難にヨブが理不尽にさらされるというストーリーなので、神が関与しないという論にはちょっと無理があるかもしれない。しかしこの人の考えの道筋が重要なのは、それが人生を賭けて考え抜かれた結論だからだ。クシュナーが指摘するようにラビの中には神は間違いようがないのだと主張する人もいる。そういう意味でも「全能ではあり得ない」という言葉には重みがある。

私だけではない

しばらくすると実は苦しんでいるには私だけではないことがわかってくる。ユダヤ教にはスーダット・ハヴラアーという儀式があるそうだ。埋葬を終えて帰って来た人は自分で食事を作って食べてはいけない。誰かに食べさせてもらわなければならないのだという。クシュナーによればこれは「悲しみを分かち合う」という意味合いがあるそうだ。
クシュナーはかつては頼りない若いラビだったのだが、自らの苦しみを通じて多くの人と自分の経験を分かち合うことができるようになる。ただ、もし「頼りないラビでいる代わりに息子がずっとそばにいる」人生とどちらを選びたいかと問われれば、息子を取るだろうと言っている。だから彼は「人生は修行であり」「息子の死にも意味があった」とは考えない。ただ、苦しみを抱えている人とそれを分かち合うことができるようになっただけだ。

中年の危機

ユングは、40歳前後に多くの人が社会的な目標というものが人格の縮小という犠牲を払うことによってのみ達成される、という本質的な事実を見逃してしまう」ことがある可能性を指摘する。これをそのままにしておくと、50歳前後に狂気となってしまう時期が訪れることがある、という。
この「人格」という言葉は注意深く捉える必要がある。これは必ずしも社会的に立派な人ということを意味しない。人は社会生活を円滑に行なうためにある種の仮面を身につけている。それはペルソナと呼ばれる。外面(そとづら)と呼んでも良い。このペルソナがその人そのものと同一であればよいのだが、たいていの場合そうはいかない。中年期に入ると人格のずれが顕著になる。ずれに気がつかないまま過ごすと、取り返しのつかないことになる可能性があるだろう。
ユングは、多くの治療体験に自らの体験を加えてこの結論に達する。38歳の時に自らの信じる道を行くために、フロイトと決別した。同時にアカデミズムとも遠ざかり、引きこもりの期間に多くのものを失うことになる。この引きこもりが心理学の「ユング派」の源流になった。
本の中に45歳のビジネスマンの事例が出てくる。彼は立派な業績を残して引退した。しかし隠居生活に入った時から精神的な苦痛を感じだした。やがてビジネスの世界に戻るのだが、仕事への情熱は戻ってこなかった。精神病の治療というと元の状態に戻ることを意味しそうなものだが、この人の場合はそうではなかった。それでは、一体それは何なのか。

それは、意識が異常な段階にまで高揚し、そのため無意識から大きく離れすぎてしまった場合にのみ有効である。[中略] このような発展の道を歩むのは、人生の半ば(普通は35歳から40歳くらいの間)より前ではほとんど意味がない。もし、あまりに早く踏み出したとすると、決定的な害を被ることもある。

ユングはこの高揚を過大成長と名付け意識の新しい水準であると結論づけた。別の箇所では治療が終わり「創造的可能性」を発展させるとも記述する。創造性を扱った人は多くいるのだが、崩壊や危機に見える状態が創造の萌芽だと考えるひとはそう多くないかもしれない。
新しい水準の向かう先が「個性化」である。

個性化という用語を、それによって人が心理学的な意味での「個人」になる過程、すなわち単独で、それ以上には分割し得ない統一体、あるいは全体になる過程を意味するために使用する。

ここで、この言葉を鵜呑みにすることを避けると次のような疑問が浮かんでくる。

  • そもそも、人は生きる意思や目標を自明のものとして持っているのだろうか。
  • 果たして、人間は一律に個性化を目指すべきなのか。社会的に適応している状態の方が幸せなのではないか。
  • それはあらゆる対価を払っても価値のある目標なのだろうか。

まだ若い状態から「生きる意味がわからない」と言っている人たちがいる以上、これらの疑問は注意深く取り扱われるべきだろう。また、ペルソナと折り合いをつけながら、だましだまし死を迎えるという生き方もあるはずである。(それが、テレビの前で「昔は良かった。今の若い奴らは…」という姿勢であったとしても、だ。)ただ、やむにやまれず、個性化の過程に向かう人もいるはずだ。それには「治療」や「原状回復」以上の何かがある。
この個性化の過程は「夜の航海」とも例えられる。指標になるものがなく、どれくらいかかるか、どこに向かうかもわからないからだ。それは喜ばしいものではなく、ひどい時には精神的な危機として表出する場合も多い。人が生まれるときに生命の危険があるのと同じように、苦しみの多い「生まれ直し」であるともいえるだろう。
この「夜の航海」が、社会全体にとってどう有益なのかはわからないのだが、人によってはこの道を通らざるを得ない。「やむにやまれぬ」という言葉で言いたかったのは、そういうことである。

