スウェーデン好きを表明すると日本で嫌われるのはなぜか

今回の原発問題で脱原発を唱った嘉田由紀子さんは、選挙期間中に大いに罵倒された。中でも多かったのが「嘉田さんはスウェーデンが好きだが、スウェーデンというのは…」という批判だった。今日はこれについて考えてみたい。
思い起こせば、民主党も北欧モデルを福祉国家の理想として取り扱ったことがある。しかし、国民からはあまり受け入れられず、結局はフランスの事例を持ち出すことが多くなった。「北欧は日本とはあまりにも違いすぎる」という意見が多かったからではないかと思う。いったい、何が違うのだろうか。
ホフステードの研究によれば、北欧諸国は「女性的傾向」が強いとされる。(『多文化世界 – 違いを学び共存への道を探る』などを参照のこと)。ホフステードは企業文化を比較している。だから、この場合に「女性的傾向が強い国」というのは、企業などにおいて、共助・協調性が高い国のことを言う。ライフタイムバランスへの取り組みに熱心なのも、女性的傾向が強い国の特徴だ。生活の質への意識も高いからだ。
これに比較して日本は極めて男性的な社会(リンク先でMASと呼ばれるスコアを参照)だとされている。リンク先にある説明はこうだ。

日本は、社会は競争・達成・成功を重んじ、他人を慮ったり、人生の質を追求したりといった関心は低い。男性的な国では勝つ事に価値が置かれ、女性的な国では自分がやっていることが好きかどうかが重要視される。

このスコアがジェンダーと結びつけられていることに異論を唱える人は多いかもしれない。実際には女性管理職の中にも「競争が好き」な人はいるだろう。また、男尊女卑の国にも「女性的」な国が存在する。いずれにせよ、日本のMASインデックスは突出して高い。反対に、スウェーデンのMASインデックスは極めて低い。つまり、日本とスウェーデンの価値観は対極的なのだ。
これを覆すにはかなりの時間がかかるだろう。
今回の選挙中は女性が「社会が育み育てるという」価値観を否定する議論があった。男性が女性を嘲笑するのはなんとなく理解できるのだが、男性社会に適応した女性までもこうした共助の価値観を否定するケースがある。
政治経済や企業活動の文化では「他人を大切にしたい」とか「話し合いで解決したい」というような意見は、あからさまに攻撃される可能性が高い。またそれを嘲笑しても、社会的にはあまり批判されることはない。政治経済の現場では女性的な態度(つまり、他人を大切にし、協調して社会を維持して行こうという姿勢)は受け入れられないのだ、と感じているのかもしれない。
どうして日本社会がこうした男性的な企業態度を持つに至ったのかは、よく分からない。第二次世界大戦を通じて作られた富国強兵文化が企業文化に引き継がれたのかとも思えるが、競争や自己責任など政治的な主張も極めて男性的だ。
国際的に競争しないと負けてしまうとか、アジアの中で軍拡してでも競争しなければならないという主張がおおっぴらに語られる一方で、不況や震災で困っている人たちを助けたいという主張はあまり受け入れられない。領土問題を平和裏に話し合いで進めるべきだという主張は嘲笑される傾向がある。「弱腰で女っぽい」と思われてしまうからだ。
不況になると、企業社会で競争心を満たすことができなくなると、それが政治に向かうのかもしれない。女性は社会では低位にいる存在で、従ってその意見も取るに足らないものだという気持ちがあるのかもしれない。
いずれにせよ、女性的な価値観を全面に押し出した社会民主党は存亡の危機にあるし、女性を全面に立てた日本未来の党は出だしから躓いた。女性閣僚を多く登用すると女性からの支持は得やすくなるが、やはりサポーティングロールであって、全体的な雰囲気を支配するまでには至らないのが通常だ。
一方、スウェーデンなどの北欧社会がどうして女性的なのかも分からない。男性が海に出てしまい、政治やコミュニティ維持の現場でも女性が活躍したからだという説がある。同じように女性的傾向が強い国にはノルウェー、ポルトガル、オランダなどがある。
いずれにせよ「女性がスウェーデンを持ち出す」と、いろいろな理屈で意見が否定されるわけだが、これに正面から論争を挑んでもあまり意味はない。そもそも「文化的な偏見」だからだ。興味深いなと思えるのは、「女性的な意見」をあからさまに否定する人は、必ずしも社会的に成功している人ではない。競争に執着していて「勝てる相手を選んでいる」ようにも見える。今回「勝ちすぎた」といわれる自民党は、こうした勇ましい議論を引っ込めてしまった。選挙に勝ったことで、議論によって勝つ必要がなくなったからではないかと思う。強い人が弱者をことさらにいじめるのは「男らしくない」わけだ。
日本社会はあまりにも男性的なので、放置すると競争が自己目的化することがある。しかし、それを補正するために「女性的な価値観」をあまり強調しすぎると、男性のみならず女性からも嫌われてしまう。人生の質を向上させたり、協調的な政策を成功させるためには、こうした偏見をなんらかの形で乗り越える必要がある。
最近はイクメンブームだが「育児は実は知的なのだ」とか「シゴトができる要領のよい男性ほど育児に参画しやすい」といった、競争的な側面を強調した言い方がされることがある。「遅くまで残業している男は余裕がない」というのも価値観の転化だ。また、男性は優しくて力があるからこそ、女性を助けることができるというのも、男性的な理由づけである。
同じように、原発の問題でも「古いスキームにしがみついているのは、知的レベルが低いからだ」とか「新しい電力供給スキームの開発競争こそが知的ゲームである」といった方が、競争を促進しやすいのではないかと思える。
また、領土問題にしても「話し合いで平和的に解決しよう」というよりも「戦略的に相手を誘導すべき」という上から目線の言い方の方が好まれそうである。「弱いイヌほどよく吠えるから、軍備を増強しようといった、女々しい態度に出る」というリポジショニング(まあ、たんなるラベル貼りなのだが…)もできるだろう。男らしく正々堂々と協議で渡り合うべきだ、と言った方が男性的な価値観の中では、支持者を増やすことができるだろう。

