無党派層が選挙に行かない理由

NHKで18歳の若者に対して「選挙に行こう」と訴えかける番組をやっていた。これをみて、なぜ無党派層が選挙に行かないのかという理由が分かったように思えた。
若者は選挙にゆくモチベーションがない。モチベーションには様々なものがある。一票を投じてもフィードバックがあるわけでもないし、誰からも褒めてもらえない。

  • 自分になんらかのトクがある。
  • 政治に参加するとかっこいいと周囲から思われる。
  • 選挙に勝つことよって所属欲求が満たされる。

モチベーションがないにも関わらず上から「選挙には行くべき」だという価値観を押しつけられていると感じている。上から価値観を押しつけられると反発する。番組の中では「黒川君」がかなり反発していた。
別の人たちは周囲から「かっこいい人」と思われたがっているように思えた。これは女子が多い。しかしながら、彼女たちはどうしたら「かっこいい」と思われるか分からない。そこで下手に意見を言えば「バカに見える」というリスクがある。そこで彼女たちは「選挙に行く理由がない」と拒絶することになる。彼女たちはスイス人のイケメン18歳が「政治的意見を言うのがあたりまえ」というのを聞いて興味を覚えていた。
さらに、生徒たちは「自発的に意見を言ったり、話しあったり」することを禁止されている。代わりに「正解を覚える」ことがよいとされている。そのような教育を受けると正解を覚えることを肯定的に捉えるようになるようだ。「分かりやすく政治について教えて欲しい」と言う人が多かった。つまり、どこに投票するといいのかという正解が知りたいのだろうと思われる。
まとめると次のようになる。有権者は正解を押しつけられることに反発しているが、自分で考えて正解を探索することはない。誰かが作った正解を「自分で考えたものだ」と語りたがっているのである。そして、その行動によって「勝った」という感覚を得たいのだ。
番組の中では何回も「勝ち負け」という言葉が出てきた。勝った側が「正解」で、多様な意見が共存するという考え方は大人にも子供にもないようだ。
政治学は「多様な意見をすりあわせて、できるだけ多くの人が幸福になるような意思決定したい」という暗黙の前提のもとに組み上げられている。より多くの意見が集れば、そのアイディアの精度が増し、成功する確率も高くなるだろう。これは、いわば「探索型の世界観」だ。みんなで決めて行くというのが民主主義なのだ。
しかし、日本人の世界観はこれとは大きく異なるようだ。「あらかじめ正解があり、それに自発的に参加したい」という欲求を持っているようだ。今ある正解を肯定した人たちにとっては日本は民主主義国家だが、そうでない人たちにとってはこれは民主主義ではないのだろう。
日本人にとって、民主主義とは御神輿のようなものなのだ。訳が分からずに担いでも、一体感が得られればそれで満足なのだろう。ただ、神輿を担ぐ伝統のない人たちにとっては所詮「他人の祭り」に過ぎないのだ。かといって、新しい神輿を作ってもこっけいなだけだ、と感じるのだろう。

左翼が安倍政権を打倒するためにはどうすればいいか

次の選挙で安倍自民党が勝つと、憲法改正が提案されると言われています。自民党の憲法改正案は立憲主義を否定するものであり容認できるものではありません。一方、民主党に危機感は薄く、自己改革の意欲もなさそうです。そこで、自民党優位の状況を変えるにはどうすればいいか考えてみました。

「市民」の本音を知る

日々文章を書いていると「市民」には特徴があることが分かります。男性的な価値観を持っていて、自己変革の意欲はありません。左翼勢力は女性的な価値観を持っていると見なされており、蔑視と差別の対象です。故に表立って社民党や共産党を応援する人は多くないはずです。左翼はまずこのことを知る必要があります。
男性的な価値観とは、科学的で効率的であり経済的に成功しているというものです。人々は競争的で、勤勉さが良いものと考えられ、弱者と見なされる事を怖れます。日本では生活保護レベルでも「福祉の対象になった」と見られることを嫌います。女性的な価値観とは「お互いが思いやりの心を持って、居心地のよい社会を作る」というようなものです。ジェンダーのニュアンスに拒否反応があるのなら、競争的価値観・共生的価値観と言い換えてもいいかもしれません。
旧弊な体制に対する嫌悪感はあるようで、上から価値観を押しつけられることを嫌います。「結婚したら同姓になるのは日本の伝統」とか「女は家にいるべき」というのは反発の対象になります。普段から価値観を押しつけられ辟易しているのかもしれません。
「市民」は結果で判断し、多数派への一体化願望があります。民主党は失敗した政党と見なされています。ただし、リーダーが変われば過去の失敗は忘れ去られます。左右ともに立憲主義や民主主義といった議論の仕組みには全く関心がありません。議論はプロセスであり、プロセスには興味がないからです。

安倍政権の何が成功だったか

安倍政権が成功したのは「偉大な虚無」だからです。彼らはプロセスには興味がありませんが、支持者たちの欲求はよく知っていて、それを叶えるためには何でもします。支持者たちは「自分たちが変わらずに、都合のよい状態がもたらされる」と信じるようになりました。嫌なことはやりません。「消費税が増える」とは言わず「税が軽減される」と言います。
偉大な虚無に対抗するのは時間の無駄です。空気を押しているようなものだからです。偉大な虚無に対抗しているうちに「話が通じない」と感情的になるかもしれませんが逆効果です。失敗したと見なされる人が感情的に議論すると「負けた」という印象が強まるからです。優越感を感じている人はいらついている反対者を見て満足します。

