安倍政権の単独在位記録と桂内閣

安倍政権が歴代最長の政権になったという。安定しているならめでたいことなのだが、世間は花見疑惑で大騒ぎになっていてお祝いムードはない。記者たちは菅官房長官に「次は俺だ!」と言わせたいらしい。安倍政権にうんざりしているのだろう。






安倍政権は民主党へのルサンチマンからできた政権だが、その過程で「まともな政治」への憎悪を利用したように思える。国会議員は「天賦人権を国民に認めるのはおかしい」と言いだしたのだが、このめちゃくちゃさがこれまで政治から排除されていた層を取り込んだ可能性があると思う。政治は問題を提起するがそれは自分たちの気持ちを不安にさせるだけであって実は問題などありえないという独自の政治的な空想を作り出した。こうした人たちが積極的にTwitterに参加することで日本の政治言論空間はかなりゆがんだと思う。

先ほどQuoraで書くために桂政権について調べたのだが、戦前の日本史は次のような進み方をしたらしい。調べたことがなかったので割と面白かった。

  • 伊藤博文がヨーロッパを真似て議会政治を始める。
  • 貴族西園寺公望が伊藤博文の後を継いだが実権は「平民」原敬が握っていた。これと対立する形で桂太郎(明治維新に参加した武士でのちに日清戦争に出征した軍人)が藩閥政治を代表するようになる。この時代は桂園時代と呼ばれた。大正時代はほぼ桂園時代と重なる。
  • 旧体制が行き詰まり昭和になる頃に男子普通選挙が導入される。しかし、やがて劇場化して行き詰まり全体主義的な体制に移行したのち破綻する。

つまり、桂政権が長いというのは「それだけ複雑な状況をまとめきれなくなっていた」ということを意味する。対立に陥った彼らは庶民を味方につけようとするのだが、庶民は政治的な組み立てをしない。最終的に劇場型政治に陥ったのちに破綻することになるのである。

その意味ではSNS世論を背景に「旧来のインテリ政治」を攻撃する手法は戦前の普通選挙導入とよく似ている。旧来のインテリの中には、官僚とリベラル政治家が含まれる。「うちら」が嫌いな人たちである。自民党も民主党も「村を持たないうちら」を味方につけようとするのだがやがて泥沼化するだろうということになる。

つまり安倍政治もTwitterの政治議論の惨状も昭和から続いてきた議会制民主主義の終わりを意味するわけである。官僚が主導する体制を攻撃だけしていても新しい体制は生まれないのだ。

民主党もまた「自民党と官僚」が諸悪の根源であるというわかりやすい主張で政権を取っている。つまり、これは議会制政治の行き詰まりを意味している。

具体的にコミュニティがあった千葉市でも2009年に民主党主導の政権ができた。地方政治は二元代表制なので首長色が強くにじんでも不思議ではない。しかし、千葉市はそうはならなかった。2009年選挙は千葉市長の汚職というかなり明確な背景があった。オバマブーム・民主党ブームに湧いており「諸悪の根源は公共事業である」というような風潮のあった年でもある。

千葉市長が無所属で出馬した理由はよくわからない。民主党の他にも市民系の団体と共産党がおり無所属のほうが推しやすかったという事情はあるのだろう。しかし、この無所属は思わぬ効果も生んだ。市長に当選したのち千葉市では自民・民主という対立が起こらなかった。もともと対立を嫌うのんびりした(ある意味いい加減な)気風があるせいもあるのだろうがそのあとで土地開発の赤字補填という問題もあり市議団は一枚岩になる必要があったし自民党市議たちは悪役にならずに済んだ。千葉市は問題解決を優先した(というよりそうせざるをえなかった)のである。

一方で国政レベルの民主党は「ブーメラン」に襲われる。自分たちが批判してきたことで批判されるようになった。

安倍政権は何かにつけて「悪夢の民主党政権」といい続けている。このため民主党系は協力できなくなり(あるいはしなくなり)今に至っている。自民党を応援したくない人たちは様々な問題に触れるうちに「安倍首相さえいなくなればすべての問題はたちどころに解決するに違いない」と思っているのだろうが、実際に安倍首相がいなくなっても問題が消え去るわけではない。同じ問題を批判していた人たちが引き取ることになるだけなのである。そして7年の間も政権打倒だけを目的にしていた人たちが次の日からいきなり政権を担当することはおそらくできないだろう。

おそらく、立憲民主党は政権を狙っていないだろう。枝野幸男さんがどのような気持ちでいるのかを推し量るのは難しいのだがおそらくはかなりやる気を失っているものと思われる。彼を取り巻く人たちは政策には興味がない。国政には対立だけが残ったのである。

立憲民主党は首相の解散権は制限すべきだと主張している。まじめにそう思っているなら「首相を追い込んで解散させる」などということは言わないはずである。

これが「政党政治が終わりを迎えている」と考える根拠である。政治課題解決に活路を見出せなくなった人たちが期待したのがSNSだったのだが、結果的に呼び寄せたのは統制されないSNS民意と対立による膠着だけだったのである。

長かった桂園時代(結局大正時代全体がそのような感じだった)はやがて政党政治に置き換えられてゆく。今の政治を代替えするものが何なのかをあれこれ考えるのは楽しいのだが、それはあまり愉快なものにはならないかもしれない。いずれにせよ「なかなか終わらない安倍政権」に一喜一憂するのではなく、次について考えるべき時期に来ているのかもしれないとは思う。

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トランプ大統領が在日米軍駐留経費の大幅増額を要求したらしい……

フォーリンポリシーが「関係者の話」として在日・在韓米軍駐留費の大幅増額の話をリークした。この話はすぐさま日本のマスコミに伝わり、時事通信社は「自社で確認」したことをつたえ、NHKは某専門誌が伝えたと間接的な形で伝えた。不自然なニュースだった。






その後、石破茂議員は「出す言われない」といい河野大臣は「事実関係ない」と否定した。日本政府がこの件を表面的に議論することはないだろうから想定内の対応ではある。こうなると逆にアメリカの高官がフォーリンポリシーに情報をリークし「外伝経由」で日本に知らせた意図についてあれこれ考えてしまう。

アメリカには「国益」の観点からトランプ大統領の防衛政策に反対する人がおり「日本側が抵抗を示すこと」で大統領の考え方を変えたいと考えていたのかもしれない。しかしながら日本側は音無しの構えである。しびれを切らして情報をリークしたのかなと思った。

一連の記事によると7月にボルトン補佐官らが日本を訪れた際にこの要求が伝えられていたらしい。日米貿易交渉が最終的な詰めに入っていた時期であり、8月には例の「とうもろこし爆買い発言」があった。つまり、アメリカが様々な対日要求を突きつけてきていた。背景にあったのはトランプ大統領の弾劾騒ぎである。モラー特別検察官の件がひと段落しようとしていたが「大統領を弾劾プロセスに」という動きはくすぶっていた。この後でウクライナ大統領との不適切な電話が露見することになる。トランプ大統領が冷静に判断したとはとても思えないが、それでも意見が通ってしまうのがアメリカの大統領である。

