ISFJ, ISFP

ISFJ

WikipediaでMBTIごとの有名人というセクションがある。見ていて、うーんと思った。実際にテストを受けていない人もいるわけで、どうやってタイプ分けしたんでしょうね。さてさて…このISFJにあたる有名人の記述がないんですよね。
静かなタイプなのだが、かなり現状維持型の保守的なタイプらしい。SでJなのだから当たり前とも言える。この人がいるとプロジェクトは安定性が増すだろう。Fなので人の気持ちは分かるはず。注意書きがある。「細かい事(テクニカルな)主題」について注意を払う事と書いてある。これ細かいと訳すか、技術的なと訳すかでかなりニュアンスが変わってきそうだが、TでもNでもないので技術的で細かいことは分からないだろうということは容易に理解できる。

ISFP

引き蘢った感じで、自分の意見を押し付けたりはしないタイプだそうだ。リーダーとはならず、フォロワーであることが多い。今を楽しむタイプで、必要もなく張り切ってシゴトを終わらせようという意欲はないそうだ。
つかみ所ないなあ。ここらへんも「典型的な日本人」っぽいのだが、外向性なのに表面的にこうした人のフリをしているタイプも多いのだろうな、とは思う。逆に内向性だったのに、周囲の期待からリーダーに祭り上げられたりすることもあるだろう。特に調和を重んじる日本社会ではありそうなことだ。
こうした場合やり方は2つある。1つは新しい役割に向けた価値観を獲得する事。もう一つは自分の役割を知っていて、それにあった環境を準備することだ。今どういう性格特性を持っているかということと、これからどうなるかということは必ずしも同じではない。そのためには今の自分の位置は知っておいた方がいい。
もう一つ重要なのは、チームがリーダーだけで成り立っているわけではないということだ。終身雇用制はまがりなりにもこういったチームを作るための枠組みを準備してきた。それは特性や役割によって損をする人ができないようにすることと、長期的に利害を調整する仕組みだった。やがて全ての人に利益を分配できなくなると、この枠組みが崩れてゆく。どういう性格特性の人たちが非正規化したのかは分からないが、1/3が非正規という現実を見るとある特性があるに違いない。しかし、だからといって非正規化しないような性格特性を目指そうというのは間違っている。例えば黙ってルーチンワークをこなす人たちが非正規化したと仮定し、プレゼンテーションが得意な外向型と現実を重視する調整型が正規として残ったと仮定してみる。しかし、プレゼンテーションと調整だけで現場が回るわけではない。
プレイヤーとして参加する人たちは、自分の性格特性を読み解くとよいだろう。しかしリーダーになりたいと思ったら、それだけでは不十分で、いろいろな性格特性を知る事が大切だろう。

INFJ, INFP

INFJ

忍耐強く、望まれていることを成し遂げるタイプ。努力を惜しまない。静かで、他人のことを慮る。公共のために強い信念を持って行動する。なにやら、日本人の美徳が詰まったようなタイプ。I型なので、いろいろうるさく話をしたりはしない「不言実行型」。なぜ、TがF(感覚型)に変わっただけで集団で望まれるタイプになるのかは分からないが、昨日のINTJに比べると扱いやすそうだ。

ここに日本の社会が持つ強みと弱みがあるように思える。Jは現実重視型なようなので、新しい知識や概念にはあまり関心を持たないはずだ。変化が少ない場合にはこれでよいのだろうが、変化が大きい社会では問題が出てくる。しかも思考でなく感情で物事を捉えるので「なぜ、こういうことが起こったのか」ということはよく分からない。加えてIであまり多くを話さないので、お互いが何を考えているのかが分からなくなってしまい、社会不安を引き起こすのではないか。暗黙でも伝わるためには経験などを共有する必要があり、多様な他者が集まる場所では居心地が悪く感じる可能性があるかもしれない。

INFP


熱意と忠誠心に満ちているのだが、お互いを良く知るまではあまり話さない。学習、アイディア、言語(概念的なものに関心を示すのはP型だからなのだろう)といったような小さめのプロジェクトを好む。社交的ではないので、いつの間にかシゴトが片付いている感じだそうだ。物欲や所有欲はない。

同じような不言実行型のタイプだが、JがPに変わっているので新しい事が起きてもあまり動じないのかもしれない。

さて、アメリカには、外向性が75%・内向性が25%とか、感覚型が75%・直感型が25%という結果があるそうだそうだ。どうやら1960年代の調査らしい。MBTIは生物学的な指標ではないので、社会的な価値観が反映されやすいことは容易に想像できる。アメリカは「自分を積極的に表現してゆこう」というプレッシャーの強い社会なので、この分布が日本にも当てはまるかどうかは分からないのだが、少なくともアメリカではINは少数派のはずである。

「ENTJ – $84434」でGoogle検索していただくと分かると思うのだが、どうやらタイプごとの年収についての数字が出回っているようだ。原典が何で、いつごろの数字なのかはわからなかったので、引用はしないことにする。しかし、タイプによって年収が違うのだったら、年収が高いタイプになりたいという人も出てくるかもしれない。

特に、日本は和を重視して、みんなが損をしないようにする社会を作り上げて来た。しかし自由競争が始まると、どうしても外向的で現実を重視する人の方が「有利」になるように思える。それに加えて「こういう人格を持つのが、正解だ」というような認知が流布すると、MBTIは一人歩きするかもしれない。


ちなみにwikipediaには有名人でこのタイプの人というコーナーがある。INFJにはガンジー、マーティン・ルーサー・キング、ネルソン・マンデラ、アルベルト・カミュという名前がならんでいる。社会がおかしいと感じたら、それを変革するためにたゆまず努力する人たちだ。この一群の人がいなければ、インドはカースト制のままだったかもしれないし、アメリカや南アフリカの黒人達も差別されたままだったかもしれない。必ずしもこの人たちが経済的に成功したかどうかは分からないのだが、それでも社会に必要な資質を持った人たちだということがいえるだろう。 INFPにも『1984年』で有名なジョージ・オーウェルやダイアナ妃などがいる。

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INTJ, INTP

INTJ


がんこ、批判的、独自性のある考え方をする。プロジェクトを整理して、人の助けのあるなしに関わらず任務を遂行することができるタイプだそうだ。詳細にこだわらず、譲るところは譲る気持ちを持つ必要がある、とのこと。「J」なので当然、常識的な判断をする。唯我独尊。手許の資料にはプロジェクト・マネージャーという走り書きがある。

さて、これまでのE型とのいちばんの違いは、これから紹介する人たちが「I」だということだ。Introvertの頭文字で、日本語でも英語でも「内向的」というと、暗いヒトというような意味で使われることが多い。英語でも、「日本人は内向的だ」(つまり、思っている事を口に出さない)という意味で使う。日本人なら誰でもしっている事だが、思っていることを口にしないからといって、おとなしい人というわけではない。影ではとんでもないことを言っているかもしれない。MBTIの内向性はこれとは異なるように思える。