インセンティブはやる気を殺すことがある

政治は刻一刻とある「罠」に近づきつつある。
何かを起爆剤にして景気を浮揚させる。しかし、それは長くは続かない。まるで麻薬が切れるようにして効果がなくなり、後には苦痛が残る。この麻薬は、一般的にインセンティブと呼ばれる。短期的な効果はあるが長続きしない。
インセンティブによってぼろぼろにされた産業がある。それはテレビだ。ここで分かったのは、インセンティブは「買いたい気持ち」を破壊してしまうということだ。あの政策は単なる需要のタイムシフトではなかった。
憲法改正論者は、国民にやる気がないのは憲法が原因だと考えたらしい。権利ばかり主張するのではなく義務について考えようと主張する。考えてみれば分かる事だが「国家が強制労働させて経済が発展する」などということは考えにくい。
最悪なのは、実際に国民がこうした考え方を受け入れてしまう状況だろう。最低賃金で仕事をあてがってもらえれば、少なくとも自分が何をやりたいのか考えなくてもすむ。このようにして作られた労働者は、人生に大した希望も持たないだろうし、職場をより良くするために貢献したりはしないだろう。怒られれば働くが、それ以上のことはしない。こうした労働環境で、生産性が上がったり、国際競争力の高い産業が育成できるとは考えにくい。
考えれば、こうした状況は既に蔓延している。医療保険分野で働く人たちの給与は政府の福祉支出に支配されている。また、企業が最低賃金で労働者を働かせることができるのは、労働者のやる気に依存しない経済圏が形成されているからだ。正社員を育成して会社への忠誠心を演出する必要もない。多くの仕事はマニュアル化された単純労働に置き換えることができるからだ。
生活保護の代わりに労務提供を求めたり、最低賃金を撤廃しようという主張は、結局の所、このようなトレンドに沿った議論だ。
この行き着く先を探していたところ、パチンコ店を見つけた。労働がインセンティブによって大きく支配されている現場だ。
郊外には大型のパチンコ店ができていて、駐車場は埋め尽くされている。中にはブランドショップ(とはいえ、量産されたものが多いのだが)とレストラン(とはいえ、食べ放題なのだが)が設置されていて、ポイントでこうした楽しみを買う事ができる。客は設定されたイベントに沿って興奮し玉を打ち続けている。この作業は遊びというよりは労働に似ている。
ここでより多くの客を誘致するためには、イベントを工夫するか、賞品の交換率を上げてやるしかない。つまり外部からのインセンティブが効果的な遊びなのだ。客は自ら工夫してパチンコを面白いものにしたりはしないだろうし、お互いに調整して遊びを面白くしたりすることはない。つまり、パチンコから新しい遊びは生まれない。
さらに、ここでの売上げを増やすためには2つの通路がある。1つは出玉(景気)を良くする事であり、もう1つは景品交換率(つまり価格)を下げることだ。まったくの偶然かもしれないが、現在の消費事情に似ている。商品の魅力を増やしても、消費が上がったりはしないのだ。また、出玉を良くするために客が努力することはない。彼らは決まった労働(レバーを操作する)ことをやっているだけであり、景気を良くするために工夫することもない。
パチンコと経済は違うのではないかという人もいるだろう。パチンコは客からお金を取ってパチンコ屋を維持している。しかし考えてみると分かるのだが、国も国民から税金を取っている。海外交易によって稼ぐ経済では、パチンコ屋と国の経営は相似ではないのだが、政府支出と年金が経済を維持する状態では相似する。
「操作」された状態では、人々はインセンティブ以上の事はやらなくなる。そもそもパチンコしかない状態で「自発的な遊びもあるはずだ」と考えるのは空しい。
ダニエル・ピンクは、機械的作業の場合、インセンティブは有効だが、創造的な作業(これを発見的作業と呼んでいる)にはあまり効果がないと言っている。作業の質は従事者によって異なり、全ての人が創造的な作業を楽しめるわけではなく、機械的作業が好きな人もいる。
この分析では「遊びと仕事(もしくは経済活動)」が倒置されているという批判があるかもしれない。しかし、この倒置こそが、本質なのだと考えられる。もはや「機械的作業」ですらなくなっているわけである。

繊維産業はなぜ「衰退」したのか

アパレル産業は斜陽産業だと言われている。「国に依存しすぎたために、産業内調整力が失われた」らしい。現在では生地生産工程と縫製工程が分断されている。生地生産には国際競争力があるが。技術革新の波について行けず衰退するかもしれないと言われているそうだ。






今回は二本の論文を参考にした。1本目は、慶応義塾大学産業研究所の「わが国繊維産業の現状と課題」(辻村、溝下)で、2本目は、三菱総合研究所が出している「転換期の日本経済・産業」(奥村)だ。「わが国繊維産業の現状と課題」はミクロとマクロの両面から繊維産業について調査・考察している。一方、「転換期の日本経済・産業」は短い読み物だ。