この要求は日米安保の改定時期とリンクした発言していて乱暴に聞こえる。つまり「増額か撤退か」に見えてしまうのだ。GSOMIAの件で日米韓の足並みが揃わない中で河野大臣が日米同盟への不信感を増幅させる発言に慎重になるのは当たり前のことである。

と同時にトランプ大統領が東アジアの安全保障にさして関心がないこともあからさまにわかってしまう。そもそも8割を負担しているということなので4倍というと駐留費用を超えてしまう。もちろん4倍というのはふっかけた値段であってここから交渉してこいよということだから額面通りに4倍を受け取る必要はないのだろうが、無茶苦茶であることには変わりはない。

河野大臣が否定したことで記者クラブは伝えられなくなってしまうので、表向きの動揺はないだろう。だが、この一連の動きは当然日米の関係者を慌てさせているはずだ。

世界各国で同じような動きが起きている。まずはウクライナへの支援をサスペンドした上で「選挙で民主党候補が不利になる証拠を集めてこい」と要求している。これは今弾劾審査の俎上に上がっているほどの無茶苦茶な要求である。込み入っているのでBBCがサマリーのビデオを出している。

フォーリンポリシーは日韓をセットにして扱っているので、当然韓国でも話題になっているのだろうなと思ったのだが、韓国では「在韓米軍値札が5倍になったがちょっとディスカウントされた」という伝えられ方をしていたようだ。中央日報が伝えている。韓国の場合はアメリカを後ろ盾にした軍事政権の流れを組む保守とそれに反発する革新が分裂状態になっている。この無茶な要求は革新側の反米感情を加速させるだろう。するとそれは親北朝鮮・中国という路線に傾く。簡単な方程式だ。ただ、日本と比べて韓国には選択肢がある。

ヨーロッパでは前からNATOが問題になっている。そこで「アメリカに頼らない形で防衛をしよう」というような話になっているようだ。軍事費を削減したいトランプ大統領が勝手にシリアから引いてしまった。この結果トルコとロシアがシリアに入り込んできた。ウクライナ問題などを巡りロシアとライバル関係にあるNATO各国はこれが面白くない。そこでマクロン大統領は「NATO脳死発言」でトルコとアメリカの関係を間接的に非難した。するとアメリカがトルコの肩を持つ形で「トルコも失望している」と応酬している。ロイターによると「みんながっかりしている」と言っているが誰ががっかりしているかは明確にしなかったようだ。そのみんなとはつまりアメリカのことなのだろう。

議論自体は感情的だが、ヨーロッパが集団自衛とアメリカを加えた自衛体制という選択肢を持っていることは重要である。ロイターの別の記事によるとマクロン大統領は「ロシアと対話をすべき」で「EUは役割を拡大すべきでもない」とも発言しているそうである。いろいろな選択肢を持ったままでバランスを取っているような状態である。

ところが日本は強いアメリカには低姿勢だったが近隣国には居丈高に接してきたので味方がいない。このため新しいオプションを持ってアメリカとの交渉に望むことはできない。つまり言い値で買い取らなければならない可能性が高い。安倍政権の従米シフトが招いた結果である。

ただ、Quoraでの反応などを見ていると「安倍政権=従米発言」は即「安倍政権打倒」という文脈に組み込まれてしまうようだ。つまり、日本は選択肢がないだけでなく議論すらできない状態になっている。

ただ、専門筋の人たちはある程度現実的な線で対応を試みるのではないかと思う。トランプ大統領があてにならないことは確かだが、それを世間に見せて世論を動揺させることは避けたい。

まず、最初にこの件でリベラル野党はあてにできそうにない。火中のやばい栗は拾わない方針なのだろう。枝野幸男代表のTwitterには全くこの話題が見られない。玉木代表は扱うつもりがあるようである。自民党に移った長島議員も触れていたがこちらは河野大臣と足並みを揃え記事自体をなかったことにするようだ。

自民党は表向きは話がなかったことにしたい。だが交渉自体は行う必要がある。

まず「安倍首相に任せていては交渉が危ない」と考え安倍首相を交渉の現場から引きおろす可能性があるだろう。日米貿易交渉のように現場交渉を誰かに任せていたとしてもトランプ大統領が安倍首相に直接電話をすれば彼はおそらく断りきれないはずだからである。安倍首相が最大のリスクになっているのだ。安倍さんとしてはやると約束して誰かに詰め腹を切らせようとするのではないかと思うのだが、問題が問題だけにそうすんなり行くとは思えない。

もう一つの可能性は誰がやっても外交敗北は明らかだろうと考えて安倍首相を温存するというものだ。これは野党の指導者も含まれる。岸信介首相は日米同盟と引き換えに退陣したのだが安倍首相も祖父と同じ道をたどるかもしれない。安倍首相が淡々と役割を引き受けオリンピック後に交渉に臨みそして散ってゆくというのが、ある意味彼らには美しい姿なのかもしれない。

早めに藪をつついてしまうと「日米同盟破棄」か「駐留経費増額か」という対立構造が生まれる。多分この判断を突きつけられたら「わからない」という人が増えるように思える。日本人はこのような極端な議論は望まないからである。どういう形で「収めたこと」にするのかが注目される。

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安倍総理の花見会場運営の何が日本経済を破壊するのか

今回のお花見の件で「安倍総理に経済運営を任せておくと無茶苦茶になる」ということに多くの人が気がついたのではないだろうか。次の課題は「ではそれをやめさせるのか」ということになる。おそらくすぐさま辞任ということにはならないと思う。二つ問題があるのでそれぞれ考えたい。






安倍政権のお花見の問題は共有地の失敗に見える。みんなの税金で運営される花見会場はある意味フリーライディングの象徴のようなものだ。現状を見てみると会場に人が増えすぎて花見そのものが成り立たなくなっていたようだ。食べ物も不足していたのではないかと思われる。これは共有地特有の問題である。だが花見は国が管理しているはずで共有地ではない。だから本来はこれは起こらないはずの問題である。フリーライディングになるのは国会のチェック機能が働いていなかったからだ。

しかし、フリーライディングであってもこっそりやっている分には問題は小さい。安倍政権の花見運営は「あの人を呼んだのに別の人を呼ばないと恨まれる」という状態だったようだ。国会議員が勝手に決められるので却って「選別すると恨まれる」ということになってしまったようだ。さらに呼ばれた人も自慢して回っていたのだろう。だから結局「配り続けなければならなくなってしまう」わけである。

マスコミは今ニューオータニを追いかけているようだが、あれも「五千円で久兵衛が食べられるなら自分もやってみたい」という気持ちの裏返しだろう。一種のひけらかしになっている。ニューオータニは値引きには応じないと行っているようだが、予算内に収めるのに必死な幹事たちは「取引」の機会を探っているはずだ。ニューオータニの営業はこれから大変な問題に直面するはずだ。