Eの人たちが外側から価値観を持ってくるのに対して、自分の内側に価値観がある。これがINTJの人たちを「我が道を行く」にしているようだ。自分の価値観で現実を直感的に捉え、その価値観に合うように現実を変えてゆこうとするわけだ。これをEが強い人が見ると、「わがまま」な人に見える。逆にIの人から見ると、Eは「自分がない」ように見えるはずだ。

INTP

なぜだか良くわからないが、静かな人なのだそうだ。私のタイプの内向性が強いタイプ。理論的で科学的な主題を好むというのはENTPと似ている。細かい部分に理論的なので「博士」みたいな人なのだろう。細かい点にこだわりが大きいので、好きな事を追求できるようなキャリアを積むのがよいそうだ。どうやらJの人たちが現実的なことに興味を持つのに対して、Pの人たちは「可能性」やら「未来」やらを追求したいみたいだ。

このように、これから広がるIの人たちは、Eの人たちに比べ、何かと扱いにくく、キャリアに一工夫が必要なことが多い。これが、一般的に言われる好きなことをし貫き通した奴が負けという評価につながる。これは考察に値する。この文章に書いてある、観客目線はE的な態度だ。周りの人が面白いと考えたことが面白いという価値観だ。これがなりたつのは、日本のお笑いが即物的で刹那的だからだと思う。また集団内の秩序が乱れるのを嫌う傾向が強いので、全体の空気を読んで違和感がない会話を選択する人が人気ものになることができるということなのかもしれない。さらに教育機関と言っても、企業の論理が入る以上は大量に効率よく人材を輩出しなければならないのだから「マーケットに合わせて」といいたくなる気持ちも分かる。

この文章にはマイケル・ジャクソンの例が出てくる。マイケル・ジャクソンは幼少期に周りの大人達から「期待されるべきマイケル像」みたいなものを押し付けられたのだと言われている。子役にはそういうところがある。本来この人がIかEかは分からないのだが、人に期待されるままに自分を演じていると、自分が何者なのか分からなくなってくるかもしれない。ネバーランドを作ってコドモと遊んでいたところからコドモとしての自己像を持ち続けたのかもしれないし、最後には肌を白くして、整形を繰り返した。そこまで深刻にならなくても「受けるお笑い」ばかりを追求するあまり、自分が一体何をしたかったのか分からなくなる人も出てくるだろう。
最近、アンディ・ カウフマンを題材にしたマン・オン・ザ・ムーンを見た。この人は典型的な「内向型」のようだ。幼い頃から一人芝居が好きで(つまり、人が見ているから面白いことを言うわけではないのだ)、そのギャグは独りよがりだった。テレビが壊れたような映像演出をして「この番組は放送しない」とABCに言われたり、テレビでおなじみのギャグを期待する観客に対して、延々と華麗なるギャツビーを読み、客が誰もいなくなるまで語ったりした。確かにこうしたギャグはテレビには向かないかもしれない。しかし当時のアメリカにはショー・パブや自前講演の機会があり、カウフマンは最後まで自分が面白いと思うことを貫き通した。というより、そういうやり方しかできなかったのかもしれない。最後には肺がんに冒され35歳で亡くなってしまうが、あのまま生き続けたらどのような喜劇人になったのだろうか。

内向性でも(自分のやりたい事を貫き通しても、と言い換えてよい)後世に名前を残す芸人になることはできる。人はときにものごとには正解があり、それに沿わないことはよくないことなのだという強固な信じ込みを持ちやすい。また、世の中に余裕がなくなると、こうした「難しい人たち」を排除してしまおうという動きが出てくることもある。確かに自分の傾向を知った上で、変わってゆこうと思うことは大切だ。自分の特質を活かした活躍の場所を見つけるのもまた重要なことなのである。つまり多様性が重要なのである。

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だらしない人ほどうまくゆく

MBTIシリーズの中で「J」と「P」という要素が出て来たのをご記憶の方も多いかもしれない。現実の規範を重んじるのがJで、外部要因を受容できるのがPだ。事務処理に向いているのはJだが、発明家や企画者にはPの方がいい。いいかえればコントロール可能な部分をきちんと管理できるのがJで、コントロール不可能な部分と向き合ってゆけるのがPということになる。
ご紹介する本はだらしない人ほどうまくいくという本だ。
まず、きちんとするには経費(コスト)がかかる。机の上にある散乱したものを片付ける時間もコストだし、きちんとしたスーツも高くつく。さらにきちんとすることに意識が向くと、だんだんある一定の経路に従ってしか物事が考えられなくなる。
そもそも人間の脳はそのようにできている。常識とか慣れということもできるし、発想の観点では「思い込み」と呼ばれる。すると大胆な発想が生まれにくくなる。また、不意の事件に対応できなくなる。これは柔軟性を奪うばかりではない。時にはこうした不意の事件から大きな儲け口が生まれたりもする。こうしただらしない人たちの机は散らかっており、大抵こういう人たちは「生産性が低い」と見なされる。しかし、たとえばこのランダムな状態から「ふとした思いつき」が生まれることもあるわけだ。
また、ちゃんとしていることに生き甲斐を覚える人がでてくると厄介だ。管理職とは書類の様式が整っているかをチェックする人のことだと思っている人がいる。こういう人は書類をチェックするのに忙しく、話を隣の部署に通していなかったりすることがある。ちゃんとしていることが好きな人は、できる(つまりコントロール可能である)ことをついつい追いかけてしまうので、コントロールできない事は後回しにしてしまうのだ。このような人たちがたくさん集ったのが「市役所」や「県庁」といったお役所だろう。この本には「ちゃんとした人がたくさん集って、結果的にだらしなくなってしまう」組織のことが書いてある。
ちゃんとしていない人を支える技術も出て来ている。今でもウェブ・デザイナー向けの雑誌を読むと「IA(インフォメーション・アーキテクチャ)をきっちり構築しましょう」という記事が出ている。しかし、この考え方は崩壊してしまったと考えてもいいと思う。それはGoogleが登場したからだ。Googleは情報をスキャンし、ユーザーは思いついたときに好きなキーワードでサイトにアクセスする。そこには構造的な決まり事はない。つまり記憶できる情報の量が増えて、アクセス性が増すと、構造は無意味になってしまうのである。
さて、日本がこれだけ硬直化しているのは、コントロール不可能な要因が急速に変化しているのに、コントロール可能なところばかりを議論しているからだろう。またJALの例で分かるように「ちゃんとするコスト」が高くなりすぎて、支えきれなくなってきている企業も多いのではないかと思われる。おまけに、目立った起業はなく新しい雇用も創出されそうにない。
こうした時には「戦略」は立てられない。代わりにできることは周囲の状況に耳を澄ませて、いろいろな人の意見を聞きながら、場当たり的にでもいいから何かを試してみることだろう。付け加えて、もし何か突発的な機会があったら「それは予定していたことではないから」と排除するのではなく「面白そうだ」と検討してみてもいいかもしれない。必ずしも立派な事業戦略を立てれば、企業が立ち直るとは限らないのである。