1930年代、繊維製品は主要な輸出品目だったが衰退が続いた。1991年には製造業の5.2%を占めていた売上げも2001年には2.5%%まで落ち込んだ。従業員も114万人(1985年)から51万人(2001年)にまで急激に低下している。

慶応義塾大学のレポートによると、日本の生地生産工程には競争力がある。しかし、縫製工程は手間がかかる割に収益が上がりにくく、中国などの発展途上国に流出した。これに引っ張られる形で、それ以外の工程も流出してしまうかもしれないとレポートは危惧している。

もう一つの問題は生産設備だ。意外にも生産機械は技術革新が早い分野だが、外国製機械への依存が強まっている。ニット織り機のように「プログラミング」が必要な分野もあるのだが、プログラミング技術者も不足している。

日本が国際優位性を持っているのは、資本設備(生産施設などのことだと思われる)が高度に集積した分野だ。同じような理由でヨーロッパにも繊維産業の拠点がある。しかし、生産設備が老朽化し更新ができないと、優位性が失われるかもしれない。一社では設備の更新ができず、技術革新についてゆけないということも起こっているそうだ。日本で製造した機械もメンテナンスする人材が高齢化で辞めてしまえば、やがて使えなくなってしまうだろう。

外部から見ると、中間工程(縫製)の流出や生産設備の更新など一社で対応できないものも、共同すればなんとか対応できるのではないかと思える。しかし、それぞれの中小企業が個別対応しようとしているのが実情のようだ。慶応技術大学のレポートを読んでもどうしてこのようになってしまったのかがよく分からない。「国がきちんとサポートすべきである」という提言が見られるのみだ。

三菱総合研究所の短いレポートはこの事情を分析している。戦前、繊維産業は国内の主要輸出物であり、国策で機械化などが進んだ。戦争で一時落ち込むのだが、戦後一気に需要が高まり、貿易摩擦を引き起こすほどに成長したが、国が主導する形で産業規模を縮小した。このような経緯から「政策依存」の体質が作られたのだというのだ。

朝鮮戦争が始まると繊維製品への需要が高まった。織り機さえ持っていれば飛ぶように売れたため「ガチャ万景気」と言われた。当時は農村からの格安の労働力が豊富にあり価格競争力も高かったものと思われる。

当時は円が安いレートで固定されていたため国際競争力が高かった。アメリカのニクソン政権は1970年代初頭に日本に圧力をかけて繊維産業の縮小を求めた。沖縄の返還交渉をカードにしたとも言われており「糸を売って縄を買う」と揶揄された。日本政府は田仲角栄通産大臣がが2000億円ほどの予算で救済策を実施した。国内の機械を買い取って企業を救済したのだ。その後、円高が進行すると国内の繊維産業は競争力を失った。

繊維産業衰退を分析する中には、エンドユーザーとのつながりに関する記述はない。三菱総合研究所のレポートで商社の役割が示唆されている程度だ。実際には商社から先にデパートや海外などへのつながりがあり、バリューチェーンが完成するはずだ。

アパレル産業は「趣味趣向」に左右される。であれば、少量多品種を管理して市場のニーズをいち早く掴めばよいように思える。しかし、実際に成功しているのはユニクロのような規模の経済を活かした大量生産・消費型の企業である。

業界内にリーダーシップを持った起業家さえいれば状況は改善するように思えるが、国が主導した「殖産興業」の歴史が長かったので、個人でリスクを取って産業を興そうという気にならなかったのかもしれない。また、改革に必要なシステムも整備されなかったのだろう。

[2015/8/30:書き直し]

