何気なくPEOPLEという雑誌を開く。載っているのは、主に芸能人のゴシップ記事だ。そんな雑誌の終わりの方に決まって手や足のない人の写真がある。顔にやけどのある人を見かける事もある。イラン戦争の復員兵たちだ。日本ではなかなか想像できないことだが、アメリカでは普通の光景らしい。
春頃から始まった集団的自衛権を巡る対立を見るたびに、このことが頭に浮かぶ。日本人はこの光景に耐えられるのだろうか、政府はどう「説明する」のだろうかと思うのだ。
米軍の死者数は4,000名以上だとされるが、日本ではイラク戦争の死傷者は単なる数字として扱われる。この他に、けが人が30,000万人以上いるのだが、この人たちが消えてなくなることはない。そのまま社会が受け入れなければならない。だから、アメリカではこれは単なる数字の問題ではないのだ。
復員兵の中には自殺をする人もいれば、精神的に異常を来して殺人を犯す人もいる。こうした「事件」が新聞に載ることもあるのだが、全てがマスコミで扱われることはない。アフガンとイランの復員兵は1日に22人も自殺しているという話がある。もはや日常なのだ。
今回の法案については、賛成とか反対とかいろいろな意見があるだろう。こんな悲惨な経験をするくらいなら「戦争法案」を絶対に認めたくないという人もいるだろう。だが、アメリカ人の立場に立つと、アメリカ人はそれだけ多くの犠牲を引き受けているのだから、便益を受けている国が知らないふりをするべきではないという意見を持つ人もいるかもしれない。
永田町の周辺では、今日一日混乱が続くだろう。目の前にいる対立に目を奪われて、自分たちが何をしようとしているのか、どこに行こうとしているのかについて考える事は難しいかもしれない。
それでも、と思う。せめて一分間だけでも冷静になって、普通の新聞や雑誌に復員傷兵の記事が載るのを想像してみて欲しい。その記事をみたあなたは納得して彼ら(彼女かもしれない)を受け入れることができるのかを考えてみるべきだ。
一分間目をつぶった後に、もう一度テレビを通じて行われていることを見て欲しい。デモの現場にいるなら目の前で行われていることを見てもらいたい。きっと、その光景を今までとは少し違って見えるはずだ。
できることならば、その気持ちを周囲にいる人と共有してもらいたい。本当の話はそれから始まるのではないかと思う。
佐野研二郎氏はなぜ追い込まれたのか – デザイナー叩きについて考える
デザイナーの佐野研二郎氏がデザイン撤回に追いこまれてからしばらく経った。パクリの常習犯だから追いつめられたのは当然だという意見もあれば、ネットのいじめは執拗過ぎたという批判もある。どうしてこのようなことが起きたのだろうか。人間には「人をいじめたくなる遺伝子」のようなものが備わっているのだろうか。
手始めに「いじめが快感を生み出すのか」について調べてみた。一般に人は他人の苦痛を自分の苦痛として感じる能力がある、とされる。「いじめ常習犯の中には、他人の苦痛に快感を感じる人がいる」という研究もあるにはあるのだが、ごく一部に限られているようだ。サイコパスという気質があり、他人と共感関係を結び回路が壊れている人もいるようだが、これも一部に限られる。どうやら、いじめが快感を生み出すという仮説は証明できそうにない。
脳に快感をもたらす活動は多岐に渡る。その中でも特に複雑なのが学習に関する活動だ。人間は、不安定な状況で新しい技術を獲得し、状況をコントロールすることに快感を感じる。また、情報の一部が隠されるとそれを埋めて知識を完成させたくなる。これを形式化したのがゲームである。
研究によると、ゲームをしている人の脳では複雑な活動が起きている。側坐核や扁桃体といった快感に結びつく領域とともに、作戦を考える前頭前皮質のような領域が活発に活動するのだという。快感に結びつく回路を報酬系というのだが、報酬系は欲求が満たされた時だけではなく、報酬を得ることができると期待しただけで活性化される。
思い返してみると、騒動の最初のきっかけは「たまたま似ている」デザインがテレビで公表されたことだった。佐野氏がこれを「パクリではない」と主張したために、ネットでは佐野氏が「パクっている」証拠を掴もうとやっきになった。過去の作品から似たデザインがいくつも見つかると「似たデザインを探し、嘘を暴く」というゲームが生まれた。似たデザインを探して公表すると、ネット上では反響があり社会的報酬が得られた。ゲームが拡大するとテレビでも取り上げられる。報酬が増え、さらに参加者が増えた。これを助長したのは組織委員会側だった。状況が過熱したところで、デザインが修正される経緯を発表したのだが、これはゲームに参加する人たちに新しいパズルを提供することになった。
つまり、これは巨大なソーシャルゲームであり、社会協力を通じた学習活動が遊戯化されたものだったのだと言えるだろう。そして、最終的にデザインが撤回されることでコンプリートした。「ラスボス攻略」だ。