ESTP, ESTJ

ESTP


何が来ても慌てない人。機械いじりとスポーツが好き。長い説明は苦手で保守的。いちおう、手許の資料を訳してみたのだが、よく分からない。こういう人、周りにいますか?あまり、リーダーとしては使えないタイプのように思える。だけど、機械のメンテナンスとか日々の作業はこなせそうな感じにも見える。もしTP型を指向するなら直感でばりばりと判断すべきなのだろうけど、この人はどうやらSなので、現実的なディテールを好むみたいだ。でも、ちょっとよく分からない。
どうやら短期集中型らしい。確かに、すべての人が「大きな絵」ばかり描きたがり、戦略作りばかりしていたのでは現場は破綻しそうだ。しかし、だからといってちいさなシゴトをやりかけて放り出されてばかりいると困る。現実的になるのであれば、PよりもJに徹した方がいいように思える。

ESTJ


実際的、現実的、役に立ちそうにないことには興味を持たないが、応用は得意。整理整頓を好み、他人のことを考えることができたら、よいアドミニストレーターになれるような能力を持っている。資料にはプロジェクト・マネージャー向きという走り書きがある。こういう人は具体的に想像ができる。
ネット上の資料を見ると、これを裏返したことが書いてある。すなわち仕切り屋。鍋奉行みたいな感じ。
これで、Eは終わり。どうやら大きな絵を描く戦略家・重役タイプの人から、現場のことを細かく面倒見る人まで様々なバリエーションがあることが分かった。手許の資料は右にESTPがあり、左にENTPがあるのだが、どうも「現場監督」から「戦略家」まで順番に並んでいるような印象を受けた。また、それぞれの能力にはコンパチビリティがあるようにも思える。
もう一つの洞察は、自分がどういう資質を持っているのかを知っておくのは大切なのではないだろうかということだ。日本ではMBTIはあまり知られていないので、就職対策としては役に立たない。しかしながら、例えば、長期的なビジョンを立てることが得意ではないのに戦略コンサルタントになりたいと考えても、あまりよい結果は生まないだろう。

一方、他の資質を知る事によって、自分がなりたいシゴトにはどのような能力が必要なのかを客観的に見る事もできる。例えば、デザイナーのようなシゴトには現実と細部をありのままに観察する能力が必須だと思う。(今は半分しか見ていないのだが、I型の人の方が向いているかもしれない)もし、物事を大枠で捉える人が、どうしてもデザイナーになりたいのであれば、物事を細かく見る訓練をすればよいということになるだろう。
実際にシゴトをして「現場でプロジェクト監督をしながら」「デザインもこなし」「企画書を書く」というような人がいたとして、自分は何で一流を目指すべきかということを考える場合にはこうした人物のフレームワークを研究したり、人に聞いてみてもいいかもしれない。(チームメンバーの中にはちゃんと観察している人がいるはずだ。)

ESFP, ESJF

昨日までのグループはENだった。外向的直感型だ。これがESに変わるとどうなるだろうか。物事をフレームワークではなく、細かなディテールに満ちた存在として捉える人たちだ。

ESFP

楽しいことが好き。スポーツが好き。みんなでわいわいするのが好き。手許にある資料を見るとそんな人物像が浮かんでくる。周りを察知して何が起こっているのかを事細かに感じる事ができるのが利点なのだろう。理論は苦手なはずで、具体的に見せてほしいと思っているかもしれない。大きな絵を描くというより、現場のマネージャーとしては良さそうに思える。
これを読んでいて思い出したのは、ピーターの法則だ。人は出世すると、いずれ「無能レベル」に至るというやつだ。しかし実際には直感型で大きな絵を書く人たちが現場でくすぶっていることもあるだろうし、現場の細かいマネージメントが好きで現実的な解決策を作るのが得意な人が、経営幹部になってしまうこともあるだろう。コンセプトしかないパワーポイントを見せられて「で、具体的にはどうなの」と聞く人がいる。具体例があるんだったら企画書なんかだしとらんちゅーの、と心の中で笑いながら愛想笑いをするということになりかねない。

ESFJ

さて、これがJになるとどうだろうか。5年前に受けたテストではESFJと診断された。
さらに現実的なタイプだが、ここではSとFのバランスが取れているように思える。人の気持ちが分かるので、カウンセラーやコンサルタントなどに向いていると言われる。何か相談があってそれを持ってゆくと、親身になって具体的に答えてくれそうなタイプだ。また、調和を重んじるので現場も和やかになるだろう。なぜか「褒められるとうれしい」と書いてある。どうしてだろうか。人々の暮らしに直結した具体的な事柄を好み、抽象的な概念にはあまり興味がないのだそうだ。

個人的な経験から言えることは、こうした特性は先天的なものというよりは、後天的に獲得できるものではないかということだ。ユング派の説によると、劣等機能は躾けられない馬のようなものだそうだ。だから感情型の人が思考を模倣することは「周りから見ると明らかに変なリクツなのだが、本人は大まじめ」というような結果を招きかねない。しかし、いったん獲得してしまうといくつかの役割をこなす事ができるようになる。例えば、現場にも目配りしながら、大きな絵も描けるといった具合だ。
逆に、人生の転換点を迎えずに、一つのキャラで押し通してしまうと「人の気持ちが分からず、応用の利かない」人になりかねない。終身雇用下のサラリーマンは会社に入ると挫折無く一生を過ごすことが多く、一つのキャラのまま60歳まで過ごす人も多いのではないだろうか。組織の外でシゴトをしている人はそういう訳には行かないだろう。
また、MBTIはスケールなので、どちらかといえば外向的という人も、極端に外向的という人もいる。
いよいよ明日は外向性の最後の一群をご紹介する。現実的な思考型の人たちとはどういった性格なのだろうか。

ENFP, ENFJ

ENFP

昨日のENTPは「考える」すなわち客観的な理解をもとに行動をする。ENFPは、熱心な活動家ではあるが、理解が主観的だ。それは、考える代わりに感じるからだ。外向的で飽きっぽく主観で考える。つまり暖かくてよい人ということになる。いつも面白いことを考えているので人気があるかもしれない。
ENTPと同じく、飽きっぽいことは欠点になり得る。別の資料には考えるの苦手なのに考えるから、ひどく理屈っぽくなることがあると書いてある。ユングのタイプ理論による劣等機能というやつだが、ユングの研究者は、感情、感覚、思考、直感を並列に扱うので、劣等機能は1つということになっている。つまり、ENTPであっても思考が苦手でない人はいるのではないかと思われる。
手許の資料では、ENFPはWarm, enthusiastic, high spiritedと書いてある。多分、悪い人ではないだろう。