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文明の衝突と日本

「文明の衝突」は、東西冷戦が終わりアメリカが唯一の覇権国家になった直後、1993年に提唱された概念だ。アメリカが超大国であることには変わりないが、それに敵対する可能性のある地域大国があり、地域には2番手の国があると考えた。イスラム圏のように地域大国がない世界もある。その中で東アジアは特異な地域だ。地域大国は中国なのだが、地域の2番手の国である日本は、中華圏を含めどの文明とも共通点がない独自の文明だとみなされている。
今回は2000年に出版された『文明の衝突と21世紀の日本 (集英社新書)』を読んだ。日本向けに書かれたダイジェスト版と言える。
このフレームワークは、アメリカ中心の視点で書かれている。「イスラム対キリスト教」という対立が念頭にある。アメリカは当然「西方キリスト教的世界」の中に位置づけられている。
この図式は当時とは大きく変わった。2012年の大統領選挙では、イスラム教徒を父親に持つ候補と、アメリカで生まれたキリスト教系の新興宗教を信奉する候補が対峙することになったが、今の所「文明の対立」とか「宗教の対立」だとは考えられていない。つまりアメリカは純粋に「西方キリスト教的」とまでは言えない。
また「超大国であるアメリカの本土」が直接イスラム世界から攻撃されるという事件も起きてはいなかった。
毎日の問題を見ていると、一つひとつの問題がとても大きな脅威に見える。また、別の問題は日本から遠く離れた所で起きており全く関係ないと感じられたりする。こうした大きなフレームワークの利点は、こうした混乱に満ちた世界を整理して眺めることができる(眺める事ができるということは、対策を立てることもできるということだ)という点だろう。
このフレームワークは、アメリカの内部から世界を眺めているのだが、実はアメリカが持っている「新世界的な」側面をあまり重要視していないように思える。それは旧世界の秩序から脱却して、新しい動きを作るための原動力になるという側面だ。その後「グローバリゼーション」が引き起こした様々な問題点を考えると、諸手を挙げて賛成するわけにも行かないのだが、それでも貢献も大きかったのではないかと思う。
同じ事が日本にも言える。日本を内側から見ると、自分たちの文化圏を過小評価してしまいがちになる。アメリカと中国に挟まれて、独自性が乏しく「物まねに過ぎない」というのが一般的な評価なのではないかと思う。ところが、世界的に見ると「日本はやはりどことも違う」というのが一般的な評価だ。ただし、海外に出かけた日本人は出先の文明に融合してしまうので、どの国ともつながりがなく「孤立している」というのもやはり一般的な見方である。
古くからの国の成り立ちを見てみると、日本はかつて東アジアの中で多分に「新世界的な」要素を持っていたらしい。だからこそ南中国や朝鮮半島から新しい機会を求めた人が押し寄せた。「文明の衝突」が前提にしている「西洋文明と非西洋文明は衝突するはずだ」から「新しい秩序を作り出せる文明が必要だ」という主張は、日本人から見るととても不思議に思える。日本ではこの2つの価値観は「なんとなく」折り合っているからだ。多分これはアメリカにも当てはまるのではないかと思う。非西洋系の移民たちは、なんとなく東洋的な価値観を受け継ぎながらも、西洋社会にとけ込んでいる。いわゆる「新世界人」的である。
ここで問題になる点はいくつかある。まず日本の指導者たちは日本の国が持っている「優位性」を資産だとは感じていない。さらにこうした資産を使って世界に貢献しようという気概はない。さらに目の前の問題を見て右往左往しており、もうすこし広い視野で物事をみようとはしない。
さらに、日本ではこうした「違ったものを折り合わせる」行為はあまりにも当たり前に行われていて、取り立てて他人に説明しようとするのが難しい。多分、日本流のやり方をすれば「とりあえず、二階に住んで、盗んで覚えろ」というような言い方になってしまうのではないかと思う。多分「黙っていれば相手に伝わる」という点が、周囲から理解されにくいという特性を生んでいるのではないかと思う。
最後に日本人は西洋文明に対して卑屈さを覚え、近隣の東洋文明に対しては尊大に振る舞う傾向がある。相手によって自分の価値までが変わってしまうわけで、冷静に自分たちの資産を評価する妨げになっているのではないかと思う。

渡来人のいない世界

日本の南には台湾があり、そこをさらに下って行くとフィリピンに行き着く。南方から入ってきたとされる人たちはこの道筋をなんらかの手段で北上したと考えられるのだが、台湾からこのルートを南下した人たちもいる。
九州と同じくらいの面積を持つ台湾には「原住民」と呼ばれる少数民族が40万人ほど住んでいて、同じ系統の言葉を話す。同じ系統とはいっても、谷ごとにお互いに意思疎通ができない程度の違いがある。この言語の豊富さから、彼らは「充分に長い間」この島に住んでいたことがわかるのだという。
彼らと同じ系統の言語(オーストロネシア語)を話す人たちは、マダガスカル島からハワイやニュージーランドまで広範囲に住んでいる。インド・ヨーロッパ語族と同じような分岐型の人たちだ。今では彼らの故地が台湾島あたりだと考えられている。台湾からフィリピンに島伝いに渡り、そこから各地に拡散したのだろう。
小さな地域に多彩な言語を持った「民族」が暮らしているのは、1億人以上が同じ言語を話す日本人からみると特異に言える。さらに同じような言語を話す人たちが「拡散していった」ことから見ると、自分たちの言語を長期間保存していることとつじつまが合わない。
どうやらこの人たちは、農地が少なくなると徒党を組んで他の島に移って行く習慣があったのではないかと思われる。しかし一方で狭い地域では、お互いに干渉を最低限にとどめ独自性を保っていたらしい。こうした状態を「平衡」と呼ぶ。できるだけ自分たちの習慣やアイデンティティを守るために同じ民族間で固まって住んでいて、お互いの言語が理解不能になるまで分化したのではないかと考えると双方を無理なく説明できるからだ。
台湾では「異民族間」で結婚が行われている。また、身分社会であり「貴族」と「平民」層があったようだ。つまり、狩猟生活をしていたからといって「平等でヒエラルキーのない」社会があったわけではなさそうだ。
一方で「税金や中央政府」というような概念は発達しなかった。民族というのはかなり人工的な概念だ。日本人が同じ言語を話すからといって人種的に均一とは言えないのは「我々が日本民族である」という認識があとから作られたからだ。こうした概念があるのは、日本人が「国家」という発明品のある社会に住んでいるからだ。部族的な社会では、人種的に大きな差がなくても、別言語を話す民族だという認識が生まれる。
どうして「中央政府」という概念が発明されたのかは良くわからない。「全く外見が異なり、何をやるかまったく見当も付かない他者」が存在しないところでは、小さな違いを乗り越えて「自分たちは同一である」という意識は生まれにくいのかもしれない。従って、自衛のために中央集権的な政府を作り、他者に立ち向かおうという意識も生まれにくいのだろう。
日本列島には、朝鮮半島や中国大陸から入り込んだ人たちが「中央集権的な」国家を作り上げるのだが、台湾ではオランダ人が来るまで「政府」がなかった。オランダ人が台湾を統治し、その後オランダ人が連れてきた中国系の人たちに乗っ取られる。
オーストロネシア系の人たちは台湾ではオランダ、中国、日本に支配されるのだが、フィリピンやマレーシアではネグリトと呼ばれる「原住民」を山地に追いやった。その後それぞれヨーロッパの支配を経て徐々に独立を果たし「多民族国家」を形成した。インドネシアでは「インドネシア語」が発明されたりしている。
現在の台湾には「古くからいる中国人(本省人)」と「新しく入ってきた中国人(外省人)」の間に意識の違いと対立がある。この対立が始まってから70年弱が経過した。外省人は、中国大陸の政情に強い関心を持っている。わずかな違いの方が重要に感じられるのだろう。彼らは別の国を作って別々に台湾を統治しているわけではなく、同じ国の中で政権交代や世代交代によって対立している。つまり渡来系といっても一様ではないわけだ。
例えば、「台湾人」という言い方があるが、これは外省人にとっては受け入れがたい概念だ。自主独立ではなく、大陸からの切り離しを意味するからだ。また大陸側の政府からみても「中国固有の領土である台湾」が切り離されるというのは政治的には受け入れがたい事実だろう。清(うるさいことを言えばツングース系の政権なのだが)が台湾を自国に編入したのは1683年だし、共産党は台湾を統治したことは一度もない。
日本列島に渡来人が入って来た時、列島がどのような状況だったのかはよく分からない。
「既に均質な先住民がいた」ことになっているのだが、台湾の状況を見ると、彼らが「同一言語を話していた」かどうかはわからない。台湾原住民と同じように狭いアイデンティティを保持しつつ小集団で暮らしていたかもしれないし、お互いに緊密な交流があったかもしれない。つまり、日本語がいつ成立したのかはよく分からない。
渡来人の側には「民族意識」があったかもしれない。一様ではないとはいえ、少なくとも「国」の概念を持ち込んだ人たちは、母国とある程度のつながりを感じていたかもしれない。彼らが一波ではないとしたら、母国のアイデンティティと対立構造を持ち込んだまま、小競り合いを繰り返しつつ、徐々に母国への関心を失ってしまったのではないかと考えられる。特に、大陸側に日本語と同系統の言語がないことは説明が難しい。大陸側の言語が消えてしまったのか、あるいは日本で溶けてなくなってしまったのか、よく分からない。
その後の史料を見ると、日本は大陸から「精神的に独立」し、その後日本史といえば列島内部で起きた出来事を指すようになる。