ゲームに夢中になっている人は、相手がどのように苦しむのかを考慮していないという点は忘れてはならない。シューティングゲームで人を殺しても罪悪感を案じないのと同じ事だ。実際のいじめを防ぐ為には「できるだけ報酬を与えず」「行われている行為はゲームではないと認識させる」ことが重要だろう。
いずれにせよ、社会協力を通じた学習活動は脳の働きを活発化させる働きがあるようだ。ネットの活用でかつてのようなコストをかけずに、こうした活動ができるようになった。これを社会改革やイノベーションのために活かす事ができれば、世の中を良くする為に役立てることができるだろう。
もともと日本人は社会協力を通じた学習活動に熱心に取り組む国民だ。かつては製造業の現場では「改善活動」という品質管理の取り組みが行われていた。チームで協力して状況を改善すると金銭的報酬の他に社会的な報酬が得られたのだ。これはKAIZENという英語になり、各国に輸出されたほどだった。
ネットを使った社会協力が現状破壊にしか向かわないのは残念なことだ。裏を返せば、企業の生産活動や社会改善では報酬が得られにくくなっているという現状があるのだろう。
選挙とデモのどちらが民主的なのか
安保法制に関する議論が過熱するに従って各地で反対デモの動きが広がっている。デモ推進派はデモこそが民主主義だと言っている。一方で、法案賛成派は「選挙に行かないお前たちが悪いんだろう」と主張する。経済学者の池田信夫は選挙を無視してデモが民意だという朝日新聞はナチスを思わせるとまで論評した。さて、どちらの言い分が正しいのだろうか。
デモに参加している人の方が「守旧的」な考え方を持っている、というのは確かだ。
民主主義にはいろいろな物事の決め方がある。多数決とコンセンサス合意型の意思決定だ。このうち根回しを重要視するコンセンサス型の方が日本的だ。根回しを怠ると「俺は聞いていない」と文句をいう人が出てくる。今回のデモは「戦争するなんて俺は聞いてないよ」というものだから「根回しの失敗」だと言える。
これを変えようとしているのが、安倍晋三や橋下徹といった「西洋型」のリーダーだ。「決める政治」を行おうとしている。一度従ってみて、ダメなら選挙で交代させればいいというのが多数決型の政治だ。実は「決める政治」への指向は随分前から高まっていた。それがマニフェストによる政権選択選挙だった。政党が予めマニフェストを決めて、国民に選んでもらおうという仕組みである。
ところがマニフェスト型政治は3年で行き詰った。国民が変わらなかったからだ。
日本人はコンセンサス型なので、マニフェストには既に合意の形成された(つまり当たり障りのない都合の良い)事しか書けなかった。また、党内の幅のある(言い換えればバラバラな)意見の集約が十分にできず議論を呼ぶような政策は書けなかったのだろう。有権者にも原因はある。重要なことは前もって相談してもらえるはずだという思い込みがあり、事前に「契約書」であるマニフェストを読まなかった。コンセンサスが重視されるはずだという思い込みはかなり根強いのだ。
次に、今回デモをしなければならない「やむにやまれない事情」があったかを考えてみたい。
通常、デモが用いられるのは、議会に十分にアクセスができない時だ。例えばアメリカの公民権運動ではデモが多用された。黒人にも選挙権は与えられていたのだが、難しいテストを受けさせられて、理由もなく登録ができないことが多かったのだそうだ。意見表明するためにはデモをするしかなかったのだ。最近ではカタルーニャ州の独立を求めるデモが行われ、140万にが参加した。カタルーニャ人はスペインでは多数派になれないので、自主決定権の拡大を訴えてデモをしている。
つまり、大規模なデモは「民主主義が失敗して、代表者を議会に送れない」時に起こるのだ。イギリスの機関が調査した民主主義指数では、日本は「完全な民主主義国」に分類される。完全な民主主義国は2014年の調査では24か国しかない。だから、民主主義が失敗しているとは言い切れない。
しかし、現実的に日本でもデモが起きている。一体何が失敗しているというのだろうか。
小選挙区の元では限られた選択肢の中から1つしか政策を選ぶ事はできない。加えて、どの政党も当たり障りのないことしか言わない。さらに、いざ選挙で選ばれても党首の意思で政策の幅が制限されてしまうのだが、国民は党首を選べない。つまり、現在の選挙制度は国民の意思をほぼ反映しない制度になっている。
つまり、もしデモをするなら「選挙制度改革」こそが重要なターゲットだと言えるだろう。できるだけ多様な意見を国会に送り込むことこそが民主主義を成功させる秘訣だといえる。一方でこれは「コンセンサス型」政治の復活を意味するだろう。