ENFJ

Pは新しいアイディアを許容するが、これがJに代わるとどうなるだろうか。責任感があって、人に共鳴する人なのだそうだ。どちらかというと他人のニーズの為に行動するので、グループ全体が困らないような解決策を好む傾向がある。社交的で常識人の「よい人」だ。よい人さ具合は、ENFPと変わらないが常識人というところが異なる。
欠点は、主観的であるところだろう。批判や賞賛に大きく反応するということは、外からの評判に弱いということでもある。リーダーシップはあるのだが、その質はTタイプの人たちとは異なる。家族的経営の中ではよいリーダーシップを発揮できるのかもしれないが、大きなチームや競争的な企業のリーダーには向かないかもしれない。
もう一つの特質はEへの理解だろう。Eは外向性という意味なのだが、口語では「明るい、いいやつ」という意味で使われることが多い。しかし心理学での外向性という言葉の使い方はこれとはちょっと異なっている。情報の流れが、外から内へというように使われる。この外向性が現れているのが、このENFJではないかと思われる。
規範の基準が外部にあるので、得てして「自分は本当は何がしたかったのか」が分からなくなってしまう可能性がある。考えるタイプは客観的な情報をもとに状況判断をするのだが、感じるタイプはそこが顕著になりがちだ。すると、1人では何も決められなくなる恐れすらある。こういう人が理屈で理論武装すると、論理はめちゃくちゃなのだが、言っている本人は至極まともな理屈だと考えるだろう。それはこのタイプの人たちが他人の理屈も「感情的に聞いている」からだ。普段は問題が表にでないが、いざ口論となると思考タイプの人は愕然とするかもしれない。感情タイプの人へ「実は理屈が全く伝わっていなかった」ことを突如として知るからだ。
故に、チームのリーダーを決めるときには予めこうした傾向を知っておく必要があるのかもしれない。

ENTP, ENTJ

得意なことをやっていると時間を忘れるという経験をしたことがある人は多いと思う。それでは何が得意なの、と聞かれてもちゃんと答えられないことがある。これを埋めるフレームワークがMBTIだ。日本ではMBTIが権利を持っている。しかし、フレームワーク自体は簡単なので模倣もしやすい。日本MBTI協会はこれを「MBTIもどき」と呼んでいる。もどきの一例がこちら

ユングのタイプ論を基礎にしているのだが、ユングはこれをマトリックスにして人間の類型を作ったりはしなかった。ユングのタイプ論から来ているものは、外向・内向、感覚・直感、指向・感情だ。それに、独自の、規範・柔軟という指向性が加わる。ちなみに私は昔受けたときにはESFJだった。最近Facebookの「もどき」を受け直してみたところ、ENTPという結果が出た。設問の内容の構造が簡単なので「職業的に理想的な人物像」を意識すると結果が変わることがあるらしい。

ENTP


ENTPは、新しいアイディアが好きで、創造力に富むタイプだ。今あるものを改良するより、全く新しいものを追い求めるのが楽しいと考えている。手許にある資料を見ると、知的で問題解決能力に優れ、議論を好むと書いてある。外向性なので「人が何を欲しているのか」を探るのもうまい。

しかし、この傾向には悪い面もある。現実を気にせず、安定感に欠け、次から次へと中途半端に新しい事に挑戦するということだ。しかも、ルーチンワークを嫌うので、退屈すると「もっと新しい事はないかなあ」とどこかに飛び去ってしまう可能性もある。

ENTJ

ENTJは、上記の性格のPをJに変えたもの。ENTPは、まだ世の中に出ていないものに対して関心が向くが「J」の人たちは既存の枠組みを尊重する。議論好きでリーダーシップがあり飽きっぽいという点には違いがない。自分の正しさを議論によって証明しようとする。

この飽きっぽくて現実的な問題にあまり関心を持たないという性質は、Nから来ている。Nは直感型だ。Sの人たちの現実は細かなディテールにあふれている。例えば、誰かに会っても、髪型とかシャツのディテールとかを覚えている。しかしNの人たちの現実は「スケルトン」のようなものだ。だからこそ直感的な判断ができるのだが、この現実感のなさが裏目に出ると、細かい気配りができない人ということになる。
よく「大きなビジョンを語るのはうまいが、細かなところのツメが甘い」政治家を見かけるが、こういう人はENTJだと思っていいのではないか。

この2カテゴリーの人たちは、デザイナーや職人のようなディテールに時間をかけるような職業は向いていない。またパワーポイントの絵を描く事はできるかもしれないが、それを細かい施策に分解するのは苦手だろう。つまり政治家にはなれるかもしれないが、官僚のようなシゴトはできない。

一方、ENTPのいない世界では、デザイナーは完璧を目指していつまでも「何に使うか分からない」作品を作り続けることになるだろうし、プログラマはいつまでもバグを取り続けるだろう。そして官僚も細かな点にこだわり過ぎるあまり、全体最適には目が向かなくなるだろう。

イノベーションの達人!―発想する会社をつくる10の人材は、実務的なグルーピングだったが、このMBTIもクリエティブなチームを作るのには欠かせない。

また、政治の問題を見る時にもこの性格類型は役に立つだろう。民主党は机上の空論ばかりを振りかざしているように見える。この政党は、理想(マニフェスト)と議論の政党だったのだが、政権を取ったら、対局を失わないように現実的なタッチを与える必要があるわけだ。当たり前なのだが、組織を円滑に動かすためには組み合わせとチームワークが求められるのである。
このシリーズ、気が向けばあと7回つづく。

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イノベーティブな組織とチーム – Innovative Organizations and Teams

Table of Content

  • イノベーションとは何か
  • 発想のプロセス
  • 着想
  • 学習するプロセス
  • 実現するプロセス
  • 既存の組織ではだめなのか
  • 創造性の向上に必要な組織
  • 情報通信はどう進化してきたか
  • ネットワーク型組織の問題点と課題
  • 既存の文化を改良して新しい文化を作る事はできないのか
  • 具体的なイノベーションのためのチーム作り
  • イノベーターのための学習ガイド
  • コラボレーションのためのリソースガイド
  • いま、イノベーティブな組織を作るのに必要なもの
  • 参考文献

イノベーションとは何か

今存在するものを組み合わせて新しい価値を創造する事、あるいは所与の問題を解決するために現存しない解決策を作り上げる事を「イノベーション」と呼ぶ。ワルラスの一般均衡論の解釈から始めたシュンペーターは経済の均衡状態はつまるところ停滞であると考えた。しかし、実際の経済活動では均衡点は常に変動している。均衡点を変更するのがイノベーションだ。イノベーションは次の5つの方法でもたらされる。

  1. 新しい財貨の生産
  2. 新しい生産方法の導入
  3. 新しい販売先の開拓
  4. 新しい仕入れ先の獲得
  5. 5. 新しい組織の実現(独占の形成やその打破)