ヘルムホルツ錯視とボーダーのシャツ

ついに科学的に証明された

かなり経験的に書いたのだが、ついにボーダーは細く見えるという研究結果が発表されたようだ。

まとめ

  • ボーダーのシャツは縦長に見せる効果があり、背が高く見える。これはヘルムホルツ錯視といわれる。
  • しかし、太った人が着るとお腹のふくらみが強調され逆効果だ。
  • また、背が高い人がこのテクニックを使うと、却って不自然に見えるだろう。
  • この他にも縦長に見せるテクニックはいくつかある。例えばミュラー・リヤー錯視などが有名だ。Vゾーンを強調したり、Yの形を作るとよい。
  • 洋服が部品化しているので、アイテムやブランドに惑わされず全体を揃えよう。

背を高く見せるためには横縞のシャツ

さて、背を高く見せたいときに、縦縞のTシャツと横縞のTシャツ、どちらを着ればいいのだろうか。服だけを見ると、横縞は横のラインを強調して太って見えると思うかもしれない。一方、縦縞は縦の線が強調される。だが、これは間違っている。

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答えは単純。背を高く見せる為には、縦のラインを強調する横縞のシャツを着るべきなのである。理由はいくつかある。

左の図には2つの縞があり、縦縞は横に長く(つまり太って)見える。これをヘルムホルツ錯視と呼ぶ。これををハードウェア(つまり網膜の動き)からは説明できない。脳の学習の結果、錯覚が生じるとされている。いわばソフトウェアの不具合なのだが、なぜこうした違いが生まれるのかはよく分かっていないそうだ。

次にこのコーディネートではパンツからボーダーのシャツまでひとつながりの流れが作られているのがわかる。すると縦の線が強調され、背が高くまとまって見えるのだ。服は全体を構成している。

ただし、ストライプには体の線を際立たせる効果がある。太ってお腹が出ている人が横ストライプのTシャツを着るとふくらみが強調される。このふくらみは横縞の方がより強調されるから、太ったお腹を隠したい人は、横縞のTシャツを着ない方が良い。

だからといって、全体を横縞模様にしても、背が高くは見えない。人間の体は縦に長い長方形だ。長方形では縦ラインを作った方がすっきり見える。つまり正方形のように「一瞬どちらが長いかが分からない」場合には、ヘルムホルム錯視が成立するのだが、明らかに長さが違っている場合には、流れの方が強調されるのである。いずれにせよコーディネートは重要だ。

その他の錯視で縦長ラインを作るには

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コーディネートで使える錯視はこれだけではない。ミュラー・リヤーと呼ばれる別の錯視もある。横棒の付き方によって長さが違って見えるという錯視だ。長さや角度によって効果に違いあるそうだ。時々、セーターやシャツの模様としてY型のラインが付いているものがあるが、これはミュラー・リヤー錯視を利用したものだ。このように錯視はデザインの一部として様々に利用されている。

視覚効果を学ぶには

コーディネートを勉強する上で視覚効果を知るのは重要だ。『錯覚の世界 – 古典からCG画像まで』のように錯視を扱った本も出ている。また錯視を特集したウェブサイトもあり、どのような基本的なテクニックがあるかは簡単に調べる事ができる。