勝ちたかったらどうするべきか

本来ならば、日本の経済を立て直すために、有効な経済対策を打ち出すべきです。しかし、野党にはそのつもりはないようですし、長年「反対勢力」だった左翼勢力にはその能力がありません。
事前の策としてできることは「自民党に弱者のレッテルを貼る」ことです。「経済的競争社会において旧弊な自民党が国際競争の足を引っ張る」というようなものになるでしょうが、これは男性的価値観に沿っていれば何でも構いません。
弱者にも優しい社会などと言ってはいけません。また、有権者は弱者扱いされる事を嫌うので「非正規労働者の立場に立った」などと言ってもいけません。代わりに有効と思われるのは「真に能力のある人へのエンパワーメント(権限委譲)」などという主張です。これは競争的だからです。
これを学者(プロセスを考える人)ではなく、実業家(結果的に成功した人)に語らせるべきです。有名人への一体化欲求も満たされるでしょう。
実業家に情報発信を任せるということは、与党に対抗する左翼的勢力が自己改革をするということです。古くから「革新」と呼ばれていた人たちはもはや「革新(リベラル)」ではありません。有権者は変わりません。勝ちたかったら左翼勢力が変わる必要があります。

野党が失敗するとどうなるのか

さて、この議論は大衆操作的です。有権者には合理的な判断能力がないので印象を操作し結果を適当にでっち上げろと言っているようなものだからです。演劇的ではありませんが大衆煽動という意味では左翼の嫌うヒトラーのやり方に通じるものがあるかもしれません。
今度の選挙で自民党が勝っても、左翼勢力が主張するようにすぐに戦争が始まるということはないでしょう。憲法改正の発議がなされても、あまりに復古的なために有権者は戸惑うだけで積極的に賛成することはないかもしれません。
つまり、自民党は脅威ではありません。では、何が問題なのでしょうか。
安倍政権は順風満帆なように見えますが、間もなく転換期に入るのではないかと考えられます。アメリカの金融緩和策が終わり、経済環境が変わりつつあるからです。経済的な不満が高まれば、その矛先は現在の政権に向かうでしょう。大衆の空気が変われば、新聞の論調も変わってしまうのではないでしょうか。新聞は政権に抑圧されているのではありません。自主的に読者が読みたい事を書いているのです。
予想される最悪のシナリオは「安倍政権が作った民主主義のバックドア」を使ってもっと過激な人たちが政権を握るというものです。彼らは「あなたたち(有権者)は変わらなくてもいい。悪いのは旧弊な政治だ」と言うでしょう。彼らの矛先には右も左もありません。
今の自民党よりももっと過激な人たちが表れた時に今のように民主主義の危機を叫んでも遅いでしょう。左翼勢力は今のうちに対策を練る必要があります。

SMAP独立騒動と日本が経済成長できない理由

SMAPが解散するという報道が世間を騒がせている。NHKですらこれを「国民的なニュース」として報道する有様だ。
中でも特異なのがフジテレビだ。クーデターを起したマネージャー(匿名)に従って4人が事務所に反旗を翻したが、事務所への忠義を守った木村拓哉に説得され揺れているというようなストーリーが作られた。いわばを「飯島氏テロリスト史観」だ。スポーツ紙も基本的にこの「テロリスト史観」を踏襲している。一方、飯島氏側に立った新潮の報道はスルーされている。
この報道を鵜呑みにしている限り、日本の経済成長は望めないだろう。大げさなようだが、この騒動には日本の経済成長を阻む要因が隠れているのである。
そもそもSMAPが売れたのは、人々が「アイドル」に求めているものが変わったからだ。その頃の正当なアイドルは光GENJIだった。SMAPはアイドルとしては亜流とされており、正当なアイドルが進出しないバラエティ番組などに活路を見いだすしかなかった。だが、結果的にはこれが当たった。
ジャニーズ事務所はこの方向で多角化してもよかったはずだ。しかし、ジャニーズ事務所側はこれを認めなかったようだ。「正当な側」の人たちは、稼ぎ頭に成長した彼らを「だってSMAPは踊れないじゃない」と評価したそうである。ジャニーズ事務所にとって正当なアイドルとは「踊れる人たち」なのだ。踊りも「彼らが考える正当な踊り」である必要があるのだろう。
傍目から見れば、アイドルに求められるものは変わって来ている。だが、ジャニーズ事務所の認識は1980年代から変わっていないようだ。加えて、亜流の人たちへの嫉妬もある。Appleがコンピュータでないi-Phoneを「亜流」と考えて携帯電話事業に嫉妬していたら、今の繁栄はなかっただろう。
飯島三智マネージャーは実名で報道されず「独立クーデターに失敗」した悪人にされてしまった。逮捕される前の犯罪者の名前を出さないのと同じような扱いだ。確かに「彼女の企て」を認めてしまうと、売れたタレントたちが事務所を独立しかねない。すると、事務所の側としては「初期投資が回収できなくなってしまう」危険性がある。だから、独立を認められないのだろう。独立は事務所にとっての「テロ」のようなものだ。
しかしながら、飯島マネージャーをテロリスト扱いすることは、ジャニーズ事務所の首を絞めている。事務所は「ジャニーズの考えるアイドル」でなければならないという枷をはめているのだが「ジャニーズの考えるアイドルでいられる年齢」は限られている。40歳を過ぎるころから活動の幅は狭まってくるはずである。
だから、実力のあるタレントが幅を広げるためには自主的に辞めるしかない。最近目立つのは海外進出を狙うタレントの流出だ。本格的に俳優を目指す人たちにも困難がある。タレントが俳優業や司会業に専念したくてもCDやコンサートの売上げに貢献することが求められる。
ジャニーズ事務所には才能を持ったタレントが多数在籍している。事務所の得意分野は「踊れるタレント」のマネジメントだ。だから、それ意外のタレントを「有効活用」したければ、マネジメントを諦めるべきだ。しかしそれは「儲けを捨てろ」ということではない。投資を通じて経営に参加する道があるからだ。
より一般化して考えると、こう言い換えることができる。飯島マネージャーは「起業家」なのだ。ジャニーズ事務所のジャニー喜多川氏も起業家だったのだが、二代目以降は「資本家」の側に回ればよかったのだ。企業はこのようにしてポートフォリオを多角化できるはずだ。
起業家とはこれまでと違うやりかたで資本を活用できる人たちのことだ。起業が盛んな国では、こうした人たちは「リスクを取っている」と賞賛される。ところが日本では嫉妬の対象になり「クーデターに失敗した」としてテロリストにも似た扱いを受けるのだ。
ジャニーズ事務所のこの騒動を見ていると、日本が経済成長できない理由が分かる。投資文化が育っていないので、資源が古い経営に縛り付けられたままになって死蔵されてしまうのだ。成功したマネージャーに正当な評価を与える成果主義的な文化が育たない限り、日本が経済成長する道は閉ざされたままになるだろう。