つまり日本型共有地は囲いを作ってもなお「常に足りないものが膨らみつづける」という状態が起こるということになる。さらに花見会場の外にいる人にはまったく恩恵が及ばないから膨らみ続ければ「花見が成り立たなくなる」か「周りの人にバレて大騒ぎになる」ことになる。パーティーが終わるのは決定的なリソース不足でパーティーが破綻した時か、外の人が騒ぎ出した時である。

問題の一端は「国会議員に裁量があるが基準が明確でない」という点だった。そこで、Quoraで「国会議員が誰が恩恵を受けるかを勝手に決めていいのでは?」という質問を出した。当初予想したのは「そういう決まりだから」という答えだったのだが回答は意外と面白かった。

私は多分安倍首相が嫌いなグループだと思われている。つまり今回の件で安倍首相が追い落とされれば「心理的に得をする」と考えられているのだろう。つまりこの文脈がない議論はすぐさま特定の文脈と結びつけられる。つまり日本人は文脈のないところから文脈を見つけ出してしまう特性があるということになる。これは彼らが村社会で生きていて「村人同士の牽制」が政治の本質だからだろう。さらに「問題に関心があるということはそこから利得を得ようと虎視眈々と狙っている」と考えられてしまうのである。

ここで文脈という問題が出てくる。

菅原一秀元経産大臣が退任した。これは公職選挙法というルールがあり「国会議員はその枠の中で振舞っている」のだから「一人だけ抜け駆けするのはズルい」という判断が働いたからである。この場合文脈は「国会議員同士」だったので、議論は淡々と進んだ。

安倍首相と菅原一秀はどこが違うのか?という疑問が出てくる。おそらくは「安倍vs反安倍」というフレームが回答者の中に勝手に作られていて全てをそこに布置する形で文脈を形成しているのだろう。菅原一秀にはそれがない。つまり、安倍晋三はなんらかの働きかけをして自分のポジションと特定の人たちのポジションを結びつけたのだという予想ができる。

ところがこの文脈はその人のインターナルなものであり共有されない。したがって誰が何に賛成し反対するのかはレスポンスを見てみないとわからない。これが厄介だ。

国内だと体制・反体制ということになっているが、ここに例えば香港が絡むと別のフレームが作られる。中国の介入という立場からデモを応援する人(つまり中国は反日なので、その反日に対抗する人はいい人たちなのだ)とデモが体制に対するプロテストだからダメだという人が出てくる。問題の種類ごとにフレームが複雑になり共通の会話ができなくなってしまうのだ。

このことは村では問題にならない。誰がどういうフレームで思考しているのかということがわかっているからである。SNSで政治議論が成り立たないのは公共財としてのフレームがないからである。そうなるとフレームから外れて原理を探るということをしなければならないのだが、どうも日本人にはそれは無理なようである。

回答者の一人は別の質問で「勝手な思い込みで攻撃されることがあって困る」と言っている。社会の上位にある人たちは思い込みによって作られた秩序のフリーライダーなのでそのままでいたいという気持ちはわかる。経済的な合理性があるのだ。だが、自分は思い込みで攻撃されたという経験があっても(つまりフリーライドされる側であっても)自分もその思い込みからは脱却できない。日本人が持っている文脈に関するフレーム意識はおそらくとても強く、ある意味鎖のように人々を繋ぎ止めているのだろう。

と同時に、日本人に向けて政治議論を読ませたい時には公知のフレームというものを想定してそれを前提にして文脈を合わせてやると良いということもわかる。かなりあからさまな誘導であり偏った考え方であっても、日本人は個人と集団のフレームが合致した時に「公平な意見の中にいる」という心地の良さを感じるのではないだろうか。

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時代とともに移り変わるべき大嘗祭

令和に代替わりして初の新嘗祭である「大嘗祭」が行われた。Twitterで島田裕巳さんが大嘗祭を経ない天皇は「廃帝」とか「半帝」と呼ばれたと言っていたので「例外を除いては大嘗祭をやってきたのだろう」と思っていた。ところが調べてみると大嘗祭はずいぶん長い間中止されていたようである。大嘗祭ができなかったのは天皇家が徴税権を失ったからと考えられる。徴税するためには税を収めるネットワークが必要だが、日本は内戦状態にありでこれが壊れてしまったのだろう。応仁の乱以降江戸時代まで復活しなかった。






まず半帝と呼ばれたのは仲恭天皇だった。仲恭天皇というのは後付けの名前だそうだ。幼没した安徳天皇も行っていないのではないかと思ったのだが、平清盛のバックアップで行われたようである。この安徳天皇の大嘗祭からその意味合いがわかる。つまり日本人にとっての税とは神社への供え物と同じなのである。税を収める理由が天皇しかないので、その天皇に変わって「税を徴収してあげる」というのが日本の統治者の理由付けになっているということになる。

大嘗祭はかなり政治的な意味合いを持っている。日本の政治は合理的なルートで理解されてこなかったということになる。神の子孫を怒らせれば神を怒らせることになる。当然災いが降りかかるのだが神の代理以外はそれを鎮めることができない。現人神信仰である。信仰がなんとなく現実的な統治や徴税と一緒くたになっている時代が長かったということだ。第二次世界大戦までその状態は続きやがてアメリカから「カルト扱い」されて政治から無理やり切り離された。

1466年に最後の大嘗祭が行われその後中断した。復活したのは江戸時代のことだそうである。産経新聞だけを読むと「江戸幕府が天皇家に対するスポンサーシップを示すために大々的に行ったのでは?」と思える。安定の産経トリックである。

当時の幕府は、国内統治に儀礼を重視しており、1687年、東山天皇の大嘗祭の挙行を認めた。続く中御門天皇の即位の際には行われなかったが、その次の桜町天皇から現代まで続いている。

天照大御神から伝わる重要祭祀「大嘗祭」はこのように行われる

ところがWikipediaには全く違った話が書かれている。江戸幕府は二重権威を嫌い大嘗祭の復活を嫌ったが、上皇が江戸幕府の管理から外れて強行したということになっている。これをみると霊元天皇が天皇家の権威を示すために東山天皇を使って権威付けのために復活させたのではないかと思える。

貞享4年(1687年)に朝仁親王(東山天皇)へ譲位し、太上天皇となった後、仙洞御所に入って院政を開始し(以後仙洞様とよばれるようになる)、その年には同じく長年中断していた新天皇の大嘗祭を行う。これは関白及び禁中並公家諸法度を利用して朝廷の統制を図ろうしていた江戸幕府を強く刺激した。院政は朝廷の法体系の枠外の仕組みであり、禁中並公家諸法度に基づく幕府の統制の手が届かなかったからである。実は先代の後水尾法皇の院政にも幕府は反対であったが、幼少の天皇が続いたことに加えて、2代将軍徳川秀忠の娘である法皇の中宮東福門院がこれを擁護したために黙認せざるを得なかったのであるが、霊元上皇が同様のことを行うことを許す考えはなかった。直ちに幕府は院政は認められないとする見解を朝廷に通告するものの、上皇はこれを黙殺した。

霊元天皇(wikipedia)