これまでの議論で分かるとおり、コンセンサス型の政治は「決められない」「現状維持の」政治に陥る危険がある。だから、日本では長い間「強力なリーダーが状況を打開してくれればいいのに」という待望論があった。橋下徹のような「決められる政治家」が期待されるのはこのためだ。もし、決められる政治を指向するのであれば、アメリカで行われているように、1年くらいかけて政治家のマニフェストをじっくりと精査するべきだ。ただし、この場合は後で「聞いていなかった」というのはナシだろう。
いずれにせよ、次の「聞いていなかった」はかなり致命的なことになるはずだ。自民党の新しい憲法草案は、内閣の一存で集会の自由を制限ができるようになる規定がある。内閣が「公の秩序を乱すから集会は禁止だ」と言うだけで良く、かっこうよくラップなんかできなくなってしまうだろう。争乱に関する規定もあり、内閣に強力な権限が付与されるようにもなっている。
「気に入らないならデモをすればいい」は通用しないのだ。
一方で、中国の脅威から身を守るために憲法第九条を変えたいと思っている人たちにとっても都合の悪い内容だといえる。自民党の憲法修正案は革新的な(あるいは過激な)内容なので、憲法改正への国民のコンセンサスは容易には得られないだろう。
合意形成型意思決定の方法とメリット
近年、様々場所で「民主主義の危機」が叫ばれるようになった。その議論の根本を探って行くと、合意形成に関する知識が明文化されていないことに原因があるのではないかと思う。言い換えれば、日本人がかつて持っていた暗黙知に基づく合意形成の秘密が失われたにも関わらず、それに代わる新しい合意形成の方法が見つかっていないことが問題になっているのだと思う。つまり、先に進むことも戻ることもできなくなっているのだ。
合意形成型の意思決定には多くのメリットがある。そのメリットとデメリットについて知ると、民主主義がどうあるべきかということが議論できるようになる。
合意形成のメリット
合意形成型の意思決定は面倒なプロセスだがメリットも多い。まず、多様な知恵が集められるのでより良い判断が下せるようになる。また、グループ内の人間関係も円滑になるだろう。さらに、実行段階では関係者の協力が得やすくなるというのも優れた点だ。
アジェンダの明確化
合意形成を目指すためには、まず「何を決めるべきか」を明確にする必要がある。次に利害関係のある関係者(ステークスホルダ)をできるだけ多く集める。さらに、関係者にできるだけ多くの正確な情報を渡して考えてもらう必要がある。いつまでに何を決めるべきかというゴールを設定するのも大切だ。さらに、議論や意思決定のプロセスに信頼がなければせっかくの合意も無駄になってしまうかもしれない。
意見と対立点の可視化
人の意見は多様なので、できるだけ多くの人から意見を聞くのが大切だ。賛成か反対かを尋ねるのではなく、その裏にある理由(個人的な好み、心配事、利害や関心)などを聞き出すべきだ。問題点はできるだけ明瞭に言語化する必要があるが、全ての人が本心を明確に言語化できるわけではない。聞き手(ファシリテータ)の手腕が問われる。また、透明性を高めるためにも、意見はみんなが見ている前で表明すべきだ。裏で一部のグループがこそこそと話しあうのはルール違反だろう。
次に、対立点を明確に提示しよう。最初にA案とB案があるとして、その案が全ての人を満足させるとは限らない。歩み寄ったり、新しい案(C案)を作る必要があるかもしれない。議論をしているうちに、最初とは違った考えを持つ人もいるだろう。
感情的な議論を避けるには
意見の相違は人と人との対立になることがあるがこれは避けるべきだ。個人攻撃も避けるべきだ。また、相手の立場になって考えることも重要だ。切迫した議論が続くと興奮して感情的な議論に発展することがあるので、小休止を入れる必要もあるだろう。中立な調停者(メディエータ)を立てると対立が激化するのを防ぐことができる。
合意形成は全員一致とは違う
合意形成は「全員が完全に納得する」のとは違う。賛成とまではいかなくても全ての参加者が受け入れ可能な案を作る事が需要だ。また全てのメンバーが採決に参加すべきだというわけでもない。情報提供だけで十分な人もいれば、議論にコミットするべき人もいる。また、できるだけ多くの人が満足する案を作らなければならない人もいるだろう。重要なのはできるだけ多くのメンバーが平等に意見を述べられるようにすることだ。
合意形成型意思決定のデメリット
合意形成型の民主主義には少数派の意見を聞き、よりよい解決策を模索できるというメリットがある。しかし、合意形成型意思決定は万能というわけではない。まず、合意形成型の意思決定は現状維持に陥りやすい。次にいつまでも合意が得られないと反対派メンバーへの敵意が造成され、グループが仲間割れする危険性もある。さらに安易な解決策に流れるグループシンキング(集団思考)も陥りやすいわなの一つだ。
つまり、民主主義は必ずしも合意形成型であるべきとは言えない。多数決で結論を出すタイプの民主主義もあれば、多数派のリーダーが意思決定を行うタイプの民主主義もある。ただし、多数決で物事を決めた場合、うまくいかなれけば、形勢が変わって合意形成がひっくり返ってしまうことも覚悟しなければならない。変革には向いているが失敗する可能性もあるのが多数決型の民主主義なのだ。