「安倍首相のドルなんて関係ないじゃん」発言について考える

jdp_japan国会げ安倍首相が「ドル建てのGDPなんか下がっても構わない。ドルで給料をもらっている人なんかいない」と発言した。まず現況から見てみよう。Googleで検索するとグラフが出てくる。
日本のGDPは民主党政権時代に上がり安倍政権時代になって下がっている。GDPが下がった理由は円が安くなったからだ。
安倍首相は最近「民主党で失われたGDPを我々が取り戻しつつある」と言っているらしいが、実際には円の価値を毀損させているだけだ。
安倍首相が「ドルなんか関係ないじゃん」と感じることができたのはなぜだろうか。それは国内物価がそれほど上昇していなかったからである。円の価格は上がったのだが、同時に物価が下がっていたのだ。
トウモロコシ(直接食べる人は少ないかもしれないが、飼料として使われている)の価格は2013年に300ドルだったが、2015年年末には160ドル近辺まで下がっている。また、原油価格は2014年の夏頃から下落している。1バレル100ドルだったものが30ドルを切るところまで来ている。野口悠紀雄氏は、アメリカの金融緩和政策終了を予測した投機資金がリスク資産から引き上げたと見ている。
安倍首相と日本は幸運に恵まれていたのである。
ここにも日本人の「論理音痴」が出てくる。安倍首相の経済政策が「成功した」のは、たまたま環境が良かったからである。ところがこれを、安倍首相が経済政策を転換したから環境が良くなったと錯誤していのだ。例えて言えば、コートを着たら寒くなったので、コートが寒さを呼び寄せていると感じているようなものだ。
日本は長い間政府主導で経済を回していた。国策で産業を保護し、石油が足りなくなれば石油の割当を統制したりした。有権者の間には、こうした印象が残っているのだろう。しかし、実際の政治家には環境の変化を予測して対応することが求められている。
最近の政治家は多分状況が分かっている。政治家は経済を支配する事はできないということを知っているのだ。政治家に「経済政策」を聞いても答えられないし、答えない。彼らの関心は好調な数字を持ち出して「自分たちの手柄だ」と表明することだけだ。あるいは不調を見つけ出してきて「これは相手が悪い」と罵る手段として経済指標を使っている。安倍首相に至っては特に経済に興味がないようだ。国民の生活がどうなっても自分の暮らしには関係がないからだろう。
さて、今年の経済はどのように動くのだろうか。今年に入り円の価格が上昇し、株の価格は下がっている。原油価格は下落傾向で、国債の価格は上がって(つまり、金利が下がって)いる。アメリカの金融緩和政策終了によって潮目が変わったのだ。新興国への投資は滞るので中国経済は減速しそうだ。
野口悠紀雄氏によると、この傾向が円高に向くか、円安に向くかは分からないそうである。理論的には日本で資金を運用するより、金利の高いアメリカで運用した方が儲けが多くなる。そこで円を売ってドルを買う動きが加速するはずである。しかし同時にリスクを避けようという動きがでるので、比較的安定している日本の資産(国債)に人気が集るのである。
国債の人気が政府が資金を調達しやすくなるのは確実だ。現在は日銀が国債を買い取っているので「買う国債がない」ということになるかもしれない。すると政府の負債を日銀が吸収することができなくなるだろう。
株価は下がりそうだ。中国経済が減速し、株式市場に流れ込む資金も引き上げられるからだ。年金運用資金は返って来ないだろう。最近の国会答弁で、甘利大臣は「株式市場は長い目でみる必要がある」と答弁しているので、逃げ遅れることになるだろう。年金資金が引き上げれば、さらなる株式価格下落がもたらされるかもしれない。