シュンペーターはイノベーションがなければ、資本主義はやがて社会主義やファシズム(国家社会主義)などの別の形に取って代わられるかもしれないと考えた。しかし、市場は自発的にイノベーションを行う。経済学者の関心は経済のモデル化に向かったので、イノベーションは経済学ではあまり研究されなかった。イノベーションを重要視したのは経営学だった。
均衡点を変更するのがイノベーションだ。だから、イノベーションには混乱がつきまとう。うまく管理された状態とイノベーションが起こる状態はかならずしも一致しない。また、イノベーションを積み重ねた結果、もう何も改良するものがないという状況にたどり着く場合もある。この状態をクリステンセンはイノベーターのジレンマと呼んだ。

発想のプロセス

イノベーションは次の3つのプロセスを通じて実現する。

  • 着想するプロセス
  • 学習するプロセス
  • 実現するプロセス

着想

着想するプロセスは一人ひとりの頭の中にある。このプロセスは意識してコントロールすることはできない。しかし、いろいろな手段を通じて援助を与えることは可能だ。例えば、創造するモチベーションを与えること、専門家、顧客、過去の事例などから有用なインプットを効率よく与えることなどを通じて着想するプロセスを間接的に支援することができる。
マーク・ステフィックによると、ブレイクスルーをもたらす発想はいくつかに分類できるという。課題が先行することもあるし、ソリューションが先に生まれることもある。

  • 何が必要かに着目するエジソン型の発明。灯りという目的のためにいろいろな素材でフィラメントを試す。 これをニーズ主導型と呼ぶ。
  • 何が可能かに着目するボーア型の発明。何に使われるかは分からないがとにかく可能なものを創出する。 理論を先に考えるアインシュタイン型や、データを集めるメンデル型、自然観察を通じて理論を考え出したガリレオなどの科学者がいる。
  • 何が可能で、何が必要かを同時に考慮するパスツール型の発明。

スタンフォード大学の教授でIDEOのフェローでもあるロバート・サットンも準備段階の大切さについて語っている。無駄の中にこそ、ひらめきの種が眠っているといえそうだ。 こうした無駄な段階を経て、Prepared Mind(準備された心)という状態を作り出す。

  1. 失敗を繰り返す人。一つのツールを使いこなすのに「まごまごとする」人。準備に時間がかかるほど後で成果を得やすい。また、一つの領域を重点的に学ぶのではなく領域横断的に幅広く学ぶほうが幅広い着想が得られる。
  2. 学習のやり方や研究の進め方を理解しておく必要がある。このためメンタリングは重要。最初のうちは短期的な目標を継続的に与える必要がある。これによって準備された心が生まれる。
  3. 創造的な対立

サットンはこのほかにも「役に立たないと思われる人を短期的にでもいいから雇ってみろ」と薦めている。これも無駄の一つだろう。特に次のような人は有望だという。

  1. 自分を客観的に見ない人
  2. 同僚や上司との付き合いを避ける人
  3. 自尊心の強い人

着想段階はコントロールが難しい。このことを説明したのが、チクセントミハイだ。チクセントミハイは外科手術を行う医者とのインタビューから、物事がうまく行っているときにはチームは流れるように手術を行うことを発見した。しかしひとたび問題が起こると流れが中断される。チームメンバーの頭の中は自我意識でいっぱいになるのだそうだ。
発想にも同じことがいえる。うまく行っているときにはチームメンバーの誰彼なしが新しいアイディアを思いつく。また1つの発想がきっかけになり問題が解決してゆくことがある。このときチームメンバーの間にはある種のバランスの取れた状態がある。しかし「失敗するかもしれない」といったような不安が状況を支配すると、フローは失われる。また「退屈過ぎる」状態もフローとはかけ離れている。

学習するプロセス

学習するプロセスは着想の精度を高めたり、着想と具体的な問題を結びつけたりすることにより、思いつきを解決策に変えるプロセスだ。着想するプロセスは個人作業だが、ここではチーム作業が可能だ。学習するプロセスが効率よく進むためには「分かち合う文化」と「失敗を怖れない態度」を持っている必要がある。学習過程は、意図した行為がどういった結果を生み出すかというフィードバックのプロセスだからだ。
学習する組織について研究したのがビジャイ・ゴビンダラジャンだ。学習する組織はある文化的な特徴を持っている。これをゴビンダラジャンはコードXと呼ぶ。イノベーションを形にするためには、イノベーティブ過ぎてもでも官僚的でもダメだという。イノベーションを起こす組織は既存の概念に囚われない組織であるべきだ。一方、実行する組織には効率的な運営が求められる。しかしその経過期間には全く異なった文化が必要だ。
この過渡期の文化は「忘却」「学習」「借用」というツールを組み合わせだ。忘却が多く必要だと考えれば組織は分割されなければならないし、借用が多く必要であると思えば、組織は共通している必要がある。
忘却は昔の成功事例や親文化を忘れること。新しい人を採用したり、客観的な評価基準ではなく主観的な評価基準を作ったりすることが忘却に役に立つ。
学習は新しい製品のマネージメントにふさわしい文化を体得すること。 売り上げ達成度よりも、何を学んだかを重視する文化や独自の文化を育む力を獲得することが求められる。
もっとも全てを自前で獲得しなければならないわけではない。必要なリソースを親文化から借用することも検討しなければならない。販売チャネルやブランドなど、新興企業が一から作り上げなければならないものは借用できる。ただし、サポート部門は独立させたほうがいいそうだ。新しい事業部の破壊的なイノベーションは、既存の組織と折り合わない場合も多い。もし新しい組織を活性化させたいのであれば、新しい部門の長には高いポストを与える必要がある。

実現するプロセス

また、思いつきを形にするためのリソース(資金や場所など)が配分される必要があるだろう。
着想が実用化されるためには、学習フェイズで得られた失敗を徐々に減らし、より確実に問題点を解決するように改良を加える必要がある。この現実的な解決策を作るのが、実現するプロセスだ。ここでは「やり抜く力」「効率性」といった学習フェイズとは違った文化が求められる。