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戦前の二大政党制は、崩壊した生徒会に似ていた
民主党と維新の党の一部に「解党して出直し」という声がある。党内の複雑さを解決できない人たちが、組み合わせを変えたらなぜ国民の支持を得られると思うのか、全く理解できない。目的は単に「二大政党制の一翼を担う」ということだ。つまり政権を取ることが自己目的化しているのだ。しかも、再編に自信がないらしく、一部の議員はTwitterで仄めかすような呟きを送り続けている。
過去にも大正時代から昭和の初期まで二大政党制が実現した時代があった。イギリスやアメリカの政治状況を模範とし「一つの内閣が失敗した対立する政党が政権を担えば良い」という仕組みだった。二大政党同士が次第に相手の足の引っ張り合あうことになり、国民の信頼を失った。代わりに国民の期待を集めたのが「実行力のある」軍部だった。
日本で政党政治が根付かなかった理由には諸説あるようだ。理由の一つとして挙げられるのは調停者の存在だ。主権者は天皇なのだが、実際は天皇の側近(元老や内大臣)が調停して首相を決めていた。議会には決定権がなく、首相は議員でなくてもよかった。
つまり、戦前の政党政治は生徒会に似ていた。生徒は自治をしているようだが、実際に権限を持っているのは先生だ。生徒会に二つの異なる意見を持った派閥が対立に陥っても、生徒は妥協する必要はない。最終的には先生が出てきて「仲良くしなさい」と言ってくれるからである。
戦前の政府が扱った問題は不況だったが、内閣は有効な対策を打つ事ができなかった。これを打開するために中国に進出するかどうかで揉めることになる。そこで軍人が「暴走」して既成事実を作り、不況が解決した。
総理大臣には大臣を解任する権限がなかった。そこで意見の違い(閣内不一致)が起きると、内閣が瓦解するという仕組みだった。形式上は天皇という強いリーダーがいたために、総理大臣が強い権限を持つことは許されなかった。「みんな仲良く」が原則だったのだ。
実際には天皇が強いリーダーシップを発揮して最終的な決断をすることはなかったし、総理大臣をアポイントしていた重臣たちが行政に対する責任を取る訳でもなかった。責任を問われるのは内閣だが、強い権限はなかった。
これは先生が学級内の対立に対して見て見ぬ振りをするのに似ている。生徒たちも自分たちで問題を解決すするつもりはなく(あるいは解決する能力がなく)問題はエスカレートするばかりだ。先生が介入しない理由は簡単だ。介入して問題解決に失敗すれば、先生の威厳に傷がつくからだ。そもそも、先生は自分で問題を解決するスタッフを抱えているわけではないので、主導権を持って動くことはできなかっただろう。
日本は誰も問題が解決できずに、戦争という画期的な打開策に飛びつき、最後には自滅した。
現在の状況は戦前に似ている。とはいっても、安倍首相が日本を戦争に導くというわけではない。日本には国防に関する主権がない。アメリカは中国との全面対立を望まないだろうし、世界第二位と第三位の経済大国を戦争させることもないだろう。
現在の主戦場は終わりの見えないデフレ状態、進む高齢化、増え続ける社会保障費などだ。経済はグローバル化しており一国の経済政策で解決することはできない。政党は問題を解決できないのだから、問題を先送りするか相手を非難して罵り合うだけになってしまう。
これを打開するために「アベノミクス」対策が打たれたのだが、これが決定的な打開策なのか、軍部の暴走に近いものなのかはまだ分からない。日銀が国債を買い受けてくれるという画期的なプランであり「いくらでも」借金ができるのだが、どこまでできるのかも、山がいつ崩れるのかも予測はできない。さらに豊富な年金資金で株価をつり上げているのだが、株式市場は乱高下を続けており、いくら損をしたのかも分からないのだ。
戦前の軍部はアメリカと敵対して勝てる見込みのない戦いに突入していった。議会と政党は内輪もめを繰り返し、ただ傍観しているだけだった。今度の「敵」はグローバル金融市場だ。野党はなんら解決策を打ち出さずに、身内の論理で「純化闘争」を行っている。
学校でいうところの先生である主権者はただそれを傍観しているだけなのである。
普通でない国の普通の若者が叫ぶ
SEALDsの代表者だという学生がテレビのニュース番組に出て、淡々と自分の意見を述べた。安倍首相は日本を「軍隊を持つ普通の国」にしたいと考えている。ところが、軍隊のない国で育った「普通」の学生の感覚から見るとそれはおかしなことなのだ。
集団的自衛権を巡る不毛な争いは意外な問題を顕在化したと思う。代表者は「我々は不偏不党だ」と言った。どんな党でも受け入れますよという意味らしいが、すなわち全ての党が「偏っている」という認識の裏返しだ。