この霊元天皇の話を知ると、このタイミングで秋篠宮皇嗣殿下が2018年11月に「私費でやりたい」といった意味も違ったものに感じられる。27億円という政府の天皇家に対するスポンサーシップが却って政治的に利用されかねないという危惧もあるのだろう。秋篠宮の「身の丈」が何だったのかというのは今でも議論の対象になっているが、善意に解釈すれば現行憲法で切り離された徴税権(つまり統治)の議論には触れず、国の安寧を祈るという古代の役割に専念したいという気持ちの表れなのかもしれない。つまり現行憲法によって統治原則は合理化されたのだから、天皇家は合理的ではない「気持ちの部分」だけを担当したいのだということになる。これは上皇陛下が統治時代になさってきた「象徴天皇制」のあり方と一貫するものがある。

ただこのメッセージを政治側が受け取ったとは思えないし、おそらくは理解もされなかったのではないかと思う。彼らは天皇権威を利用することだけに関心があり、おそらくは祭祀の存続には全く興味がないだろう。一部の識者は、最後の男系男子が定年するくらいまでは引き伸ばせるのでは?などと言い出しているそうだ。

江戸時代には天皇家の行事として簡素に行われていた大嘗祭だが明治に入って「天皇中心の世の中を作る」という決意のもと大掛かりなものになってゆく。実際に大掛かりなものが行われたのは大正時代からなのだそうだが、昭和でも大々的に行われやがて天皇権威が軍部の正当化に利用されるようになった。今でも天皇権威を背景にして統治者気分に浸りたい人たちがたくさんいる。秋篠宮の提言はそうした思惑にかき消されてしまった。一方日本人も大嘗祭について深く考えることがなくなった。マスコミでは「古の謎の儀式」と大嘗宮の豪華さにばかり注意が集まっていた。つまり天皇家を生きて変化しつづける伝統でなく、歴史や文化遺産の領域に押し込めてしまったのである。

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お花見騒ぎをよそに日本の貿易収支は急速に悪化している

世間はお花見の話に夢中なようだが最近気になっている別の話がある。消費税が増税されて景気が悪化しているはずなのだがそれがあまり伝わってこないのである。さらに日経新聞を読むと前年同月比で貿易黒字が9割も縮小していると書いてある。「あら大変だ」とは思うのだが、それもさほどニュースにはなっていない。ただ、その都度検索するだけでまとまった知見が得られない。過去の貿易黒字について半年分くらいを検索してみることにした。






半年検索してわかったのは2018年の「過熱気味」とも言える景気が2019年になって急速に悪化しているということである。顕著なのが原油価格だ。原油価格は2018年10月をピークに下り基調にあるようだ。2018年には石油価格が高騰しているという話があり、その時には「世界経済が好調に推移する」と書かれていた。それから一年で様相が様変わりしたことになる。

ただ、さらにさかのぼるとさらに不安な兆候もある。2017年にはアメリカの政策変更が世界経済に打撃を与えるかもしれないというような記事を見つけた。これら諸々の動きを頭に入れると2019年の中盤から起きた民主主義の動揺の原因の一端が見える。にもかかわらず日本ではあまり景気が悪化したという話が聞かれない。これはいいことなのか、それとも悪いことなのかという疑問を持ちつつまずは切り抜きを見て行きたい。

輸出額の減少幅が輸入額の減少幅を上回ったため、差し引きの貿易黒字幅は前年同月に比べ9割超縮小した。

9月の経常黒字、12.5%減の1.6兆円 貿易黒字幅縮小

まず、直近2019年9月期の評価だが「好調だった」前年と比べると貿易黒字が9割も縮小している。「なんとかショック」なみの大打撃なのだが大した騒ぎにはなっておらず、世間の関心はお花見が私物化かどうかということになっている。ちなみに好調だったのは景気が過熱していたというせいもある。

輸入額は原粗油などの輸入減で6兆299億円と12.7%減と大幅に減少した。輸入額の減少が輸出額の減少を上回り、貿易収支は黒字に転換した。

8月の経常黒字、黒字幅が18.3%拡大 貿易収支の黒字転換で

8月には「石油を輸入しないほうが赤字が減る」と書かれている。どういうことなのかはわからないが、原油を買って加工して売るというビジネスモデルは成り立たなくなっているのかもしれない。別のニュースを読んでいたので「おそらく同じことが鉄鉱石などでも起きているのだろう」と思った。

貿易収支は745億円の赤字と、前年同月から赤字幅が659億円拡大した。自動車部品や半導体等製造装置の輸出が大幅に減った。原油価格の下落によって輸入減となったが、輸出減による影響が上回った。

常黒字1.3%減 7月、貿易赤字が重荷

実は7月は赤字だった。なので黒字があるだけマシという状態だったのだ。

貿易収支は2242億円の黒字と、前年同期の比べ87.4%減少した。アジア向けの半導体等製造装置や鉄鋼の輸出が落ち込んだことが大きく響いた。輸出額は5.2%減の37兆9497億円、輸入額は1.4%減の37兆7255億円だった。

1~6月の経常黒字10.4兆円、貿易収支悪化で黒字幅縮小

遡って上半期のまとめだがここでも約9割黒字幅が減少していると書かれており、これが9月単独の話ではないということがわかる。そして韓国で半導体が落ち込めば日本も影響を受けるということもわかる。確か「韓国の対応が気に入らない」と言って報復合戦をしていた時期じゃないだろうかなどと思った。

輸出は6カ月連続で縮小し、5月は前年同月比6%減の5兆9180億円となった。中国や韓国向けで半導体等製造装置の輸出が低迷した。

経常黒字16%減 5月、貿易赤字響く

中国向けの半導体等製造装置や電子部品の減少が響き、輸出額は前年同月比3.7%減の6兆3880億円となった。一方、輸入額は6.9%増の6兆4862億円だった。原粗油や電算機類(含む周辺機器)などの輸入が増えた。

4月の経常収支、黒字幅縮小 中国向け輸出減で貿易収支は赤字

日経新聞の見立てによると、原因は中国・韓国向けの減速だ。中国経済がスローペースになっているということもあるのかもしれないし、そういえば韓国との関係もこのところ急速に悪くなってきたなあと思い返してしまう。ただ韓国との関係が悪くなったのは今年の中盤以降だから景気が悪くなったので反日カードが切られ景気がさらに悪化したのであろうという順番になるのだろう。ダウンスパイラル(悪循環)だ。

輸出額から輸入額を差し引いた貿易収支は9648億円の赤字(前年同月は6607億円の赤字)だった。中国を含むアジア向け輸出の低迷で輸出額が6.7%減少した。輸入額も原粗油や石油製品の減少を背景に全体で1.7%減少したが、輸出の減少が上回った。

1月の経常黒字、前年比1.4%増 第1次所得収支が過去最高

少し飛んで1月である。1月も赤字だったらしいが、そんなに大騒ぎをしていた記憶はない。今回の急速な原則にはトランプ大統領の選挙対策に依存するところが大きい。

この線で追って行くとNewsweekにこんな記事を見つけた。トランプ大統領は貿易赤字を敵視していて2017年頃のマスコミにはは「貿易赤字を敵視するのは間違っている」というような論調が見られた。