既存の組織ではだめなのか

若い組織は失敗を怖れない。まだ前例のない状態では多かれ少なかれ失敗はつきものだからだ。結果的に、多くの試行錯誤が生まれ、運がよければそのなかから生き残る人たちが生まれる。しかし、組織が成熟すると、いまうまくいっている事例を押しのけて新しい試行錯誤をはじめることは難しくなる。
また、失敗を怖れる気持ちが強くなり新しい冒険はしにくくなる。規模が小さすぎて、大きな会社が手を染めるには相応しくないということも起こる。さらに既存の顧客に焦点があたるので、今顧客でない人たちが忘れられる可能性がある。こうした現象を研究したのが、クレイトン・クリステンセンだ。クリステンセンはちいさな会社が大きな会社を凌駕してしまう事例を研究し、これを破壊的イノベーションと呼んだ。破壊的イノベーションはローコストのソリューション新しい事業分野の創出によってもたらされる。
既存事業がうまく行かなくなった場合には、もはや新しい試行錯誤をはじめる余裕はないこともある。組織の維持に莫大なコストがかかり、実験的なプロジェクトに割くことができる予算が残らないことすらある。これを防ぐには、余裕があるうちから、イノベーション活動を継続的に行なう必要がある。また、新しいものを生み出せなくなった組織を速やかに解体して、人々が新しい組織に移ることができるような仕組みを整えなければならない。
新陳代謝が活発な社会は、新しいイノベーションを通じて社会を成長させることができる。逆に、成長が伸び悩んでいる社会は、何らかの理由でこうしたイノベーションが起こりにくくなっている社会だということがいえる。結びつきが緊密すぎて、新しい要求に応えられなくなっているのだ。
最初に検討しなければならないのは、硬直した組織に創造性を向上させる可能性があるかということだろう。既存の組織のままで創造性向上を図る事ができれば、組織を変革する必要はない。また、成長は創造性の向上のみによって実現するわけではない。一つには規模を拡大することにより成長するやり方がある。また、シックス・シグマやカンバン方式のように無駄をなくして生産性を向上させるやり方がある。つまり、効率化を通じて成長を実現させることもできる。規模の拡大は大量のリソースを投入する方が有利に思えるし、生産性を向上させるためにも規模の経済性や学習の蓄積は重要だ。
一方、創造性の向上はどうだろうか。必ずしも規模が重要になるとはいえない。今持っている文化が成長を阻害していることすら考えられるので、その文化を捨てる決断をしなければならないこともあり得る。これが、拡張戦略、生産性向上戦略と創造性向上戦略のいちばんの違いだろう。

創造性の向上に必要な組織

それでは創造性の向上に必要なものは何だろうか。イノベーションは多くの新しい結びつきによって実現される。それは過去に作られた事例の組み合わせだったり、事例と問題の組み合わせだったりする。また、まだ形になっていない着想同士が組み合わさって新しい思いつきが生まれる場合もある。つまり、個々の事例が必要に応じて組み合わさることによって新しいアイディアが生まれる。
次の段階では多くの顧客や同じ関心を持つメンバーが、着想に検討を加える。これも結びつきだ。例えば自動車業界で作られたアイディアが電気掃除機の改良に重要な役割を果たすかもしれない。
そして最後の段階では、実行力を持った人たちがそのアイディアの実現化を担当する。この場合に必要なのは異なる文化やスキルの結びつきだ。
つまり、こうした結びつきを円滑にすれば、創造性の向上が図れるのではないかと思われる。
創造性を向上させる組織には二つの特性が求められる。多くの人が緩やかな標準化で結ばれたプラットフォームと、そのプラットフォームの上で柔軟に体制を変えることができる組織だ。こうした組織をネットワーク型組織と呼ぶ人がいる。

情報通信はどう進化してきたか

インターネットに代表される情報通信は、ドキュメントとドキュメントをリンクすることで生まれた。そこに意味が追加され、セマンティックという言葉が生まれる。内部的にタグで管理されたり、ドキュメント内の情報を解析することにより外部的に意味付けされたりする場合がある。こうした意味付けのシステムは緩やかに共通化されている。標準化からうまれるのではなく、多くの人に採用された規格が標準化される。これをデファクト・スタンダードという。
ここから流れは2つの方向に発展した。一つは「本を買う」とか「価格を比較する」というような機能別なまとめられ方だ。機能的にまとめられたものをサービスと呼ぶ。アマゾン(ショッピング)、グーグル(検索)などだ。もう一つの流れは情報を人別に管理するやり方だ。これをソーシャル・ネットワーキングと呼ぶ。Facebookのようにソーシャルな部分だけを担当するサービスもあるし、Amazonのようにサービスを提供しつつ書評などを通じてソーシャルな機能を持たせたものもある。

ネットワーク型組織の問題点と課題

こうしたサービスや社会化されたネットワークを使えば、今すぐにでも旧来型の組織の問題は解決し、創造性の向上が期待できるように思える。それが実現しないのはどうしてなのだろうか。そこにはいくつかの問題があるように思える。
まず、こうしたネットワーク型組織の認知が進んでいないことが挙げられる。こうした組織を適切に管理するマネジメントスタイルとはどういうものなのだろうか。例えば中央集権型の統制組織に親しんだ人たちにとって、管理しないマネジメントスタイルというのは、自己撞着語でしかない。これに付随して英語や中国語などの言語の問題やコンピュータリテラシーの問題などが挙げられるかもしれない。ネットワーク型組織を作るためのスキルが欠けているのである。
成長性が乏しくなっているとはいえ、やはり安定した収入が期待できる大企業の人気は高い。いわゆるベンチャーと呼ばれる新興企業ですら、就職の対象とは見なされにくい。また、海外の企業への就職も人気がない。人々は新しい形態を模索するよりも、慣れ親しんだ形態が復旧して以前の安定性を取り戻すのを待っているのではないかと思える。
次の問題は取引コストだ。取引を開始するためにはいくつかの障壁がある。まず、問題を解決するのに相応しい個人や企業を探してこなれればならない。問題が明確でない場合には特に厄介な作業だ。次に、その人や企業が安定した仕事をしてくれるかを見極め、プロジェクトを管理する必要がある。
こうした問題が一夜にして解決することはないだろう。具体的な課題をこなす事で、徐々に解決されてゆくに違いない。
最後の問題はシステムコストだ。与えられた問題を解決するために、カスタマイズされたシステムを作る余裕がないことがある。特に個人や小さな企業がこうしたネットワークを構築するためには、システムは比較的単純で安価ないしは無料である必要がある。しかし安価なソリューションが必ずしも悪いソリューションであるとはいえない。それどころかクリステンセンの破壊的イノベーションになる可能性もある。Open sourceでプラットフォームを作り、プラグイン型のモジュールを充実させることで、システムコストの問題は解決するだろう。

既存の文化を改良して新しい文化を作る事はできないのか

「どこに向かうべきか」は、ぼんやりとではあるが見えて来た。我々が慣れ親しんだ大企業中心の文化を改良することによって、柔軟なネットワーク型の文化を作る事ができれば、スムーズな移行が行なえそうである。ネットワーク組織を指向する研究者は「ネットワーク型組織の利点とは、必要な時に必要なリソースを得られることである」と指摘する。例えばトヨタはこれを、部品調達で実現した。必要な時に必要な部品を納入してもらうのだ。このトヨタ自動車と系列の協力会社の関係を長期的に維持するには微妙なさじ加減が必要だ。これを応用して、トヨタ自動車は好きなときに好きなだけ労働者を手配できるシステムを作り上げた。これが製造業への派遣業だ。このモデルは、かつて成功への方程式だったのだが、今では社会問題になっている。その理由はよく分からない。自動車産業がもはやイノベーションを必要としていないということなのかもしれないし、一時的な膠着なのかもしれない。また、よく正体の分からない「グローバル化」のせいなのかもしれない。
いずれにせよ、こうした既存の環境にネットワーク型のイノベーションチームを組み入れるのはむずかしそうだ。多分、デザインの下請け会社やシステムベンダーのような位置づけで終わりになるだろう。
ネットワーク型組織では発注者と受注者の関係は固定的なものではない。やりとりの結果、発注者側が組織形態を変えなければならないこともあり得るのだ。トヨタと下請けの場合には、デザイン会社の提案でトヨタ自動車が組織を変えることは考えにくい。