アンケートのお願い – 日本の経済成長は可能か

参議院選挙を控えて「憲法改正」や「立憲主義」が選挙の争点だと言われています。しかしながら「経済政策こそが最優先だ」と考えている有権者も多いと思います。そこで、政治家のみなさんのご意見を御伺いしたいと存じます。ご返信は当ブログ(個人のものです)で紹介しますが、特にその他のメディアへの転載などは考えていません。
ご返信は次の方法でお願いいたします。1)Twitterで短くご返信いただく。2) 既に準備してあるURL(政党や個人のもの)を示していただく。 3)ダイレクトメッセージでご返信いただく。
質問の内容は簡単です。日本を再び経済成長軌道に乗せる上で必要なことは何でしょうか。また、現在所属している政党には必要な政策を実行に移すケイパビリティ(実行力)はありますか。
このご質問は「日本は経済成長すべきである(また、その実力を備えている)」ことが前提になっています。そこで「日本は経済成長しない(もしくは衰退期に入った)ので、その状態に適応すべきである」という選択肢もあると思います。それとは逆に「アベノミクスが効果を上げているので、このまま成長させる」というお答えでも構いません。
また、現在は発表の段階にない、または政策集団の枠組みが変わりそうだというご事情もあるかもしれません。その場合には「乞うご期待」とご返信いただくことも可能です。
国会会期中でお忙しい中とは存じますが、よろしくご協力いただけると幸いです。

国会議論がプロレスになる理由

衆議院予算委員会で、維新(民主と組んでいる方)の井坂信彦衆議院議員と安倍首相が新しい経営理論を打ち立てた。パートが増えると日本の生産性は上がるというのだ。これには頭を抱えた。
井坂衆議院議員は委員会で新しい知識を披瀝した。「生産性」と「労働時間」には相関関係があり、労働時間が短いほど生産性が高くなるのだそうだ。これは統計的な事実らしい。
そこで井坂議員は「労働時間が短くなるほど生産性が上がるのだろう」と考えたようだ。で、あれば労働時間を短くすれば生産性は上がって行くはずである。そこで井坂議員は「国で労働時間規制をするように」と要望した。
井坂議員の理論を聞いた安倍首相は「柔軟な働き方ができるようにする」と答弁した。これは安倍語で「パートや非正規を増やす」という意味である。これは非正規労働を増やして人件費を下げたいという財界の意向に合わせたものだろう。
井坂衆議院議員は何の反論しなかった。つまり、生産性を上げる為には非正規(パート)を増やさなければならないという議論に同調し、新しい経済理論を打ち立ててしまったのだ。
このやりとりはなぜおかしいのだろうか。確かに生産性と労働時間の間には相関がありそうだ。しかし、生産性が上がったからこそ労働時間が短くなった可能性もある。つまり、AとBの間に相関関係があるというのと、AがBを生み出しているというのは違う「事実」なのである。
確かに、勤務時間を意識するようになったから生産性が上がった可能性はある。しかしそれは「裁量のある労働」であることが前提になるだろう。一方で、短い時間で収益が上げられるようになったから、だらだらと働く必要がなくなった可能性もある。さらに、この2つは相互補完関係にあるのかもしれない。効率的に働くように労働者を誘導する「意識の高い会社」で生産性が増し、同時に労働時間が短くなっているのかもしれないのだ。質問をするからには、まず「なぜ、この2つの要素にどのような関連があるのか」を調べなければならない。
安倍首相に至ってはもうむちゃくちゃだ。多分、安倍首相の頭の中には支持者たちの「ウィッシュリスト」が入っているのだろう。相手が何かを提案してきたら半自動的に「ウィッシュリスト」とのマッチングが行われてしまうらしい。安倍首相は「非正規雇用が増えると生産性が上がる」と信じているのだろうか。恐らくそうではないだろう。多分「どうだっていいじゃん」と思っているのではないだろうか。
安倍首相のお仕事は、適当な事実を見つけてきてお客さんの要望を正当化することなのだ。因果関係や相関関係などどうでもよいのだろうし、場合によっては都合のよいところを切り取って「成果が上がった」といいはったりする。また、それぞれの政策に整合性がなくても気にならないのだろう。
さて、この議論、井坂さんが悪いのだろうか。それとも安倍さんが悪いのだろうか。井坂は行政改革のエキスパートらしいのだが、どこかから聞きかじりで情報を得ているだけの可能性が高い。そしてそれを何も考えない(これを偉大な空白とでも呼ぼう)安倍首相が受けてしまったことで、おかしな理論が完成してしまったようだ。
「パートが増えると生産性が上がる」という仮説を「井坂・安倍理論」と呼びたい。これが本当なら、世の中の企業はすべて思い切った時短を行っているはずだ。残業を禁止するだけで生産性が上がるのだから、これほど簡単な企業改革はない。単に言われるままに働くパートだけを雇って生産性が上がるなら、自律的に考える本社スタッフは全員解雇した方がよいだろう。
なぜ、このような議論が国会で堂々と交わされるのだろうか。それは日本の大学教育が基本的な統計の読み方を教えないからだろう。生産性を上げたいのであれば国全体が「ブードゥ科学」から脱却する必要があるだろう。
それにしても、こういう政治家たちがマニフェストを作っているのだと考えると、ぞっとする。間違った因果関係で作られた「事実」を信者たちがTwitterなどで触れ回り、各地で「議論」が交わされるようになるのだ。