これは、かつての自民党や公明党が「中道」を唱っていたのと似ている。今でも自民党支持者は(端から見れば右翼的でも)自分は中道だと考えているのではないかと思う。また、かつて多くの日本人は自分が中流に属すると考えていた。
どうやら、日本人は「偏り」を嫌うらしい。普通でいたいのだ。
これまでの「無党派層」というくくりへの認識を変えなければならない、と思った。無党派とは政治に興味がなく、自分のポジションと合う政党を見いだせない人という暗黙の認識がある。ところが実際の無党派は「自分たちがポジションを持つべきだ」とは考えていないのかもしれない。代わりに「普通で正統な」何かを求めているのだ。
SEALDsを応援する人たちの中には非正規労働者が含まれるだろう。しかし、彼らが党派を主張することは、普通ではなくむしろ下流だということを認めてしまうことになる。「弱者が訴えるのは痛々しい」という人もいる。だから、彼らは党派を形成しないだろう。
ポジションそのものが否定されているわけだから、二大政党制も存在し得ない。あるとすれば「正統な政党」が一つと、それを否認する政党だろう。それはアクセルとブレーキという「普通」の二つの側面だ。二つはある意味では一体なのだ。
この「普通」に関する認識は田崎史郎さんのいらだちによく表れていた。SEALDsの代表者が偏った意見を持っていれば、声を上げることはなかっただろう。むしろ「政治を良く知っている自分」が善導してやろうとすら考えたかもしれない。しかし、この「普通の学生」が整然と自分の意見を言うのを聞いて、ついに声を荒らげた。内心、かなり焦っていたのではないかと思う。なんとかしないと、自分が普通と乖離した「偏った」存在であることがバレてしまうからだ。テレビは彼の焦りを遠慮なしにさらけ出した。と、同時に普通の持つ呪縛のような根深さが浮き彫りになった。
SEALDsの代表者はまた「現在の野党には期待していない」旨の事の発言をしていた。一昔前の有権者はある種の落胆を持って「頼れる政党はないものか」と思っていた。ところが、もはやそうした期待すらなくなってしまったらしい。政党はすべからず偏っており、劣っているという認識なのだろう。
民主党と維新の党の一部は安保法案に対する不信が高まっているのに、自分たちへの支持が上がらない事にいらだちを見せている。そこで法案成立が目の前だというのに、自分たちの勢力争いのための議論を始めてしまった。これでは法案を反対していたのが自分たちのプレゼンス誇示のためであることがあまりにもあからさまだ。「うらごころ」は嫌われるが、今回の動きは注目すらされなかった。
党派は権力闘争を生み先鋭化し、主導権争いは自己目的化する。これは過激な左翼闘争から学んだ教訓だった。現代の学生団体はこれに学び、強力な指導者が強い主張をすることを避けている。一方で、既存の政党は党派の支配権を得る為に、数年ごとに離合集散を繰り返し「普通の」人たちから見放されてゆく。中心を求めれば求めるほど、周縁に弾き飛ばされてしまうのだ。
今回の安保法制制定過程では、黙して語らないはずの中心が特定の意見を述べてしまったために、全体を巻き込んだ大騒ぎが起きたのだ、と考えることができる。いったんできた溝を埋められる人は誰もおらず、全ての人が自分が正しいのだと主張して止まない。全ての人が冷静さを失い、自分たちの物語を呟いている。
ここで、多様な意見を持っている人が全て普通でいることなどできないはずではないかという疑問が湧く。物事には全て中心と周辺があるはずだ。そこで日本人は中心に何も置かないことを決めた。よくある例えだが、神社の中心には何もないか、中心を覗くことができない。東京の中心には大きな森があり、そこに政治的には何も言わない精神的な指導者が住んでいる。中心について何も語らないことで、周縁を作らない工夫をしてきたものと思われる。
こうした日本人が持っている感覚は普段は隠れている。何かの隙にふと立ち現れるのみだ。表面上は西洋的な民主主義国家を装っていても、その下には全く別の層が隠れているのだ。
集団的自衛権議論 – 混乱を越えて
もともとはアメリカのリクエストだった。9.11のあと、アメリカは日本にもアメリカを防衛する義務を負わせ、日本との同盟をNATO並の集団的自衛の枠組みに変えようとしたのだ。こうした構想は過去にもあったが、オーストラリアや韓国などの周辺国が反対していた。韓国は未だに懸念があるようだが、オーストラリアは賛成に転じている。
これは日本政府にとっては名誉なことだった。ようやく、一人前の国として認められたのだ。これは名誉な事だから普通の国になろう、と国民に説明すれば良かったのだ。
ところが、国民に説明する段階になって、安倍首相はひるんだ。アメリカのリクエストに応えるには憲法改正が欠かせないが、それが受け入れられないと見ると、現行憲法下で運用可能だと言い出した。そして「アメリカを守るため」ではなく「日本の専守防衛のため」なのだと国民に説明した。そして表向きは国の名前を挙げずに中国と北朝鮮の脅威を煽った。