具体的なイノベーションのためのチーム作り

大きな絵は分かった。しかし、あまりにも漠然としすぎていて、明日からそれを取り入れるのは難しそうだ。もうすこし具体的なところから「発想するチーム」を見てみよう。
シュンペーターは、イノベーションを作り出す源泉を実行者(企業者/起業者)と実行者にリソースを分配する人々(銀行家)に求めた。銀行家は銀行に勤めている必要はない。大企業がスポンサーになって新しいイノベーションを求めることもある。もちろん、企業者も独立して会社を起こさなければならないわけではない。企業者/起業者( Entrepreneur)は、ルーチンワークをこなすだけではなく、新しい組み合わせ(これを新結合という)を創造し実践する人のこと。シュンペーターはなぜかフランス語を使っている。一方、銀行家は財貨を持たない起業者に貸し付けを行い「信用」を付加する。銀行家は古い勢力から財貨を持ち出して新しい勢力に財貨を貸し付けて、信用を創出するのである。
経営の神様ドラッカーは「イノベーションは理論的分析と知覚的認識だ」といっているそうだ。しかし、これだけでは抽象的すぎてよくわからない。トム・ケリーは、『イノベーションの達人』の中で、イノベーションに関わる人たちをさらに細かく分類した。ずいぶん実務的な分類である。実務者なので、企業者/起業者にあたる人たちだ。
トム・ケリーのイノベーションは観察する所から始まる。人類学者の役割は観察するだけ。しかし観察するためにはただ漠然と見るだけではだめで、科学的な観察能力が必要とされる。また、観察対象を求めて探索する能力も求められる。ものを見るというのはそれだけで大変なスキルなのだということが分かる。
計算されたリスクを犯す実験者は、実験を繰り返し失敗の中から学ぶ。
花粉を運ぶ人は異文化を結びつける人。イノベーションの達人の中では無印良品が紹介されている。花粉を運ぶ人は、T型人間であるべきだ、とケリーは言う。これは得意分野を一つ持ち、幅広い分野に興味を持っている人という程の意味である。
無理と言われてもあきらめないハードル選手。企業は官僚主義に支配されることがあるのだが、それを乗り越えて突き進む人たち。 3Mの事例が挙げられている。
コラボレーターは多彩なチームを結びつける。このあたりからマネージメントの力が重用視されるようになると言えるだろう。イノベーションは異文化が交流することにより生まれやすい。インターネットが発達しても、リチャード・フロリダはイノベーションを起こす人たちが集まる場所は仮想の空間ではなく、都市であると考えている。
監督はスタッフを連れてきて、手助けする人たち。「ひらめき」を「形」にするためには、適切な管理が必要とされる。ケリーの本では、ブレインストーミングが紹介されている。ただ闇雲にアイディアを求めるのではなく、適切な管理・運営進行が必要とされる。ケリーのIDEOには、必ず視覚化するなどのルールがあるそうだ。
経験デザイナーは経験を作る。紹介される例はコールド・ストーン・クリーマリーの例。アイスクリームパーラーは成長が鈍化した業界だと思われていたがアイスクリーム作りのパフォーマンスを売り物にして成長した。コールド・ストーン・クリーマリーはこれを「ハッピー・クリーマリー体験」と呼んでいる。「お客様が店にいる間、ハッピーでいられるようなおもてなしをする」ことだそうだ。同じような価値観はスターバックスにも見られる。スターバックスの場合の経験は幸せではなくくつろぎである。
舞台装置家は働きやすく発想しやすい環境を整える。コラボレーターや監督と並んでマネージメントの仕事である。例えば、パーテーションで区切られたデスクではなく、顔の見えるデスクを使ってお互いの意思疎通を図るなど場所と雰囲気作りに工夫をこらすことが大切だという。
介護人はサービスを超えたケアを顧客に与える。バンク・オブ・アメリカの例が紹介されている。銀行を訪れると案内人が出てきて困ったことがないかに気を配ってくれる。もちろん番号札を取らせて待ってもらうこともできるだろう。自動化してしまったプロセスに人手を加えることによってサービスを向上させることができる。
最後に出てくるのは語り部だ。経験デザイナーと同じようにストーリーの力を利用している。ストーリーは概念を形にして聞き手を経験の中に引き込む力を持っている。ストーリーは顧客にも語られるし、従業員の間でも共有される。 有名なストーリーに「HPはガレージから始まった」というものがある。

イノベーターのための学習ガイド

学習はいくつかのフェイズで完成する。すなわち「計画」「実施」「比較」「評価」である。本腰を入れて計画を立て、計画は必ず実行する。この時目標は「必達」ではなく、学習であることを理解することが重要だ。また、結果はかならず事前の予測と比較する。そして生み出された差異は必ず分析しなければならない。この時に、何が原因で、何が結果だったかを理論建てて図示するなどして、部門内で共有する必要がある。
事後に検証可能な計画を真剣に立てる。目標は必達ではない。何を学べるかが重点だ。だから、あらかじめ立てた計画とのずれを必ず検証しなければならない。逆に、 目的が達成できたときには注意を要する。偶然達成されただけかもしれないからだ。

コラボレーションのためのリソースガイド

常時連絡を取り合ったり、とりとめのないアイディアを交換し合ったりするのには、マイクロメッセージサービスが適している。現在最も注目されているエリアで、Twitterやオンラインチャットサービスが挙げられる。Twitterは会話の内容を後から検索することができるのだが、非公開にしたい会話には向かない。
次に使われるのは、情報を蓄積したり、共有したりするサービスだ。チームを組んで情報を共有できるサービスにGoogle Appsがある。公開してもいい場合にはmedia wikiが使える。また、議題を決めて話あいをするためのフォーラムを設置できるサービスもある。例としてbb pressを挙げておく。顧客からのフィードバックを得るためにFacebookを使ったアプリケーションを構築する手もある。
もちろん、ブログを使って議論を深めることも可能だ。ただし、ブログは多くの人が使っているので利用方法はまちまちだ。まずコアになるメンバーがトラックバックやコメントの使い方を決めておく必要があるだろう。いったんルールが決まったら後のメンバーはそのルールに従うはずだ。ソーシャル・ネットワーキングのアカウントと組み合わせ可能なコメントシステムがいくつか出ているので、匿名のユーザーにシステムを荒らされたくない場合にはそれを利用するとよいだろう。
また、自前のソーシャルネットワーキングサービスも出ている。ここではbuddy pressを挙げておく。