妻が働けば暮らしは楽になるのか

安倍首相が「パートでも25万円くらい稼げるだろう」と言って反感を買ったらしい。いろいろ意見や感想はあるだろうが、この人はあまり経済運営には興味ないんだろうなあとは思った。
安倍首相は、民主党議員の質問に「50万円稼いでいた世帯で妻が25万円稼げるようになれば世帯収入は75万円に増えるじゃん」と言った。安倍首相は嘘をついている風ではなかった。そもそも考えるつもりがなさそうだ。驚いたことに民主党議員も「そんなことはない」と反論しなかったようだ。多分、どちらも聞きかじりの情報でテレビカメラ向けの議論しているのだろう。
wage安倍首相の言う通りであれば、給与所得者の収入総額は上昇すしているはずだ。ところが、給与所得総額は減少している。労働者全体の数はさほど変わっていないので、平均所得は下がっていることになる。日本人の給与所得者は貧しくなっているのだ。GDPが格段に下がったという話は聞かないので、給与所得者から企業への富の移転が起こっているのだろう。
国会がのんきにプロレスを繰り広げている足元の状況は深刻だ。女性の労働参加率が増えているのに、給与所得者の数は変わっていない。高齢化による労働人口の減少を女性が補う形になっている。労働時間は増えていないのだが「忙しくて余裕がない」と訴える人も増えている。この実感が確かなら、社会の効率化が失われている可能性がある。誰かが社会の再生産活動(つまり、子供を産んで育てるということだ)に従事しないと国が維持できないのだから、これはかなり「ヤバい」状況だ。やっかいなことに余裕のなさという主観的な情報は数字には表れない。
josei001女性の労働参加率をGoogleで検索すると国土建設省(なぜか厚生労働省ではない)の資料が見つかった。片働きの世帯は減っているが、共働き世代はそれほど増えていない。結婚している世帯が激減しているという印象も(今の所は)ない。ただ、専業主婦自体は減っているようである。2000年と比べると150万人以上は減っている。男性側に経済的余裕がなくなっているのは確かなようだ。
女性の社会進出自体は進んでいるようだ。生産年齢にある女性の労働参加率は上がっている。ところが、全年齢の社会参加率には大きな変化はない。高齢者(つまり生産年齢ではない)女性が増えているせいなのだろう。
josei002このグラフで気になるのが若年女性(20〜24歳)の労働参加率の減り具合である。高学歴の女性が増えたと解釈することもできるが、そもそも社会進出を諦めた女性が多くなっている可能性もある。失業率が高くなったという話も聞かないので、そもそも就職活動をしていない女性が増えているということになる。
企業は社会人経験のない女性を雇わないのだろう。教育するのにコストがかかるからだ。男性が働かないと「ニートだ」と言われ、問題が顕在化する。しかし、若い女性は働かなくても「花嫁修行だ」ということになり問題が表に出ない。だから、社会問題にはなりにくいだろう。これも統計には表れない変化だ。
日本は学校教育と職業訓練が一致しない。キャリア初期に職業訓練されないということは、その後一切のキャリア形成ができないということを意味する。企業は初期投資の必要な労働者を雇わずに、誰か他の人が教育した人たちを時給だけで雇っているのだ。
この話を総合すると、高齢化で人口が減りつつあるが、新しく労働市場に参入する人を「高付加価値化」できていない可能性が浮かび上がってくる。家庭も企業も再生産を諦めつつあるという現状が浮かび上がってくる。家計側は余裕がなく、企業側には意欲がない。
問題を解決する為には、当然のことながら問題意識を持たなければならない。しかし、安倍首相は「アベノミクスで快進撃が続いている」と世間に触れ回っているうちに、自ら信じこんでしまったようだ。有権者もあまり深刻なことは知りたくないのだろう。民主党も自民党の間違いを証明することにやっきになっていて、本当に解決すべき問題を見失っているように思える。
統計を見ると分かるのだが、給与所得が減る傾向はこの15年程のトレンドになっている。自民党の政策も効果がなく、民主党も反転に成功しなかったということだ。少なくとも民主党が「自らが失敗した」ということを受けとめない限り、国会の議論は不毛なまま進展しそうだ。

日本人はアメリカ人に比べて働き過ぎなのか

厚切りジェイソン氏に「アメリカには残業が多いのか」と質問している人がいた。厚切り氏は「そもそもアメリカには残業の概念がない」と答えている。残業するかどうかは個人の裁量に任されているのだそうだ。こうした質問が飛ぶのは「日本人は長時間労働だ」という思い込みがあるからだろう。なんとなく、日本人はワーカホリックで、アメリカ人は家庭を大切にするという印象がある。
OECDの統計によるとアメリカ人と日本人の平均労働時間にはほとんど差がない。つまり、日本人はアメリカ人に比べて働き過ぎだとは言えない。