こうした制約のもと、内閣官房で大急ぎで「理論構築」したうえで法律の改訂作業に入った。関係する法律が10本もあった。少人数で急いで作ったので完成度の低い法律群ができた。問題だったのはアメリカのリクエストがよく分からない点だ。そのため、自由度を増す必要があり「内閣の裁量で如何様にも解釈できる」体系になった。
時間が短かったせいもあり、防衛省には根回しをしなかったのだろう。防衛省はこれに反発したようだ。外務省の得点稼ぎのために隊員の命を危険に晒す事になる。その上、アメリカ軍との一体化意識が強い。自衛隊のトップは防衛大臣の頭越しに軍関係者と直接やりとりしており、反発する者は機密書類を共産党に流したりした。政府のコントロールが利いていないらしいことが露呈した。
このように色々な欠陥があるので野党は反発したが、数で押し切られるのは最初から分かっていた。そこで憲法の問題を取り出した。しかし、国民はこの件について「違憲」を申し立てることができないことも明らかになった。さらには、憲法を厳密に解釈すると自衛隊も違憲になってしまうということが明白になった。共産党は自衛隊を廃止すべきだと考えており、社会民主党は日米同盟の役割は終ったと考えている。
国民の総意というものがあるとすれば、それは現状維持だ。だから矛盾していても構わないと考えるのだ。憲法改正して第九条をなくすのも不安だし、かといって自衛隊や日米安保がなくなるのも困る。
手詰まりになった野党は「戦争法案」という名前をつけて法案に悪い印象を持たせることにした。民主党は徴兵制度が復活するかもしれないと煽った。主婦向けの雑誌がそれを取り上げたりした。
もともと中国と北朝鮮の脅威論はあった。背景には中国経済の急速な台頭がある。中国が経済的に成長していることを認めたくないので、それを軍事的な脅威にすり替えるようになった。それがネット右翼と呼ばれる下層に広がった。
一方「戦争法案」というレッテルも想像以上に響いた。もともとの憲法九条擁護派(共産主義が失敗した左翼にとって最後の拠り所になっていた)に加わったのは、先行きに不安を持つ若年層だった。現在はそこそこ幸せだが将来に漠然とした不安を抱えているものもいれば、実際に経済的に困窮している人たちもいる。彼らの不安(というより国民全体の不安なのだが)を解決するには、まず問題を知る必要がある。
つまり、この争いの根柢にあるのは、経済的な先行きに対する漠然とした(あるいははっきりとした)不安なのだ。それを「戦争」に投影しているに過ぎない。だから、根本にある不安を見つめないと、いつまで経っても安定した気分を得られないだろう。
本来ならば政党は国民の不安を払拭する必要があるが、それぞれの物語に引きこもってしまい出てこなくなった。
消費税4000円還付システムの仕様と問題点について考える
消費税増税に伴う軽減税率の代替案としてマイナンバーカードの利用が考えられている。早くもふんぞり返った麻生太郎財務大臣の「マイナンバーカードがイヤなら還付はしない」という台詞が反感を買っているようだ。一般庶民は集団的自衛権には関心がないが、こうした話題には敏感に反応するので、発言には気をつけた方がいいと思う。
このシステム、意外と構築が大変だ。小売業者を信頼するならば、小売りのPOSシステムで「生鮮食料品」を判別させて、生鮮食料品の合計額データだけを送信すればよい。しかし、小売りを信頼しないとすると、全ての購買データに商品コードを添付して送ってもらわなければならない。全てのJANコードが標準化しているわけではないはずなので(野菜などはインストアコードというローカルな番号が振ってあるのだそうだ)、複雑な商品マスターを持つ必要があるかもしれない。それをいちいち役所側でチェックする事になるのだ。役所は膨大なデータを抱え込むことになるし、サーバーが落ちたら還付データは吹っ飛ぶ。もちろん蓄積されたデータは盗まれる可能性がある。データセンターがいくらになるのかという見積もりはない。
さらに「個人商店はどうするのだろうか」と思った。全国には飲食良品の小売りだけで39万店舗(平成19年当時)あるそうだが、JAN型のPOSレジを導入している店舗は全体で50万店程度だ。POSレジだけをみるとインフラは整っていると言えるかもしれない。朝日新聞が財務省への取材で確認したところによると、対象になる小売店鋪は75万業者あるそうだ。(2015.9.10追加)小規模業者には端末を無償で配るという計画を立てている。当然だが、これは税金である。税金還付の為に税金を使うわけである。費用は数百億円ということだ。
それでも店側で商品マスターを準備には手間がかかるはずだ。それらは維持コストとして商店にのしかかる。最悪の場合、個人商店では消費税還付が受けられませんということになるかもしれない。現在進んでいる商店街のシャッター化がますます加速するかもしれない。