日経新聞は2017年にこんなことを書いている。

トランプ流の関税政策はむちゃだが、共和党議会が推進する国境税を含めた税制改革は、米国に投資を呼び戻し、消費から投資へ、と経済を変えていく有効な手段となりうる。しかし、これは赤字を減らしても、雇用を増やす効果はほとんどない。AI化の下で、投資の雇用創出効果が加速度的に小さくなっているからだ。それでも製造業の強化は、米国の赤字をベースに成長してきた世界経済を大きく変えることになるだろう。

なぜ貿易赤字が問題なのか

因果関係としてはまずアメリカの製造業の構造不況がありそれがトランプ政権を生み出し2018年末頃からのアクションの結果が今出ていることになる。こんな中、例えばこんなニュースを思い出した。「八幡製鉄所」の名称消える 大分と統合、「九州製鉄所」に 日鉄、6拠点に再編というニュースである。九州以外の人にはインパクトが伝わりにくいと思うが、リストラについてもほのめかされている。多分、これから痛みが出てくるだろうし、多分製造業は日本には戻ってこない。ちなみに福岡県は麻生太郎副総理の地元で、隣の山口県下関市は安倍晋三総理大臣の地元である。

日本は国全体としては債権国なので黙っていても毎月1兆円から2兆円という額のお金が入ってくる。一方、地方の製造業拠点は確実に失われている。多分それが表出するのはこれからなのだろう。ただ東京の経済は損なわれないので地方独自の問題にすり替えられ「日本全体の問題」にはならないのかもしれない。

いずれにせよわからないことが多いのだが、わからないことをわからないままで整理しておくのも大切なのではないかと思った。いずれにせよこれは循環的な景気悪化ではなく構造転換である。おそらくは自民党も民主党系野党も打ち手は持っていないだろう考えるのも恐ろしいことだがそうでなければ「花見の予算を数倍にしよう」とか「いやその問題で国会を空転させてやろう」などと彼らが考えているのは、おそらくは与野党ともにこの一連の変化を見逃しているからなのかもしれない。

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金持ちなのに金の使い方が下手になった日本人

安倍総理の桜を見る会が炎上している。最初は「法案審議もしないでお花見議論か」などとバカにしていたのだが、ついにフジテレビまでが取り上げた。よほど「隣の選挙区だけずるい」というのが気に入らない人が多いのだろう。






この様子をテレビで見ている高齢者は医療保険があてにならないと考えていて「とにかく病院のお世話にはならないようにしよう」と思っているはずだ。毎日健康のために歩いたり、健康食品のセミナーに通ったりしている。そして蓄えた貯金は絶対に使わない。そんな中この「無駄遣い」である。腹が立たないはずがない。

桜を見る会自体は1952年から開催されているそうなのだが、安倍政権になって招待者が膨らんでいることがわかった。予算要求は1766万円だったそうだが、実際にかかったのは5200万円だったと東京新聞が伝えている。いくらなんでもおかしいと共産党が調べたところ本来は「優れた業績がないと入れないはず」の桜を見る会に特定の政治家の支援者が紛れ込んでいたというわけである。かつて1万人だった招待者は1万8200人になっているというのだ。ここまでくると「大宴会」である。この中に安倍首相の後援者が850名も招待されているのだそうだ。また安倍晋三後援会は前夜祭をやっていて記念撮影などの行事もセットされているという。

日本は公職選挙法で厳しく支援者への利益供与を禁止しているにもかかわらず、一部の政治家だけが得をしていいのかと大騒ぎになっているのだろう。日本人は原理原則にはさほどこだわらないが「誰か特定の人だけが得をしている」というのがとにかく嫌いである。

官邸はいつものように「資料は廃棄した」と言い募っているようだが、今回は自慢したい人たちがブログや会報などに「お呼ばれして嬉しかった」というような記事をたくさん載せている。追求する方もよく見つけたなと思うのだが、周南市長のように記事を削除してそれが話題になったりもしている。つまり、日本人は「自分だけが得をした」ということをこっそり見せびらかしたい。

いずれにせよ「金権政治」というにはいかにもいじましくあまり反応する気にはなれないのだが、それが一番響くというのが今の政治的な景色である。

日本は経済が没落傾向にあるのだがお金は潤沢に入ってくる。こういう国にできることがある。それが文化を売ることである。文化にはお金がかかる。例えばノーベル賞などは壮大な無駄遣いだ。スウェーデン王室が主催して豪華な食事会を行うがこれを「私物化」などという人はいない。こうして「スタイル」を作るのが金持ちの仕事である。隣の芝生の嫉妬に敏感な日本にはこうしたひけらかしの文化がない。

アメリカにもイギリスにもセレブウォッチのような雑誌がある。映画祭や王室主催の晩餐会など様々な見せびらかしの機会があるのだろう。プライベートジェットでそこに駆けつけるセレブや豪華な洋服は庶民のあこがれになり文化が牽引される。製造業段階を抜けた国ではこうして新しい需要を喚起する必要がある。

今回も飲食費が2,262万円だったそうだが、実際には18,200人も来ているのだから一人頭1万円程度の食事でしかない。多分立食なので大したものは出ていないだろう。やるならもっと豪華な「園遊会風料理」を作ってゆっくりと楽しめばいい。そうすればそれは文化になる。だが「バレたくはないがちょっとはバレてほしい」というような気持ちではしょぼい文化しか生まれない。

もう役に立つものだけを作って食ってゆくことはできなくなった。皮肉なことなのだが日本人はお金の使い方を知らないまま金持ちになってしまったとも言える。金持ちは金を周囲にばら撒くことで地位をひけらかしさらにお金を集める。だが日本人は私物化し余計に怪しまれてしまうのである。多分、ここまで騒ぎになったからには来年の桜を見る会は自粛ムードに包まれるのだろう。

菅官房長官が3,000円のパンケーキを食ったと言って恨まれるこの国ではそもそも生粋の金持ちたち(多くは土地を売って儲けたりしていて表面上は質素に暮らしている)はそもそもこれを最初から心得ていてお金を贅沢に使ったりしない。こうして日本の景気はますます冷えていくのではないかと思う。

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世界各国の民主主義が揺れる中お花見に大騒ぎする日本

時々デモ情報を追っている。きっかけになったのは香港なのだがレバノンやチリでデモが起きている。そのうちに、いろいろな国で民主主義が危機に陥っているんだなと思えるようになった。カタルーニャでデモが起き、フランスもかなり大変なことになっているらしい。






フランスはかなり過激なことになっている。政府が参加者の目玉をゴム弾でぶっ潰すという暴挙に出たようだ。フランス革命が起きた国で今また民衆が放棄しようとしているというのが21世紀初頭の政治情勢なのだ。スペインの11月総選挙もまとまらず「左派ポピュリズム」が支持を伸ばせない中「極右」が台頭した。イタリアでもポピュリストが政権を取っている。イギリスもブレグジットで混乱しているから西ヨーロッパでまともなのはドイツだけという状態になっているようだ。そのドイツでも2019年8月あたりから「景気後退」の兆候が出始めているという。