労働時間の国際比較
黒い太線がアメリカ合衆国。赤い太線が日本。2000年から比較しているが、ほとんど違いはない。

この答えは多くの人の実感に合致しないのでないだろうか。日本の労働力は非正規に置き換わりつつある。パートが増えるはずなので労働時間は短くなるはずである。にも関わらず、平均労働時間がそれほど変わっていないということは、非パートでない人(多分、非正規を含むのだろうが)の総労働時間が増えているのかもしれない。
アメリカ人の労働時間は日本と変わらない。ということはアメリカにも「働き過ぎ」の人はいるはずだ。厚切り氏もITの経営者とタレントという2つの顔を持ち、空いた時間でTwitter人生相談などをやっている。だから「働き過ぎ」に属するはずである。厚切り氏が文句を言わないのは、自由意志で時間配分をしているからかもしれない。
workinghours002労働時間はあまり変わらないのだが、日本とアメリカには違いもある。アメリカは労働生産性が高いのだ。サービス産業に限ると日本の生産性はアメリカの半分程度だという。日本人は長い時間働くがそれほど成果を上げていない。OECDの統計を見てみると、日本の労働生産性は西洋先進国のやや下あたりにあり、先進国グループから脱落しつつある。アメリカの生産性は飛び抜けて高い。
日本の生産性が低いといっても、中進国に比べればまだましだ。日本より長く働く国はいくつもあるが、生産性はそれほど変わらない国が多い。今回の統計ではイスラエル、ハンガリー、トルコ、ギリシャ、韓国、メキシコなどが該当する。この中ではメキシコが飛び抜けて劣等生だ。
workinghours003生産性のあまり変わらない西ヨーロッパだが、労働時間と失業率で見ると2つのグループがあることがわかる。
1つはスペインやイタリアなどの集団だ。労働時間が長い代わりに若年(15歳から24歳)失業率が高い。こうした国々は非熟練労働者を吸収する職場がないのかもしれない。
一方、デンマーク、オランダ、ドイツは一人あたりの労働時間を短くしている。いわゆる「ワークシェアリング型」だ。中東からの移民がヨーロッパの北を目指すのは、非熟練者でも仕事が得やすいからだろう。短時間労働力国の例外にフランスがある。労働時間は短いが若年失業率が24%もある。高校や大学を卒業しても4人に1人は仕事がないという状況は想像するのが難しい。
日本は「消極的ワークシェアリング」を行っていると言える。生産性が低い労働者に仕事を与えずに「社内失業」させる。また、時給を低く抑えて生産性の低い職場に労働者を貼り付けている。生産性という意味では最悪の選択だが、失業対策にはなっている。最低賃金だけを上げて、非正規格差を温存すれば、日本にも失業者があふれるのかもしれない。生活保護レベルより下で家族を持つ事もできずに働き続けるのがいいのか、そのまま失業してしまうのがいいのか。究極の選択だろう。
労働環境を改善するためには、生産性を上げるか、ワークシェアリングを実施するのがよいことが分かる。生産性を上げるためには、古い経営者を交代させたりIT投資を行うべきだとされる。ワークシェアリングを実施するためには、正社員制度を解体する必要がある。
安倍政権の政策は「何もしない」というものである。何もしないわけにはいかないので、円安に誘導して実質給与を下げている。生産性を上げずに労働市場を改革しなくても、給与を下げれば当座の競争力を維持する事はできる。つまり、先進国を脱落して中進国化する政策だ。正社員は脱落を怖れて嫌々仕事を続け、非正規労働者がメキシコ、トルコ、東欧などの中進国と労働単価で競争するという社会だ。
いっけん「最悪」に思えるが、最悪なのは、生産性を上げないままアメリカ型の自由競争社会に突入するというものだろう。ここ20年程を見ると「リストラ」は首切りを意味し、成果主義の導入は「賃下げ」と同義だった。
さて、最初の質問に戻ろう。日本人はそれほど長い時間働いているわけではない。にも関わらず「過労死」という言葉があり、学校にも行けない「ブラックバイト」で働いている人もいる。平均がアメリカと変わらないということは、働いている人と働いていない人の格差が大きいということを意味する。ということは、死にそうなほど働かされている人がいる一方で、あまり働かない人も大勢いるということになる。どのような理屈でそうなっているのかは、平均を見るだけでは分からない。

  • 労働時間:OECD
  • 若年失業率:世界銀行(http://data.worldbank.org/indicator/SL.UEM.1524.ZS)
  • 労働生産性:OECDのデータをもとに日本生産性本部が作成したもの。