ファストファッション全盛だからこそ、テクニックが重要

背を高く見せるテクニックにはいろいろなものがあるが、そもそもこうしたテクニックが必要とされるのはなぜなのだろうか。

かつて、こうしたテクニックは大した意味を持たなかった。例えば、「スーツそのもののシルエット」は選べなかった。かつて、バブルの時代にはみんなゆったり目のスーツを着ていた。今では「なんとなくヘン」な格好だが、当時疑いを持つ人は多くなかったのだ。

ところが、消費者がそれぞれ好きな形を選んで服を着るようになると、さまざまな要素の中から、自分にあった服を選ぶ必要が出てくる。加えて、最近の洋服は体の線を出すようにデザインされているものが多い。こうした背景から、最近のファッション雑誌の中には、錯視などのグラフィック要素を使って体型の補正の仕方を取り上げたものが出始めている。

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伝統的なファッション雑誌は、製品に合わせてモデルの体型を変えている。パンツの形をきれいに見せたい場合、足の長いモデルを使うといった具合だ。だから、ファッション雑誌を真似しても「期待通りに見えない」といったことが起こる。

Tシャツの特集などでは、それぞれ体型が異なったモデルが、めまぐるしく変わるいろいろな模様のTシャツを着ている。見ている側は、統一的なルールが分からなくなり「ああ、きれいだな」とか「このモデルたちは格好いいなあ」と思って終わりになる。洋服屋に行っても錯視について知っている店員は少ないので、どんなTシャツに体型を補整する効果があるかどうかは良くわからない。一方、新しいファッション雑誌は、できるだけ読者層に近い体型のモデルを使うようだ。出来上がりが予想できるので、失敗が少ないといえるだろう。

アイテムやブランドに惑わされず、全体を揃えよう

錯視といっても、それをどこの部分にどれくらい使うかによって効果が異なる。つまり、さまざまな錯視を網羅しただけでは、的確なコーディネートは作れない。部分ではなく、全体が大切だということになる。また、幾何学模様は完璧でも、色がバラバラだったり、素材感がめちゃくちゃだったりすると、やはりファッションコーディネートとしては使い物にはならない。部品にだけ着目せず全体を意識するのが重要だ。

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共感について考える

先日のエントリーでは、傷を負った社会が、どのようにそこから回復したかということを観察した。傷を負った地域を「切り離す」ことで、これをなかったことにしようとする一方、被災した地域と「そこに援助してあげる地域」という上下関係ができ始めているように見える。敏感な人たちが「絆」という言葉にちょっとした違和感を感じるのは、こうした治癒が必ずしも根本的な不安の解消につながらないからだろう。
こうしたエントリーを書いたのは、コフートの『自己の修復』を読んだからだ。
心理学者はコフートを安易に集団心理に適用したりはしない。そもそも一生かけて書いた三部作なので、1時間くらい読んで「はい、分かりました」という類いのものでもない。まず、この点をお断りしておく。
コフートはフロイトの心理学を受け継いで、さらに「自己心理学」という体系を作った。三部作の二作目に当たる『修復』にはいくつかの症例が出てくる。患者は共感の薄い母親を持って傷ついている。その後、父親を理想化しようとするのだが、父親の方はうまく対応できない。子どもはなんとか成長するのだが、ある時点で言葉にはできない無力感のようなものを感じるようになり、精神分析を受けにくる。
コフートの心理学の目的は、獲得しそこねた「共感」と傷を再確認することによって、患者が正常な状態に戻るように援助することだ。そして、いつ「治癒が終了するのか」(つまりは、何が正常なのか)という点についてしつこく考察している。子どもの時に獲得できなかった共感が治療によって得られるわけではない。つまり、傷がなくなるわけではない。
あるエピソードでは「言語的に優れていた父親」との関係を取り結ぼうとして失敗した男が著述業を職業にしている。つまり拒絶されたと感じたことを職業にして乗り越えようとするわけだ。ところがある時点でこれに満足感を感じられなくなって治療を受ける。治療が進むにつれてこの男は「学校」を作る事を思い立つ。自分と同じように「言いたい事をうまく言語化できない」人たちを手助けしようと考えたのだという。極めて個人的な動機に基づいているのだが、自分と共通する悩みを持った人たちを手助けするためにより創造的な分野へと進出して行くのである。
もちろん自己愛性人格障害に悩む人が全て「創造的」になるわけではないだろう。と同時に、個人的な不安が他人のニーズを汲み取ったソリューションの提供につながる可能性があるのも確かだ。コフートは共感を酸素のような存在だと考えている。つまり生きて行くのに必要不可欠の要素だ。
コフートの時代には「共感」がどうしてうまれるのか、それが人々の生育になぜ必要なのかということはよく分からなかった。脳の中に、共感と関連していると考えられるミラーニューロンのようなシステムがあるということが分かったのは1996年なのだそうだ。
他にも分からないことは多い。どうして母親の共感が損なわれるのか(器質的に損なわれているのか、心配事などがあり一時的に損なわれているのか、それとも共感が育ち損ねたのかということだ)ということは分からない。そして父親がどうして子どもの期待に応えられないのかも不明だ。父親の能力が欠けているからなのかもしれないし、子どもが父親の能力を超えて成長するからこそ「応えられない」のかもしれない。つまり、成長しつつある社会ではこうした「物足りなさ」は珍しくないのかもしれない。怖れや怒りのようなネガティブな気分が共感を損なうのではないかと思えるが、これも特に問題にはなっていない。
今回考えているラインは「共感を獲得し損ねる」「自分についての価値を感じられない」「気力や生きる意味を感じられなくなる」という感情について「自分は共感を得るのにふさしい存在だということを認識する(つまり自己愛を再獲得する)」ことで「成長が再開され」「共感を通じて、自分を愛せるようになるのと同じくらいに他者をも愛せるようになる」というシナリオだ。あらためてこうした苦痛を意識化することで、自然に共感を体得した人よりも深い自覚を得るだろう。つまりセルフ・プロデュースは「共感を得るのにふさわしい自分」を再認識するために使われる道具立てに過ぎない。
自己の修復には別のパスもある。どちらかといえば新興工業国では賞賛されてきた態度だ。母親と死に別れ、父を頼る事もできなかった青年が「寝ないで働き」お金を貯めて起業する。自分が克己したからという理由で従業員とも同じ文化を共有しようと考える。しかし、これが「過労死」を招く。ある人はこれを競争社会の成功例だと考え、別の人はこれを「ブラック企業」と呼ぶ。従業員を過労死させた同じ企業が福祉分野にも進出している。こうした人たちを「良い人」「悪い人」と単純に区分することはできない。福祉分野で働いているうちに従業員が過労死ということもなくはないし、これで助かった人がいるのも事実だろう。多分本人は自分のことを「共感力のある優しい人間」だと考えているのではないかと思う。
コフートの時代まではカウンセリングによる治療が一般的だった。時間がかかる上に高額な治療だ。こうした「贅沢」な治療は、その後投薬治療にとって代わられる。これで救われた人も多いだろうが、そもそも「薬で症状を押さえ込んで、今いる戦闘部隊に復帰させること」が正常化だとされているのも確かだ。「今やっていることに意義を感じられない」のは、失敗ではなく成長の証かもしれないのだが、極度まで効率化された社会からの離脱は贅沢であり、許されないこともあるわけだ。
つまり、効率的で洗練された上に、力強い社会が「成長」を妨げている可能性もあるのではないかと思う。