何がどうなっているんだと言いたくなる。

ところが日本はどうだろう。概ね平穏である。そんな中Twitterは「安倍桜祭り状態」になっている。もともとは共産党が「地元への利益供与なのではないか」として取り上げたことがきっかけになっていて「安倍さえいなくなれば」層にアピールしたようである。国民民主党も追及をすると言っているそうだ。逆に言えば安倍政権の政策にケチがつけられなくなっているという様子がわかる。国民が野党を支持しないので、野党は手詰まり状態になっている。

では自民党はよくやっているのか。おそらくはそうではないだろう。景気は悪化しつつあり経済統計資料にも表れているようだ。倒産ではなく自主廃業も増えているというレポートも読んだ。日本は確実に衰退しつつある。

世界の動きと日本の動きはある程度リンクしている。中間層の間に不満がたまっている。企業は好景気に沸くのだが中間層にはお金が回ってこない。オートメーション化の影響だという人もいるし、ホワイトカラーがAIに取って代わられたからだという人もいるだろうが、とにかく理由はよくわからない。何が起きているのかの一端を示す資料をアメリカに見つけた。

アメリカの一部の企業の株価が好調だ。GAFAというそうだがハイテク株を中心にバブルとも言えるような株高になっているという。中国とアメリカの緊張が低くなるのではという期待やアメリカの雇用が回復しているという背景も株価好調を後押ししている。また新興国の混乱を避けた金もアメリカに戻ってくる。いわば一人勝ちの状態である。だがアメリカが全部勝っているわけではない。

アメリカでは雇用が回復しているのだが必ずしもすべての産業が等しく回復しているわけではないらしい。「リーマン・ショックから雇用が回復していない仕事ワースト20」という雇用の変化についてのデータを集めた記事を見つけた。アパレル、新聞、航空機などが減っているという。産業転換が起きているようだがその内容はよくわからない。ただ、アメリカでは回復を実感している人たちと取り残されている人たちがいるようだ。

なんらかの変化が起きているようだがそれが何なのかはわからないというのが今の日本である。だが日本人はもうそれを考えるのはやめてしまったようだ。日本で政治に興味を持っている層が現在の経済とは切り離されてしまっている可能性がある。

調べてみたところ日本の公的年金受給者はのべ7,200万人を超えているそうだ。おそらくは重複しているものもあるのだろう。重複をのぞくと4,000万人になるそうだ。つまり物価が安定している限り日本人の多くの生活水準はよくもならないが悪くもならないのである。ちなみに労働人口は6,800万人程度だという。労働人口と同じくらいの規模の経済から切り離された人たちがいる。彼らは年金が維持されている限りはおそらくもう何も言わないだろう。

日本では現状維持バイアスが働くはずだ。したがって、桜を見る会を開催しようが特区を私物化しようが大した反発は起きないだろう。と同時に行き詰まりの規模が大きすぎて小手先の対策を積み重ねてもどうしようもないということがわかる。労働人口が減り年金受給者が減ればいずれは財政が破綻するのだが、現在は外国から利子収入が月に2兆円も入ってくるという状況にある。9月の経常黒字が減ったと日経新聞が書いていたがそれでも1.6兆円が入ってきた。つまり、いずれは破綻することがわかっているが、今は絶対に破綻しないというとても奇妙な状態にあるのである。枯渇する石油資源を抱えながら改革ができない産油国のような状態なのだ。

こうしたことはちょっとネット検索すればすぐにわかるの。だから、野党の人たちもみんな知っているであろう。だから彼らも抜本的な改革は提案しない。つまり、自民党の人たちは花を愛でながら没落の最後のきらめきを楽しみ、それに混ぜてもらえない人たちは恨み言を言いながら拳を振り上げたふりをしつづけるという状況が続いているのである。

この話をいろいろな人にしているのだが、誰も聞いてくれない。そして彼らはまた誰かを非難し続ける。おそらくは彼らも気がついているのではないかと思うのだが、表情からそれをうかがい知ることはできない。

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スペインの事例に見る「安倍の終わり」が終わらない理由

スペインでまた総選挙があるそうだ。調べてみたのだがかなり深刻な状況にあるようだ。時系列で追ってゆく。「安倍政権の終わりが見えてきた」と喜んでいる人がいるようなので、この終わりがなかなか終わらないだろうという見解も加えた。






スペインは2008年にリーマンショックの影響を受けて不動産バブルがはじけた。今でも建設途中の死の街がいたるところにあるそうだ。これを受けて、2011年には憲法を改正した。硬性憲法の国なのだが国際信任を得るためには財政健全化を達しなければならなかったからだ。この頃までは国民党とスペイン社会労働党という左右二大政党の元で国政が運営されていた。憲法改正もこの二大政党の間で取り決められた。

2011年にはマドリードで座り込みのデモも起きていたが状況はよくならず数年後に国政の混乱が表面化する。

2015年には総選挙が行われたが「左派ポピュリズム」と呼ばれる政権「ポデモス」が躍進した。座り込み運動がきっかけの一つとも言われるそうだが、第1党にはならず左派が分裂した状態になった。連立協議がまとまらず2016年にまた総選挙があった。Wikipediaには社会労働党がポデモスとの連立を模索したが地方が反発したと書いてある。

国民党は国王からの組閣要請を断り、左派は連立を模索したが分裂したということである。2016年の選挙では左派分裂に嫌気した人たちが国民党に流れたが、それでも国民党は第1党にはなれなかった。

結局左派はまとまれなかった。国民党のラホイは依然暫定首相のままだったが下院で過半数を持っていない。そこで左派は政権奪還を目指すのだが却って内紛がおこりサンチェス書記長が失脚してしまう。左派が首相候補を失ったことでラホイ首相は結果的に信任された。しかし、今度は国民党で汚職騒動が持ち上がりラホイ首相が不信任案を出されて首相を退任してしまった。そのあとを継いだのは失脚したサンチェス書記長だった。

ところがサンチェス首相は2019年の予算案を議会で通すことができなかった。そこで2019年4月に選挙が行われた。この選挙の結果は皮肉なものだった。これまで汚職などで揺れていた国民党は2016年以来の選挙ということもあり議席を失った。左派系政党も議席を伸ばした。ところが国民党から離反した人たちはVOXという右派ポピュリズム政党に流れたようである。つまり左派から過激な左派が分離し、右派から過激な右派が分離したということになる。政党がどんどん分裂してゆくのだ。

社会労働者党とポデモスを合わせても過半数にならず、国民党にも支持がなく、かといって右派ポピュリスト政党に政権を担わせるわけにも行かないという状態になっている。4月から延々と連立交渉が行われており合意できず11月の総選挙(日経新聞)ということになった。だが、総選挙をしても政権政党ができる見込みはない。これが今の状況である。

答えだけ簡単にまとめてしまうと、政権を担える政党には国民をまとめ上げ政策をパッケージ化する力量が必要である。スペインは政権を担える政党そのものが消失し、国民の統合が失われつつある。こうなると民主主義というのは混乱の別の名前に過ぎない。