昔はPOSレジの導入に100万円程度かかっていた様だが、最近では10万円くらいでiPadを使った端末が使えるのだそうだ。回線についてはあまり心配する必要はないのかもしれない。記事によると飲食店でPOSレジを導入しているのは約10%程度なのだという。業種によって偏りがありそうだ。iPadのレジ、クラウド型モバイルPOSが広まったワケ
通信仕様をクローズにするわけにはいかないだろう。つまり誰でも知っている(つまり誰にも盗みやすい)データが暗号化されているとはいえインターネットでやり取りされることになる。クレジットカードや金融機関並の仕様が求められるだろう。これを全国の小売店にあまねく普及させるわけだから、いかに野心的なサービスなのかがわかる。
と、具体的に考えてみると、財務省があまり何も考えずにこうした仕組みを想定していることが分かる。しかも年額4000円の還付の為にこのようなシステムを作るのだ。
反感を持つ人の中からは「国家が国民が何を食ったかまで把握しようとしている。コンピュータディストピアだ」という指摘も出ている。さすがにこれは言い過ぎだろう。しかし朝日新聞が「行動履歴、加工すれば売買可能に 個人情報保護法改正案」という記事を書いている。単に売買可能になるのではなく、個人が許可をしなくても売買が可能になるという点がポイントだ。現在の対象はSuicaなどの交通系カードだ。
こうした法律ができるのは、購買データがマーケターにとって大変価値のある情報だからだ。財務省が意図しているかは分からないものの、政府が収集した購買データは利権の温床になる。全国のほとんどの小売店を網羅する購買データなどというのは、マーケターや学者にとっては夢のようなデータなのだ。小売り業者に設備投資の負担を押しつけておいて、利権を自分たちで抱え込むというのは、なんとなく納得しがたいものがある。ビッグデータの利用には産業促進という側面があるので「いったん集めたデータを利用しない」という選択肢はないものと思われる。
お年寄りにマイナンバーカードを出させてスキミングする人は必ず現れるだろう。面倒な還付手続きを代行してあげますよと言ってATMに誘導する人も現れるに違いない。
最後に江川紹子というジャーナリストが「お母さんがまとめて買い物する家庭では世帯ごとでしか控除が受けられない」と言っている。裏技として家族分のカードを持って買い物に出かける主婦があらわれるかもしれないが、これは成り済ましになるだろう。
言うまでもないことだが、消費税を増税しなければこうした過大な投資も大げさなシステムも必要なくなる。
マイナンバーカードを買い物に持って行かせるのはどうかと思うよ
消費税の還付を受けるのにマイナンバーカードを使わせてはどうかというニュースを読んだ。(Reuter)最初はふーんとしか思わなかった。しかし、やがて「これはまずいんじゃないの」と思い始めた。どこがどうまずいのか説明できないのが、ちょっとやっかいだ。
個人的には、マイナンバーそのものにはあまり違和感がない。アメリカにソーシャルセキュリティナンバー制度というものがあり、なんとなく慣れているからだ。しかし、よく考えてみるとソーシャルセキュリティカード(と言っても薄っぺらい紙なのだが)には名前と番号しか書いてない。つまり、あのカードをIDカードとして使うことはないのだ。それでも番号の取り扱いに注意するように言われる。
ところが、マイナンバーカードには住所と名前が書かれている。おまけにICチップが埋め込まれており、各種の認証にも使うらしい。つまり、あればIDカード+電子キーなのだ。将来的にはオンラインバンキングの認証や個人情報ポータルの鍵に使うらしい。
どこの官庁が主導しているのは分からないが、カードが普及すれば利権が獲得できるのだろう。だから、買い物にマイナンバーカードという発想も出てくるのだと思う。「マイナンバーカードはオトク」と印象付けられれば、広く国民に受け入れられるだろう。そのことでお役所の頭のなかは一杯なのかもしれない。
消費税の還付を受けるために財布からいちいちIDカード+電子キーを出させるというのは、どう考えても危険だ。特にお年寄りなど、なくす人が続出するのではあるまいか。せめて非接触型(FeliCaとかSuicaとか)みたいにはできないものなのだろうか。
民主党はマイナンバー制度に反対していないようだ。だから、この漠然とした不安を質問してくれる野党はない。多分、社民党や共産党は反対だろうが「国民総背番号制度」みたいな極端なことしか言わないだろう。
そもそもお役所に「カードを盗まれたらどうするのか」などと聞いても「セキュリティは万全です」と言うに決まっている。これまでの年金システムのセキュリティの甘さから考えると、ハッキングの専門家を雇って危機対策を行うとは思えない。脆弱性が発覚するのは何か問題が起きたときだろうが、いったん発見されたらその対策費は膨大なものになるはずである。