政党が無党派層を取り込めないのはなぜなのか

半分以上がガン無視!20代の若者が各政党にメールでお問い合わせをしてみたら…という記事を読んだ。政党にメールを送ったが無視されたという記事である。
「比較検討したい」というのは、有権者としては普通の感覚だろう。家を買うのに各住宅メーカーのモデルルームを訪れたり、テレビを買うためにカタログを買うのと同じ感覚だ。
ところが政党は多分いろいろな事情があって、こうした「お問い合わせ」には答えてくれない。
そもそも、日本には政党政治は存在しない。選挙運動は候補者単位で行われる「個人商店」主義だ。有権者のリスト管理をしているのは各候補者なので、政党は窓口にならない。本当にコンタクトしたいなら候補者の事務所に連絡すべきだ。政党単位で動くのは共産党と公明党だけではないだろうか。
民主党は2009年の無党派の台頭で政権を取った政党なので、Twitterなどで個人を相手をしてくれる候補者も多い。一方でコンタクトリストの管理はずさんだ。一度コンタクトすると「支持者」して登録され、その後「はずしてください」といっても聞いてくれない。一方、古くから利益集団を束ねる選挙をしている自民党は個人を相手にしない。「話を聞きたければ、人数をまとめろ」ということになるし、選挙本部も地元有力者の寄り合い所のようになっている。
組織改革をすれば、政党も無党派層を取り込めるのではないかと思うのだが、話はそう簡単ではないかもしれない。
実際に話を聞いてみると、政党は「敵対者」と対話をすることが苦手なのではないかという印象を持つ。コンタクトした人をすべて「支持者だ」として囲い込みたがる一方で、彼らが準備したストーリーに従わない人たちは「敵対者」と見なされてしまうのだ。つまり、対応が極端なのだ。
これは政党が論理ではなくストーリーで語りたがるからである。もともと出発点と善悪が決まっているのだ。
例えば「戦争法案には反対だが、北朝鮮の最近の動向についてはどうかと思うよ」という人がいたとする。ところが共産党や社民党などの政党はこうした人たちを取り込むことができない。歴史的な経緯があり、ストーリーが固定されているからだ。彼らのもともとの動機はアメリカ支配から脱却し、東側に近い政権を作る事だ、彼らが憲法第九条を擁護しているのは「アメリカの戦争は悪い戦争」であり「アメリカの核は悪い核兵器」だからである。だから「北朝鮮は嫌いだ」というようなことを言うと「敵対者」で「活動を妨害している」と見なされてしまう可能性が高い。
いろいろな政党の人たちと話すごとに「日本人が論理的思考を苦手にしている」ということを思い知らされる。どの政党にも自分たちなりのストーリーがあり、それを逸脱すると話ができなくなってしまう。だから。政党は彼らから語りかけることはできるが、ストーリー外のことには答えられないのだ。無党派とはストーリーを持っていない人たちのことだから、政党は無党派を感化することが原理的にできないのである。
このストーリー指向が問題になったのが「戦争法案」対「平和法制」の対立だ。アメリカ追随の自民党にとってはアメリカの戦争に参加することは平和維持のための唯一無二の答えなのだが、アメリカと自民党に反対している政党にとっては、これは最初から戦争法案である。そもそもの出発点が違っているので、お互いの議論が交わることは絶対にあり得ない。
民主党のように「自分たちが押し進める政策」は善で、「自民党が押し進める政策」は悪だと割り切っている政党もある。だから同じ政策でも条件(これを文脈という)によって善悪が違ってくるのだ。これは政策論争というより宗教論争に近い。
このような理由があるので、日本人は事実と仮説を積み重ねたマニフェストを作る事ができなかった。同じ事を書いても、立場によって「良い政策」になったり「悪い政策」になったりするからだ。これは政党だけが悪いという訳ではない。有権者も解釈を欲しがっているだけで、自分で検証しようなどとは思っていないのではないかと思う。
その意味で、日本の政党のマニフェストは、宗教の聖典に近い。コーランと聖書を比べてもあまり意味がない。要はどちらを信じるかと言う問題である。キリスト教とイスラム教は同じ聖典を持っているが、原理主義のイスラム教徒にとってキリスト教は悪でしかない。しかし、同じ聖典を持っているという事実は自分たちの信条を毀損することにはならないのだ。
日本人は「無宗教」だと言われるが、宗教的行事には熱心に参加する。宗教を信じないわけではなく、一つの宗教にこだわることは危険だと考えており、ご利益があるのなら何でも信じるのである。同じように日本人は政治でも「無宗教」を貫いている。つまり、「無党派層」ご利益があるのなら何でも信じるし、ご利益がなければお参りにはゆかないのだ。無党派には無党派なりのコンテクストがあるのだが、政党の利益と一致しないのである。
こうしたコンテクスト依存を脱却しようとしているのが「元気会」だ。議論の過程を開示した上で、議論終結時の賛否の割合で議員の投票行動を変えようとしている。「情報が出そろった上で、理性的に判断してもらおう」という意図なのだろうが、日本の風土では「その時点でのコンテクストで情緒的に決める」ということになりかねない。有権者の好みそうなストーリーも提示してくれないので、支持する人は少ないのではないだろうか。
「事実と仮説を比較検討する」という方法を取ることができれば、日本の政治は大きく前進するかもしれない。問題解決能力は飛躍的に増すだろう。しかし、大元を辿って行くと政党の問題というよりは有権者一人ひとりの問題だということが分かる。