VOXについての論評がハフィントンポストに出ていた。スペインはもともとフランコへのアレルギーがあり右派ポピュリズムが出にくい土壌だったようだが「普通の感覚」を「SNS」で広めるという主張で浸透しているようである。このハフィントンポストの記事を読む日本人の中にも「これの何が右派ポピュリズムなのか」と憤る人がいそうである。「普通の日本人」から見るとハフィントンポストが「インテリぶったいけ好かない左派」に見えるのではないかと思えるほどだ。

左派政党がまとまれず左派の支持者たちの社会運動が過激化する。これが普通の市民の道徳感情を刺激して右派の土壌が生まれるという変化である。背景には財政問題を解決できないというスペインの事情があるのだろうが、そのことが当事者であるスペイン人に意識されることはなのではないかと思える。Newsweekも「一見普通に見えるポピュリズム」という見方で共通している。その背景になっているのはスペインの深刻な経済状態のようだ。当たり前にやっているのに「なぜ」という気持ちがあるのかもしれない。

スペインと日本には先進国脱落組という共通点がある。左派系野党がまとまれないのもそっくりである。ところがスペインはEUの一員なので財政について厳しい規制があり日本のように政府が借金をして痛みを先延ばしするというオプションが持てない。ここが違いとして大きい。

自民党も政策を持たない政党だが「将来の徴税権を担保に借金をする」というオプションがあり問題が露呈しにくい。この事が却って政策立案能力を失っているという事実を見えにくくするのだ。自民党はもはや英語入試改革すらできないしまとまれない野党ももちろん対案を提示できない。日本とスペインにはこうやったら安心という「正解がない」という共通点がある。

日本の国政は政治家と地域の有力者たちが「しゃぶった後」の後始末に追われる事になるだろう。長い政権運営を通じて安倍首相はそのことに気がついてしまったのだろうし、その後継としてヒーローのように日本を救ってくれる政治家はおそらく現れないはずだ。

スペインは政党が有権者をまとめられなくなったが、日本は国の膨大な予算さえ握れば政党がバラバラになることはない。日本の野党が分裂してしまったのはおそらく借金なしには国がまとまれないという現実の切れ端のようなものなのだろう。自民党の内部でも先細る予算を前提に利権争いが激化するはずである。たとえばカジノ利権の奪い合いなどが起こるのかもしれない。

おそらくすでに「ポスト安倍」の時代は始まってはいる。しかし、安倍首相が「私の政権ごっこ」を続けている間はそれは露出しないはずだ。つまり、いったんそれが露出しても出口は見えないだろうということになる。

この出口が見えないであろうという感覚は多分日本の政局だけを見ていてもわからない。

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「安倍という穴」が埋まりはじめている

先日は田崎史郎さんが「英語試験の改悪について安倍さんも菅さんも知らなかった」と弁明したという話を書いた。これを紹介しようとしたのだが反応していたのはリテラだけだったので引用なしにした。この田崎発言の意味をずっと考えていたのだが中心にぽっかり穴が空いている。この穴が何なのかがわからない。考えているうちにこの穴こそが本質なんだろうなと思えるようになった。






世間はこの問題に関心がないらしい。世間は何の話題に関心があるのだろうかと思うのだがどうも政治そのものには関心がないようだ。つまり政治や公共というものについて関心を持たなくなっているのではないかと思われる。代わりに「大日本人が悪の中国を成敗するべきだ」というよう話はよく聞かれるようになった。政治が消えてネトウヨだけが残った。

田崎さんの説明通り安倍官邸が知らなかったという説を受け入れてみる。官邸はずいぶん前から利権構造そのものに関心を持たなかったのかもしれないという気がしてきた。国会論戦も聞いてみたが「悪の教育企業」が利権をほしいままにしているという見方は成り立たないように思える。これより現実性が高いのは無理難題を押し付けてくる文部科学省という可能性だ。これに対して「この線なら対応できる」と応じた企業が「正当な儲け」を載せようとしたのかもしれない。ただ不確実なので「少し多めに載せておこう」とは考えたのかもしれない。この不確実性が実は大きな問題になっている。

巷ではベネッセの関与が囁かれている。多分さぞかし立派な企業だと思われていることだろう。だが実はベネッセは大きな問題を抱えた企業だ。少子高齢化が進行している上に住民情報が取れなくなっているからである。

ベネッセは役所から集めた住民情報をもとにDMを送りつけ小学生を一括して取り込むという延縄漁法で大きくなった会社である。ところが国民の権利意識が高まり情報が取りにくくなったのでビジネスモデルが破綻してしまった。そんな危機意識から「プロ経営者原田社長」を入れてみたものの改革は頓挫した。経緯については日経ビジネスが2016年に詳しく書いている。原田社長退任時にはDM問題の影響は大きかったと言っている。そのベネッセが公益のために持ち出しをしてでも試験制度を維持しようと考えてくれるとは誰も思わないだろうし、そんなことはもうできないのである。

加計学園の問題も実は安倍さんの問題というより安倍さんのお友達を断りきれなかったというようなことだったのかもしれない。つまり安倍さんというのは食うに困った「お友達」や「お友達のお友達」をたくさん抱えていて少々乱暴なことをしても全部庇ってきたのかもしれないのである。

そうなると穴の正体が見えてくる。政府は安倍首相に近しい人たちが利権をむさぼるための装置になっている。だが彼らも好きで利益をむさぼっているわけではない。滅びゆく恐竜が不安で叫んでいるような感じである。政府は延命装置なのだ。この矛盾を安倍首相が穴になって全ての矛盾点を吸収してきたと考えるとかなりのことが説明できる。

そう考えると利権とは無害で「憲法改正」という何の腹の足しにもならないことを政治目的にしていた人というのは極めて使い勝手がよかっただろう。変な使命感から「私の政権」をかばってきたので「全ては安倍せい」だという印象が付いてしまったことになる。安倍さんの首相人生は穴としての人生だった。

考えてみると集団自衛権をめぐる解釈改憲の問題もアメリカの要望であり安倍さんの希望ではない。

ではなぜこの穴が埋まりつつあるのか。それは見返りが何もないからであろう。憲法改正に向けて誰も安倍さんに協力しようという人はいない。

集団的自衛権の問題で日本が歴史的な憲法解釈の転換を果たしたのは「アメリカのいうことを聞いてあげれば見返りに日本の役に立つように動いてくれるだろう」という安倍首相なりの期待だったのかもしれない。ところが実際にはアメリカは「アベはなんでもいうことを聞いてくれる便利なロボットである」と侮るようになりTPPから勝手に抜けてしまった。そして記者会見の席で「俺がガツンといえば言いなりにトウモロコシを買ってくれるのだ」などと吠えだした。トランプ政権が続けば、アメリカはさらなる要求を突きつけてくることになるだろう。