流行のメカニズム

ファッションの社会学を読んだ。この本によれば、流行ができる理由は明確らだ。閉鎖されていてメンバーがお互いに影響し合っているコミュニティがある。彼らは、財産や時間が余っていることを誇示して労働者階級とは違うということを示す必要がある。また、仲間内で全く同じ格好はしたくない。この結果、こうしたコミュニティには自律的な「トレンド」のサイクルが生まれる。ファッションの流行サイクルは自律的であり政治や経済の状況には影響されないのだそうだ。
ただし、これだけではファッションの流行は仲間内だけのものになってしまうだろう。
これを摸倣したいと感じる層が別に存在する。当初自律的にファッッションを決める階層は貴族だったのだが、中産階級に引き継がれ、さらに映画俳優やスポーツ選手などが担うようになった。その内に巨大な発行部数を誇るジャーナリズムが介在するようになり「消費」の対象になる。
ファッションジャーナリズムは情報の通り道に過ぎないのだから、憧れの存在を見つけ出すことはできても、ないものを作りだすことはできないはずである。デザイナーは勝手にトレンドを作り出すのではない。過去のアーカイブやミューズになりそうな対象物、またはコミュニティを参考にしつつ、新しい何かを提案しているということになる。
これとは別の観察もある。ジンメルは「外では共同体に隷属している」している弱者が、はけ口として、まずは見た目から刷新しようとファッションを利用する、というようなことを言っているのだそうだ。現代でも女性のファッションでは、常に「解放」がテーマになっているという観察がある。トレンドの発信源は「上流階級」なのだが、実際にトレンドを発信するのは「その中でも弱者」ということになる。現代でも、女性ファッションのテーマは「解放」であるという観察がある。男性が、背広という比較的安定した形を手に入れたのに比べて、女性のファッションは見られて、選ばれることを前提にしている。ここから解放を試みているという観察だ。
流行は「区切られた見せびらかしの時間と空間」を持っている集団によって作られ、摸倣されるものだと定義できる。

  • 同調:あるコミュニティのメンバーとして認められたい。
  • 摸倣:そのコミュニティのメンバーでない人が、コミュニティを摸倣したい。
  • 区分:そのコミュニティの中から、半歩抜きん出たい。
  • 解放:隷属するコミュニティの規範から解放されたい。

ファッション業界が目下悩んでいるのは、昔のような規範集団が残っているのかということだろう。オートクチュールは既に衰退しつつある。一方で、中国のように新たに消費に加わった国には、フランスやアメリカのブランドに対する熱烈な購買意欲がある。不況とされた2011年だが、ブランドの売上げは好調だったそうだ。中国人がブランドモノを「熱烈歓迎的」に買うのは、エルメスのバッグの高級さゆえではなく、フランス人のような生活がしたいからだろう。「品物の良さ」を品定めできるようになるためにはさらに時間がかかるのではないかと思われる。
ファッション雑誌を読むと「今年のトレンド」がどこからか湧いて来たような印象を持つことがある。またマーケターが自分が売らなければならないモノに集中しすぎるあまり、それがどのような来歴で作られたものかという視点は消えがちだ。しかし人々が本当に摸倣したいと思っているのは「モノではなく人」「人よりもコミュニティ」だ。つまり裏側に人が透けて見えなければ、ファッショントレンドは意味を持たないのだ。