マイナンバーの情報管理を分散型にして一元管理させないようにすれば、まだ安全性は高いかもしれない。カードそのものには情報は蓄積されないのだが、「ポータル」を作って一元管理するのだそうだ。つまり、いったんセキュリティが破られれば、全ての接触情報がもれなく流出してしまうのである。
このシステムを主管するのはどの官庁なのか、と考えると憂鬱度はさらに増す。いろいろな官庁が縄張りを争って同じようなシステムを作り、システム開発費が膨らむはずだ。日本の官僚システムは縦割りなので、集団無責任体制になるのは目に見えている。その結果、システムのどこかに穴が開いたとしても誰も責任を取らないだろう。中にはシステム開発などしたことない役所もあるだろうからチェックが疎かになり、あまり良心的でないシステム開発業者を使うこともあるかもしれない。
せめて今のうちにITインフラ庁くらい作って責任者を明確にしておかないとまずいのではないだろうか。
改革政党の末路
バブル崩壊後、多くの政党が改革を訴えてきたが、金融危機対策は行われず、財政バランスも改善しなかった。政治家は考え方で結びつくよりも「好き嫌い」を優先させて離合集散を繰り返した。また、国民も改革を継続的に支持しなかった。
日本の無党派層は「嫉妬の感情」によって政権交代に関与してきた。その端緒になったのが1993年の政権交代だ。バブル期に土地や株の値段が上がると、その分け前に預かろうという政治家が増えた。1988年年にリクルート事件が起こり多くの政治家が関与していることが分かると、国民の政治不信が加速した。同じ年に消費税が導入され、翌年に施行された。
国民は当然「自分たちには負担を押しつけるくせに、自分たちは良い思いをしている」と感じる。この「ズルい」という感覚が1990年代に政治を動かす大きな原動力になる。
この流れで出てきたのが、小選挙区制の導入と政治資金規制などの「政治改革運動」だった。バブルが崩壊すると政治改革への期待はさらに高まったが、宮沢首相は自民党の議員をまとめることができなかった。これに反発した小沢一郎と羽田孜が宮沢内閣倒閣に動き、自民党が分裂した。
守旧派になった自民党は選挙で敗北し、1993年に8党連立による細川内閣が誕生し、小選挙区導入と政治資金規制を決めた。しかし、細川首相が「国民福祉税」として消費税を増税する方針を打ち出したことから国民の反発を受け、そのまま瓦解した。
細川内閣の後継は羽田内閣だった。10党1会派による連立だった。しかし、一部に社会党はずしの動きがあったため反発した社会党が離脱した。羽田内閣は少数与党内閣になり、新予算の成立を待って64日で瓦解した。
1994年4月、羽田内閣で統一会派からはずされた社会党と小沢一郎と反目していた新党さきがけが自民党と組んで、社会党の党首を総理大臣に頂く村山政権を成立させた。この「自社さ」の枠組みは1998年の橋本内閣まで続いた。しかし、政権与党となった村山社会党は原発政策、日米安保、自衛隊を肯定する発言を行ったため支持者の離反を招き分裂騒動が起きた。一部の議員は民主党に流れ、社会党は社会民主党に名前を変えた。
この時代はバブルが崩壊直後にあたる。もし早目に手を打っていれば慢性的なデフレ状態には陥らなかったかもしれない。しかし、国民は政治改革に夢中でバブル処理を早くやれという声は上がらなかった。諸政党が乱立し思い切った金融改革は行えなかった。
小選挙区制で少数政党は成立しにくくなったが、社会が複雑になったので有権者の政治的意見は多様化したのだ。このため、諸派が乱立し連立政権を組む過渡的状況が生まれた。民主党が多様な政治的見解の寄せ集めなのは、そのころの名残だ。
当時、特に目立っていたのは「小沢一郎が好きか嫌いか」という理由による離合集散だ。
小沢一郎はもともと、大きな政府主義の田中派に属しており、竹下政権では消費税導入に尽力した。その後、政治改革がブームになると「改革派」「新自由主義者」を自称するようになった。諸派が集ってできた新進党の党首に就任するも党内グループの反発を招き離脱して自由党を設立した。その後、自民党への復党を画策するものの断られ、民主党に接近した。民主党では「地方重視・雇用重視(つまり大きな政府)」へと転向し、民主党2009年マニフェスト(財政裏付けのないバラマキ政策)へとつながった。民主党政権末期に野田政権が消費税増税を決定すると反発して離党した。その後、左派に接近し日本未来の党と合併する。それでも党の勢力は盛り上がらず、政党を維持できない状態にまで追い込まれた。そこで、反核・反原発勢力に支えられて当選した山本太郎参議院議員が入党し、左派政党の党首になった。
これまで何度も「改革」が求められてきたのに、改革政党は長続きしない。これは国民が「改革」を望んでいないのだと考えないと説明がつかない。