自民党の考える非常時大権は危険

野党が総崩れする中で、憲法改正が現実味を帯びてきた。本来は憲法第九条を変えたいらしいのだが、それでは国民の支持が得られないと考えたようだ。代わりに出てきたのが「地震などの非常時に国会の承認を得ずに内閣が法律を制定できるようにする」という条項だ。この条項であれば「国民の理解が得やすい」と考えているようである。
第一にこの提案は筋が悪い。非常時大権はヒトラーが「合法的に」民主主義を骨抜きにするために使われたという記憶から「民主主義の敵」と見なされている。反対派は安倍政権をヒトラーになぞらえることが多いので、これは憲法改正反対派の勢いに油を注ぐ結果になるだろう。
第二にこれは危険な提案だ。人はパニックになると理性を失う。理性を失うのは国民ばかりではない。政治家も人の子なのだ。むしろ大きな責任に直面するという意味では政治家のパニックの方が危険だろう。
実際に東日本大震災の時に何が起こったのかを思い出してみよう。それは統治経験もなく(おそらく統治の覚悟もなかった)市民運動家が権力を握ってしまった為に起きた悲劇だ。
地震の直前民主党では菅下しが起きていた。党内で孤立していたと考えてよい。福島で事故が起こると、理系出身で「原子力に詳しい」と自任していた首相は、福島第一原子力発電所に乗り込んだ。それでも飽き足らず今度は東京電力に出かけていって本店の職員たちを恫喝した。この件が現場の作業にどのような影響を与えたのかは分からないが、少なくとも彼らを萎縮させたのは間違いがないだろう。
萎縮した現場は情報の隠蔽を図る。彼らはSPEEDIの情報を開示しなかった。後に首相が「知らされなかった」と釈明したように、現場から情報が上がってこなくなったのだろう。そこで首相は東京電力、原子力安全・保安院、原子力委員会などへの不信を募らせて、専門家を次々と招集した。この結果、組織が乱立して原子力行政が混乱した。
首相は具体策がないままで「原子力は悪だ」と決めつけて、法的な裏付けなく浜岡原発の停止を求め、多くの国民を困惑させた。そんな中、東京電力も自己防衛に走り、計画停電を実施した。「原子力がなくなると、不便が続きますよ」という恫喝の意志があったのではないだろうか。東電はこのまま反原発の空気が広がるのを怖れたのだろう。理性的に考えるとこれはよいアイディアではなかった。国民の間に「電力の地域独占がまずいのではないか」という空気が広がり、東電は既得権を失ってしまったからだ。
現場が混乱し、不安が広がっても、民主党政権は国民に正確な情報を提供しなかった。米軍が家族を退避させるなか、枝野幸男官房長官は「直ちに人体への影響はない」と繰り返した。「直ちに」がどの程度なのか誰も分からなかった。現場からの情報も上がってこなかったという側面はあったかもしれないが、それよりも「後で責任を追求されたくない」という気持ちが強かったのではないだろうか。結局、枝野さんいは権力を預かる覚悟がなかったのだろう。
枝野官房長官の言葉は、結果的には「民主党は信頼できない」という印象につながった。その印象は今でも払拭できていない。「民主党には統治能力がなく」「情報も隠蔽する」という印象だけが残った。
こんな中で内閣が「緊急事態」を宣言したらどうなっていただろうか。そもそも菅直人政権は民主党からも見限られていた。だから首相は体制維持のために国会の議論をすべて(つまり与党も野党もなく)無視するはずである。首相は側近への依存を強めるが、現場はそれぞれが自己保身に走り情報を上げなくなる。統治不能になった政府はさらに自己保身を強めて国民に情報を渡さなくなるだろう。非常時大権がある中で不安定さが増せば今度は何をしただろうか。NHKや新聞社の報道統制くらいは考えたのではないだろうか。
自民党政権は「自分たちが政権を握るのだから、こんなことは起こるはずはない」と考えているのだろう。しかし、国民がいつも自民党政権を支持するとは限らない。そもそも緊急事態なのだから何が起こるか分からない。地震は1,000年に一度なのかもしれないが、不意に核ミサイルくらいは飛んでくるかもしれない。
前回の議論で見たように、自民党の憲法案は政治権力が誰に由来し、誰が最終責任を取るのかをぼかしている。独裁の覚悟があるなら「自民党が国民を指導する」くらいのことを書いてもよいはずだし、天皇主権にするなら「天皇を元首として拒否権を持たせる」くらいのことをすべきだ。その一方で、国民が「天賦人権を持っているのはおかしい」などと言っている。議論に疲れている様子だけは伝わってくるが、かといって独裁の覚悟もない。こういう国家観は却って危険である。権力を握る覚悟のない「市民の味方」の方が独裁者に近いかもしれないのだ。
非常事大権というと、ヒトラーのように破壊衝動を持っている人が国をめちゃくちゃにするという印象が強い。しかし、東日本大震災で起きたことから類推すると、アマチュア政治家の権力への過信と現場の自己保身が国をめちゃくちゃにする公算の方が強いのかもしれない。
最悪の事態に対する想像が働かないのは、政治を巡る議論が「自民」対「反自民」の戦いになっているからだろう。一度、現在ある対立から目を離して考え直した方がいい。政治に対する議論を読む時に「こいつはどちらの味方なのだろうか」などと考えるのは危険だ。