消費は祝祭になり得るか

買い物は祝祭化しており、場合によってはかつて宗教が担っていた機能を代替しているようにさえ見える。この主張を「ああ、そうだな」とか「何かの哲学書で読んだなあ」と感じる方もいらっしゃるだろう。また、そんな馬鹿なことがあるはずはない、と思う人もいるのではないかと思う。
消費は祝祭ではない。だから祝祭空間が持っている機能をすべて満足させることができない。いったい何が欠けているのだろうか。
かつて宗教と買い物の間にははっきりした垣根があった。ファッションの歴史(下巻)を参考に見て行きたい。
ファッションの近代化は1815年頃から始まった。背景にはアメリカが綿の生産地になったこと、テキスタイルの機械化が進んだことがある。
1829年にバルセルミー・ティモニエがミシンを商業ベースに乗せる。その後、アイザック・シンガーがミシン業界を席巻した。工程の分業化が進み、デパートで注文服を受け付けるようになる。
しかし、一番重要な点は「中産階級」が生まれたことだ。チャールズ・フレデリック・ワース(シャルル・フレデリック・ウォルトと書いている文献もあるが同じ人だ)が、予めデザインを作り、それを売り込むことを始めた。これを「オート・クチュール」と呼ぶ。
1851年、第一回ロンドン万博が開かれた年だ。最初は中産階級向けに商売をしていたのだが、メッテルニッヒ公爵夫人に服を売り込んだ。これがパリ中で評判を呼び、ついには海外からの観光客を呼び寄せるまでになった。(ちなみに、トーマス・クックにより鉄道による団体旅行が行われるようになったのは1839年から1841年頃だった。)
ファッションデザインアーカイブによると、1868年にフランス・クチュール組合(サンディカ)が作られ、1911年にパリのファッションショーが開始される。プレタポルテが出てくるのはこれよりずっとあと、第二次世界大戦後だそうである。
産業革命の後「消費に回す金がある中産階級の人たち」がデパートへ買い物に行くようになった。彼らは「労働とは別に消費をする場所と時間」を持っていた。もともとこうした時間や空間を持てたのは土地を持っている貴族だけだったのだが、経済が成長し、層が厚みをましたのだと考えられる。『共産党宣言』が刊行されたのが1848年だそうだ。プロレタリアート(無産階級)という言葉が発明された時点で、彼らは資本家であり、ブルジョワだという概念ができた。
この頃の市民はまだ宗教に影響を受けた生活をしていたはずだ。神様が死んだり(ニーチェ)、無意識という言葉が発明されたり(フロイト)するのはまだ後のことだ。なぜ消費の担い手が貴族から中産階級に広がると消費が始まるのかという疑問は残る。身分制度が揺らぐと支出によって身分を証明したり、価値を共有する必要が出て来たということなのではないかと思う。消費の現場にいなければ、流行に関する情報を得る事はできなかっただろう。
ワースがオートクチュールを始めるまでは、消費者が「生地を買い」「装飾品を選び」「仕立て屋に行き」「お針子に仕立てさせる」という作業を行っていたのだ。つまりコミュニティに流行があり、その流行に沿ったものを消費者が選んでいたということだ。男性服からは顕著なファッション性は消えていたが、女性服の流行はめまぐるしく変化しつづけていた。
現代では、出来合いの服を選択し、それをどう組み合わせるかで「モテるかどうか」が決まる。つまり、ファッションで自分が所属したいコミュニティに所属できるかどうかが決まる。さらに、コミュニティがどのような「モテ」を選択するかには明確な決まりはない。「自分にあった服を着ればいいんじゃないですか」などといいながらも漠然としたラインは存在する。コミュニティの移動も可能といえば可能だ。
消費者が出て来たばかりの時代には、それなりのコミュニティがあり規範が決まっていた。どのような服を着るのかということはメンバーに知られていて、それに従って職人が服を作る。消費階級がふくらみ、上流階級のコードを伝達するうちに「モード」が生まれ、やがて、発信源が仕立て屋からデザイナーに取って代わられるようになった。
こうした流れはやがて、人々に「自分は何者か」という問いを突きつけるようになる。まず科学が発展し、自分たちが聖書をベースにして作り上げて来た世界観が「実は正確でない」ことに気がつき始める。国際分業と植民地獲得競争が激化するにつれて「国民」という概念が組み上げられるようになる。このブログで何回か取り上げた、1930年代のドイツやオーストラリアの人たちのように「ドイツ性」や「ドイツ語圏を生きるユダヤ人性」というやっかいな問題もうまれた。やがて、ウィーンに上京して来た画家志望の青年が、都市のコミュニティから排除されたのち「崇高なアーリア性」を崇拝するような時代がやってくるのである。ヒトラーがウィーンで美術学校に受け入れられていたら、現在のヨーロッパは今とは違った形になっていたかもしれない。
現在の銀座はコミュニティの要件を欠いている。何の情報もなしに銀座に行っても、誰もその人を仲間に加えてはくれない。自分の活動は自分で定義する必要がある。ヒトラーほど極端な人が出てくるかは分からないが、阻害された後に多いに立腹する人も出てくるだろう。
消費が宗教的な祝祭空間にならないのは、消費するだけでは何かに所属している気分が味わえないからだ。逆に消費が所属欲求を満たす仕組みさえ作れば、消費は祝祭になり得る。

ファッションに見る、消費者の誕生

買い物は祝祭化しており、場合によってはかつて宗教が果たしていた機能を代替している。この主張を「ああ、そうだな」とか「何かの哲学書で読んだなあ」と感じる方もいらっしゃるだろう。また、そんな馬鹿なことがあるはずはない、と思う人もいるのではないかと思う。ある人は宗教はそんなに軽薄なものではないと思うだろうし、ある人は宗教のように訳のわからないものではないと感じるだろう。

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