パウル・クレー 絶望がつくる芸術


人の略歴を探りながら20分くらいで画集を見るのは、なんというか冒涜に近いような気もする。引き続きパウル・クレーについて考える。音楽か絵画かという選択肢から絵画を選び、育児をしながら主夫として創作活動を続けた画家だ。チュニジアに旅行したあたりが転機になった。色彩感覚に目覚めて、以降さまざまなスタイルを模索した。
絵画は抽象的だ。感覚的に書くというよりは理屈の上に成り立つ創作を行なっていたようだ。絵画の中にしばしば記号的な要素が見られる。毎日日記を書きつつ理論構築を行ない、バウハウスで教えたりもした。『創造的信条』という論文の中で「芸術とは目に見えるものを再現する事ではなく、見えるようにする事」と語る。しかし単なる理論家ではなく、「神秘家」としての側面もかいま見せ、これを統合することが大きなテーマの一つだったのだという。このあたりはユングにも似ている。
しかし、ナチスはバウハウスの閉鎖を強要して前衛的芸術を「退廃芸術」として禁止した。Wikipediaの『退廃芸術展』によれば、ナチスは退廃芸術を「脳の皮質」の異常ではないのかと主張した。わからないものをはすべて「悪」だと決めつけ、退廃芸術家を公開処刑したのである。
クレーはナチスの支配下にあったドイツを捨ててスイスに渡る。しかし、スイスでも半ば狂人扱いされた上、病を得てそのまま亡くなってしまう。このスイス時代に多作の時期がある。テクニック的には衰えたとされるのだが、いろいろな不自由のなかで、その作風は純化されたようにも見える。
とりあえず、大抵の絶望には「いつかはよくなる」という希望があるものだ。しかし、この人の晩年にはそれがなかった。しかし創作意欲は衰えなかったし、新しい境地を生み出す事もできた。人間はある一定の年齢になるとそれ以上進歩できないというのは嘘だ。絶望がすべての終わりでないと考えると勇気づけられる。しかし、クレーにも焦燥感がなかったわけではないようだ。別段、達観の中から生まれた芸術でもない、というのを感じて何だかほっとする。
彼が教えてくれる教訓はただ一つ。できることをやり続けること。ただそれだけだ。

<子ども>のための哲学

ということで、<子ども>のための哲学 講談社現代新書―ジュネスを読んだ。永井均さんは「哲学をする」と、「哲学を鑑賞する」ということを分けて考えているようだ。そして「人の考えていることは分からない」という考えを明確に持っている。金沢真大事件に触発されて読んだのだが、別の意味で意義深かった。この本の言わんとしているところは単純で、自分の問題について考えざるを得ないという衝動を持った場合には、とことん考えてみようという主張だ。
彼が主張する哲学の秘訣は「自分自身がほんとうに納得できるまで、決して手放さないこと」ただそれだけだ。これは哲学だけではなく、いろいろな答えのない問いに当てはまるように思える。一文のトクにもならないことを考えざるを得ないと実感している人たちには心強い応援になるかもしれない。
この本よりも興味深かったのは、「なぜ人を殺してはいけないのか?」の小泉義之さんの困惑だった。形勢はあきらかに小泉さんに不利だ。というのも、永井さんは「考えによってはいいとも悪いとも言える」という結論と分離した立場にいるのだが、小泉さんは最初から「殺人はいけないことで、そうしないと大変なことになってしまう」と考えている。
この考えが彼らのポジションに現れる。

  • 永井さんは「つまり私は、人を殺してはならないという社会規範を一般的には破壊することによってのみ、その社会規範を自らに受け入れることができる。」と主張する。
  • 小泉さんは「他人が洒落た回答をしなかったら、他者が応答することすらできなかったら、あなたはどうするつもりか」と反論する。

とりあえず「洒落た」といっているあたりに、そこはかとない劣等感すら感じてしまう。そして「どうするつもりか」と感情的な反論をしてしまうのである。
もちろん、私は人に殺されたいとは思っていないし、今の所人を殺したいと考える予定もないので、社会は殺人を容認しない方がいいと思っている。永井さんの数式にも似たロジックを読んでみたが、よく分からなかった。
今日読んだ別の本に「ヤノマミ族」があるのだが、前にも書いた通り、ヤノマミ社会には報復としての殺人が存在する。殺された場合もそうなのだが、漠然とした不安(病気や事故で人が死ぬと、呪われたと考えるのだ)から報復合戦に発展する場合がある。殺人が容認された社会は実際に存在するのだ。つまり、我々の社会は殺人の連鎖に陥る危険を現実の問題として抱えている。これを認識した上で、それでも殺人はよくない(ないしは嫌だ)ということを互いに納得させつづけなればならない。
皮肉なことに「人を殺してはいけない」という点に固執すると、逆にここから先に進めなくなってしまうわけだ。小泉さんはこの論点に近すぎて、却って結論から遠ざかってしまっているように思える。