安倍さんはアジアでも中国に対抗したいようだがここでもあてが外れている。アジア市場を中国に取られたくないのでRCEPに参加しているのだがインドが抜けると言いだした。インドが抜けてしまうと中国に対抗できないので、梶山経産大臣は「インドが抜けない前提で話を進める」などと言いだしている。そもそも菅原経産大臣がいなくなった後の梶山さんが事情を知っているはずもないのだから、この発言には何の根拠もない。今RCEPから日本が抜ければ中国に市場を取られるし、入ったら入ったで中国に有利な形で日本国内市場を明け渡すことになりかねない。梶山さんができるのは敗戦処理だけだ。

ロシアとの外交も行き詰まる。「歴史的な長門会談」という無意味なフレーズにはもはや嘲笑する価値すらもない。とにかく、誰も振り付け通りに動いてくれないのである。

いつからそうだったのかと考えるのだが、もしかしたら最初からそうだったのかもしれないと思える。田崎史郎さんが「安倍さんは知らなかった」と表立って言うということは、もはや安倍首相がこれを「私の内閣」の仕事だとは思っていないということだろう。安倍政権は後継が決まるまでの漂流を始めたことになる。ひょっとしてかなり長い漂流になるかもしれない。

こうなると「安倍が辞めれば全ての問題は解決する」としていた野党は方針を全面的に転換しなければならなくなる。つまり、やっと何が本当に問題なのかということを考えるチャンスが巡ってきたのかもしれないが、もしここできちんと考えないと「政府があるのに政府内部が無政府状態」という極めて厳しい状況に置かれることになるだろう。

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安倍政権のせいで教育の劣化が止まらない

最近教育の劣化が止まらない。安倍政権のせいだと思う。「全てが安倍せい」というのは非難されることが多いらしいのだがやはりそう思う。田崎史郎さんが「今回の英語試験は文部科学省が一部の自民党議員と組んで勝手にやった」と言いだしたのを聞いて切実にそう思った。






その日はTBSで教師いじめの蔓延についてやっていた。関西を中心に事例が出始めているようだが、問題はかなり前から起きていたらしい。先生の精神疾患による休職は毎年5,000名程度で横ばいになっていて、自殺者も100名単位で出ているようである。忙しすぎて精神疾患になり休職する人も多いということだそうだ。多分民主党政権時代から続いている問題ではあるのだろう。

こうした問題をテレビが解決することはない。「あんな問題があった」とか「こんな不都合がある」という事実は並べ立てるのだが、仮説を立てて根本を整理しないと問題解決につながらないだろうし、そもそも絶対になんとかしないと国が危ないという危機意識がなければ問題は解決ができない。

そこで、まず「教育は自分たちで予算を決めることができない」という点と「教育が密室化している」という点を考えてみることにして考えをまとめ始めた。

教育予算は国が決める。このため労働者である先生は自分たちの裁量で待遇を決めることができない。また公務員である公立学校の先生もストライキが認められていない。この場合使役者である納税者はできるだけ安い費用で高い効率を求めることになる。つまり国民というのは潜在的にブラック企業の経営者であり現に教育現場はブラック企業化している。現在は国民の支持の元、学校教育の無償化(実際には社会主義的に国がすべての費用を管理しようということである)が進んでおり、この傾向が強まることになるだろう。

これだけでも由々しい問題なのだが教員には社会経験がないのでこれが良いことなのかそうでないのかということがわからない。多分企業を経験した人は「従業員が自浄能力を発揮できない」環境について違和感を訴えるはずだが、教員自治ではそれが起こらない。その意味ではスポーツに似ている。相撲や各種スポーツの自治も選手上がりで社会人経験がない人たちがマネジメントをおかしくしているという問題だった。加えて先生はストライキもできない。

多くの先生は学校を卒業した後すぐに先生になり、その後はずっと学校という極めて特殊性の高い世界で過ごす。そうしてゆでガエルのように異常な環境に慣れて行き、それに最適化した人だけが生き残るという仕組みになっている。

日本は富国強兵で生き残ってきた国であり、従来基本教育を充実させることで生き残ってきた国である。つまりこれは保守的にいえば国家の危機なのだ。だが、日本の保守は死に絶えてしまっており世間に昔を思い出すように訴える政治家はいない。リベラルと呼ばれる人たちも教育を政争の具としか捉えていない。日本のリベラルは教員に支えられてきた左派を源流の一つに持っている。彼らも「聖なる教員自治」という肥大した自我から抜けられないだろう。すでに歪んでしまっているわけだからこれが問題を解決することはないはずだ。

特に安倍政権はあまり教育には熱心ではない。最近では英語入試改革という名目で企業への利益誘導が行われていることがわかってきた。企業を入れて英語入試改革をしようという話だったのだが、田崎史郎さんが「どうやら私的企業にはそれぞれの議員がついていた」という話をし始めた。田崎さんにしては思い切ったことをいうなあと思っていたのだが、どうやら下山元文部科学大臣らを指差して政権から問題を切り離そうとしているようである。

加計学園問題では特定企業だけを優遇したことから問題になったので、これが政権スキャンダルになるということはわかっている。今回は他の企業も入れてアリバイ作りを図ったのだろう。こうしたことはすべて議会を通じて合法的に行われており有権者も特に興味を示さなかった。ところが萩生田身の丈発言が「教育改革というのはつまり地方切り捨てである」と認めてしまった。これが今から炎上することは間違いない。

ところが田崎史郎さんとシナリオを書いた誰か(誰だかわからないが)は重要なことを忘れてしまっている。教育には改革が必要である。そのためには文部科学省の協力が欠かせない。にもかかわらず「文科省が勝手にやっている」と言って切ってしまったのだ。自分たちさえ炎上しなければあとはどうなってもいいという安倍政権にはもはや教育を改革することはできないだろう。

リーダーシップがない政権でそれぞれの利権に興味がある人たちが教育を食い物にしてきたことは間違いがない。安倍政権はそれをひっくるめて隠蔽してきたのだが、今回その一部を認めてしまった。問題の背後にあるのは「最初からリーダーシップが全く欠けてた」という本来の姿である。

このことを象徴するような動きが神戸で起きている。神戸市では長い間革新市政が続いておりその反発も強かった。この事件をきっかけに揺り戻しが起きている。

朝日新聞と対決していることからわかるように、背景にあるのは「革新への差別意識」との「エスタブリッシュメント」なのだろう。Twitterには「神戸市長の久元喜造です。神戸はいま大きく変わりつつあります。市民のみなさんの知恵を結集し、みんなで神戸を見違えるような街にしていきましょう。」とかかれており「保守という改革」の香りがする。

彼らは自分たちの目的のために教育を利用するつもりなのだろう。日本の保守は本来自分たちの国力の源泉がどこにあったのかを考えるのをやめてしまったようだ。古ければそれで自明の価値があるわけではない。我々の祖先が「どうやったら中国や西洋に取り込まれずに済むか」というアイディアを懸命に蓄積してきたのが本来の保守である。その努力の結果作られたのが日本文明である。こうしたアイディアは堤防のように我々を外の世界から守ってくれてはいるが、堤防はメンテナンスしなければいつかは決壊してしまう。保守を名乗る彼らは、多分それを忘れてしまっっているのだろう。

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