いま、イノベーティブな組織を作るのに必要なもの

まず、第一に必要なものは具体的なプロジェクトだろう。実際に成果がでてはじめて社会的な影響力をもつことができそうだし、事例ごとに必要なプロセスは異なりそうだ。次にそれを実現するための資金が必要になる。サーバーやプログラムは無料のものを使うことができるだろうからそれほど大量の資金は必要にならないはずだ。
リソースよりも重要なのは同じビジョンを持った人たちと、新しいものを創造したいという意思ということになるだろう。目標する組織があまりにも既存の形態と異なっているので、コンセプトから新しい形を創造するスキルも必要になるだろう。
最も重要なのは、このままではいけないのではないか、もっとよいやり方があるのではないかといった探究心ということになる。
新しいアイディアを作るために必要なのは継続的なフィードバックだそうだ。それはこのドキュメントも例外ではない。よりよいアイディアを持っていると思う人は、ぜひこの機会にご連絡をいただきたい。

参考文献

戦略的イノベーション 新事業成功への条件 (ハーバード・ビジネススクール・プレス)ビジャイ・ゴビンダラジャン (著), クリス・トリンブル (著), 酒井泰介 (翻訳)
ブレイクスルー -イノベーションの原理と戦略-マーク・シュテフィク、バーバラ・シュテフィク(著)、鈴木浩、岡美幸 (翻訳)
明日は誰のものか イノベーションの最終解 (Harvard business school press) クレイトン・M・クリステンセン、スコット・D・アンソニー、エリック・A・ロス(著)、宮本喜一 (翻訳)
イノベーションの達人!―発想する会社をつくる10の人材トム・ケリー (著), ジョナサン・リットマン (著), 鈴木主税 (翻訳)

多様性とアイルランドのジャガイモ

不確実性の時代の中にも、前回ここで取り上げたアイルランドのジャガイモ飢饉の話が出てくる。1840年代、20%のアイルランド人が死に、それ以上の人々をアメリカ大陸に脱出させることになった出来事だ。その後、カリフォルニアで金鉱山が発見され、49ersと呼ばれた人たちが太平洋を目指すことになる。
このジャガイモ飢饉を見るとある疑問が浮かび上がる。アイルランドにジャガイモ以外の食べ物はなかったのだろうか、という疑問だ。畑が完全にダメになったとしても、海で魚を取れば良かったのではないだろうか。どうしてアイルランドの人たちは死にそうになっているのに、ジャガイモ以外の食べ物を探そうとしなかったのか。
とりあえず、その疑問を例によってLinedinで聞いてみた。一晩で寄せられた回答は6つ。
まずベストアンサーになった回答ではこう記述されている。1800年代、ダブリン・ソサエティー・サーベイによるとキルケニー郡だけでも12種類のジャガイモが栽培されていた。貧しい人たちは、大麦、オーツ麦、ライ麦、マメ、その他の野菜も栽培していた。しかし1840年代までにはそういった多様性は多くの心配にも関わらず消滅してしまった。学者達はこう合意する。簡単に栽培できて栄養もあるジャガイモが、ある日人々を殺すことになるだろうということを貧しい人たちが予測することは出来なかっただろうと。
別の回答は、使える土地は既に他の産業によって占有されてという事実を指摘している。魚を穫るのだってもとでがいる。当然のことながら、貧しい小作人にそのようなもとではない。加えてノウハウもなかっただろう。アイルランドの飢饉は、農地にふさわしい土地が少なく、近海に魚がいなかったからだと言う人がいるが、これは事実とは異なるそうだ。実際、現在のアイルランドではニシン、タラ、ロブスターなどが水揚げされる。
アイルランド人の小作たちがジャガイモに頼るようになったのは、それが唯一自分たちに生産できる食料だったからである。畑で作ったものは地主におさめなければならなかっただろうし、つまり社会的な資源の配分がうまく進んでいなかったわけだ。歴史上よく起こることだが、被支配層の人たちの中から自律的に改革の運動がわき起こることはほとんどない。彼らは自分たちが手に入れることができる情報と資源をもとに、そのとき最適と思われることをやる。アイルランドではそれが「誰でも耕作できるジャガイモ」に向かい、食料の多様性を消失させることになった。つまり多様性の消失は「なりゆき」だったのである。
前回にも触れたように、こうした事実があったにも関わらず、1840年のアイルランドの港からは食料がイギリスに向けて輸出され続けていた。そしてイギリス政府は飢えて死んでゆく小作民に大した援助を与えなかった。アイルランド人の農民は怠け者だからだというのがその理屈だったようだ。
ベストアンサーの回答者が指摘するのは「政治的リーダーシップの不在」だ。この政治的リーダーシップとは何なのだろうか。人々がジャガイモばかり栽培していて、うまく行っているとき「もしジャガイモが不作になったらどうするのだ」と警告を与え、食料生産に多様性を与えるような栽培計画と資本管理を行なうことだろう。これを一般化すると、現状を分析し、あるべき未来のために行動を起こすことがリーダーシップと言えるだろう。しかし、多くの人が説明するように、そんなことは不可能だった。
このことを笑うことはできない。今の日本では多くの人たちが生産手段を持たない。そして、直接的、間接的に自動車や電機といった輸出産業に依存している。確かに、GDPが輸出に依存する割合はそんなに大きくなかったのだが、多くの産業がこれに依存する形になっており、輸出産業の不振が経済の不調を招いた。しかし「アメリカ一国への依存は危険だ」といって、そのために具体的アクションを取る政治家はいなかった。また、多くの農家が、長年作り慣れた米を作り続けているのだが、これを改めようと言う人たちも出てこない。民主党政権にいたっては、そうした人たちは困っているのだから、所得が足りなければ税金から補えばよいと言っている。まず米や麦などからはじめるそうだ。これは日本の農業から多様性を奪い、農業そのものを衰退させることになるだろう。人々が簡単で慣れ親しんだ習慣を捨てて多様性を目指すのは難しいことだ。
さすがに、米の不作を招く疫病が日本全土に蔓延するとは思えないのだが、多様性を欠いた産業構造はちょっとしたショックで簡単に瓦解する。農家の戸別補償のような保護政策が「疫病化」することもあり得る。政権交代で戸別補償制度が廃止されてしまえば、依存体質になった農業は瓦解してしまうに違いない。多様性の少ないシステムが崩れてゆくとき、救済の為に取り得る手段はあまり多くないのだ。アイルランドの場合、人口が減少することにより、それまでに成立していた婚姻システムがうまく働かなくなり、家族制度が崩壊した。それが言語の衰退を招き、ゲール文化の衰退にまでつながってしまったのである。